プチ社長日記:『アルシェール社長がトラバ削除』の話


さて、
先日のエントリでドコモの子会社(犬)である

アルシェールのことを書いた。

別に私としてはアルシェリーナとかいわれているサンプル集団のデータなどを基に客観性を失わないように且つ、読者に面白く読んでいただけるように書いた心算であったが、『サトのOL社長日記』引っ掛けたトラックバックが削除されているのをみて

(゚Д゚ ) ポカーン

という感慨を禁じえない。

トラックバックというのはブログがブログたる機能の一つといえる。そのトラックバックを公開している以上、ある程度の批判に晒されることは『想定の範囲内』である筈であるが、その覚悟ができていないといえよう。

結果として、『ヨイショ集団』による賛美のトラックバック・コメントで固めるというバイアスをかけ、雇われ社長が自分で偉そうなことをブログに書いておきながら、自分の批判は余裕で削除。どうなのか?

自分の写真のせてヨイショされて、うふふ!ありがとう!とか寒いコメント載せる前に、『ブログを書く』ということの意義を考えたらどうなのかと強く強く思うのだが。

しかもこのブログ、読者諸兄は是非コメントを垂れてみていただきたいのであるが、『コメントの内容をチェックしてから』掲載する。さすが扇動集団のボス猿である。

一方、トラックバックはあっさり引っ掛けられるという、なんだか中途半端な対応ぶり。情報を扱う企業としては信じられないくらい素人くさい。

 

ヨイショから建設的な議論が生み出されることはない。これは断言できる。
腐敗や勘違いの暴走は生まれることはあるが。

耳を傾けるべきは批判であり、それが揶揄を含んだものであってもそれをコッソリ削除することは、『目安箱を設置しておきながら批判を汲まないどこぞのヴァカ企業』と同じく片手落ちであり、ポーズであり、自分の器のミニマムっぷりを遺憾なく発揮する結果になりかねない。

企業としてブログを書いて/書かされており、プロパガンダを目的としているなら、最早それがブログと呼べるものかどうかはともかく、コメント・トラックバック欄を最初から設けないのが、妥当である。

トラックバックやコメントを受け付けている限り、その声を削除するべきではない。
削除するとすれば、第三者の非公開の個人情報などに限られるべきである。ここの社長は、自分に都合のいい意見しか耳を傾けないと理解されても仕方ないのではないか?少なくとも、上司にこんなのがいたら最悪だ。社員に同情を禁じえない。

別に個人攻撃をする意図はなく、以前にしっかり
『応援コメント』を発しているぐらいなのだが、こっちの方は残して批判は削除するあたり、ゲラゲーラである。

私が彼女の立場なら、コメントを返さないまでもトラックバックを削除などしない。もしくはトラックバック機能そのものを最初から無効化する。

図らずも情報の取り扱いにも素人っぷりを暴露したドキュモの子会社、バイアスかかりまくり扇動集団アルシェールを引き続きヲチである。


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プチ社長日記:『何ら語ることのない生活を送る人々?』の話

おつかれちゃーん♪

僕はブログという機能に満足はしていないが、これまでのCMSに比してズバ抜けて使い勝手がよいと思っている。
特に、知らない人がトラバくれたり、メールくれたりするのは最高だ。
(最近はトラバスパムが多いけど)

こりゃー面白いってんで、ブログを始めることを人にも勧めてみると、いろんな理由で拒否られて悲しい思いをするのだが、主に理由を挙げていくと以下のとおりである。
尚、順番は個人的に多いと思う順である。

 惱颪ことがないから』
◆惱颪時間がないから』
『書くのが面倒臭いから』

の理由はよく判る。ブログの登場によって、サイトに情報をUpする手間がメールを書く並みの手間になっても、そもそもメールを書くレベルの作業も面倒臭がる人というのは確実にいるのだ。
僕のように恒常的にPCの電源がONの人間ならともかく、ワザワザ日記を書くのにPCを起動してられるかヴォケという意見は理解できる。
常時接続環境にない人は大概この理由を挙げる。

△陵由も理解できる。はっきり言ってと大差ない。
世の中には忙しくてもブログをつけている方も当然いるが、それらは(ホリエモンのブログがライブドアブログの宣伝になっているように)何らかの利害が絡んでいたりする場合もあるので、多忙な人間がブログをつけているからどうこうという問題ではない。
人にはそれぞれの行動に価値基準や、それにともなう優先順位というものが当然あって、ブログをつけることより睡眠の方が優先順位が高い人間にとっては、ブログをつけることの効用を認識していても夜には寝てしまうのである。

しかし、納得できないのが,陵由である。
しかも、この理由を挙げる人間が非常に多い。
『書くことがない』と平然な顔をして語る人を見ると、

お ま え の 人 生 っ て な ん な の よ ?

という疑問を持ってしまう。
『書くことがない』というのを100%言葉どおり受け取るわけにもいかないが、中には笑顔で『何も考えていないからねぇ』という人もいて、いかがなものかと正直思ってしまうのだ。

仮に、朝は定時に起きて工場のラインでノルマだけの作業をこなし、普通に家でご飯を食べて寝る生活を送る無趣味な方がいたとしても、その生活に語るものがないというのは、あまりにも悲しすぎるのではなかろうか?
つーか、そもそもありえないだろう。

たとえルーチンワークを業としている人であっても、日々の生活には必ず変化があり、やれ今日は晴れていて昨日より暖かいとか、あそこの工事の進捗が遅いけど大丈夫なのかとか、取引銀行の担当のオサーンの鼻毛が今日も出ていてムカツクぜとか、何らかの変化はあるわけで、その事象を事象のまま放っておかなくて、個人の感想(暖かい・大丈夫なのか・ムカツクぜ)が添加された時点で、それは紛れもなく『その人の声』だと思うわけだ。
それを書き留めておくことは、やはり意味があると僕は信じている。

確かに、私のブログを含めて、ブログというのは読んでてつまらないものが多い。
中にはドラマとかのテレビ番組のやらせストーリィに夢中になって『おもしろかったー』とか判で押したような感想しか載ってなくてげんなりするものもある。
でも、僕の場合だと『そーいう生活もあるんだな』という感想を持ったりするわけである。感想を持つということは、当然その人の声は(理解されているかはともかく)確実に届いているわけだ。で、結局、気になってまた読みに逝ったりするわけである。

『書くことがない』ということを本気で言っている人に対しては、ブログがどうこう言う以前の問題で、ちょっと勿体無いなーとか思ってしまうのだ。
あ、余計なお世話ですかそーですか。

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プチ社長日記:『エピキュリアンについて考える』の話


おつかれちゃーん♪
現在、サイトやブログの整理をまったり進行中。

当ブログは一応『社長日記』として、日々の業務やニュースなどから思ったことをダラダラ書くというスタンスであり、これまでと変更はありませんのでよろしく。

ただ、カテゴリは変更するかもしれませんが。

以下のエントリはある所にポストしてた文章ですが、サイト整備に伴い、こちらのブログに逃避してきたものです。管理人とは私のことですが。

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題:『エピキュリアンって何だ?』

最初に、エピキュリアンという言葉の意味を確認したいと思います。
辞書で確認すると下記のとおりになります。

『大辞泉』--------------------------------------
エピキュリアン 【epicurean】
快楽主義者。享楽主義者。
[補説] 本来はエピクロスの教説を奉じる哲学者たちの意。
---------------------------------------------

エピキュロス派哲学の対としてのストア
派哲学

エピキュロス派哲学は、その発生時代からストア派哲学とよく比較されます。ストア派哲学は、はっきり言ってエピキュロス派哲学より有名で、
人間の『理性』に重きを置いた思想です。
ストア派哲学を有名なものとした人物にマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝(長い名前だ。。。)がいます。

ローマの黄金時代と言われる『五賢帝時代』というものがあります。
五賢帝とはネルウァ(96-98)、トラヤヌス(98-117)、ハドリアヌス(117-138)・アントニヌス・ピウス(138-161)、そしてマルクス=アウレリウス=アントニヌス(161-180)の5人のローマ皇帝を指し、その統治下にあった約90年間を『五賢帝時代』と呼びます。
彼らの性格を簡単に表すと、温和な性格のネルウァ、武力と行政力に優れローマ最大版図を実現したトラヤヌス、内政のハドリアヌス、そして福祉に尽力した両アントニウスということになります。

このように書くと、当時のローマは万事順調のように見えますが、最後のマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝(以下、マルクス帝)時代には疫病や、多発するゲルマン人はじめ周辺民族の侵攻に悩まされるようになります。
マルクス帝の帝位の過半は周辺民族に対する征戦に費やされ、その陣中に記されたのが有名な『自省録』です。
後に哲人皇帝と呼ばれたマルクス帝もウィンドボナ(現ウィーン)の戦陣で死亡します。遺品の中から見つかったという彼のノートに記された、真摯高潔なるも、どこか冷めた考え方が、ストア思想の白眉とされています。

このように、ストア派哲学は冷静且つ克己心旺盛な為政者向きの思想と言えるかと思います。
尚、『ストイック』という言葉は、このストア派哲学に由来しています。

エピキュロス派哲学

一方、エピキュロスの哲学は個としての自分にクローズアップした思想と言えます。エピキュロス派の思想を表すものにはローマの詩人ルクレティウスが著した『自然の本性について』がありますが、『自省録』ほど有名ではありません。

エピキュロス派哲学のキーワードに『アタラクシア(ataraxia)』があります。『アタラクシア』とは魂(心)の平穏を意味します。エピキュロスは、この『アタラクシア』の状況が至高の状態と解釈しています。
換言すれば、『アタラクシア』こそが彼の『快楽』であったわけです。

この『アタラクシア』の最大の敵は『死』でした。
やはり彼も人間ですから『死』のことを考えれば不安になり、心乱されたのでしょう。死への不安を克服する 為に原子論的自然観を採用しました。
原子論的自然観というのは、デモクリトスに端を発する自然観で、これによると『万物が原子で構成されている以上、死もその分解過程にすぎない(=だから怖くない)』という ことになります。

彼はこれを信奉し、また魂(心)の平穏を乱されないよう、外界との接触を限定し、『エピキュロスの園』に引きこもります。
外界との接触を避ける以上、最低限の食料と水で生活していました。

エピキュリアンと聞くと、
エピキュリアン=>快楽主義者=>酒池肉林大好き!
という構図を描いてしまいがちですが、ある意味ストア派の人間よりもストイックな生活をしていたようです。

しかし、それこそがエピキュロス派の人々の理想に近い姿だった訳であり、彼らの『快楽』(心の平穏)を得るための、なりふり構わぬその姿勢は、快楽主義者の鑑と言えると思います。

管理人つぶやき

結局、快楽の定義というのは人それぞれなものです。
心ゆくまで愛欲におぼれることが『快楽』な人もいれば、己の身体を磨くことや、グラスを傾けながら沈思黙考するのが『快楽』な人もいます。
その個別定義された『快楽』に向けて努力する人を『快楽主義者』と呼ぶことは、何ら憚れることではないと思います。



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プチ社長日記:『結婚、それは家族の外交』の話

おつかれちゃーん♪

私が中学生の頃、『三国志』というPCゲームに少しだけはまった。
当時の私にとってのゲームといえば『源平討魔伝』のようなアクションやハラハラドキドキのシューティングゲームであり、PCというのはエロゲームの為にある存在だと思っていた。だから『三国志』何それ?という感覚であった。
今にして思えばパソコンの世界へのエントリが私はあまりにも遅すぎた。もう少し早ければITバブルに踊れたかもしれないと思うと悔しい。

で、その『三国志』といえば『信長の野望』の中国版なのであるが、PCを所有しない私にとっては友達の家で菓子をバリバリ喰いながら、漫画読みながらプレイするものであった。
そんな調子であるから、第三国が親交を深めようと政略結婚として我が国に嫁をとつがせようとしてきても、ビジュアルだけで判断し『みつあみの髪型が気に入らねぇ』などという理不尽な理由で大国の申し出を断ったら、いきなり我が国に侵攻してきて慌てたりしていた。

前置きが長くなったが、結婚というモノは現代においても家と家の外交という色合いを持つものだと、兄貴のグアムでの再婚を通して再認識したという話である。
ほんのちょっと前まで赤の他人だった相手方一族が、いきなり同盟関係になるのである。当然、相手方の家族を値踏みし、どの程度の協力を惜しまない関係となるかを計るのである。
外交である以上、表面上は穏やかに見えても裏では壮絶な情報戦がおこなわれているのは現代でも同じである。
会食しても話題は勿論、食材、選択されるワインのグレードまで意味があるのが外交の世界なのは、読者諸兄もご存知であろう。

実は、私は兄貴のお嫁さん以外は全員初対面である。相手方一家にしてみればいよいよ登場する隠れキャラが私だ。対する相手方は嫁さんの兄貴が同様に私の兄貴を除く当一家に対し隠れキャラ。互いに結婚式前日に顔合わせである。いいのか、そんなんで。当事者だけど。

そしていよいよ会食がはじまった。どうやら当一家も隠れキャラについて情報が不足しているらしく、名前も知らないというお粗末さである。とりあえず外見が布袋(歌手)ににているのでホテイと名づける。
相手側も、私が社長だけど昼間からゲームをしているとは知るまい。何の社長なのかも知らないだろう。寧ろ、私が教えて貰いたい。

まず、親父(昭和2年生まれ)がジャブを放つ。
『米国への入国審査時に
手帳を失くしたかと思って大変だった』という話題である。ここで言う『手帳』とは言うまでも無く『パスポート』のことである。
・・・家には、その一家に根付いた言葉というものがある。一家の方言のようなものだ。
例えば、私が『コーンフレーク』(商標)というところのもの、一般には『シリアル』などというオシャレな呼び名を持つ食べ物を、父親が『ドライセロファン』といったりする。同様に、我が家では中井喜一が未だに『武田信玄』と役どころで呼ばれたりしている。
このような一家における文化のようなものの尊重なくして、当一家と同盟関係は築けないということを、親父は暗示しているのだ。そうに違いない。
いや、さすが親父であると感服しつつ相手側を見ると、ホテイを除く相手方一家は何とか意味を理解しているらしい。因みにさっきからホテイはビール飲み放題でご満悦だ。

更にここで、我が家のおかんが追い討ちをかける。

J( 'ー`)し
『この
バーボンステーキ、柔らかくて美味しいですね!』   

言うまでもなく、我が母親の眼前にある物体は『Tボーンステーキ』である。

外交の真骨頂、それは相手方への大胆な挑発である。その挑発への相手側の対応に、自国に対する尊重度合いを測るのである。
しかしこれは諸刃の剣なのだ。

私は戦慄した。

過度の挑発は時として最悪の結果を両国家にもたらす。ここは私が

щ(゚Д゚щ)
『それはTボーンステーキだろ!』と突っ込みをいれるべきか激しく迷う。

しかしこれは相手側に当方の体制が1枚岩でないことを露呈するだけではないのか?まさにオウンゴールを決めてしまうのではないか?といった不安が頭をよぎる、手に汗握る展開ではあるが、ここは相手側の様子を見よう。。。。

なんと相手側T一家、この話題を甘受

それどころか

(・∀・)y
『ホント、美味しいですね!!』とか相槌を打っている、オマエの喰っているものはバーボンステーキなのかと激しく相手側の両親に突っ込みたい衝動にかられるが、これが外交の懐の深いところである。
それは一体どういう意図のものなのかを激しく思案する。

おそらく、相手側は当一家を受け容れるということを暗に示しているのだ。
どうやら、この結婚といういりー一家とT一家の同盟関係は上手くいきそうだと私は安堵した。

しかし、相手側も只者ではない。
いよいよデザートという段になって、相手の母親が言った

J( 'ー`)し
『それにしても、あの壁に飾ってあるトビウオ、おーきぃわねぇ!!』

そこには紛れも無く1m50cmはあろうかというカジキの剥製(?)(多分模型)があった。

大体、私はトビウオの模型を飾っているのを見たことがない。

これはどーいう意図なのか?

・・・そうか、そう来たか。
北朝鮮が自国の存在感を主張する為に短距離ミサイルを日本海に発射する行為に等しい。

私は恐怖した。我が一族に対する愚弄行為と捉えて反撃すべきであろうか?反撃するなら今しかない!!

と、その時、ホテイが吼えた。

『アホか、おかん、あれどー見てもカジキやんけ!!!』

 

翌日、結婚式は平穏にとりおこなわれた。



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プチ社長日記:SNSについて考えるの話

おつかれちゃーん♪

散歩から帰ってきました。
空は高く晴れて月が眩しい。
空気は冷たいが吐く息は白くなくて、僕の好きな季節は完全に終わってしまったなぁという感じです。

出掛けに
この辺のレポートを読んだせいか、SNSのビジネスに対する親和性といったものをつらつら考えながら歩いてました。

SNSというのは、当ブログの右カラムに貼ってあるキヌガサもそうですが、Social Networking Service の略で、要は

 悒泪ぅ據璽検戮覆觴分のページを各メンバが持っていて、そこで自己紹介やブログを晒す。

■咤裡啣弾者は同好の士が集まったグループに属すことができる。

2弾するには、原則として既存メンバからの紹介が必要など、何らかの制約がある。

といった特徴を持つと言えるでしょうか。
ヤフーの『ジオシティーズ』はがないのでSNSではないと思ってます。
△離哀襦璽廚箸いΔ里蓮▲瓮鵐个グループを立ち上げてみんながワイワイ集まるというもので、僕の場合ですとキヌガサでは以下のグループに属しています。

 ・東京大学
 ・奈良出身
 ・株・投資サークル
 ・サイト管理人
 ・どうでもいいことを真剣に考える会

因みにこの中で最も『熱量』のあるグループが『どうでもいいことを真剣に考える会』。どうなのか。
とはいえ、正直今年に入ってから明らかにみんな熱量下がってます。確かに参加者数は増加しているのですが(現時点で31030人)、そもそも無料のサービスは退会手続きをとる者が少ないことから、死に会員も多く、僕の周囲ですと3人の内2人は殆どログインしない状況です。

一方、SNS最大手はMixi(約50万人)。僕はやめちゃいましたけど。
こちらは一部有料サービスが出来たみたいですが、有料サービス参加者は5%未満だそうで、残りは無料会員です。
収益の殆どはこの有料サービスと広告から得ています。

Mixiのレポートを読んでいると、運営しているイー・マーキュリーは収益よりシェアを意識していて、ユーザーに嫌われないようにすることにかなり気を使っているなという感じ。まぁ、そりゃそうですね。

Mixi、GREE、キヌガサといったSNS単体が生き残るには、何よりもシェアの拡大より他に生き残る道はないのではないでしょうか?
つまり、こういったコミュニティが『面白さ』を出すのはそのメンバ自体であり、こういった特に『切り口』や『軸』のようなものが存在しないコミュニティでは、そこで繰り広げられる議論の質は一定の割合で含まれるパワフルな論客によって支えられ、それは結局母集団の多寡に依存すると思われるからです。
結果として『人が人を呼ぶ』状態になり、囲いこんだもの勝ち状態になることは容易に予想できます。
SNS単体でも『トモモト』のように、『GQ』とか読んでそうな人間をターゲットにしたものは差別化できてその存在価値を示せるかも知れませんが。

Mixiの現時点での戦略はシェアの拡大、それはつまり死に会員や退会者を出さないためのロイヤリティ向上に尽きるのは良いとして、では次の一手としての収益を上げる手立てとしてイー・マーキュリーが挙げているのがアフィリエイトらしいんですが、何というか、とりあえず『webの技術を全部集めました』だけという感じは否めないですね。

やはり、レポートの中ではイー・マーキュリー側は明言を避けているように思えるのですが、マーケティングの母集団としての価値、及び市場としての価値を売り物にしていくのだと思います(立場上、ユーザーを売り物とするとはイー・マーキュリーは言えないでしょうが)。

つづく (と思う)



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プチ社長日記:『人生はゲームか』の話#2

さて、続きを逝ってみようか。

■ざっくり前回をまとめるよ■
先日のエントリでは、『人生はゲームである』という主張として、ゲームの本質は選択の連鎖にある緊張を愉しむことであり、人生というものも同じく選択の連鎖により形成されるという論幕を展開した心算だ。
勿論、ゲームも人生も全てが制御可能な要素によって構成されているものではなく、ある一定の制御不能な領域というものがあるものの、優れたゲームというのは選択の結果によって制御不能な領域を克服できるものであるということも読み取っていただけたかと思う。

■脳は選択しかできないよね■
ゲームが選択の連続というものは、トランプなどを想起していただければご理解いただけるかと思うが、『人生は選択の連鎖』だという所には異論を持たれる方もいるかもしれない。
ちょっとこちらの方に論を加えておく。

あなたの世界観は脳によって形成されていることについては殆どの方が異論はないと思う。ユングのネィティブ・アメリカンに関する記述の中に、『彼らは心臓で考える』というのがあるが、一応ここではハーベイの血液循環説に基づいて考えることにする。
今さら言うまでもないが、あなたの世界観を形成する脳は、あなたの生活活動そのものを実行するわけではない。あなたの脳それ自体が食事をとったり、プレステのコントローラ握ったり、テレビのチャンネルを替えたりしたりはしないのだ。
脳それ自体はそれらの行為を指示するだけであり、その指示は神経細胞を伝達して実行され、その指示自体は突き詰めると1か0かというコンピュータと同じものでしかない。

結局、あなたの人生はそういった指示=選択の集合体でしかないということをご理解いただけるかと思う。

■それでも人生はゲームじゃないと言い張る人々■
人生はゲームじゃないと言い張る人々は、何か自己の人生を『ゲーム』などという言葉で表現されることを嫌い、何か神聖不可侵なものと捉えているのではないかと、私は時として感じることがある。
いや、どう捉えていようとその人の勝手なのであるが、たとえあなたの人生というものが『さむしんぐ わんだほー』なものだと思い込んでいたにせよ、違う価値観の人間からすると素晴らしいものでない可能性は高い。
それはゲームのルールが異なるからである。
ことわっておくと、ルールというものは、大前提さえ固まっていれば詳細が決定されていなくてもゲームは成り立つものである。最近のネットゲームをプレイしたことがある方なら、言わずともその辺の機微を体感されていることと思う。

人生はゲームじゃないという人に、『じゃぁ、あなたや私の人生って何なんですかね?』という質問をして論理的な回答をいただいた試しがない。
事前に考察していないと即答できかねる類の問題なのは理解できるが、だからといって感情的に反論するのはいかがなものかと思う。かと言って、『よく考えたことがありません』と申告する人も皆無に近いだろう。
その方が自分の人生を『さむしんぐ わんだほー』なものだと主張すればするほど、質問に対する回答というものから遠ざかっていることに気づかないようだ。
たまに『神様』を持ち出す方がいるが、私は『あなたや私の人生』についての意見を聞きたいのであって、神様のそれではない。
安易に神様を持ち出して思考停止になっている方を見ると、脱力感さえ覚える。救いようがない。

そのような無理やりな回答をつくるよりは、ゲームと理解した上で楽しめる内は黙々とカードを切っていけばいいのではないだろうか?
そう思うのだ。

(つづく、、のか?)



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プチ社長日記:『人生はゲームか』の話

『人生はゲームである』と私は信じている。
寧ろ、『(所謂普通の)ゲームほどの価値があればいいな』と思っている。

何かの拍子にその信じた所を述べると、『人生はゲームじゃないっ!』という否定的な回答を得ることが圧倒的に多い。
特に、女性は否定的な気がする。
私は男性なので女性としての人生は知らない。
女性は子供を産み育てるという能力を持つ以上、リスクテイクを想像させる『ゲームな人生』という言葉に脊髄反射で拒絶反応を示している可能性もあるが、おそらくこれはゲームというものに触れる機会が少ないが故、人生というよりゲームに対する理解の問題だと思っている。

この際、はっきりしとこうじゃねぇか。
(なんか長くなりそうだけど、書き殴ってみよー。)

■ゲームの本質について■
若い人はプレイしたことがないかも知れないが、『人生ゲーム』というボードゲームの傑作がある。ファミコンが登場する前、『雨の日の遊びとはボードゲーム』という少年時代を過ごした私にはなじみのあるゲームだ。
これと、麻雀、ポーカー、もしくはトランプの大富豪といったものを比較した場合、どちらが『人生を表現したもの』に近いだろうか?

後者である。

『人生ゲーム』というのは、実は驚くほどにプレーヤの行動選択肢が少ない。
ゲーム早々、『専門職コース』か『マネジメントコース』みたいなものを選び、時に応じて株券などを購入するかしないかの選択をするくらいで、あとは山をくりぬいたマヌケなルーレットが全てを決定してしまうのだ。
まるで、『人生というのは本人の努力よりも圧倒的に運に左右されるのだ』と言わんばかりである。
教育上、非常によろしくない。そもそも、絶対結婚しないとイケナイ点が激しく気に入らない。『あなたのヤギが隣の家のランを食べました。賠償として6万ドル払え』とか言われるコマに停止してしまうと、怒りのあまり気が狂いそうになる。

その点、麻雀、ポーカーといった類のゲームは、格段にプレーヤの行動選択肢が提供されている。
配られたカードや配牌に象徴される、あなたの運と言えるようなものが救いようのないほど酷いものであっても、あなたが上手く選択肢を選んでいけば、たとえ輝かしい勝利は得られなくても深い傷を負わずにほどほどの勝利を得られる可能性は十分ある。
そしてその選択は周りの状況を把握することと、どうしても予測不可能な要素(『運』と言われることが多い)に対する担保の判断など、自己の責任に基づいた行動によってなされるのだ。
麻雀で言うと、あなたは自分の努力により、これまでに捨てられた牌や自分の手牌、相手の鳴き方から相手がどのような手牌なのかを想像し、残されたまだ見ぬ牌に何があるかの可能性を探る。
そしてリスクとリターンを秤にかけ、その時にベストと思われる選択を重ねていくのである。
しかし、仮にあなたの推測が正鵠を射ていても、実際に次の牌があなたの希望するものとは限らない。
残念ながら、どうにもならない領域というのがあるのだ。

紆余したが、ゲームというのは畢竟、『選択すること』だと思っている。
その中でも、優秀なゲームとは『制御不可能な要素も多々あるが、それによってもたらされる有利・不利というのは自己の選択によって克服できないほどのものではないもの』だと思う。
『ゲームバランス』という言葉があるが、それは単なる難易度だけではなく、プレーヤが正しい選択をすることに対する動機付け(報酬など)のバランス全てを指すと思っている。
選択こそがゲームというのは、ボード・カードゲームのようなものだけでなく、テレビゲーム、ネットゲーム、競馬やパチンコなどのギャンブルというカテゴリに入るもの、果ては相場といったものの本質だと信じている。
そしてその選択のプロセスに喜びを見出しているのだ。
シューティングゲームですら、雨あられと放たれる敵の弾丸やミサイルを『右か左に避ける』などの小さな選択の連続である。動物的な勘だけでは行き詰るものである。
勿論、結果や目的、それは勝利であったりするわけだが、それらも大事な要素である。だが、今はこの『選択』というところに焦点を当てたい。

■真・人生ゲームプレイ方法■
人生というものが、選択の連続であることは読者諸兄もご理解いただけるのではないだろうか?
勿論、選択の余地のない制御不可能な要素もあって、我々の生まれた時代や国家・出自というものがあり、最近はそうでもないが一応性別もその要素に含まれると言えよう。
それがあなたの望むような状況にない、芳しくない状況であっても、まずはそこからスタートするしかない。
しかし、選択の自由そのものはあなたが監禁生活を強いられでもしていない限り、相応にあるだろう。

あなたは今、ネット上に星の数ほどある情報の中で、私のブログを読んでいる。読んでもらっていて何だが、物好きとしか言いようがない。何か他にすることないのか?宿題とか。
私のブログを読むということ。これも選択の一つに他ならない。あなたは他のことをしていたかも知れないこの数分を私のブログを読むという行為に費やしたのだ。あなたが切ったカードは『ブログを読む』であって、それがあなたにとって最良の結果をもたらすのかは担保できないが、およそ情報を入力するという行為それ自体が、行為者自体に影響を与えることをあなたは否定しないだろう。たとえそれが全て既知の情報であっても、何かしらの影響を受けないということは不可能であり、意識する、しないに関わらずそのような動機があったのだ。
このような選択とその結果による悲喜こもごもの感情を通して、私達の人生というものが形成されており、『結婚するかしないか。するなら誰と?』みたいな重要とされる選択も、実はその一つでしかなかったりするのだ。

たとえて言うなら、私達はみんなでゲームをしていて、カードの枚数が残りの人生なのである。あなたも私も選択のたびにカードを切っていき、芳しくない状況ならそれを打破しようと必死で考えたりするわけである。
おそらく、私とあなたは互いに日本語が通じて、このブログを介してお互いに微小とは言え影響を受けているので、比較的テーブルの近い席に座っているのだ。ひょっとしたら将来、協同でゲームをするかもしれない。

このゲームに、ルールは特にない。何を以て勝利とするかは各自で設定できる。ただ、楽しむことは重要ではなかろうか。
このゲームがそもそも楽しいものかどうかは判らない。楽しいものであって欲しいとは思うが。
ただ、あなたも私もこの世に生を受けてしまったということは、既にゲームは始まってしまったのだということを意味する。今も私達の選択は続いているのだ。
私の場合はこの31年あまり、まぁそれなりにこのゲームを愛でてきた。微妙ではあるが。
これからも選択の連鎖、、、それは『風呂に入るか寝るか』から『生きるべきか死ぬべきか』といったものまで存在するだろうが、それなりの楽しめるものであって欲しいと思うし、あなたの連鎖もそうであって欲しいと思うのである。

あなたの状況はいかがなものであろうか?

どのようなものであっても、生きている限り、私達のゲームは続くのだ。

(つづく、かも。)

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==※今日の備考(リンク)※===

プチ社長日記:性差万別の話

文責:吉光

『男なら』というフレーズに弱い。いや、別に無口でサッポロビールを飲むわけではない。せいぜい『民明書房刊』を愛読して男を磨く位である。
ただまぁ、『男なら○○すべきだ!』とか言われると、『おぉ、そりゃやらなきゃ』みたいに思ってしまうわけである。ほんのちょっとだけど。

それはきっと私が男として生まれたことを愛しているということなのだろう。
誤解のないように書いておくと、女性としての人生がツマラナイという心算は毛頭ない。ただ、うっかり美人に生まれてしまうと、せいぜいこの程度の努力はするかも知れないが、甘えられる環境ならトコトン甘えてしまう自分の性格を鑑みると、不美人に生まれでもしない限り、何となくヌルイ人生を過ごしてしまいそうで危険である。勿論これは僕自身の問題なのだが。

私は巣鴨に住んでいて(女の子に住所を聞かれると、聞こえのいい『文京区千石に住んでいる』と答えている)、学生用の1Kに今も住んでいるのだが、そんな生活を送っている理由の一つとして、「爺婆を見ては高齢化社会を憂い、ピンサロのポン引きや、最近とみに増えてきた中国人の『マッサージいかがですか』攻撃を足元に広がる吐瀉物をよけつつ振り切ったり、地下のゲーセンで鉄拳5の対戦に熱くなった後、松屋で飯喰ってエアコンのない部屋に無言の帰宅をし、冷たく、そして何故か常時しっとりしている布団に服を着たまま潜り込んで眠る日々に身を置いてこそ、研ぎ澄まされる感覚というものがきっとある」と信じているからである。

話がそれてしまったが、言いたいことは、女であれ男であれ、性という枠組みからは一歩もでられない所に限界を感じてしまうということである。
仏教の釈迦は王子であったから男性であるし、イスラムのムハンマドもおばちゃんと結婚してるから男性、キリストも男性なのだが、神として崇拝されているものは全て性を超越しているということを考えると、(神を創ったのは人間の思考であると割り切った場合)古人の思考を超えることはできないのかと考えてしまう。
『男なら』というフレーズに反応してしまう時点で、男女の彼岸に何があるのかを見ようとしていないんだろうな、きっと。

勿論、どーでもいいのだが。

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==※今日の備考(リンク)※===
『民明書房刊』:読むべし
この程度の努力:とはいえ、大変ですな
 

プチ社長日記:夢の話

文責:吉光

おつかれちゃーん♪

身内の話で恐縮だが、何と言うか、親戚に真っ当な社会人が少ない。
オヤジが自営業(絶賛赤字垂れ流し中)、叔父が古美術収集(笑顔がアブナイ)、亡き祖父が彫刻(若死)、亡き養祖父が写真家(私のセンター試験の翌日にシボンヌ)などなど、キチガイというか、『橋の下』というか、ようするにロクでもない奴しかいない。

『非常識が服を着ている』といわれる私@"本日堂々の11時出社" を遥かに凌ぐ連中の為、ごくたまに『親戚一同集まりましょう』ということになっても、会話が異次元に飛ぶのでまったく噛み合わない。
何と言うか、アストロ球団のようだ。

最後に親戚が集まったのが兄貴の結婚式後のお披露目会であった。
結婚式への参加を忘却していた私も、罪滅ぼしに参加し、もさもさと食事を羊のように喰っていると、突然むかいの親戚が

(゜Д゜) 『吉光くんの夢はなんですか?』

とか尋ねてきた。開口一番それか。そうきたか。
久しぶりなんだから『最近どうよ?』くらいから入るだろ普通。

とりあえず、

(・∀・) 『昼間から見る夢など持ち合わせておりませぬ。』

といったことを言葉を選んで返答しておいた。

なんつーか、実現可能性が少しでもあれば、『私、○○になりたい。○○したい。』系の夢の話は語るのも聞くのも避けたいところだ。
夢を夢のレベルで放置していてはそれは怠慢でしょう。

具体的に『じゃあ、どーしましょうか?』って考えて、その為にクリアせねばならない項目を洗い出し、それらをクリアする為の具体的な行動、例えば『トレーニングしましょう』とか『何とか金策に走って1千万かき集めましょう』みたいな話なら大いに興味があるので、存分に語っていただきたい。喜んで聞く。

逆に、どう考えても実現可能性がないことなら、真に夢物語として語っていただいても参考としては聞くが、イイ大人が昼間から『神になりたい』とかそーいう話題で盛り上がるのはまた別の意味で全力回避したいところだ。

よってもって、この手の話題は苦手だ。
私の言う『夢』というのは、後者の方なので、口に出しては言えない。

一方、睡眠中や意識不明時に見る夢の話は、結構好きだ。
なんつーか、別にユングやフロイトのように潜在意識の分析などが出来るわけではないのだが、やっぱりその人を構成する情報の断片などが窺えて(気のせいだろうけど)、面白い。

とゆーわけで、昨夜、私の見た夢である。
夢を見れるほど、睡眠時間をとれる生活になったと言うわけだ。
その分、遅刻したんだが。
因みに私の夢はカラーなのだが、皆さんはどうであろうか?

■昨夜見た夢

体育館で、グラマーな外人インストラクターから、我が空手部同期全員で

北斗神拳を習う。

 ホクトシンケンテ、タノシイネ! ( ・∀・)    (・∀・ ) ネー! 

以上

・・・・みんなどうしてっかなぁ。。。

 

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プチ社長日記:さかもと未明さんブログの話

切込隊長がSPA!で連載していた関係だと思うのですが、
さかもと未明さんのブログが紹介されていたので覗きに行きました。

・・・僕、この人好きだなぁーと改めて思いました。

SPA!でも『ニッポンの未明』は必ずチェックします。最近はフェルディナント山口さんも連載を始められたので、俄然SPA!がオモシロクなってきております。

僕はけっこう女性作者による漫画が好きで、桜沢エリカさん、中尊寺ゆうこさん、さかもと未明さんの漫画が好きですね。

残念ながら中尊寺ゆうこさんが逝去されたので、残るメンバには是非頑張っていただきたいと勝手に思ってます。
その中で、桜沢エリカさんが、訳のわからん小賢しい財テク漫画を描きだしたので先行き不安感が募っております。
なんつーか、『私たちは繁殖している』で、割かしハッピーライフの描写(実はそうでもないみたいだが)が多くなった内田春菊さんと同じものを感じてしまいます。
パワーダウンっつーんですか。書いている本人は楽しいのかも知れませんが。

その点、唯一の資産形成が『中古マンション購入』という未明さんは、そっちの路線に走ることはないでしょうという意味で安心です。

ただし、ブログを読めば分かるとおり、アナーキー(本人はバークだと主張)な方なので、その『中古マンション』すら売り払って、ボロ株相場へ、鉄火場へ突入してしまうような危うさはあります。素敵ですね。

未明さんがやるなら、僕もちょっとくらいお供として買ってもいいかなとか考えてしまいます。
サンライズテクノロジーとか。んで、買った瞬間、監理ポスト行きとか。

基本的に今は『愛と性』をど真ん中に据えて波動砲的な破壊力を持って語られていますが、ゆくゆくは社会・政治なども視野に入れたアンドロメダ級の拡散波動砲ブログになることを期待しています。

考える素材を一杯提供してくれるブログということで、巡回対象にケテーイ。
いや、いい一日だった。さて、寝るか。

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==※今日の備考(リンク)※===
さかもと未明さんのブログ:賛否両論わかれるところでしょうね。まぁ、それが魅力ということで。


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