プチ社長日記:『金谷ホテルにて』の話

一度、日光に足を踏み入れたかったが、今まで機会がなかった。
気にならなかった訳ではない。
日本最古のリゾートホテルである金谷ホテルも気になっており、先日、何とか時間をやりくりして行く機会に恵まれた。

<林の向こうがホテル棟>
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東照宮のすぐ傍に建っている登録有形文化財指定のホテルである。
明治6年からの歴史もあって、随所に歴史を感じさせる造詣が面白い。明治村に保存されているフランク・ロイド・ライト設計による旧帝國ホテルのデザインに似ている(要するに椿屋珈琲っぽい)が、実際にライトも泊まったことがあるらしい。
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部屋は広いが、若干寒々しかったのは仕方のないところか。
蔵から発見された100年前のレシピを再現したという100年カレーも食べる。こっちは正直普通。
日光に来るならまたここに泊まりたいが、温泉地でもないので、次にいつ来るかは全くわからない。

ただし、東照宮はさすがに立派で、家康公の墓の近くは空気がひんやりとしており、荘厳な空気を持つ素晴らしいものだった。
あまりのんびり観光した訳ではないが、来てよかったとは思う。

プチ社長日記:『江ノ島へ自転車』の話

頭の中につまらないリミッタをつけてしまうというのはよくあることで、そういうリミッタを打破するのは『バカさ』というのも、またよくある話で。

今回も、ふと『自転車でどこか行くかぁ』と思いつき、目的地を思案していると、『鎌倉は無理っしょ』という声が返ってきたので、それならばと行って来た。

のんびりしたかったので鎌倉プリンスに一泊することにし、土曜の午前にゆるゆると出発する。
ちゃんと出発前に空気入れでタイヤ圧を調整するのも今や習慣になった。マジこれでだいぶ違う。

気になる道どりであるが、実はiPadとLTEさえあれば、道には迷わない。
大きな交差点ならどの隅に自分がいるかも解るという精度には、毎度のことながら感心させられてしまう。

・・・みれば往復100km程度である。
『なんだ行けるじゃん』と悟る。まぁ楽勝ではないかもしれないが、トライアスロンでも自転車で60kmほど走るという。これならば行けない距離ではない。

途中、自分の職場に寄ったりもしたが、13時代には多摩川を抜け、14時には横浜につく。道すがら、昔のお客様の工場などを見つけ、当時のことを思い出したりもする。ドライブスルー形式のスタバを見つけるまで、適当な休憩場所を見つけられずに困ったが、五反田から横浜で1号線を進むと約2時間半で横浜である。あっけない。
スタバでカプチを飲みながら、経過をメールで報告する。余裕ぶっこきモードである。
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ただ、その後の江ノ島までの道のりは三浦半島を横切る形になるのであるが、そこはさすがに勾配があり、向かい風に歯を食いしばりながらも、ゆるやかな登りをただひたすら進む羽目になる。
何故か常に向かい風である。気のせいだろうか。いや、そんな訳は無い。

途中、工場への引き込み線があるが、それは廃線となったようだ。かつては電化もされていたようだし、工場もそれなりに存在するようだが、トラックによる運送で事足りるようになったのであろうか。
ふと思い出したのだが、この辺りの道をとおったのは、20年ほど前になるだろうか。東京に来て、仲間でレンタカーを借りて江ノ島に来たことがあった。夜中だったので地道できたのである。江ノ島には早朝について、何も無かったのを覚えている。
この廃線も、その様子から当時は現役だったと思われる。
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さらに進み、さすがに少し疲れも感じ始めた頃、ふと潮の香りがすることに気付く。みなとみらいなども通ってきたが、風向きのせいだろうか、それとも海岸の形状の違いのせいだろうか、間違いなくそれとわかる。
暗くなる前にはつきたかったので、大いに安心する。ペダルを踏む足に力が入る。

そして道が開け、江ノ島前に出る。思わず『やった、着いた』と声が出る。
湘南には電車でしょっちゅうくるが、自転車で来るとまた違って見えるから不思議だ。

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夕暮れの海岸線を走る。余りにも気持ちよいので朝も周辺を走り回ることを心に誓う。
もっと早く来ればよかった、と後悔する。

走りながら思う。「『無理だろ』と言ってた友達に勝利の報告をしよう、『やってみれば、なんともなかった、お前も来ればよかったのに』と言ってやるのだ」、と。

■追記
翌日は八幡様にお参り。装備は見ての通りで、サイクリングヘルメット(私は鮪メットと呼んでいる)は嫌いなので、私は帽子の上からカスクを被っている。
もう少し時間があればもう少しいろいろ行ってみたかった。。
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プチ社長日記:『強羅にて』の話

なかなか思うように事態が進展せず、くさくさしていたのだが、前から行きたかった強羅花壇に泊まる機会があったのでいそいそと出かける。
どうしても同コスト帯の翠松園と比較してしまうのだが、年配の方やファミリーにはこちらの花壇の方がお勧め。
オッサンどうしなら迷わずコッチである。

昭和20年代からの老舗だが、新しい建物との調和が美しい。
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(回廊。奥が月見台になっている)

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(案内された部屋はシンプルだが居心地は良い)

夜中にいろいろと問題を検討するも解が見出せず、悶々と朝を迎え、風呂にでも入れば気持ちが切り替わるかと思ったが、それでも一向に解決せず。落ち着かないのはほぼ満月で煌々と輝く月のせいかもねー、などと言い合う。
結局、あまり眠れず、何の進展もなかったが、天気がいいので彫刻の森美術館などへ行ってみる。
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(スマホが使いこなせず、微妙にピンぼけ)

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(案内板熟読中)

美術館へ行き、午前中だというのに酒をあおるが回復せず、仕方ないので帰途につき、そのまま職場へ行く。

そういう時もある。仕方ない。

プチ社長日記:『最近の私のフルブースト』の話

※ゲーセンに行かない人(解らない人)はスルー推奨

31日も仕事だったのだが、出勤前にも軽くフルブースト。
先日、周囲から遅れまくったが、ようやくカード登録をすませる。前作(エクストリーム)からGPが引き継がれるも、苦労してGetした称号なんかは引き継がれず。
GP(ガンダムポイント)が余りまくってるので、カテジナさんをナビにチョイスしているのだが、「年とともに、、忘れたいわ、いろんなこと」とかアンニュイなことを仰られて戦意が挫かれます。

私の使用機体について見てみると、グフカス、イフリートの1000コス格闘は不動の地位を確立しているのであるが、2000コス以上が悩みどころ。前作ではトールギス靴中核だったのだが、フルブーストになって微妙に使いづらく、ノワールも手数が多い為に相当やりこまないとモノにならないと悟り、クシャトリヤは2000で使いやすかったのだが直前の対戦成績が急降下(0勝4敗・・)の為、降格。結局、バンシィを最近は使用している。
ブースト格闘のお手軽トランザムが好物。その他、頭を鷲づかみにしての紅葉おろしと、グフカスの「グリグリ」と並ぶ対戦相手の心理ダメージ技が堪りません。

大晦日のプレイで伍長から軍曹にようやく昇進。

***

1日も徹夜あけなのにフルブースト。カテジナさんが「年があけたか。。。○○(←聞き取れない)」とまたアンニュイなご様子。コース選択では「さっさと選びなさい」と催促し、選択したら「誰でもできるよ!」と言い放つカテジナさん、一体、何をサポートしてくれるのか謎です。だが、それがいい。
そんなことしてるとバンシィの熟練度の☆が2つに。。

ふと横の台を見ると、女性が一人でコイン投入。乱入ではなくブランチコース選択。選択したV2ガンダムで暴れまくっている。階級は大尉。私より4つも上の階級だ。
対戦だったら間違いなく秒殺されているところだ。もともと巣鴨キャロットは有名なゲーセンであり、客層も(巣鴨の割りに)厚いのだが、女性がさっとやって来て、軽く戦って帰宅する、というのはなかなかカッコイイ。

仕事が忙しくてなかなかゲーセンに行けないのであるが、とりあえず尉官まではやってみようかと思う年始である。

プチ社長日記:『あけました』の話

旧年中はお世話になりました。
今年も宜しくお願いいたします。

実は私は昔から、「年が明けたからといって何が変わる訳でもなく、カレンダーが変わる以上の意味はない」日だと
思っておりました。
(春分の日、秋分の日、夏至、冬至でもなんでもないこの日が太陽暦上なぜ1月1日の目盛りとなったのか。)

そんな訳で、年越しの瞬間もいつもと変わらず(じゃがりこ喰いながら)仕事をしておりまして、
1日の朝は丁度自転車で帰宅中でありました。

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今のクライアントは東京タワーに近いこともあり、
タワーを眺めつつ必死でペダルを漕いでいると、
明るくなる空からまもなく夜明けと知り、
何となく胸騒ぎのようなものを覚え、近くの歩道橋に駆け上がる。

周りには誰もいない。

夜明けを待ちつつ、ふと
「自分はあと何回年越しを迎えるのだろうか」
「今年はどんな年にしようか」
などと考えている自分に気付く。

さっきまで年末年始感が全くなかったのに
俄かに「あぁ、年が明けたのだな」と、自分の気持ちにストンと落ち着く。

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・・・皆様にとって今年も良き一年となりますように。

プチ社長日記:『日本の秋』の話

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いやぁ、日本の秋って本当にすばらしいですね。

プチ社長日記:『習慣は変えられない』の話

最近、親戚に用があったりして立て続けに関西方面に行く機会があった。
京都に行くと先斗町→長浜ラーメンである。
思えばこのパターンは10年間変わらない。
特に長浜ラーメンは学生時代から必ず立ち寄るスポットだ。
店員は殆ど日本人でないのが、時代を感じさせるが、
味は殆ど変わらない。
これからも京都に来るたびに食べるだろう。

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ごちそうさま。

プチ社長日記:『凶徒in京都』の話

今年は親戚が結婚したりするので、それなりに帰省することが多そうです。
いきおい、奈良の経由地でもある京都でも(手土産を調達するという言い訳のもとに)時間がとれるかもと期待しています。
京都では本日から祇園祭が始まりますが、祭りといっても17日の宵山へ向けての静かな滑り出し。徐々に非日常へとシフトしていく街が楽しい季節です。

朝から三条あたりの足湯カフェでくつろぐ。町屋づくりの建物をうまく利用しているこの界隈は今日のような雨の日にぼんやりするには最適です。
私の背後にあるのは坪庭。
こんな狭いスペースでも世界観や宇宙をも表現しようとし、それを感じ取れる日本人でよかったと思えるひと時です。
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プチ社長日記:『チベット』の話(5)


シガツェ着。

■チベット人の死生観について
チベット人が死ぬと、今でも8割程度は鳥葬となるそうだ。私はてっきり火葬の比率が上がっていると思っていたので、意外だった。鳥葬は死者の体を切断、砕き、肉団子のようにして鳥に食わせる葬制だ。ラサのセラ寺の奥の山などに普通に鳥葬場はある。
チベット人の鳥葬は世界的に有名だが、残りの殆どは水葬が占める。これは、前半のプロセスは鳥葬と同じで、後半は川に流して魚に食わせるのが異なる。川の傍に塔婆があってタルチョが大量に掲げられていたら、水葬場と思った方が良い。
このため、チベット人は魚を食べない。(鳥葬の鳥は猛禽類なので、普通に鶏などの肉は食べる。)
更に西チベットの方に行くと、川も上流で大きな魚もいないので、犬に食わせる。寺の壁画に、犬に死者を捧げる様子が描画されていた。
因みに、火葬は偉い僧侶が死んだ際、その遺骨を採取するために適用され、土葬は自殺者に適用される。なんでも自殺と言えば服毒自殺と相場が決まっていたようで、鳥や魚に与える訳にはいかなかったのが理由らしい。

鳥葬にせよ水葬にせよ、何とも適当な葬制に見えるが、そもそも火葬にしようと思ったらかなりの燃料が必要であり、植物限界より上に住んでいる人々には薪の調達もままならないので仕方が無い。
一方で、日本でも沖縄などには昔、風葬というのがあり、これは遺体を風にさらし風化を待つ葬制だ。私がガイドにこの話をすると、とても興味深そうに聞いていたのが印象深い。

チベット人は生まれ変わりを強く信じており、次の輪廻のためにも殺生をしない。
ふと見ると、運転手のミマが車内に迷い込んだ虫を丁寧に外に逃がしてやったりしている。どうやら、チベット人に殺虫剤は売れなさそうである。

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(写真:シガツェのタシルンポ寺。ダライ・ラマと並ぶパンチェン・ラマがここで説法などする。パンチェン・ラマは普段は北京に住んでおり、平たく書くと共産党の管理下にある。因みに右端の白い砦のような建物はタンカ台であり、祭の際にはタンカ(仏画)が飾られる。)

■チベット人の生活について
衣食住について、簡単に。
ギャンツェやシガツェなどの地方都市に行くと、民族衣装の方が(特にお年寄りに)多い。地方によりバリエーションがあるので、ガイドに聞くとどの地方のものか教えてくれる。

お茶としては有名な『バター茶』があり、これは茶というよりスープのような代物であり、正直、私は苦手だ。ただし、寒さが厳しく乾燥したチベットにおいては、このような形で脂肪分を摂取するのは大事なのだろう。
大麦をおやつがわりにバター茶でティータイムというのが一般的だ。食べ物は肉が多く、空港近くで食べたチベット風ハンバーガーは逸品である。その他、饂飩やすいとんに近いものがよく食されていて、こちらは日本人の味覚にもあうだろう。

住居に関しては石造りの二階建がポピュラーで、貧しい人は1階建である。ガイドに縁のある人の家にお邪魔したのだが、居間には共産党の毛沢東、江沢民、小平のポスターなどが飾られている。(配られたらしい。)
石造りなので冬は相当寒いと思われる。

信仰心はとても厚いので、余暇と小銭ができれば巡礼に出かける。ガイドのガジョン女史も、昨年ラサ市を五体投地で巡礼するほどの信徒だ。
巡礼はポタラ宮殿やジョカン寺などの対象施設に対して右回りに実施する。マニ車も右回りに回すし、多分、右回りに何か意味があるのだろう。因みにガジョン女史が採用した巡礼方法は、旧市街を右回りに回るというもので、これを実施すると旧市街内の全ての寺を巡ったことになるそうだ。日本では稀に「ラマ教」という表現をみかけるが、本当は「チベット仏教」が正しく、れっきとした大乗仏教である。

引退した人々は巡礼にしばしば出かけ、巡礼者同士で仲良くなって、茶屋で半日ほど過ごしたりする。結果、彼らの老後は寂しくないらしい。信仰は彼らの生活に溶け込み、ともすればレジャーのような位置づけになってたりするのが興味深い。 ↓
シガツェからゴンカル空港に行き、北京へ。

■北京雑感
北京ではNOVOTELに2泊したのだが、快適の2文字であった。何より高山病に悩まされない。酸素吸い放題。食べたいものも何でも手に入る。最高。
私はチベットのガイドブックしか持っていなかったが、北京は2回目なので問題なかった。王府路の方へタラタラ出かけると、ウブロやジャガー・ルクルトなどの高級腕時計店が軒を連ねる。ウブロの路面店などは、日本にもないような気がする。さすが、GDP世界2位の首都だけはある。
以前来たのは北京五輪の前である。随分と間があいた。私はある執念を持って、前回食べ損ねた狗肉を喰らうべく、狗肉屋を探したが、雑貨屋に変わっていた。北京五輪に際し、「犬を食べるなんて野蛮だ」と言われないように共産党から退去命令が出たというのはやはり本当なのだろうか。
一方で、王府路の小路に入ると、あいかわらず蠍やら百足の串焼きが売ってて安心する。
どうやら、食べられる犬を可哀想と思う人間はいても、食べられる蠍や百足や芋虫を可哀想という人徳者はいなかったようだ。

日本人も捕鯨問題でよく叩かれるが、(絶滅の危機に瀕している場合を除いて)他国の食べ物にケチをつけるのはナンセンスだと思う。シー・シェパードの中核で正義の味方気取りのオーストラリア人が、カンガルーを食べることはあまり知られていない。私には鯨がNGでカンガルーがOKな理由がさっぱり解らない。
因みに、自然雑貨(?)を売っているLASHという店はシー・シェパードのスポンサー様である。厳密にはオーストラリアかイギリスの販社だったと記憶しているので、「赤頭巾ちゃん気をつけて」だの「恋の導火線」と言った、それは商品名なのかふざけんな、と言った商品をお買い上げになった貴方のお金がそのまま資金としてシー・シェパードに入る訳ではないが、飼い犬の責任は飼い主にあるので、LASHは日本市場をナメてんだろうな、という印象を抱かざるを得ない。

・・・何の話だ。 CIMG0366.JPG
(写真:天安門広場。アジアの中心。)

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(写真:とっても美味しそうな串焼きたち。)

■『旅行』の終わり
5年前と同じように、北京飯店でカプチーノを飲む。65元。
中国は日々変貌を遂げているが、皮肉にもこの中心地が一番変わらない。ただ、街を走っているスクーターは電化が進んでいて、空気が心なしか綺麗だ。また、街全体にゴミが減っていて、数年前のように「一歩、路地に入ると異臭が充満」といったことも減った。そんな街並みを見ながら、ゆるゆるとカプチを飲む私は、5年前から何か変わったのだろうか?

・・・『旅行』という言葉は『行』という動詞が付いている分、『旅』よりも具体的な感じがする。
人生を旅にたとえる人はいても、旅行にたとえる人はいない。
私にとって旅行とは、『非日常体験の一連のつながり』と定義されようか。私にとって青海省からチベット自治区での体験は、まさに非日常の連続であった。
ところが、私が今、こうやって寛いでいるのは、別に非日常ではない。明日、空港へ行って飛行機に乗るのも、特別な体験ではない。
『場所が日本であろうがなかろうが、そんなことは関係なく、今回の私の旅行は終わったのだな。』そう思うと、寂しい気持ちになった。
カプチは、まだ温かい。標高5,000mでは沸点が86.5度であるので、コーヒーを作っている内に冷めてしまうのだが、ここはカップも温めてあるのか、飲み頃が続く。
私は久しぶりに飲む美味いカプチを飲み干して、思わず自分に言い聞かせるように呟いた。
『帰るか。』

プチ社長日記:『チベット』の話(3)


・私にとってこの旅行の目的地である、ギャンツェへ向かう
■チベット内の外国人の移動について
外国人がチベット内を移動するには、必ずツアー形式をとらないといけない。勝手に入って、出てくるのは禁止ということになっている。但し、実態としては現地到着後にツアーに入ることでもよい。
ラサ内はセラ寺などの一部施設を除いて、実質外国人が単独で移動しても何も言われない。
私はラサを勝手に夜中まで散策してたのだが、何も言われなかった(ホテルに締め出しを喰らったが。)。
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(写真:セラ寺の問答風景。経っている人vs.座っている人で問答をする。禅宗の公案に近い感じだ。因みにセラ寺は鎖国時代のチベットに邦人初入国を果たした河口 慧海(かわぐち えかい)氏が2年ほどを過ごしている場所でもある。)
一方で、ラサ以外の街となると、クルマが必要であるし、単独行動は不可能だ。ラサは入境許可証だけでよいが、街を出るときに外国人登録証も必要となる。
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(写真:入境許可証と外国人登録証)

ラサに10年以上滞在した方によると、この制度は徐々に緩和されていくだろう、ということ。無論、それは共産党支配が完了しつつあることを意味する。共産党は僧侶などに旅行者が接触して、扇動することを恐れているようだ。
とにかく、今や『中国の一地方都市』となったラサを抜け、ギャンツェへ向かう。ガイドはガジョン女史、運転手はミマ氏である。ガイド兼運転士という都合の良い存在はおらず、ガイドは必ずつけねばならない。他の旅行者とシェアすると安くつくのだが、適当な同行者が見つからず、スポンサーは私だけである。
因みに私はスポンサー様なので、道中は後部座席に座って干し梅干などの菓子喰って水飲んで、やりたい放題である。(空気が非常に乾燥しているので、塩分と水分の補給は必須だ。)
途中の道路は、これまた昨今の開発のおかげで舗装されており、快適だ(全体の1%程度は砂利道だったが)。それでも周りのクルマは私のを含め、ランド・クルーザーなどの4輪駆動車が圧倒的に多い。

公安(警察)の4輪駆動車のパトカーもよく走っているが、主な規制は各チェックポイントにおける速度規制である。 これは、A地点とB地点の間で2時間以上かけて走破せよ、と言ったときに、2時間以内だと罰則を受けるという呑気なものである。私は最小ユニットであるところの3人しかいないので、比較的スケジュールはサクサク進む。従い、チェックポイントの手前であからさまに時間潰しをするという、非常にダルな感じである。やることないので、煙草吸って時間待ちをする羽目になる。何とかならんのか。
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(写真:公安のチェックポイント。コレに関わらず中国では軍・警察関連施設にカメラを向ける際はバレないように注意が必要。)

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(写真:チェックポイントを記した用紙。)