プチ社長日記:『ポッキーおじさんの思い出』の話

ポッキーおじさんの訃報に接したのは、1週間ほど前のことである。

家の郵便物を確認していると、ポッキーおじさんの奥さんより『今年はダンナの喪中だから年賀状いらないよハガキ』が来ていて大いに驚いた。
しかも、この世を去ったのは春だという。
確か最後にお会いしたのは今年の2月頃ではなかったか。

早速、奥さんに電話してみたのだが番号が変わっている。
見事な引き際だ。

ポッキーおじさんというのは、某県でホテル支配人などをしていたN氏のことで、父の盟友である。
どーいうわけか私を可愛がってくれた『イイおじさん』である。

N氏は近隣のエリアにおいて絶大な力を持った人物でもあった。
そもそも私が彼をポッキーおじさんと呼ぶのは、最初に会った時にポッキーをくれたという、爽快なまでにそのまんまなエピソードによる。

記憶が断片的なのだが、何故か私は彼と二人きりであった。
彼は近くの売店から私にポッキーをひょいと投げ、『食べなさい』と言った。
そしてそこを立ち去ろうとしたのだ。
私は、憔悴した。
彼がお金を払っていないからである。

断っておくが、ポッキーというのは当時、高級なお菓子に分類される。
ポッキーを氷で冷やすと美味しいと、『ポッキー・オン・ザ・ロック』という恥ずかしい歌付きでCMが放送されていた時代である。私も家でポッキーを食べる機会に恵まれた時は、アイスに突き刺して喜んでいた。
今ではキャバクラなんぞで出てくるが、そーいう改まった食べ方をメーカーが奨励していたのだ。
因みに赤い箱のポッキーしかない。
メンズポッキーとか冬のくちどけポッキーは勿論、いちごポッキーですら無かった時代だったと思う。(つーか最近、ストレートのいちごポッキー見ないよね。)

話を戻す。
其の時、私は当然、お小遣いを持っていない。
小学校6年生の時点ですら月の小遣い1200円だった私が、低学年の頃の所持金額など推して知るべしである。

ポッキーは食べたいが、お金を払ってないし、払えない。
ペリッと帯の部分を剥がせば犯罪者確定の状況である。
私は不安そうな目で彼を追った、、、のだと思う。

彼は私がついて来ないのに気付き、『そうかそうか』と言って戻ってきては、ひょいともう一箱つまみあげ、私に放り投げた。
『他に欲しいもんあったら好きなだけとっていいから。』

どうやら兄の分のポッキーを心配していると思ったらしい。
・・・違うだろ。カネを払えカネを。これでは泥棒ではないか。
しかし、お店の人はこちらに『愛想笑い』と太字にしたくなるような、子供にでもわかる笑いを浮かべていた。あまりにも寒気がする笑いだったので今でもはっきり覚えている。

私は恐る恐るそこから立ち去った。(ポッキーは親に断ってから食べた)

其の時が最初だった。
ポッキーおじさんが、その土地の王だというのを知ったのは。

『土地は値上がりする』 そう、無邪気に信じられていた時代に、土地を持つことは王であることを意味していた。

その後、バブル経済に突入し、『東京の土地でアメリカ全土買えます』みたいなふざけた時代に彼の統治は黄金時代を築き、その終焉と共に凋落していった。

激動の人生。

今やその観光地は悲惨な状況であるという。
近隣の温泉街などゴーストタウンのように鄙びているらしい。
『鄙びた温泉街』というと不倫旅行に相応しいような淫靡且つ情緒深い響きを持つが、マジでシャッター閉まりまくりの温泉街を見ると、訪れた観光客はドン引きするものである。

最後にお会いした時は、勿論彼の引退後であって、上記のような悲惨な地方経済の状況を滔々と語っていただいたのを覚えている。

ポッキーおじさんの訃報に接して、父もいろいろと連絡してなんとか奥さんとはお話しようと試みた。
しかし、彼が死んだことすら知らない方が殆どだった。

私は、あまりにも鮮やかな引き際から何か理由がある可能性があると、これ以上の詮索をやめるように具申したが、ほどなくして父は奥さんと連絡をとることに成功した。

N氏の死去から既に月日が経っていたので、沈痛な話ではなく、寧ろ昔話に興じることも出来たようである。
父もN氏との思い出を辿ることである種の満足を得たようである。

ただ、彼の死因が、膵臓がんであった。
発見から僅か1週間後でこの世を去ったという。

父は現在、膵臓がんの亜種ともいうべき膵臓乳頭部のガンであるが、
結局は膵臓がんである。
7月に発覚してから4ヶ月以上経っているのは、抗癌剤の効果が認められているからであるが、それでも統計上は『運のいい』部類に入っている。
父は、意識ははっきりしているが、最近は恒常的に発熱して殆ど寝たきりに近い状況である。

電話の後、父は暫く押し黙っていた。

父が友人の死とその原因を聞いてどのように感じたか、私には知る由も無い。

私はただ、N氏のご冥福を祈るばかりである。


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プチ社長日記:『セレブ再考』の話

相変わらず歯痛に苦しみながらも、巡回ブログをチェック。
歯痛というのは恒常的に集中力とモチベーションを奪うものだと改めて認識した。
集中力だけでサバイヴしてきた私にとって、体調不良の現状は限りなくNEETに近いものがある。絶賛家族に疎まれ中である。

で、ブログをチェックしてて、かつての盟友による『富裕層マーケティング』に関連したエントリにインスパイアされた。
勝ち組・負け組みの二極化進む日本にあって、今後有望なアクティビティだと思う。やんごとなき個人的事情やリスクの問題もあって私は袂を分かったが、正直、的確に次の手を打つ彼の手腕には 凄みを感じる。

***
マーケティングおよびその延長線上にある事業提案というと、コンサルティング業の真骨頂な訳であるが、実は私自身は データを読むのは好きだけどデータを集めるのは面倒くささ炸裂で興味はないという、半端モンだったりする。
その道の人にとって、『如何に欲しい情報を切り出すか』に対する挑戦として、アンケート問題作成一つとっても莫大な知恵を絞る労力には感服するし尊敬もする。が、そんな風に努力したものに限って調査項目が冗長なものになり、回収率の低下となって跳ね返ってくる空しさというのは筆舌に尽くしがたいものがある。

***
・・・話がそれてしまったが、今回は巷に溢れる『セレブ』という言葉について改めて考えてみようと思う。

この『セレブ』という言葉ほど昨今インフレ化した言葉はない。
地に落ちた、と言っていい。それは偏に勘違い野郎の無限増殖に起因する。

雑誌を見ても『セレブな夜』とか書かれてあって血圧が上がる。
『セレブ婚』とかふざけんじゃねぇ。(歯痛によりテンション荒れ気味です)
先日入ったラーメン屋の店内チラシにて『ラーメンセレブ』という言葉を見たとき、思わず鼻からラーメンを喰いそうになった。
いい加減にしろ。

どうやら
『金持ち=セレブ』
というコンテクストで書かれているものが多いことが気になる。

僕の認識では
celebrityというものは著名人や名士といわれるものであり、貧富の概念とは別の次元のものだ。
敢えて経済的な概念を含ませると、『自己の著名さを以て(生活に足る)収入を得ることのできる人たち』である。

(生活に足る)収入を、単に著名であるからという理由で得ているとすると、
『セレブ→金持ち』(十分条件)のように思いがちである。(実際は俳優やスポーツ選手などの『セレブ』が投資などに失敗して借金まみれでお世辞にも金持ちではないケースは結構あるのはご存知のとおり。)
が、『金持ち→セレブ』かというと、そうじゃなかろう、と。

ちょっと高級なバーとかエステで『セレブな夜』とか言ってるが、そりゃアンタ他人よりちょっと高い料金を払ってる(払わされている)だけでしょう、と。
本当のセレブなら、その広告的価値の方が重視され、無償となる場合も多い(ゴルフなどのスポーツ用具が、プロには無償提供されるのも一例)。
まぁ、そのカネが貴方の労働と呼ばれる性質のものから生まれているなら、断じてセレブじゃないですわな。
セレブはパーティーを開くかも知れんが、パーティー開くから『セレブ』とは片腹痛い。いや、これが『セレブ気分』という表現なら文字通り気分の問題なのでスルーできるが、ちょっと昼からお茶してる有閑マダムが自分をセレブと本気で勘違いしているんじゃないのという風潮には不快感を禁じえない。

以上を以て世の中の勘違いを指摘するには十分だと思うが、じゃぁ『金持ち』って何よというと、これまたヤヤコシイ。

celebrityが経済的なものではなく著名度という社会性を示す言葉である一方、経済的なものとしてはミリオネア(millionaire)やビリオネア(billionaire)がある。
日本じゃ『億万長者』という奴である。昔は『百万長者』という言葉もあったらしいが、寡聞にして知らない。

この『億万長者』も絶賛インフレ中である。
だって、日本には1億以上の資産持ってる人が100人に一人ですからな。
新幹線の普通車1両が大体100人乗りなので、無作為に新幹線に乗せると各車両に1人は億万長者。億万長者多すぎ。(実際の新幹線にはもっと多い比率で資産1億超が乗っているはず。)
しかも、『ミリオネア』がさらなる速度でもってインフレ中。
僕にとって1ドルとは240円『だった』ものである。年配の方にとって300円超。
僕にとってですら、『ミリオネア』は当時の金額で2億4千万だが、今や1億チョイで『ミリオネア』である。
そりゃねーだろ。
勿論、こういった概念は日本のGDPの伸び(の対外比)などを考慮しなければならない。
1億円という金額は、日本では決して安穏とはできない金額だが、途上国などに行けば今でも破壊力のある金額ではある。
が、問題は、1億円=ミリオネア=億万長者 という図式になる中で、実は1億円持ってる奴というのは果たして日本において長者なのかという歪みが発生してきているということではなかろうか。
いや、実際1億円あっても生活変わらないでしょ。

(因みに、日本において何をもって金持ちかというと、有名なNRIのレポートによる分類が幅をきかせつつある。こちらは純金融資産と世帯で集計している。)

まぁ、『金持ち』という定義(?)も時代と共に激しく価値が変わるので、一言で表すのは最早無理なのかもしれない。
もはやNRIみたく適宜線引きして決めざるを得ないものかと思う。
NRIに決められたくはないが。

これが更に踏み込んで『豊かさとは何か?』とか言い出したら、もう収集がつきませんな。

・・・あー、ぜんぜんまとまりのない文章ですんません。歯痛の責にして僕はすべての責任から免れたいと思います。


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プチ社長日記:『秋の夜長に』の話

秋の夜長である。

外を歩くとちょっとヒンヤリして、「あぁ、僕の大好きな季節がやってくるなー」と嬉しくなる。

秋の夜長といっても、デフォルト昼寝生活の私にとってそれは尋常な長さではない。『クイズダービー』で何の理由も解説もなく、最後の問題だけ倍率が2倍になるのに似ている(多分)。

疼く抜歯創を押さえながら、季節柄DVDなんぞを借りようかとテレテレ夜中に散歩する。

で、店に入ると、最新刊ですよコーナーに『トニー滝谷』なるものを発見。

トニー滝谷 プレミアム・エディション (何かレンタル屋で見たのとパケが違うが。。)

『おっ!そろばん音頭のリメイクか何かか!?あんたのお名前なんて〜の?』
と高鳴る鼓動を隠しながら手にするが、どうやら違うっぽい。

クレジット見ると『村上春樹』の名も。んー。

実は村上さんの作品をしっかり読んだことがない。
某所で昔、恥ずかしながらも書いた創作文章が『村上春樹っぽいねー』と言われて以来、鬼門となっているのだ。
読んだことがないので似ているかどうかも判らんし、それが褒められてるのか貶されているのかも判らんのだが、何となく手に取りがたい感じなのだ。

自分なりの価値観の軸というものが確りしていない場合、それは同時に変化を受け容れないという意味でその人の成長限界を意味しているのかもしれないが------、似た人間の価値観に触れると時に危険な場合がある。
そういうふうに感じてしまうのだ。

村上春樹が偉大な作家なのかどうかは自分には判じがたいので置くとして、名作や優れた思想・思考で、それがもし自分と方向性が似ていた場合、加えて、同じ世代に生きている場合は、安易にその考えを受け容れてしまう傾向が私にはあるからだ。
私も(一応)人間だから、何事も自分で作るよりは借りてきた方がラクなので、ついその人の言葉(思想)を借りてきてしまう。
本来ならその考えを理解・継承して発展させねばならぬものを、下手に方向性が相似している為に自分の賛同者・庇護者のように勘違いしてしまい、却って壁を築いてしまうことがある-------、そう感じてしまうのだ。

無論、これは読み手としての私の問題であるのだが。


最近、あまり見かけなくなったが、柄谷行人という思想家がいる。
彼の著書『意味という病』は特に強烈で、私を一歩高みに引き上げてくれた代わりに、長らく私はそこから動けずにいる羽目となった。

柄谷行人氏の『行人』は夏目漱石の『行人』からとっていると、友人が教えてくれた。私にとって漱石の作品で最も好きなものは『こころ』ではなくて『行人』である。そんな点からも、相通じると(私が勝手に思い込んでいる)部分は多いのだろう。抵抗感無く賛同してしまった。

結局、その壁を乗り越えたのは、夏目作品を再読することを経て、自分なりの近代・現代という時代解釈を模索しだしたことによる。

村上春樹さんの作品を意図的に回避するのも、その時の『価値ある迂回』を今は避けようとしているからだと思う。


優れた作品は、確実に読み手を選ぶ。そう私は信じている。

読み手に力がない場合、消化不良を起こし囚われてしまうことになりかねない。
その作品が古典と呼ばれるようなものであるならば、背景となる時代の差が読み手と作品の距離感を保ち、読み手が現代において解釈(再構築)するプロセスで読み手の考えが入る余地があるのだが、現代の作品においては、気付けば懐に入られ、あっさりとインファイトに敗北し憑かれてしまうことになりかねない。
読み手に距離感があれば良いのだが、そうでない場合はその憑きを落とすのに膨大な時間を費やすことになりかねない。


まぁ、ダラダラ書いたが、こと村上春樹作品に関しては、私が影響されやすい人間である結果、安易に自分の言葉を失って『盗作乙!』とか言われるとムカつくぜという、ミニマム器量なのがそもそもの原因だという話なのかも知れんが。

・・・でも、比較的時間のある今はそういうものに触れていくのが正解かなという気もボンヤリと感じる。

結局、逡巡したが手ぶらで店を出た。どうせ触れるなら原文だろう。

まぁ、今、私が本当に見たいのは、
そろばん音頭なんだけどね。


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プチ社長日記:『”あっ!高嶋ダ イエー!” の中内功さん死去に思う』の話


【中内さん人生劇場】
1922年神戸市にて小さな薬屋の息子として生まれる。
1941年神戸高等商業学校(現:神戸商科大学)卒業。
1942年日本綿花(現:ニチメン)入社。
1943年応召、フィリピンへ転戦し、捕虜となる。
1957年大栄薬品工業(現:ダイエー)設立。
1970年売上1000億円突破。1972年東証一部上場。
売上で小売業日本一を達成。
1980年売上高1兆円達成。
1988年ダイエーホークス発足。
1990年経団連副会長。
1999年社長辞任。
2001年1月取締役退任。


言わずとしれた「主婦の店・ダイエー」の創始者、中内さんがお亡くなりになりました。
藤田田氏に続き、存在感溢れる経営者がまた一人この世から去り、寂しく思います。

私もフィリピンに滞在していたのでよく聞かされましたが、
フィリピンは『バターン死の行進』で有名な、凄惨な戦いの
あった場所。そこで刻まれた薬や食品への執着心が、
彼の行動の原動力と言われています。

キャッシュレジスターの導入や、独自の流通網を築きあげることで、思い切った値下げ作戦を展開。
戦後日本経済の発展とともに成り上がり、大量仕入れ・販売による流通革命を引き起こし、天皇から瑞宝章を授与されるまでに至りました。

阪神大震災の時も地域の為に安く物資を供給するなどし、
我々関西の人間には馴染みが深いです。
結局、最後は『時代が変わった』と一言を残して経営から去られました。

最終的にダイエーの負債拡大という流血に止血をできず、
『何やってんだコラ』みたいな言われようでしたが、
一つの時代を築いたその功績は賞賛されるべきでしょう。

 〜中内氏語録〜

 「馬鹿と天才とは、この世に存在することはまれである。
  全てが我々凡人の世界である。
  その中で半歩前に踏み出すことのできる勇気を持つ事が
  大切である。 」

偉大な凡人、中内功氏に対し
謹んで、ご冥福をお祈り致します。

PS:
全然関係ないんですけど、ダイエーホークス優勝しちゃったら、やっぱり優勝セールするんでしょうか?
みんなで『オメデトー!!』とかいって。
そりゃ、選手の気持ちとか考えたら当然なんですが。
微妙な空気が。。。
いや、ここは頑張るだろう。手向けとして。
ダイエー頑張れ。超頑張れ。
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==※今日の備考(リンク)※===

プチ社長日記:『たられば』の話

病室で、親父と二人きりで阪神VS広島戦と巨人VSベイスターズ戦と日本VSキューバのバレーボールを見てた。

親父の華麗なチャンネル捌きのお蔭で、異なる3箇所での状況を同時に把握できる。すばらしすぎる。
多分、親父はニュータイプなのだ。そうに違いない。
さすが親父、かっこよすぎである。

そんなニュータイプの彼が死ぬなんてのは損失であろう、いや、私にとってというより、人類全体にとって。

あぁ、32年も生きてきて、彼に恩返しもできない私は何と無力なのだと臍を噛む。
いったい、どういう人生を過ごしていれば、私は彼を救えたのだろうかとぼんやり考える。


もし、私が、、、えぇーっっと、ミスターKだっけ?
うん、多分、ミスターKだな。
そう、私がミスターKだったら、どうだろう?

得意のフォークボールでKの山を築くのだ!それも毛唐どもから!
(注:別に僕は外国人嫌いじゃないです)
いや、ミスターKって今日、戦力外通告されてなかったっけ?
駄目じゃん。。。

じゃあ、もし、私が、、、そうだな、、、新庄だったらどうだろう?
この空気のよどんだ病室に白いタキシード着て、歯をキラキラさせながら、
『やぁ!すい臓がんって、すっごいミラクルな経験だね!』
と笑顔で語れば、親父の気も晴れるのだろうか?
いや、そんなことすれば母親の手により、親父より早く私が絶命しそうだ。


じゃあ、もし、私が、ゴルゴ13だったらどうだろう?
どんな願いでも叶えてくれそうだ。
でも、生かすより殺す方が得意そうだな。

ゲルハルト・ベルガーだったらどうだろう?
ほぼ減速しない状態で真正面からサーキットの壁にぶつかっても平気だ。
でも、私が平気でも意味ミニマム。

・・・いろいろ考えたが、たとえ私がタイガー・ウッズに生まれようとも、ホリエモンでも、まして冠次郎に生まれても、この状況を打破できないことがわかった。

暫くして、私は悄然として気付いた。
『いや、そもそも医者を目指せばよかったんだ。』
でも、現代医療でも彼の病は治せないのだ。

・・・そうだ、スーパードクターKだ。
ミスターKと勘違いしたから変な方向に思考が進んだのだ。
もし私がスーパードクターKなら、親父を救えたのに!!!

思考に決着がつきかけたので、私は図らずも満足しかかった。
しかし、その刹那に疑問が浮かんだ。。。

でも・・・・。

無免許だから駄目だな。


【追記】 私の不明瞭な記憶により誤った記載があります。 スーパードクターKは、無免許と勘違いされやすいシチュがよくでてきますが、ジュン市氏のコメントどおり、免許を持っています。 よって、上記赤字は誤りなのですが、意識の流れのままにダラダラ書いている日記なので、そのまんま放置プレイということで、ひとつ。
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==※今日の備考(リンク)※===

プチ社長日記:『ジェムザール』の話

さて、ここ数日でガラリと様相の変わった当日記ではあるが、
『私の私による私の為の日記』というコンセプトを貫いてみる。

本日は父親へのジェムザール投与(第1回)。
最早、抗癌剤が頼みの綱の我々にとって、父の体がジェムザールを受け付けない場合のダメージは計り知れないので、とりあえず注入できた時はマジで嬉しかった。
勿論、これは癌の進行抑止の為のものであり、副作用も今後の経過を見ねばならないのであるが、今はこの事実を素直に喜びたい。

吐き気を催した場合でも、とりあえず注入できたら吐き気を抑える薬の投与を実施する。

尚、ジェムザールが事実上の正規対応としては唯一の手段であることは当然伏せている。

血糖値は200前後、かゆみを訴えているが、幸い、まだ痛みを訴えてはいない。

僕も久しぶりに上機嫌でお仕事などしてみる。
いい一日だった。


・・・そういや、不審なことが一点。
本日のジェムザールであるが、事前の医師の話では70%ほどに薄めて使用と聞いていた。

ふと点滴を見ると、『ジェムザール1000mg、生理用食塩水100mg』と書いてある。どういう計算をしたら70%なのか?

看護士に素直にその疑問をぶつけると、特に指示を受けていないという。

父親によると、その後、私が外出している時に医者がやってきて、『あなたの息子は医療関係者か?』などと聞いていたらしい。生理用食塩水を『セイショク』と言ったりした為だろうか?
いずれにせよ何か不安を掻き立てられる話ではあるが、親父まで不安にさせては意味ミニマムなので、その話を親父から聞いた時は『ふーん。』とだけ言っておいた。

まぁ、彼らが私に興味を持つのも理解できる。

な ん せ 平 日 の 昼 間 か ら 普 通 に い る か ら な。


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==※今日の備考(リンク)※===

プチ社長日記:『告知』の話


手元に本がないので明確ではないが、『徒然草』に以下のような記述があったと思う。

『死は、前よりやってくるものではなく、後ろからやってきてそっとあなたの肩を叩く。であるからこそ、何時 死がやってきてもいいように日々を生きよ。』

なるほどと、当時は激しく納得したのであるが、よく考えたら自殺をはじめ、例外もある。
病気に関しては、病気になるということは予知できないが、病気になってしまった以上、ある程度死は予知できる。

何が言いたいかというと、癌の告知、というか、余命がどれくらいかという情報を与えるかどうかという問題のことである。

私が前から思っていたのは、自分の体が崩壊に向かう期間、つまり自分の余命を知らないで死んでいく患者がいるのだろうか?ということだ。

周りの者は皆知っていて、当の本人だけが知らないで死んでいくなんてことが可能なのだろうか?

・・・無理だと思う。

親父の状態は、予想通り悪い。
今日、医者と話をさせていただいたのだが、ステージ犬任△襦
外科手術は勿論、放射線治療もためらわれる状況であるという。

医者は、いちいち感情を入れていては仕事にならないし、最小限伝えることは伝える義務もあろうから淡々と話す。
淡々と話されると、よく理解していない人間には『こんなに淡々と話すのだから、きっと大丈夫なのだろう』と思ってしまいがちである。
実際は、打つ手が無いという内容であってもだ。

しかし私が、治療法よりも如何にQOLを高めるかと言う所に主題を誘導したので、傍で聞いていた母親も状況は把握したであろう。

息子の私が書くのも何だが、親父は頭の良い、というか洞察力の優れた人である。
私達が談話室から戻ってきた雰囲気から、それも私から、大体の事情は察したであろう。
そもそも本人も『自分は長くない』と言っている。
ただ、『そうだね』という人間がいないだけだ。そんなこと言って欲しくないだろうが、知りたいのも事実だろう。

母親が席を外した際、親父が聞いてきた。

(,,゚д゚) で、俺はあと何ヶ月って言ってた?

(゚Д゚) 具体的には、何も。
    人によるし、明日からのジェムザール投与の結果次第だね。
    ただ、まぁ、何年も生きられるような状態では、、ないな。

(,,゚д゚) そりゃそうだろ。覚悟はできてる。
    俺は、今年が越せるかどうかを心配している。

(゚Д゚) ・・・。俺も、いつかこういう日が来るということは昔から知ってたよ。
    ただ、まぁ、自分の身体は自分のことが一番知っているでしょう。
    俺達が隠せるものでは、、ないよ。

(,,゚д゚) ・・・。

(゚Д゚) 母さんのことは心配いらないよ。 

(,,゚д゚) ・・・。わかった。


本当は、状況はさらに厳しいと思っている。
でも、この位は伝えた方がよかったと思い、伝えた。
が、やはりその後の意気消沈した父親を見ると、やはり嘘で固めた方がよかったのだろうか、とも思った。
母親が帰ってきて、親父は何事もなく振舞っているが、やはり頭では私の言葉を反芻しているように見えた。

私は、致命的なミスをしたのかもしれない。
『ひょっとしたら・・・』そういう最後の望みを、私は断ち切ったのだ。望外ではあるが。

これから、彼の身体は痛みを伴う筈だ。
その痛みが、死への道程と知るものなのか、この痛みを越えれば生還できるのかと希望をもつのでは、やはり違うのだろう。
嘘をつくべきではなかったのか?
しかし、つき通せる自信もなかったのは確かだ。
つき通せないなら、いっそ。。。。

(゚Д゚) まぁ、俺は悲観的にモノを考えるからね。
    そういう可能性もあるということさ。

あとの祭りとはわかっていても、そんな言葉が漏れた。
親父は強い人である。それを信用していったのだ。
今はその判断が正しかったと信じよう。

自分の身体を把握できないままなんて、無理な話じゃないか!?

そう、思ってはいても、気が重い。

ちくしょう、どうして心の準備が出来ていない内から聞いて来るんだ。


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プチ社長日記:『暗転』の話


モノには順番というものがあり、そういう意味では『いつか、この日が』とある程度予想できていたのであるが、やっぱり現実になるとショッキンというものがある。

母親から、父親の精密検査の概要に関するメールがきた。
結果は膵臓に癌が転移。何でも乳頭というところに腫瘍があるとか。
膵臓にもビーチクと言われる部位があるというのもショッキンであるが、如何せん膵臓である。
無学な私にも膵臓癌が致命傷であることは判る。
伊達に『ブラックジャックによろしく』を読んでいないのだよ私は。(自慢げ)

とりあえず連絡を受けたものの、今、新規PJが大事なところなので、大急ぎで手続きや関係者との調整等を済ます。
そんでもって新規PJ以上に切羽詰った『編集会議』出席。ラーキムの所も大変だが、最早私ではどうしようもない。役に立たない奴はバッサリ切って、少しでも出血を減らし撤退を考えた方がよかろう。妻持ちなんだし。
つーか、やるべきことをやらず、フラフラ遊んでたりクチばっかりのヌルイ奴は死ね。
『仕事』の二文字を何と心得ているのか。
リスクを取らせれば稼動するのかもしれんが、そもそもそういった人種に取らせることのできるリスクなどない。リスクのある部分にこそ、エース級を投入するのが鉄則だからだ。結局、リスクのない馬鹿が遊んでラーキムが全部抱えるという、笑えない状況。
さっさと船を(馬鹿と一緒に)沈めて、新しい船を作った方がいいっしょ。筏でもいいじゃん、と強く強く思う。

とまぁ、不憫な思いをしながらも、会社なんて人間と違って死んでもやり直しが効くので同情もほどほどに、その辺に関して一応目処がついたところで奈良に戻る。
父親も経営者だ。仕事だといえば理解してくれるだろう。

とりあえず母親から状況をヒアリング。余命は3ヶ月あまり。運がよければ1年とのこと。
父親はそのことを知らない。
幸いなことに母親が思ったよりガックリきていない。
ここで父親&母親ダウンのコンボをくらうとキツイが助かった。
兄貴は新婚旅行でタヒチとかに行ってるらしい。
まぁ、連絡したところで、何とかなるもんでもないからいいや。

症状としては、何でも黄疸が出たり、糖尿が出たり、挙句の果てに口内炎まで出来ているとのこと。よく判らないが、リンパ系全体がダメージを受けているのだろうか。
母親が、本屋で買ってきた糖尿病の為のレシピを一生懸命みている。
何でもパパイヤがいいそうだというので、パパイヤを持って行こうとはりきっている。
パパイヤ喰って病気が治れば世話ないが、希望というものも大事なので、母親に『そうだね』と激しく同意する。

『孝行したい時に親はなし』と言うが、まさによく言ったものだ。
『仕事がうまく行ったら、旅行行こうぜ!』とか言っていたのを思い出し激しく萎える。

とりあえず、もう少し様子を見よう。
幸い、長くはないが思ったより時間はある。
医者でもない私に打てる手など無いのかもしれないが、
出来る限りのことはしよう、と誓う。

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■追記■
気は進まなかったが、この辺を見た。
絶望的だということは再認識した。  

プチ社長日記:『パリは燃えているか』の話

そうか、、おなくなりになったか。。。

さっきから私の中では

タラララーン♪

の音楽が流れております。

(判らない方は是非聞いてください。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/7628/paris.mid
リンクから遷移するとYahooに弾かれます。URLをコピーして、新たにブラウザを立ち上げてペーストしてください。)


【ヤフーニュースより】

「パリは燃えているか」の米作家コリンズ氏が死去

 ラリー・コリンズ氏(米国の作家)20日、フランス南部フレジュスの病院で脳出血のため死去した。75歳。

 米軍の軍務のために渡仏、ドミニク・ラピエール氏に出会い、2人で作品を書くことを決めた。映画化もされた共著の代表作「パリは燃えているか」は第2次世界大戦末期、ナチスドイツのヒトラーがパリ破壊を在パリのドイツ軍司令部に命じた言葉で、連合軍によるパリ解放の様子をパリ市民や軍人などへの取材を通して描いた。

 共著書にはインド独立やイスラエル建国などをテーマとした作品もある。

(読売新聞) - 6月21日3時4分更新



なんでも、今までタブー視されてきたドイツ人によるヒトラー像を描いた映画『ヒトラー 最後の12日間』も製作されたし、ヒトラー再評価の機運が高まりそうなこの時期だけに微妙なニュース。

日本の首相も靖国マンセーだし、変な緊張感が走らないことを祈る。

まぁ、『ヒトラー 最後の12日間』はドイツでネオナチの妨害工作にあってるくらいだから、保守反動には直結しないとは思うが。

因みに、日本の首相が靖国に拘るのは、歴史的背景云々ではなくて、小泉が首相になれたのはFixerである稲川会の会長 故 石井進 さんのお蔭だからだよ〜ん、とこっそり書いてみる。 
そしてそのパイプ役は佐川急便社長(当時)の渡辺広康さんということはその筋の人ならみんな知ってるんだが、日本のマスコミにジャーナリズムは殆ど存在しないのでアフォなテレビ局の連中とかはスルーするわけだ。

別にこの程度のことは今も普通に行われていて、別に私としてはどーでもいいのだが、当時の小泉フィーバー、それも息子とかがタレントデビューした時はマジでむかついた記憶があるなぁ。国民に。
私自身は、中道右派くらいなんだけどね。

とりあえず、政治と宗教とか、政治とセックスシンボルは切り離して考えないと、マジで日本人の脳が疑われまっせ、とか真面目ぶったこともついでにこっそり書いてみる。

(また変なメール来そうだな。。。)

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プチ社長日記:続:『SNSを考える』の話


おつかれちゃーん♪

さて、NTT子会社アルシェールのサンプルデータ、及びそのOL社長が運営する『臭いものには蓋をするブログ』の出現に思わず突っ込んでしまったが、数あるリサーチ&マーケ会社の中でアルシェールが破格にインチキくさいかというと、実はそんなことはない。

ただ、リサーチを依頼する側にすれば、日本全国のデータが必要なケースは寧ろ少ない。アルシェールに限らず、サンプル集団が極度に首都圏に集中している場合は、いっそ首都圏のみのサンプル集団として割り切った方がよいと思う。『てまひまかけて』サンプル集団を育ててるというのだから、サンプルたりえないメンバは即刻切るに限ると思うのだが、どうか?
ま、その辺は出資者の判断なのだが、あまりにもサンプルが少ない場合はF1層という切り分けだけでは不十分だと思う。ガンガレ。超ガンガレ。

むしろ、こういった会社をヲチしていて思ったのは、たかが150人ほどのサンプル集団(でも有効回収数は45くらい)のメンバを抱えるだけで、会社としての体をなしうるのだなぁ、ということだ。
勿論、出資者がドキュモであり、社外取締役にドキュモの部長クラスがいるので、受注という意味ではドキュモから降りてきたり、ドキュモと取引のあるメーカー及び販社に対しドキュモが『使え』と圧力をかけるなどして容易に取ってくることはできそうだ。その気になれば。
しかし、わざわざドキュモが出資するほどの革新性があるかといえば、Noと言わねばならないのではないだろうか?

それは、この会社の基盤となる『アルシェリーナ』とかいうサンプル集団を『てまひまかけて』育てていると自ら認めているコストに現れているように思える。
それで45票じゃダメだろう、と誰もが思うはずだ。

アルシェリーナが『F1層に絞ったサンプル集団』だと言うことは、リサーチ会社の差別化という意味では意味をもっていても、調査の観点から言えば、サンプル集団に対しそのまま全要素を調査対象とするようなリサーチは無い以上、差別化の対象にはならない。

つまり、アルシェリーナのサンプル集団を多く見積もって200人いたとしても、母集団2万人を抱えるリサーチ会社に4000人F1層が入っていれば、当然、後者のF1層に対してリサーチをかけることのほうが精度の高い調査に結びつくことは論を待たない。

そして、如何に子飼いのサンプル集団のロイヤリティが高かろうと、調査期間は相当置く必要があり、特にその点(調査所要期間)に関しての優位性は認められない。

ただ、子飼いであるがゆえに、一票一票に詳細な意見を引き出せる可能性は、一般のサンプル集団よりは高そうであり、その点は注目だ。

そして、ロイヤリティが相当高ければ調査ではなく扇動として、そのトリガを提供することができるというのは同社の強みではある。

ところが、扇動というのはその性質上、扇動しようとするものの本尊がわからないようにしなければならない。
ところが、ホームページを見ると、扇動臭がただよってしまって、結局調査会社としても胡散臭く感じるわけだが、ドキュモ宣伝部のキーマンが社外取締役であり事実上の社長であると推察されることから、ドキュモの扇動集団と取られても仕方ないのではなかろうか。扇動集団は扇動集団とバレてはいけないのだが。

言うまでも無く、調査と扇動は区別すべきである。
別に私は扇動がイケナイという心算は毛頭ない。
寧ろ、有効な宣伝だと思っている。
よって、アルシェールの『口コミ』という名の扇動の目的は、理解できる。
ただ、その意図がバレバレなのはダメだろ、とは思うが。

断っておくが、本論の目的はアルシェールを批判するものではない。

SNSのビジネスに対する親和性を考える上で、既存のリサーチ&扇動ツールを確認しておきたかったのである。随分回り道をした感があるが、そこは次の機会に考察してみたい。

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