有限会社Ayleeds社長日記。継接ぎだらけですが、世界一周旅行もやってます。

プチ社長日記:『チベット』の話(3)


・私にとってこの旅行の目的地である、ギャンツェへ向かう
■チベット内の外国人の移動について
外国人がチベット内を移動するには、必ずツアー形式をとらないといけない。勝手に入って、出てくるのは禁止ということになっている。但し、実態としては現地到着後にツアーに入ることでもよい。
ラサ内はセラ寺などの一部施設を除いて、実質外国人が単独で移動しても何も言われない。
私はラサを勝手に夜中まで散策してたのだが、何も言われなかった(ホテルに締め出しを喰らったが。)。
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(写真:セラ寺の問答風景。経っている人vs.座っている人で問答をする。禅宗の公案に近い感じだ。因みにセラ寺は鎖国時代のチベットに邦人初入国を果たした河口 慧海(かわぐち えかい)氏が2年ほどを過ごしている場所でもある。)
一方で、ラサ以外の街となると、クルマが必要であるし、単独行動は不可能だ。ラサは入境許可証だけでよいが、街を出るときに外国人登録証も必要となる。
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(写真:入境許可証と外国人登録証)

ラサに10年以上滞在した方によると、この制度は徐々に緩和されていくだろう、ということ。無論、それは共産党支配が完了しつつあることを意味する。共産党は僧侶などに旅行者が接触して、扇動することを恐れているようだ。
とにかく、今や『中国の一地方都市』となったラサを抜け、ギャンツェへ向かう。ガイドはガジョン女史、運転手はミマ氏である。ガイド兼運転士という都合の良い存在はおらず、ガイドは必ずつけねばならない。他の旅行者とシェアすると安くつくのだが、適当な同行者が見つからず、スポンサーは私だけである。
因みに私はスポンサー様なので、道中は後部座席に座って干し梅干などの菓子喰って水飲んで、やりたい放題である。(空気が非常に乾燥しているので、塩分と水分の補給は必須だ。)
途中の道路は、これまた昨今の開発のおかげで舗装されており、快適だ(全体の1%程度は砂利道だったが)。それでも周りのクルマは私のを含め、ランド・クルーザーなどの4輪駆動車が圧倒的に多い。

公安(警察)の4輪駆動車のパトカーもよく走っているが、主な規制は各チェックポイントにおける速度規制である。 これは、A地点とB地点の間で2時間以上かけて走破せよ、と言ったときに、2時間以内だと罰則を受けるという呑気なものである。私は最小ユニットであるところの3人しかいないので、比較的スケジュールはサクサク進む。従い、チェックポイントの手前であからさまに時間潰しをするという、非常にダルな感じである。やることないので、煙草吸って時間待ちをする羽目になる。何とかならんのか。
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(写真:公安のチェックポイント。コレに関わらず中国では軍・警察関連施設にカメラを向ける際はバレないように注意が必要。)

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(写真:チェックポイントを記した用紙。)

プチ社長日記:『チベット』の話(2)


・ラサに到着。高度順応の為、3泊する。
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(写真:ポタラ宮殿と私)

■中国共産党支配下のラサ
ラサにて大規模な暴動が発生したのは2008年3月のことである。
その以前から、チベットではインドへ亡命したダライ・ラマ14世の信仰は禁止されており、もう一人の伝世活仏であるパンチェン・ラマは通常、北京に生活し、時折、チベット第二の都市、シガツェへ移動する。平たく言えば共産党に取り込まれたカタチだ。
チベット人と漢人の対立は、特にお年寄りには根が深い。
私が滞在した、チベット人が多く居住するジョカン寺周辺は、約50mおきに派出所があり(ひどい所は、20mも離れていない)、5人1ユニットの武装警官が昼夜問わず巡回する。当該区画への入り口には詰所があり、遮断機もついていて自由な車両の通行はない。通常の警官(公安)も、背中にはポンプ式の催涙弾/スタン弾のランチャーらしき物を背負っており、明らかに警備レベルが異なる。
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(写真:公安と武装警官の詰め所。)

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(写真:撮るなと言われれば撮る。こちとら写真で飯を喰わせてもらった身である。)

住人が良く思っていないのは間違いなく、観光客もうっかり彼らの写真を撮ろうものなら、トラブルとなってしまう。
但し、個々の警官は結構いい人だったりする。中国において公務員は憧れの職業であり、彼ら自身、英語も通じるインテリ層でもある。
実は夜中にラサを徘徊していた私は、宿から締め出されたのだが、大声でドアを叩くと2ユニット以上の武装警官殺到という憂き目にあう(夜は2ユニット単位で警邏していた)ので、素直に派出所に行ったのだが、私がお願いした警官は即座に宿に電話して門を開けてくれた。いい奴じゃん、と単純な私はすぐに感化されるのである。
一方、文化/思想面でも統制は無論効いていて、後に出てくるガイドに『セブンイヤーズ・イン・チベット』を見たことがあるか?と聞くと、『ない』と。(中国での撮影・上映が禁止されている)
ならばプレゼントしよう、と申し出たが、『危険だからやめた方が良い』と断られたのには驚いた(彼女自身は興味を示していたが)。
共産党によるチベット解放のプロパガンダは常時実施され、ポタラ宮殿前の広場では毎晩、漢人の観光客が盆踊りのようなものを踊っている。大スクリーンには共産党のプロパガンダ映像(チベット人のおじいちゃんが、五星紅旗を振ってたりする)が流れる念の入れようだ。
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(写真:ポタラ宮殿前広場でプロパガンダ・ソングにあわせて踊る漢人)

・・・正直、チベットの独立は夢物語である、という感想を抱くほか無い。
あるとすれば、共産党の内部抗争で中国自体が分裂となった時に乗じて、独立を勝ち取るしかあるまい。
また、アーティストを中心にチベット独立の活動が海外でもなされているが、本当に彼らが独立を求めているかも考える必要がある。
チベット鉄道はチベットの漢化政策の一環であると中国も認めているが、これによる雇用の創出と利便性はチベット人にとってもプラスに作用している。
鉄道敷設が決まって町は怒涛の発展を遂げたが、チベットに『変わらないで欲しい』と願うのは我々外部の人間のエゴである可能性はある。チベット仏教徒の中でも、共産党に対する反対が最も強いのは最大勢力のゲルク派だけだとも言うし、微妙である。(チベット人が真に独立を勝ち取るのが希望であるならば、援助すれば良いとは思う。)
このまま漢化政策が進めば、日本人にとってのアイヌ民族がそうであるように、独立を議論する俎上自体が消滅してしまう可能性が高いだろう。(個人的には独立して、中国の覇権を少しでも遅らせて欲しいが。)
尚、チベット鉄道は現在、第2の都市シガツェまで延長工事を実施しており、2年後に完成する。そうすればチベット奥地も一挙に漢化が進むであろう。

・・・2年後にはシガツェも誰もが気軽に訪れることのできる、快適でくだらない町になっているだろう。

プチ社長日記:『チベット』の話(1)

38歳の最後に、念願のチベットに行ってきました(書いてる時点では@北京)。無論、一人で。
自分の整理の為にも、起こったことを書いていこうかと思います。
ただ、単純に『Aに行ってBに行ってCを食べました』という文章を書いても仕方がないので、旅程に沿って、そこで思ったことを書こうかと。
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・仕事を終える。午前2時。4時間後には飛行場にいなければ。お世話になりましたー。

・羽田から飛行機を乗り継ぎ、西寧に。

・皇中に移動。タル寺見学
■女はギャップ
『女はギャップ』という本がある。内容はともかく、タイトルはまさにそのとおりだと思う。
男は(女も)意外性に弱いのだ。
どう見てもイケイケの水商売風の女性が、深夜の青山ブックセンターでユトリロ当たりの画集なんかみてたら最高だ。惚れる。
因みに、中国の女性は非常に可愛い。日本の女性と変わらない。特に上海人は東京より洗練されており、西寧のような地方都市でも日本人と区別がつかない。
事実、昔は中国でも常に英語(or日本語)で話しかけられた私であるが、今回はずっと中国語で話しかけられた。
単に私の顔面の中国化が進んでいるだけの可能性も拭えないが、若い人の多くはiPhoneを持っており(偽者も多いが)、ブランド物の着こなしも板についている感じで、見分けはつかない。
タル寺のお堂に入ったとき、例に漏れずそんなiPhone持ってショートパンツを履いた中国人を暗がりに認めた。
私がバターでできた蝋燭独特の匂いを嗅いでいるその刹那、そのギャルが猛然と五体投地を始めたときの衝撃をあなたは想像できるだろうか?
・・・凄まじい。
初めて見るナマ五体投地。ギャップどころではない、全く別次元への変遷を垣間見た衝撃。
惚れる。
『おぉりゃーっ』と謂わんばかりの勢いで祈る女性を見て、圧倒された私は思わず堂から出てしまった。
『女はギャップ』というからには、この辺の境地を目指していただきたい。モテるかどうかは責任持たんが。


・西寧に戻り、西蔵鉄道に乗る。約24時間の列車の旅。
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■西蔵鉄道
西蔵鉄道は6年前にラサまでの路線が完成し、今までラサから30km以上離れた空港しかアクセスがなかったラサを一挙に身近な存在にした。尚、ラサの空港も10年以上前は軍用に限られており、当時のラサは正に『秘境』であったと言う。
現在は人口42万人(定住者は38万人)の大都市であり、1日5編成の列車が到着する。列車は中央アジアの3つの山脈(崑崙、タンラ、ニンチェンタンラ)を通過する。途中、高度は海抜5,000mを超えるが、社内には高度3,000m程度の酸素濃度が保たれ、壁からも酸素が吸えるようになっている。それでも高山病になる人はなるが、快適な列車の旅である。
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(写真:切符。昔なつかし鋏でチェック。二次元バーコードは何に使うか不明。)

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(写真:壁にあるのが酸素吸入装置)
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(写真:世界で最も標高の高い駅、タンラ。標高5,068m。ここより東に長江の源流(タタ河)があり、西はガンジス源流という、『世界の分水嶺』)

路線は全線複線であり、ゴルムドまでは電化されている。ゴルムドからはGE製の強力な重機関車が牽引し、山脈を越えていく。
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(写真:連結を待つGE製ディーゼル機関車。ゴルムドに着くのは夜中の1時ごろ)

尚、鉄道の前は西蔵公路(道路)のみであったが、これも舗装された。一昔前は砂利道を何日もかけてラサに向かっていたと言う。今でも物好きの旅行者は敢えてクルマで旅行するとか。
チベット鉄道がNHKで紹介された2007年には8万人がラサを訪れたと言う。食堂車も日本語が飛び交っていたらしい。
しかし、暴動後、日本人の熱は急激に冷え、今は西洋と中国国内の旅行者で賑わっている。この辺のヒステリック体質って、日本人らしいよね。

■黎明のトラック
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眠れずに通路の座席で「思ひ出ぽろぽろ」していると、いつの間にか夜が明けようとしていた。CIMG0112.JPG
ボンヤリ車窓を見ていると、並行する西蔵公路を疾走する貨物トラックがあった。
・・・働く人は、やはり美しいなぁ。
彼が何を思って明け方の荒野を疾駆しているか、私にはわかる術もないが、ただただそう思い、シャッターを切る。
昼過ぎには、ラサに着く。ようやく目蓋が重くなってきた。少し眠ろう。

プチ社長日記:『韓国強襲』の話

北朝鮮ではない。
日程的にハードだったが、年末の買い物できたし、2回/年の海外ノルマも達成。
両方とも韓国ってのがショボいですが。
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因みに、9ヶ月前と殆ど同じ写真発見。伸びた髭が気になって仕方ない様子。20101218130918.jpg
着てるもんも殆ど同じじゃねーか。
9ヶ月前