プチ社長日記:『インド〜パキスタン#3(パキスタン)』の話

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【外務省安全ページより】※
※正直、感覚とズレてるのだが、一応掲載。

朝起きて、どこへ向かうかを考え始めた。
何となく、『フンザに行きたい』という思いはあった。

遡ること1年前、ヴァラナシでガンガーのボートから朝日を見ていた時のこと。たまたま出会った日本人と船頭の3人でボートに乗っていたのだが、その日本人の彼がしきりに『フンザがいいらしい。俺はいつかフンザに行きたい』と熱く語っていたのが引っかかっていたのだ。また、その後手にした宮本輝氏の『草原の椅子』の舞台でもあったので、その思いはより強くなっていた。


【映画『草原の椅子』】

フンザはカリマバードという街を中心としたパキスタン北部の領域(ノーザン・エリア)である。中国との国境に近く、国境とはカラコルム・ハイウェイでつながっている。このノーザン・エリアはインドと領域を争っている地域ではあるが、現在パキスタンの統治下にある。
最大の街はギルギットであるが、近くのペシャワールがタリバンの強い影響下にあるので、ピンディーからペシャワールを経由せずに行くとなると往復は同じ道を辿ることになってしまう。

では片道を空路にしよう、と思い、ピンディーのパキスタン航空のオフィスに歩いていく。
これまたどう見ても閉鎖されているようなオフィスなのであるが、一応営業しており、窓口のおっさんも親切だったのが助かった。ただ、適当なチケットは入手できず、とりあえずバスでカリマバードへ向かうことにした。

荷物をまとめ宿を引き払い、昼飯を食ってから北のバスターミナルへ向かう。
これがかなりややこしく、タクシーを利用するのが良いと思う。私は駅の北側まで3キロ歩き、そこからバスターミナル行きのチングニー(乗り合い3輪タクシー)で行ったが、最初はなかなか目当てのチングニーが見つからず、親切なおっさんが案内してくれなければ私も諦めてタクシーに乗るところであった。
そう。パキスタンは親切なおっさんだらけの国なのである。

夕方6時にターミナルを出たバスは、20時間かけてギルギットに向かう。(なげー。)

途中、4回の検問があり外国人の私は都度、降ろされるのだが、パキスタン警察はなべて親切であり、何の問題もない。
夜明け頃にベシャームという街で休憩となった。ここはノーザン・エリアの入口の街だ。
ここで2時間休憩し、他のバスを待ち合わせする。

ここから本格的にカラコルム・ハイウェイとなるのだが、そもそも悪路であり土砂崩れなどが頻繁に発生していること、そしてタリバンの進出により治安が悪化している領域を通過することから、夜明けを待ってバスが隊列を組み、その先頭を警察が護衛するという護送船団方式での進行となる。見ると大中あわせて15台のバスが警察車両を先頭に一列で進んでいる。(私は先頭のバスに乗っていた)
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【警察が先頭で護衛し、、、】

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【我ら金魚のフンが続きます!】

道路は、一応、舗装されており、 修理したりショートカットの架橋をしたりといろいろやっているが、リアルにケツが浮くほどの悪路である。大型バスが通れるギリギリといったところか。
ただ、景色は山岳砂漠なのでなかなか見せるものがある。

ぐったりしてギルギットについたのが翌日の昼2時。疲れてはいたが、一気にカリマバードまで目指そうと思い、マイクロバスに乗る。ここからは中国に近いせいか道がよく整備されており、3時間ほどでカリマバード到着である。夕闇に沈む氷河が美しい。
あこがれのフンザについたのだが、暗くて景色は見えず、オールド・フンザ・インという安宿にとまる。一泊800ルピー(1000円弱)である。ひと昔前のブログなどを見ると、信じられないほどの安値がついているが、バックパッカーに知られたこの宿がボルとも思えず、また、これまでのインフレ状況などから見ると、そんなものなのだろうと自分を納得させる。

部屋は綺麗とは言い難かったが、流石に標高も高いためクーラーなしでも快適である。しかもお湯が使える。(まぁ、バケツに水を張ると底が見えないくらいの透明度ではあるが。。)これ幸いと洗濯をした後、窓を開けて、虫の声を聴きながら足を延ばして眠れるのは心地よかった。

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カリマバードはなるほど素晴らしい場所であった。
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【メインストリート。ATMできました】

朝の5時に起き、隣のデュイケルという場所まで片道2時間ほどの散策に出る。デュイケルは山の上にある場所で、イーグルズ・ネストホテルがある場所である。とても清潔なホテルだ。年をとってまた来るなら、是非ここに泊まりたいと思ったほどである。ここのテラスでお茶をした後、山を下り始めたのであるが、親切な若者がバイクの後ろに乗せてくれたので、あっさりと帰ってこられた。
その後、カリマバードのバルティット・フォートを見学する。
宿で休憩後、今度は改めてもう一つの城塞のアルティット・フォートも見学すると、もう他に見どころは無い村である。
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【ナウシカ風の谷のモデルとも。。】

ただ、村の人々が非常に友好的であり、この地域はイスラームでありながらもイスマイール派を信奉しているので女性も華やかな装いが多く、村が明るい。
あんずの花の咲く春に訪れると更に素敵であろう。
ただ、ここも急速に近代化が進んでいるので、ここを訪れるなら早い方が良いと思われる。
『草原の椅子』の中では電気を使用している建物は稀で、ランプが使われているという描写があったと記憶しているが、今は全て電気であるし、今やATMもあるのである。
我々の勝手なノスタルジーを押し付けて、彼らに不便な生活を強いる訳には当然いかないので、こればかりは仕方ないと言える。
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【カリマバードの住居】

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もっと長く滞在したかったが、カラチに向かわねばならない。
ギルギットで更に1泊した後、ピンディーまでの20時間、そしてラホールまでの7時間(ガイドブックには4〜5時間とあったが。。)と怒涛の連荘でバスに乗り継ぎ、ラホールまで一挙に南下する。当然、暑い。(そしてケツも痛い。)

さすがに疲れていたのと、ちょっと仕事の関係でインターネット完備の場所に泊まる必要があったので、アヴァリ・ラホールという高級ホテルに宿泊した。高級ホテルといっても頻繁に停電するのはお国柄仕方ないといったところか。とは言え、当然ホテルには予備電源があるので瞬断で済んで快適だ。
夜もプールで泳いでなぞいると、つい「こういう『若旦那仕様』(?)の旅も悪くないなぁ」と思ってしまう。朝食でも日本語が聞こえ、日本人はここにいたのか、と変な感慨を覚える。

パキスタンの車市場における日本車率は非常に高い。日本より高いのではないかと思える。
『日本車天国』という言葉が久しぶりに浮かぶ。因みに、乗合自動車については、まるっと『スズキ』と呼ばれる。『イスズ』ではない。標識にも『スズキ乗り場』と書いてある。かつて日本でもパソコンのことを『IBM』と呼んでいたそうだが、そういうノリであろう。
バイクに至ってはホンダの天下である。BMWやドゥカティのような高級バイクは見ない。

これだけ日本車が走っているのに、日本人を殆ど見ないのである。
というか、フンザで2人見かけただけである。
無論、圧倒的に中古車であり、マイクロバスの車体にも『○○温泉』とか書かれている。『どこ行くねん』と突っ込みたくなるが、これはアジアどこでも見られる光景ではある。
中古車の取り扱いとなると中国やロシアが幅を利かせているので、日本人が売りさばいているとは限らないが、それにしても溢れる日本製品に比べ日本人の少なさは異様にも見えた。

パキスタンはインドから独立したので旧英国植民地である。
なので日本と同じく左側通行なのがバスなどの中古車市場で有利なのは想像できる。
もっとも、10年前のフィリピンなどでは,匹ΔいΔ錣韻ドアだけ右側通行仕様に改造 △修鵑覆竜い砲靴覆て乗客が道路の中央から乗降するパターン の2パターンが走ってたりしたので、どれだけ有利なのかは何とも言えないが。

話がそれたが、かつては日本人もパキスタンに大勢来ていたそうなので、もっと多くの同胞に訪問してほしいと思う。

ラホールにはラホール・フォートというムガル帝国歴代皇帝が建造した巨大城跡と、同帝国6代皇帝アウラングゼーブが建造した巨大なバードシャーヒー・モスクが有名だ。イランの青色のモスクに比べ、赤砂岩でできたそれらはいかにも武張った印象ではある。
ノルウェーがユネスコを通じて修復工事に当たっているので、アラムギリ・ゲートは通過できなかったが、ここが通商・軍事の重要拠点であることを印象付ける立派な建築物である。
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【バードジャーヒー・モスク】

見学を終え、街中にある鉄道の予約オフィスに行き、ここでも女性の販売員からカラチ行きの切符を買う。少数の事例から判断することは危険だが、やはり聞いていたよりも女性の進出がなされているようで安堵する。とはいえ、公共サービス以外の場所では女性労働者は殆ど見ないが。

で、カラチへは5,000ルピー(パキスタン・ルピーなので6,000円くらい)するが、グリーンラインで行けという。グリーンラインというのは、パキスタン国鉄が最優先で走らせる特急寝台だ。それだと18時間。他のだとちょっとどれだけかかるか解らない、ということである。
距離を考えれば日本より断然安いが、ラホール〜ピンディーの普通列車が370ルピーだったのに比べると高すぎるように感じた。
だが、その女性担当者のいう事を聞くことにした。女性に勧められると断れないのは悪い癖である。

結果は大正解であった。グリーンラインは中国製の客車を改造したコンパートメント形式の車両であり、1室最大6名まで乗れるが、その担当者が気を利かせてくれたらしく、1室をまるまる私に使わせてくれたのだ。チャーイこそ有料ではあるが晩飯・朝飯もついており、1泊分の宿泊代が浮くことを考えると十分だ。
それだけではない、外国人の多いイスラマバードやカラチならまだしも、パキスタンにはクーラーのついたカフェなどが街に全然ないので、列車の時刻までは灼熱の中をさまようことになるのだが、グリーンラインには専用の冷房付き待ち合わせスペースが駅にあるのである。
(もっとも、その存在を知ったのは出発の1時間前であり、それまで私は、たまたま話しかけてきたパキスタン人と2時間ほど時間を潰していたのだが。。)
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【ラホール駅にて。】

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【インドと同じ車両もある】

20時過ぎに出た列車は、途中4カ所の駅で停まるだけで、私をカラチへ連れていく。

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カラチは言うまでもなくパキスタン最大の都市である。
アラビア海に面しているので港があり、パキスタン海軍の拠点にもなっている。
イスラマバードがワシントンなら、カラチはニューヨークと言ったところか(私の中で)。

そんな思いから立派なターミナルを想像していたが、野晒しのホームで戸惑う。
「え?ホント?ここカラチ・カントンメント?」と降りる客に聞くがそうだと言う。
駅のチケットセンターは昼にも拘わらず閉まっている。次回、カラチに来るときはクェッタ経由のザヘダン(イラン)行きを狙うことになるのっで、国際列車の運行状況を調べておきたかったのだが、叶わず断念。
駅前も痺れるほど廃墟が多い。昼に到着してよかった。
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【カラチ駅】

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【駅前大通り】

ラホールでカラチの宿はエクスペディアから予約していたので、宿に徒歩で向かう。
結局、パキスタンで唯一、予約したホテルとなった。
が、実際に行ってみると「この予約は無効だ」と突き返される。
「いやいや、visaで決済もしてるでしょ!」と半分日本語の画面を見せ、そこから長い抗議がスタート。結局、ホテルとエクスペディア間の問題と判明し、後日エクスペディア側に返金催促することになったが、憤懣やることなくレイトチェックアウト等を認めさせる。
という訳で結局、パキスタンでは厳密には1件も予約できなかったことになる。

カラチは最大都市だが、特に歴史的に見るべきものがあるか、と言われるとあまりない。パキスタン建国の父であるジンナー廟があるくらいである。
この辺の、イスラームの歴史にとって特に何もない、というのがパキスタン・イスラム共和国をして遷都させた大きな動力になったそうである。
ただ、英領統治の面影を残すエンプレス・マーケット辺りなど、街並みは見てて面白い。
ただ、この日も仕事の都合で早めに宿に戻る。
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【エンプレス・マーケット】


翌日、パキスタンで唯一の国立博物館に行く。パキスタンと言えばモヘンジョダロやハラッパーのインダス文明遺跡が有名だが、ともにダコイットなどの反政府勢力の強い影響下にあるので、残念だが陸路メインの今回の訪問では避けた。8年前のガイドブックの記述でも厳しそうだったが、最近のウェブ情報でもモヘンジョダロ行きのバスが(狙われるので)外国人は乗車拒否に遭ったりと依然として厳しい状況が続いているそうだ。
塩害による劣化被害も相当進んでいると聞くし、何とか後世の人類に笑われないほどの文化保護はしてほしいと願うところである。
で、せめて遺物ぐらいはお目にかかろうという次第で、新市街の方へ歩いていく。

国立博物館は、建物ではなくて庭のところにチケット売り場がある。売り場と言ってもブースはなく、長机の前にオッサンが2人座っているだけである。最初は偽物かと疑ったが、そうでもないらしい。料金を払い庭を通ると本館だ。
これが昼なのに妙に閑散としている。見物客は私だけ。カラスがまるでヒッチコックの映画のように多数飛んでおり、夜なら敬遠したい趣だ。
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【国立博物館】

内部の展示品だが、有名な『神官の像』が見られたものの、警備も極めて手薄で、その気になれば盗難できそうな雰囲気である。そもそも窓があいててテラスに出放題なので、窓から展示品を投げ出せば難なく持ち出せそうだ。見ているこちらが心配してしまう。
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【中央が神官の像】

その他の展示品も微妙だ。インダスの『踊り子の像』はコルカタで本物を見たことがある。こちらはコピーだと思われたが、博物館員に『これ、コピーだよね?』と言うと『オリジナルだ』と憮然と答えられてしまう有様である。脚にボルトが付いてる訳ねぇだろ、と思ったが、ぐっと堪える。
博物館・美術館につきもののカフェなどが併設されている訳もなかったが、それはそれでお国柄が表れていて面白い博物館である。

いよいよ夜の遅い便で帰国である。カラチ空港へは宿から無料送迎を勝ち取ったので、それを利用する。
実を言うと、去年、デリーまで駒を進めておきながら、パキスタンを訪問しなかったのは、このカラチ空港が反政府ゲリラに攻撃され、20名以上の死者を出したからである。
襲撃を受けたのは貨物ターミナルであったが、黒煙をあげる空港の写真を見て、急遽目的地を北欧に変更したのである。
こういう事件があったので、さぞやセキュリティは厳しかろうと思っていたのだが、これが見事にザルである。空港までの検問所は多いものの、一度も停められることはない。空港内の審査員が気持ち真面目に見てる程度だろうか。
因みに、国際線のターミナルであるが、免税品はせいぜい香水と化粧品が多少買えるだけなので期待しない方が良い。ネパールのカトマンドゥ空港に次ぐ簡素な飛行場である。
チケットカウンターには、隅に冷蔵庫が置いてあり、その横に椅子に座ったおっさんが待機という『手動販売機』が1台あるだけである。シュールだ。
最後まで期待を裏切ってくれるという意味で、パキスタンはなかなか面白い国である。

イラン再訪の為に、私はこの地に戻ってくるつもりだ。それまでに、イランとの国境事情が改善されることを期待してやまない。

プチ社長日記:『インド〜パキスタン#2(陸路越境)』の話

さて、翌日はいよいよパキスタン国境超えである。
インド・パキスタンの国境事情は変化しやすく、なかなか最新の情報を入手しにくいのが実情だ。
特にパキスタン側は『地球の歩き方』が2007年から更新が停止していることもあって、情報が不足しがちだ。(※)

結論から言うと、「パキスタン側・インド側双方とも国境までのアクセスに難があるも、現時点で越境には何の問題も無い」ということになる。

※なにかと重宝する『地球の歩き方』であるが流石に8年たつと情報の陳腐化は避けられなくて、例えば物価が2倍以上になっていたり、この宿を当たってみようと思ったら豪快に潰れていたりする。
ずっとデフレに苦しんでいる我らの感覚では8年で物価が倍というのは考えづらく、最初はボラれてはかなわんと炎の交渉を続けていたが、大手長距離バスの値段が2倍になっていることを知り、まぁ、そういうものなのかと納得するまで時間がかかった。最新情報は(英語だが)lonely planetがお勧めである。


『地球の歩き方』では国境審査の職員が酷いと書いてあったが、私の場合では、パキスタン側の入国審査官は(2人いたが2人とも)女性であった。イスラーム世界で女性の職員というのは珍しいので、その辺は国も気を遣ってくれているのかもしれない。
尤も、陸路で入国する日本人は極めて少ないらしく、単純な好奇の視線にさらされるのは仕方ない。
私としても、審査に当たって多少は身構えていたのであるが、審査官の最初の一言が『あなた、髪の毛跳ねてるわよ』である。そこかよ、放っておいていただきたい、という気持ちを堪えつつ、相手がお役人なので一つ一つ丁寧に答えていく。が、その後も『あら、このスタンプどこの?変わってるわね。』『あ、それコソヴォです。国の形(がスタンプに彫られている)。』とか入国に関係ないやりとりがただひたすら続く。そのうち、隣のカウンターの女性審査官も身を乗り出しての雑談である。

一点、注意すべきは宿泊先だけ(どっか適当なのの住所・電話番号でよい)は決めて置いた方がよい。一応、夜間の外国人外出は制限されているようなので、そこだけ押さえておけばまず大丈夫と思われる。

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【パキスタン側国境ゲート】

その他にも、何故かセキュリティーエリアに両替商がおり、レートは決して良くは無いものの、インドルピーを持ってても仕方ない多数の人間にとっては便利であるし(パキスタン側の方がレートは良かった)、パキスタン側にも税関抜けて少し歩いたところ、なぜかサルが飼われている檻を過ぎて右側には冷房の効いたブースにATMもあるので、入国に関する不安は一瞬で解消する。(それにしても何で国境でサルを飼ってるのかは謎。)

問題は国境から最寄りの街までのアクセスである。インド側は、何だかんだ言ってリクシャーが常に待機しているので問題ない。ボラれてるのかもしれないが、私の場合は250ルピーで片道貸し切りだった。相当な距離があるので、タクシーかリクシャーでないとまずアムリトサルまでは行けないので必要な出費と思っている。
問題はパキスタン側で、税関出ると遊園地内のバスみたいな可愛い乗り物がセキュリティーエリア外500mくらいまで連れて行ってくれる。因みにそこの税関のおっさんやポーターのおっさんもオモロイ面々なので、待ち時間は苦にならない。

送ってはくれるものの、そこからバスが直で出ていないらしく(近くの小さい街、ワガーからは出ているようだ)、誰に聞いても『7kmほどあるけば(ワガーで)バスがつかまるよ』との回答である。最初歩き始めたが、何しろ炎天下なので体力が著しく消耗する。結局、戻ってきてしまった。最初は不在だったリクシャーもその頃には数台が客待ちしていたので、最安値(350パキスタンルピー(1パキスタンルピー≒1.2円))を提示した隻眼運転手のリクシャーでラホール駅まで行くことにした。

因みに、パキスタン側の税関のおっさんに、『日本人て、どれくらいここ通るの?この1週間に他に何人いた?』と聞くと『いや、全然通らない。おまえだけだ』との回答であった。。。

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ラホール駅では砂埃が舞っていた。いや、砂嵐と言った方がいいかもしれない。ラホールにはまた戻ってくるので、とりあえず北上してラーワルピンディーに向かうことにする。
本来、この手の長距離列車は、町中にある予約オフィスでチケットをとる方が便利なのだが、時間の節約で窓口の姉さん(ここも女性だった)と筆談で意思を伝え、切符を買ってすぐの列車に乗ることができた。
(ラーワル)ピンディーまでは4時間とガイドブックに記載されていたが、やはりそれは特急の話で、結局10時間かかってしまった。列車も最初は激込みであったが、駅で出会ったRana兄弟に助けられ、席にありついて快適に過ごすことができた。

車窓の景色は、都市郊外では貧しいバラックが目立ったが、田舎の風景はのどかそのものである。車両もボロいものの味がある。特に信号機が腕木信号機であり、信号所も随所にあってノスタルジックな気分にさせる。

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【腕木信号機に信号所】

結局、一日で一気にピンディーにまで来た。因みに(ラーワル)ピンディーとはパキスタンの首都イスラマバードのすぐ近郊(15km)である。イスラマバードはパキスタン独立後に急造した街なので、官庁街といった趣なのに対し、ピンディーは古くからある街なので鉄道その他の施設はピンディーがまだ主役である。
であるから、一国の首都(の郊外の街)として煌びやかさを期待していたのだが、それは完全に裏切られた。

まず、駅やその周辺が異様に暗いのである。街灯はおろか、信号機も点いていない。建物も半分は廃墟で、残りの建物では発電機で灯りをともし、食堂などが開かれている。
パキスタンはイスラームなので、基本的に酒類が販売されない。夜明けのアザーンとあいまって、それが夜を早くしているのかもしれないが、いくら何でも暗すぎる。
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【安宿街】

薄暗い食堂で食事中のおじさんに道をきいたり、手元の地図を頼りに、とにかく街の中心部に向かう。
流石に街の中心部は街頭や信号機がついている。停電というより節電に近いのかもしれない。
宿を探すが、ガイドブックにあった最初の宿は潰れていた(※)、その後もいろいろ当たったがどれも満室である。すっかり曜日の感覚をなくしていたが土曜日であったのを思い出した。地方から出てきた人間で宿が塞がっているのであろうか?
とにかくいろいろ当たったが、どれも潰れていたり満室だったりで埒があかず、終いには街の反対側まで出てしまった。
遠くに見える高級ホテルのそばに中級ホテルがあるらしいので、それに当たって、泊まれなかったら野宿しよう、そう決めて向かう。とにかく強烈な睡魔に襲われ、もうどうでもよくなっていた。

結局、その中級ホテルで部屋をみつけ、不本意ながら割高な値段で宿泊することにした。シャワールームは排水が悪く虫の死骸が浮きまくって使えたものではなかったが、ベッドで寝られるのと朝食がついているのが有難かった。
とにかく飲み物を調達しようと外出しようとしたが、ホテルの従業員や警備に制止される。外国人の夜間外出は禁止されているとの旨であった。
のどが渇いていはいたが、とにかく眠いのでひたすら眠る。

※エクスペディアなどもパキスタンの宿は大都市のハイクラスなものしか登録されていない。
ネパールでは350円/泊でも登録されているので隔世の感があるが、私たちもほんの15年ほど前まで歩いて宿を探し回っていたので、寧ろ楽しむしかない。

プチ社長日記:『インド〜パキスタン#1(インド再訪)』の話

イスラエルに行ってきたばかりだが、その後、インド、パキスタン方面にまた出かけてきた。
なんで一旦帰ってきたかと言うと、月末・月初の仕事と会津に遊びに行く予定があったからで、これはこれで2泊3日ずーっと飲み続けの楽しいイベントであるので、世界のどこにいようと帰国する訳である。
いや、3か月分くらい3日で飲んだね。飲んでない時間でお皿とか焼き物焼いてたからね。

で、日本の夏を堪能した後は、ビザもおりたので再びのインド、ということにあいなった。

余談だが、他の旅行者に聞いた話だと、『(旅行者にとって)世界3大ウザい国』と言われているのが(北部)インド、モロッコ、エジプトだそうである。あ〜、なんか解る気がするな。エジプト知らんけど。

物乞も最初は『可哀想だな』と同情こそすれ、あまりにも多くの子供から当たり前のように手を差し出されると、その内まるで気にならなくなる。紛争なのか事故なのか、下肢が切断されてお手製スケートボードに乗ってやってくる、例えは悪いがザクタンクみたいな人も大勢いるので、五体満足な乞食くらいでは何とも思わなくなるのである。
(10年前のフィリピンでは、母親が子供に乞食をさせる為に、同情をひくよう子供の手足を切断するという話が横行していた。そのパターンでないことを祈る。)
そういう状況なので、現地にいるときは『うへぇ』と最初は思う。特に感覚が麻痺するまでは。
でも、一旦その麻痺の感覚を知ってしまうと、帰国後暫くしたらあら不思議、『何かまた行きたいな〜』と思わせる不思議な地である。この点は同意される方も多いのではないだろうか。

その理由を考えてみたのだが、一言では言い表せないが「『インド的な何か』はインドでしか見られないから」だと思う。ヨーロッパのある国で感じる楽しさは、他のヨーロッパ諸国で代替可能な部分が多い。それはキリスト教的な価値観が一貫しているからだと私は思う。インドは何だかんだ言ってヒンドゥーの国であり、『インド的な何か』が『ヒンドゥー的な何か』だとしたら、この規模だとインドでしか味わえないのは致し方無いのかもしれない。
まぁ、その『ヒンドゥー的な何か』がまた難しいのであろうが。(多神教の持つ、いい加減さとでも言いましょうか。。。)

昨年はコルカタ〜デリーを中心に、選挙でゴタゴタしてる中のネパール国境越えが思い出深かったが、今回はデリーから西進し、アムリトサルから陸路国境を越え、パキスタンのカラチまで行くのが当座の目標である。
時間があればクェッタからイランのザヘダーンまで行きたかったのだが、イランのビザ取得を待てずの出国となってしまった。月末・月初にいろいろ作業が入るので、クライアント先に貼りついていない時でも、月末月初のタイミングでは日本にいる必要があるのですわ。

最初は煩わしく思っていたが、この区切りがないとダラダラ旅を続けてしまうことが容易に予想できるようになってからは、ありがたい区切りと受け止めている。
「あれも見たい、これも見たい」と旅の好奇心を維持し続けるのは、これはこれで結構パワーがいるのである。いや、ホント。


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デリー到着は昼頃であり、2回目ということもあって難なく宿に転がり込むことができた。あいにく前回の宿には泊まれなかったので、ニューデリー駅近くの宿にした。
アムリトサル行きの列車は2日後なので、デリーではビールなど飲んでダラダラ過ごす。デリーに行ったことのある日本人なら大概は顔を出すと思われるインディアン・クラブ・カフェに行き、一人旅行再開を祝う。窓の下を大勢の人々が行きかい、ときおり牛が通り過ぎるのを見ているのは、意外に飽きないものだ。
ただ、旅行者は少なく、他のバックパッカー御用達の場所に顔を出すも、どこも閑散としていた。

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【デリーに行かれた方なら、見覚えある方も多い筈】

2日経ち、アムリトサル行きの列車は朝の6時発であった。どうやら深夜3時発もあるらしいのだが、私が窓口の人に聞いた時は何も言われなかったので空きがなかったのかもしれない。私としては2等車でもよかったのだが。。。

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【早朝のニューデリー駅。左端が目当ての列車】

結局、座席ではなくてデッキでドアを全開にして車窓を楽しんでいたのであるが、同じ北部インドと言っても、パトナー周辺のビハール州と今見ているパンジャーブ州では景色がかなり異なるように思えた。
こちらも水田が多いが、区画が整備されており、一区画の面積が大きいようだ。日本の田園風景に似ており、『ムヒ』とか『727化粧品』の立て看でもあれば、まんまそれと見まがうレベルである。
因みにビハール州はインドで最も貧しいエリアである。

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【ドア越しの農村風景】


アムリトサルには定刻の10分遅れで到着。10分しか遅れないとは僥倖と言えよう。インドは最近は予約のコンピュータ化などで鉄道インフラの整備が著しい。まぁ、新幹線を作るという話もあるから当然なのだが。
従い、無茶苦茶遅れることは最近は少ないようだ。(インドなどより東欧の方が経験的には遅延が酷い。)

駅に降り立ち、早速リキシャーワーラー(リキシャの運転手)と交渉する。安く纏めたおっさんのところへ行くとサイクルリキシャーであった。まぁいいやと乗ったが、異常に遅い。おまけに「お釣りはあるよな?」と事前に確認したにも関わらず、降車時に釣りがないとほざくので、「ふざけんな。お前、誰かから釣りを10分以内に借りて来い」と追い立てる。あぁインドだな、と思う瞬間だ。笑顔でごまかされないように狂犬のように噛みつく。

慣れるまでは、とにかく交渉に疲れるのがインドなので、短い距離だと歩いて済ましてしまう。だが、ちょっと先を急いでいる事情があったのだ。
アムリトサル市中についたのが15時頃だった。スィク教聖地の黄金寺院を見学する。
一通り見終わったのが16時前である。急いでいたのは、できれば今日中に国境を越えようと思っていたからである。
客引きのいないところまで歩いてからリキシャーを捕まえ、国境に向かう。着いたのが17時まえであったが、すでに国境は封鎖されていた。(後で見ると16時までだった)
ただ、このアムリトサル(パキスタン側はラホール)国境では、18時頃に両国の国旗を降ろし、閉鎖のセレモニーを行うのが有名である。本当はパキスタン側に渡ってパキスタン側から見たかったのであるが、間に合わなかったので仕方がない。インド側で鑑賞(観戦?)する。インド・パキスタン双方に観客席があって両国の国威昂揚の場となっての大盛り上がりである。

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【インド側で盛り上がる人々】

結局、鑑賞後は再びアムリトサルに戻り、夜のライトアップされた黄金寺院を再び見学に行く。
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【黄金寺院】

スィク教は、インドでは少数派であるが、ターバンをして銀の腕輪を嵌め、腰には短剣(現代では模造刀)と言った、割と『ザ・インド人』としてのイメージを抱かれやすい感じがしている。おそらく、彼らは宗教的に勤労を奨励しており、結果、商売で成功している者が多く(宿の主人がスィク教徒、というのはよくあるパターン)、影響力としては確固たる地位を築いているからだと思う。
価格交渉においては、基本的に提示してくる価格は高めで、タフ・ネゴシエーションとなるが、コスいことはしない、お金にクリーンなイメージを私も持っている(無論、全員がそうという訳ではないだろうが)。
宗教施設であるから、敬意をもって臨めば相手も歓待してくれる。施設内では食事が振る舞われ(不味いけど)、履物を無料で預かってくれる場所では何故かマドレーヌを貰ったりもした。

基本的に、教会などでは被り物を脱ぐのは当然だ。でも、ユダヤ教ではキッパという帽子を被るし、スィク教ではターバン(旅行者はバンダナとかでOK)を巻くのが決まりだ。この辺は割と厳格であり、日本人はこういうマナーに無頓着なので注意が必要だ(レストランなどで帽子をかぶったまま飯を食う日本人などをみるとゲンナリする)。
裏を返せば、キチンと敬意を示せば、いろいろとお得なこともある。

プチ社長日記:『メタルギアソリッド5』の話

やりすぎでガチで右腕が痺れる。。。
ゲームで2徹せずに大人しく睡眠とるなんて、俺も年だな。。

プチ社長日記:『イスラエル漫遊記#3』の話

エルサレム2日目も早起きである。朝イチで神殿エリアに見学に行く。お目当ては『岩のドーム』だ。
この場所もユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地なのであるが、今はムスリムしか建物内部には入れないことになっている。
私は例によってジャージにパンジャービ(寝起きだから)、サンダルという出で立ちである。そして手ぶら。かつてトルコでムスリムに間違われることがしばしばあり、モスクのムスリム専用入口に何度か案内された私ではあるが、ここは流石に厳格である。
周囲に誰もいないので試しに『入っちゃダメっすか?』と聞いてみたが、『禁じられてるから、ダメだよ』とやんわり諭される。
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【岩のドーム】

因みに、イランではモスクの敷地内は裸足が鉄則である。サンダルとか履いてると音速で怒られる。
イスラムに敬意を表してドーム周囲の敷地内を裸足でブラブラしてたのだが、今度はイスラエル側の警備員(というか、警備兵)が飛んできて、『何か宗教的な意味があるのか!?』などと問うてくる。
そういう訳ではないと釈明をし、言われるままにサンダルを履くが、その後も『何か祈祷をしているのか』などと聞いてくる。
敷地内では朝の祈りであろうか、小学生たちが『アッラーフ アクバル!』(神は偉大なり!)を連呼していたので大丈夫だと思っていたのだが、どうやらここは『観光地』であって『祈りの場』ではないということだろうか?
確かに入り口の看板に『あからさまな宗教的振る舞いはするな』と書いてあったのを思い出した。
パンジャービがアラブのクルタと似ているのも裏目に出たようだ。『心配させて申し訳ないが、宗教的なことをしにきたのではなく、美しい建築を見に来たのだ』と説明し、相手も『そうか』と返事をしたが、どうやらまだ疑っているらしい。
あまり余計なことを言うと墓穴を掘りそうだったので、ただひたすらニコニコして切り抜ける。
もっとも、朝イチで入ったので周囲に他の観光客がほとんどいないせいもあったのかもしれない。私にだけ厳しい訳ではなく、短パンで入ってきたヨーロッパ人と思しき二人も速攻で注意されていた。
本来キリスト教もそうなのだが、イスラムでは肌の露出を特に嫌う。せっかく入ったのに、追い返されるのかなと心配で見ていたが、彼らはケープのようなものを腰に巻くという荒技で『短パン・バリデーション』をかいくぐっていた。

宿に戻って朝食をとり、旧市街北側のサマルカンド門からアラブバスに乗り、ベツレヘムへ向かう。
パレスチナ自治区ではあるが、キリスト生誕の観光地でもあり、外務省安全ページで見る限り、治安は悪くないようだ。
バスで1時間ほどでチェックポイントにつく。歩いてチェックポイントを通過するのであるが、やはり目にするとパレスチナ分断政策の凄まじさを思い知る。
エルサレムから「バスで1時間ほど」と書いたように、イスラエル領土だけで無く、イスラエル領域外の入植地を囲む形で建設が進められている。つまり、第1次中東戦争の停戦ラインでパレスチナ側とされた領域も壁の内部に取り込まれており、事実上の領土拡大を進めている。

この分離壁であるが、中東版万里の長城とでもいうべきか、遥か彼方まで壁が連なっているので圧倒される。しかもベルリンの壁よりも遥かに高い。随所にある管理棟が、まるで刑務所の中にいるような気分にさせる。
因みにこの分離壁、イスラエル側は「壁じゃなくてフェンス(柵)でござる」と主張しているが、「んな訳ねぇだろ」という言葉しか出ない、めちゃくちゃ立派な壁である。
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【分離壁(イスラエル側):見難いが写真右端の方まで壁は続く】

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【チェックポイント:パレスチナに出る時は、この金網の通路を通る】

もっとも、チェックポイントと言っても手ぶら同然の私は難なく出入りできた。特にパレスチナに入るときはノーチェックに等しい。
パレスチナ側に入るや否やタクシー運転手が群がってきた。正直、街の中央まで何キロあるかも調べずにきたのであるが、すでにチェックポイントがガイドブックの地図の圏外であることから3キロは固かった。
あまりにもしつこいドライバーが10NISで良いと言ってきたので(1キロ=11NISなのでありえない)試しに車に乗ってみると壁のペイントを見に行こうと激しく誘ってきた。
まぁ、こんなことだろうとは思っていたが、私は街に出たかったので、15NISから交渉開始したが、結局まとまらず車を降りた。
今度は違うタクシーの運転手と交渉したが、今度も10NISで良いといってきた。しかし、本来5人乗れる車だとか何とか言っている。
どうやら相乗り前提で、その分、私が負担しろみたいなノリである。条件と値段がはっきり定まらないうちに走り出したので、飛び降りる。
40過ぎのおっさんがするような事ではないが、金額の多寡よりもだまそうとする気持ちが嫌なのだ。
後ろから『ミスター、ミスター!30NIS!』などと叫んでくるが、さすがに振り返る気もない。

憮然としていたが、ふと駐車場脇にスイカを食べている3人組がいた。なんか信じられないくらいデカいスイカである。1切れ分けてくれたのでありがたく一緒にムシャムシャやってると、さらにもう1切れ、さらにもう1つどうだ?とドンドン勧めてくる。
さすがに食いきれないと辞退したが、旅行者に優しい彼らと話して、タクシーの値段交渉で荒んだ気持ちも和らいできた。

スイカを喰って元気が出たので、歩いて向かうことにする。

いささか遠回りしてしまったが、壁に描かれたパレスチナ人の落書きをみながら進むのは存外、楽しかった。
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【分離壁(パレスチナ側)】

こちらは物価がイスラエル側より少し安く、コーラ1缶3NISである。イスラエル側だと5NIS。500mlペットボトルだと旧市街では8NIS、新市街のスーパーなら7NIS弱で買える。
1NIS≒30円なので、イスラエル側だと日本より高いが、パレスチナ側だと安い感じだ。
因みにイスラエル側のマクドナルドだと、一番小さなセットで40NIS(1200円)くらいするので堪らない。
普通に食べると1800円くらいするのである。まぁ、wifi欲しさに入ってしまうのが悲しいところではあるが。

ようやく辿り着いたので、ベツレヘムの降誕教会を見学する。文字通りキリストが生まれた場所の教会である。
私は幼稚園がミッション系だったので(照)、ミサなどでは馬小屋で生まれて3博士がひれ伏すような絵を見慣れていた。しかしいざその場所に来てみると、思い切り地下なのである。
尤も、マリアがナザレで受胎告知を受け、ナザレで育つキリストが何故にベツレヘムに生まれたかということについては、若干あやしいとのこと。
ヨセフが人口調査のためにベツレヘムに来ていたとのことだが。。。

降誕教会の他の場所は改修工事中だったこともあり、すぐそばにある、マリアがキリストに授乳していた時に奇跡が起こったとかいう教会も見学すると、特にみるべきものも残らない小さな街である。
ただ、パレスチナ人の街という意味ではその暮らしぶりが伺えて興味深いので散策を続ける。

因みに、中央広場の近くにスターバックスがあった。
イスラエル側でも見なかったのに、パレスチナで見るとは不思議だな、と思ったが、やはり偽物くさい。そもそもロゴが旧式である。
さっそくwifi電波を拾ってスタバの公式ページで確認すると、イスラエルには一軒もスタバがないことになっている。
「最寄りのお店はアンマンです」と表示されている。それ、ヨルダンですがな。
見ると不細工ではあるがノベルティも頑張って作っている。努力だけは認めてあげたくなったので、15NISしたがカプチーノを頼む。
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【パレスチナのスタバ(偽物)】

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【スタバ(偽物)グッズ。買っておけばよかったな。。】

その後、歩いてチェックポイントまで戻り、またエルサレムの宿に戻る。

■■■■
朝起きて、今日の予定を考える。東のエリコか南の死海か、北のナザレ方面か。。。(紅海沿いのエイラットは、次回陸路での越境の時に確実に通過するので、今回は対象外)
問題は、シャパットである。
シャバットというのはユダヤの休日で、金曜夕方から土曜夕方までが休みとなっている。
日本の週末感覚と違い、一部の路線を除き公共交通も止まるのである。そんなアホな、なんだかんだといって動くだろう、と高をくくっていたが、本当に止まるという。
死海エリアには、スパなどを除き大した宿泊施設もないので、日帰りを考えていたが、そうなると夕方までに帰ってくるのが厳しい。
結局、北方のナザレにした。アラブ人色の強いエリアだと、アラブ系のバス会社などはシャバット中も営業しているらしい、というのも理由の一つだ。

今回はベツレヘムの時とは違い、セントラルバスステーションからバスにのる。トルコのオトガルのようなだだっ広いバスターミナルを想像していたが、近代的なビルで、バスは3階から発車、到着は2階という作りである。
このバス停がまた激混みである。チケット売り場が3カ所(常に1カ所は閉じている)、インフォメーションも2カ所しか窓口がない。看板めいたものもないので、結局、フロアの端から見て回って自分の目的地行のバスを探すのである。
尚、あとで行った観光案内所ではこれらの情報をすべて教えてくれるので、多少遠回りでも観光案内所経由をお勧めする。

ナザレに向かう道は、エズレル平野を突っ切るので途中はほとんど平らである。最後の方にマゲット山のエリアを通る。
何てことはない呑気な景色なのであるが、この山(ハル)こそ、ハル・マゲドンの舞台だそうである。


バスは予定よりも早くナザレに到着する。この時、同じバスに乗っていたらしい日本人が話しかけてくれる。
彼もイスラエル5日目だそうだが、彼にとっては私が初めて見た日本人だそうである。とりあえず2人でシャバット中の交通事情なども確かめにインフォメーションに行こうそうしよう、ということになり、そこに向かう。
会って数分しか経たない我らではあるが、二人でイスラエル美人を讃えあっている内にすぐ打ち解けた。男同士が仲良くなるのは得てして下世話ネタである。

ナザレでは存外良いホテルに巡り合えたので、ホテルでやっつけ仕事などこなし、夕方になってから晩飯がてらに受胎告知教会の下見に行った。
もう夜だったし、お祈りの時間だったので観光客は入れないルールであったのだが、ぼんやり建物を見上げていると、管理人のジイさんが話しかけてきた。
「自分はキリスト教徒ではないので、この時間に入るのは不適切だから、明日くるよ」と告げたのだが、管理人は「まぁ、入りなさい」と言うので、「ではちょっとだけ」と入れてもらった。

本当いうと、一人で静かに見学したかったのだが、ジイさんがやたら熱心に説明をしてくれる。さすがに管理人だけあって知識が豊富である。
一気に語られても覚えきれないのだが、断るのも悪いので真剣に聞いていた。そのうち、ジイさんが周囲の絵を説明して回るのに手を握ってきた。
何となく違和感はあったのだが、こんな田舎で10年以上も管理人をやっていたら人恋しくなるのかな、まぁ教会だし大丈夫だろう、と思っていた。
そのうち、いろいろ案内してくれるのだが、私の腰に手を回したり、挙句の果てには尻を触ってくるようになった。
・・・イカン、これはガチでホ○である。

・・・LGBTだとかダイバーシティとか言われる昨今、フェイスブックの写真を虹色にしちゃったりしている御仁もおられるかもしれない。
個人的には「LGBTを受容=ダイバーシティ」とは思わないが、そういう生き方や価値観があってもいいと思う。現にそういう友人もいるし。
とは言え、そのターゲットが自分に向いた時、じゃあ一緒に掘った掘られたするかというとそんな訳はない。
日本人ならその辺は空気を読んで「チガイマスヨ!」と悟ってくれのかも知れないが、相手が外国人だと難しい。
とりあえず1周すれば終わりだ。それまでは耐えしのごうと思い、彼から体を離すべく、あれはどうなってるんだとか、いろいろ大振りな仕草をしたり、注文をつけたりしてみる。
たとえば、教会の正面の扉を開けてくれないかと言うと即座に開けてくれるのである。それどころか、「いや、ここ絶対入っちゃいけないでしょ。」という所にまで案内してくれる。
健気に尽くす老人を見ると哀れな気分にもなる。ところが、彼も隙をみては私の体を触ってくるし、手を自分の股間の方に持っていこうとするから質が悪い。
終始、笑顔をキープしつつも、お互いに激しく攻防を繰り広げながら、ようやく敷地を一周めぐることができた。
最後に、管理人室でコーヒーを飲んで行けと散々勧めてくる。私も暗くなったから帰ると言ってゆずらない。
ちょうどよいタイミングで彼の携帯が鳴ったので、この機を逃してはならぬと「じゃあ、かえるねー!」と言って逃げるように去る。
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【近代的な受胎告知教会内部】

外国を旅行していると、特にアジア人男性は同性愛者に狙われるのはよく聞く話であるし、私も誘われたのは何回かあったが、まさか40過ぎて教会で働く人に迫られると思っていなかった。
幸い、明日は管理人が休みだということは会話の中で確認済である。明日改めて、清らかな心で見学することに心を決める。

■■■■
ナザレは、見るべきものがそんなに多くはない。ティベリヤの方まで精力的に見て回る気も起きず、チェックアウトまでは部屋で仕事などし、その後もシャバット明けでバスが動く19時までのんびりすごす。
実は受胎告知の場所としては、有名な受胎告知教会の他に、ギリシア正教側が主張する場所もある。
そこも教会になっているのであるが、地下から水が湧き出ており、冷涼な空気が威厳を与える良い場所であった。
昨日、ゆっくり見て回れなかったので、受胎告知教会を再度見学し、公園で昼寝をしてもまだ時間が余っていたので、残りはビールなど煽りつつバスを待つ。
シャバットは旅行者にも休息を求めるようである。

■■■■
ナザレから帰ってきてからはエルサレムの新市街の方に宿をとった。料金が安いのと、バスターミナルに近いのが魅力だったからだ。
朝起きて、死海方面に出かけるつもりだったが、何となく気が向かないので、結局旧市街の方に足が向き、友人に頼まれたヘロデ門の紋章の写真を撮りに行く。
途中、ヘロデ門とダマスカス門の間に、小さな洞窟の入り口があるのに気付いた。もともと地下の石切り場だったらしいのだが、朝早くて誰もいないので入ってみることにする。
これが思ったよりも遥かに奥が深く、広い空間で、最奥部では湧水がわいていた。
旧市街の地下にこのような空間があるのはとても興味深かった。まぁ、途中の空間はフリーメーソンの集会に使われていたらしいが。
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【正式名称はゼデキアの洞窟】

宿に戻ってゴロゴロしていたが、気が進まないながらも、イスラエルに行って死海に入らないのもなー、というそれだけの理由で死海に向かう。
とりあえずチャプっとつかって帰ってこられれば良いやと、最寄りのエレン・ゲティというところを目指す。
バスは満員で、立って行くことになった。家族連れも多いので、みんな死海に行くものだと勝手に思い込んでいたが、他に降りる人間も乗ってくる人間もいなかったので、あっさりと乗り過ごしてしまった。
まぁ、いいやと思って次のビーチがあるエン・ボケックに目的地を変更する。
(結果、マサダ城砦を通ることになったので、僥倖とばかりに見学する。)

結局、死海は15時過ぎに着いた。帰りの最終バスが19時頃と聞かされていたので急いだが、パブリック・ビーチには着替え場所とシャワーが整備されており、さらりと泳ぐことができた。
尤も、あまりにも塩分濃度が高いので、そんなに長く浸かっているものではない。ほんの5分泳いだだけで手の指がシワシワになる。
まぁ、おっさんが一人浮いたところで、楽しくも何ともないよな、と今更ながら思い至り、さっさとエルサレムへの帰路に就く。因みにこの死海だが、近年はエステその他で汲み上げが激しいこともあり、水位の低下が激しい。古い地図だと一つの湖のようになっているが、今や完全に2つに分かれてしまっている(水路で無理やりつないでいるように見えた)。海抜マイナス400mという、世界で一番低いところにある湖も、このままでは無くなりかねない。
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【いつもより多めに浮いております】

帰りのバスは、偶然にも運転手が同じ人物だったことを除き、行きとは打って変わって、私の他には4人しか乗客がいなかった。
死海からの帰りも、パレスチナ自治区を通る。
行きは気付かなかったが、ときおりバラックの集落を目にして、はっとする。殆どは小さい集落なのだが、一度、丘の斜面一面がそのようなバラックで埋め尽くされたのを見た。
疲れてウトウトしていたのでわが目を疑った程である。そのバラックの集落の傍では、放牧されているヤギと牧童を見た。ベトウィン族だろうか?
ベツレヘムで見たパレスチナとは比較にならない貧困の深淵を垣間見た気がしてドキリとする。こちらは物見遊山で死海で泳いだ帰りだと言うのに。

一旦、宿に戻ってから、晩飯を買いに行こうと広場の方へ行くと、広場の出入り口に柵が張られ、警官が見張っていた。
過激なユダヤ主義者がゲイ・パレードで障害を加えた事件は知っていたのですぐに状況は呑み込めたが、反イスラエル(反ユダヤ)の集会である。
旅行者としてはこの手の場所に近づかないのが鉄則であるので引き返し、ピタを買いに行くことにする。
ピタというのはパン生地みたいなもので、具をいろいろ選べるのである。生地が厚いタコスと言った方がしっくりくる。
これがえらく美味い上にハーフサイズだと11NISしかしないのだ。凄く素敵な食べ物を見つけたと喜んでいたが、後で見るとガイドブックにもバッチリ書いてあった。

スーパーで買ったコーラを飲みつつ、ピタを食べながら街を歩く。日曜の夜だが街は賑やかだ。
この数日を振り返っていると、イスラエルの旧市街や聖墳墓教会などを見て無邪気に感動していたが、徐々に熱が引いていくのを感じていた。
ベツレヘムは勿論、ナザレやエルサレムでも、パレスチナの旗を多く見た(日本はパレスチナを国家として承認していないが、所謂『国旗』に相当)。
一方で、ユダヤ正統派の真夏の日差しのなかでも黒ずくめのロングジャケット姿に異様な印象を持つのも否めなかった。
それは、例えばヨーロッパを旅していて列車の中で旅行者同士での会話が始められた時に、ポーランド人やセルビア人がいた場合に感じられる空気の『濁り』のようなものとは異質のものだと思った。
(おそらく私が気付かないだけで、日本人に対してもそういう『濁り』のようなものはあるのかもしれない。私が日本人である限り、『日本人がいない場合』というものに遭遇しないので解らないだけだ。)

・・・疎外されている人間が疎外されていることに気付かないことはない。
一方で、国を持たぬことはロヒンギャ族を見ても解るように言いようのない不幸なことである為、イスラエル人の言い分も理解はできる。とはいえ同時に、そのために住む場所を追われている人々がいるのも事実だ。
そう思うと、いろいろと旅行者を気遣ってくれるイスラエル警官でさえも、チベットでの中国武装警察のように思えてきてしまう。
・・・この問題は、当分解決をみない。日本人には真に理解することすら難しい深いものなのだろう、きっと。

すっかり憂鬱な気分になっていた私は、もういちどスーパーに戻り、ビールを買ってから帰ることにする。

■■■■
翌日は、イスラエル博物館で死海文書などを見てからエルサレムを後にし、テルアビブに戻って一泊した。
テルアビブではカルメル市場近くのパスタ屋でビールやコーヒーを飲んで半日をぼんやり過ごした。

因みに、イスラエル人にとって「イスラエルの首都」はエルサレムであるが、アメリカや日本はこれを認めていないので、我々にとっての「イスラエルの首都」はテルアビブのままである。こういった歪みが随所に見られるのが、この国の特徴だ。

今回の宿は共有スペースにコーヒーディスペンサーもあり気に入っていたが、飛行機が早いので5時半には立ち去る。
ずっと晴天続きだったが、最終日になって初めて曇りとなり、時折、雨滴が顔に当たる。

飛行場では自動チェックイン機で簡単に手続きを済ませられたので、そのままゲートに向かったが、どうやらチェックインカウンター横のセキュリティーエリアに気付かず、すっ飛ばしてしまったらしい。
パスポートにセキュリティー確認済の黄色いシールが貼っていないのを咎められる。いや、普通に進んできただけなんですけど。(だったらセルフ・チェックインの意味ないがな。。)

係員がすっ飛んで来て、「ちょっと来い」と言われ、私だけゲートの列から出され、カウンターの前に呼ばれる。
そこから猛烈な質問攻めである。入国より出国の時が何故に厳しいのかは謎ではあるが、これまでのイスラム諸国への入国理由などを中心に細かく聞かれる。荷物も、全て一つ一つ入念にチェックしている。
さすがに、洗濯物は袋から出さなかったが、袋を上から入念に触り、金属等が入っていないかを調べている。
私としては、「これは○日目に履いたパンツで、これは○日と○日に履いたパンツであります!」と熱弁を振ってやろうと身構えていたので少し残念な気持ちになる。

入国履歴については、下手にリサーチの話などするとこじれてしまうので、全て「一人で観光」で押し通し(嘘ではない)、検査に協力的であることをアピールする為、終始笑顔をキープ。
これが奏功したのか不明だが、人によっては数時間にも及ぶこともあるらしい検査を私は15分ほどでクリアし、黄色いシールを貼ってもらった。

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【恐怖:免税なのに日本より高い1カートン】

■■■■
以上が、今回のイスラエル旅行であった。もともと(一般的に持たれている印象よりは)安全な地域ではあるが、無事に帰ってこられて何よりである。

いつもながら、旅先では多くの人に助けてもらう。今回も例外ではない。
ほんの数名から親切を受けただけで、その国の国民の気質を語るのは危険だが、少なくとも私にとってイスラエル人はなべて親切であった。
(ちょっと列車の改札口でまごついているだけで、いろんな人が「こうするんだ!」と身振りで教えてくれたりする)

だから、私も日本で困っている外国人を見かけると、必ず声をかけるようにしている。
言葉が解らなくて、結局、何の役にも立たないこともあるが、それでも気持ちは伝わる(と思っている)。

私が旅先で得る最大の収穫とは、実はこの点なのかもしれない。

※参考:wikipedia「パレスチナ問題」




プチ社長日記:『イスラエル漫遊記#2』の話

テルアビブはテルアビブ・ヤッフォと言われるように、ヤッフォという南の古い町からスピンアウトしたテルアビブという街が、
今やヤッフォを吸収して都市圏を形成しているそうだ。なので、南の方が建物は古い。
街ができてから100年が過ぎているので、再開発も行われている。
ショッピングモールなどでのセキュリティ・チェックが厳しいことを除けば、スペイン辺りのタンジールなどに雰囲気は似ているように思った。

空港から最寄りの駅まで鉄道を使い、そこからは歩いて宿まで行くことにした。途中でテルアビブ美術館に寄る。
重い荷物を預かってくれて、室温・湿度調整が完璧で、基本的にwifiが使えてコーヒーや酒を静かに飲める場所、、、ということで美術館は旅行者の味方だ(と勝手に思っている)。
ここは展示物も素晴らしい。現代美術展示が非常に充実している他、お国柄シャガールの作品が豊富なのが面白かった。建物自体は、少しヘルシンキ美術館に似てるかな、という感じだ。


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【テルアビブ美術館】

宿に着き、一休みしてからヤッフォ方面へと散策する。
テルアビブは地中海に面している。因みにイスラエルはこのほかに死海、紅海に面している。海岸沿いは一大マリン・リゾート状態である。
さらに海岸線沿いに歩くと、右手に小さな岩が見られる。
ガイドブックによると「アンドロメダが縛られていた伝説のある岩」とある。
・・・いやはや、これはないだろう、ないわ、というのが感想である。
ご存知とは思うが、アンドロメダ伝説というのは、ギリシャ神話の一話である。

***
余りにも怖い形相故、見るものを石にさせる蛇女メデューサ。鏡の盾を使ってメデューサ自身を投影させ、それを倒したのが英雄ペルセウスである(自分の姿見て石になるメデューサもどうかと思うが)。
その英雄が神馬ペガサスで帰還する最中、嵐の海で岩に括り付けられたカワイコちゃん(アンドロメダ)を発見!
見ると彼女はくじら(化け物)に食われそうになっている。・・・なんでこんなことになったかというと、お姉ちゃんのカシオペアが、「妹のアンドロメダは女神より可愛いのよ」とか余計なことを言って神の不評を買ったからなのであるのだが(それで差し出されるのがなんでカシオペアでなくてアンドロメダやねん、とも思うが)。
・・・で、その危機一髪のアンドロメダに対して、「結婚してくれたら助けるけど、どうよ?」と相手の弱みに付け込む提案を呑ませ、袋に入れていたメデューサの首をくじらに投げつけ、哀れくじらは石化して海に沈む。。。そんで結婚、よかったね、という話である(化け物が化け物の首見て石化するのもどうかと思うが)。
***

私が天文部部長だったのは25年以上前の話なので、細かい所の記憶は微妙だが、まぁ、そんな話である。
因みにこの話、カシオペア、ペルセウス、くじら、アンドロメダ、ペガサスは星座になっている。ペルセウスは恒星アルゴルがメデューサの首にあたるので、厳密にはメデューサも星座になっている。

話が長くなったが、問題は「アンドロメダをくじらに差し出す為に、岩に縛り付けた」という部分であり、その岩とは怪物(くじら)の棲む洞窟の前だった筈である。
ところが、陸側には洞窟らしきものは何もない。すぐそばのビーチでは女の子がビーチバレーをしている。怪物が棲んでいる気配は全くない。
それどころか、くじらの棲家と思われる場所にはバースタンドがあり、私がそこでビールを煽っていると何故か店員がつまみを出してくれたり一杯余計に驕ってくれたりしたので、すっかり上機嫌である。
あれがアンドロメダの岩なんて、いくら何でもこじつけ過ぎだろ、と苦笑いだが、上機嫌なのでどうでも良くなった。
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【海辺のバー(奥に見えるのがアンドロメダの岩)】

■■■■
2日目は早起きしてエルサレムに移動する。鉄道好きとしては、バスに比べてあからさまに不便であっても鉄道を利用したいところ。
結局、期間を通じて3回鉄道を利用したのだが、イスラエルの窓口係の人は、毎回親切であった。プラットフォームや発車時間まで丁寧に教えてくれる。
そもそも人種が交じってる国なので、外国人に対して慣れているのかもしれない。
イスラエル人の殆どは複数語を操るという。ヘブライ語とアラブ語が王道だが、標識などは英語標記もある。4番手にロシア語、といったところか。英語は大概通じる。
ホームで列車を待っていると、北欧でお世話になった列車がやってきた。この「正面衝突ドンと来い!」みたいな、いや、むしろ「正面衝突したいんでしょ?ねぇ?」という独特の面構えの車両は一度みたら忘れない。
(この列車に限らず、イスラエルはノルウェーから多数の車両を輸入しているという。)

車窓は、なだらかな平地から山がちな景色を映したりと、なかなか見せるものであった。
ただ、エルサレムの駅が不便極まりないのである。そも3線しかない小さい駅のくせに、バスの停留所がわかりづらい。市中央に行くには駐車場を突っ切った坂の上の停留所なのである。そこには当然客待ちのタクシーが待っている。
一応、メーターの設置が義務付けられているが悪徳ドライバーが多いのは世の常である。断固としてバスを待とうと思っていたが、中国人男性1名とフランス人女性2名がタクシーの相乗りを提案してきたので乗ることにする。結果、64NIS(1NIS≒30円)だったので、一人当たり16NISとなった。初乗り1キロ=11NISと聞いていたので、トータルでは正直解らんが、一人分だと悪くない値段だ。
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【エルサレム駅(左が乗ってきた列車)】

新市街から旧市街の方へ歩を進めてくいると、旧市街の城壁が見えてきた。立派な城壁で、この辺の土地の景観を象徴する、ピンクがかった白っぽい石(エルサレム石)でできている。あぁ、やっと来たかと心が躍る瞬間だ。
城壁を眺めつつ、ヤッフォ門から旧市街へと入る。
門から入るとすぐのところに、宿を見つける。

■■■■
午後から旧市街の見どころを見学する。
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【ダビデ塔からの旧市街の様子】

狙いは『ダビデ塔』『聖墳墓教会』『嘆きの壁』である。どれも超一級の観光スポットであるが、この中ではやはり『聖墳墓教会』が圧巻である。ヴァチカンには何度か行ったことがあるが、それはキリストの弟子ペテロが葬られている場所である。一方で、本家ともいえるキリストの墓参り(?)をしていないのは何となく順序が逆な気がしてちょっと引っかかっていたのである。その願いが叶うのだ。
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【聖墳墓教会入口】

キリストの眠る『聖墳墓教会』であるが、ここは磔刑の場所であり、死後の清めの場所でもあり、埋葬の場所でもある。埋葬と言っても彼は死後復活し、その40日後に昇天したと信じられているので、その通りならば亡骸はないはずなのだが。。。
それはともかく、キリスト教徒にとってはここほど見どころがある場所はない。何しろフランス南部トゥールーズに本拠を持つアルビジョワ十字軍や巡礼団なども訪れるほどの魅力である。当時の旅行は命がけなので、途中でバンバン倒れて死んでいく記述が残っている。それにも拘わらず、引き寄せるものが、ここにはある。
去年、私もトゥールーズを訪問し、その後バスと鉄道でイスタンブールまではやってきた。シリアとイラクでアラビア半島の入口が塞がった状態なので今は断念せざるを得ないが、平和になった暁には十字軍にならってイスタンブール〜エルサレム間の陸路を完結したいと願っている。無論、彼らのように徒歩ではないが。

それほどの場所ではあるが、教会自体は驚くほど普通サイズである。寧ろ小さい。ルネサンス芸術で煌びやかなヴァチカンとは比較にならない。ただ、地下が発展しているのが素晴らしい。テルアビブと違って内陸にあるせいだろう。空気が乾燥しているので、日差しは刺すような強さで厳しい暑さだが、日陰に入ると驚くほど涼しい。教会内部、それもキリストの墳墓の場所に入ると鳥肌がたったが、それは温度差だけではないだろう。キリスト教徒ですらない私ではあるが、周囲の人々の祈りの真摯さと歴史に心が打たれる。

幸い、時間がよかったのか、すんなりと棺のあるところまで入ることができた。先に入ったおばさんに目で促されるままに、私も跪く。かつての巡礼者のように艱難辛苦を乗り越えてここに跪いた人々の気持ちを思うと、申し訳ないようないたたまれない気持ちもするが、その場所に自分もいることの喜びが勝る。

■■■■
旧市街の良い場所に宿がとれた為、半日でエルサレム旧市街の多くを見て回れたことに気をよくして部屋で寛いでいると、酔っぱらった男が部屋を間違って入ってきた。なんと日本人である。イスラエルで最初に見た初めての日本人が彼であった。躊躇なくドアを開ける彼の鷹揚さと、鍵を締めない私のいい加減さの邂逅が織りなす奇跡の出会いではあったが、話をしたところ彼はこの宿のヘビーユーザーであるそうな。困ったことがあれば聞いてくれと爽やかに去って行った。
夜中にもう一度、『嘆きの壁』を見学してから眠りにつく。

プチ社長日記:『イスラエル漫遊記#1』の話

アタテュルク空港(トルコ)にきている。
朝の4時だというのに24時間空港だけあって普通に免税店も営業している。結構、街の中心部に近いのに24時間空港とは至って羨ましい。
まぁ、時間が時間なのでよくよく見ると、ベンチや床の隅っこで寝ている人間がゴロゴロいるのだが。

成田は昨日の22時半のフライトだった。
成田には23時までに離陸しないといけない(23時を超えると朝まで待たないといけない)ルールがあるので、
ちょっと不安ではあったが、空港は夏休みだというのにガラガラで、寧ろ前倒しでの離陸となった。

良い時間のフライトだったので、特に映画を見ることもなく、目覚めるとすでに機はウラル山脈南部に差し掛かっていた。
座席の航路図ではちょうどドネツク上空を経て、クリミア半島上を通過することになっている。かつてマレーシア機が撃墜された場所である。
「どうすんのかな?」と思って眺めていたものの、やはり機は大きく南を迂回することになった。
競争に鎬を削る航空会社としては、燃料代が勝敗を左右する筈である。とはいえ安全には替えられない。
こんなとこにも紛争コストがかかっているかと思うとしょんぼりである。
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【さすがに迂回】

トルコでの乗り換えは2時間待ちである。朝の8時にイスラエルのテルアビブにつく。
イスタンブール発テルアビブ。。。昨今、ISとクルド人の双方に対して強硬姿勢を打ち出したトルコに対して、
彼らがテロによりダメージを与えるには格好の路線ではある。
いきおい、怪しそうな人間が周囲にいないか見渡すのだが、ジャージにパンジャービ(パジャマの語源になった、インドの貫頭衣)を着てる私が、
どう見ても一番アヤシイので安心だ。


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イスラエルへの入国は、拍子抜けするほどあっさりしており、簡単に入国カードが渡された。
入国カード.JPG
【入国カード】

入国カードといっても名刺くらいの大きさの紙である。代わりにスタンプはパスポートに押されない。
イスラエルに行ったことのある方には、このスタンプ問題は常識ではあるが、今年になって少し制度が変わっている。

そも、イスラエルの存在を認めないアラブ諸国の一部では、パスポートにイスラエル入国の痕跡があると、
「おまえ何イスラエルとか行ってんだコラ」と入国を認めないという事実がある。

かつてはイスラエルでも普通にスタンプが押されていたのだが、これでは当該国に行く予定のある人間は困るので、
イスラエルでは入出国の際に「パスポートにスタンプ押さないで!」と頼むと別紙に押してくれるというWスタンダート的なルールを便宜で適用してくれていたのだ。
これが今年から一律入国カード制に変わったのである。

ただ、これでアラブ諸国の入出国に問題がないかといえば、そういうこともない。
たとえば、ペトラ遺跡を見るためにヨルダンに入国すると、当然ながらヨルダン側に「陸路入国」のスタンプがつく。
どの場所から入国されたかも記されてしまうので、バレるというのである。
私は陸路での国境越えの旅が大好きなのだが、今回はイスラエル一国にとどまることにしたのは、上記理由による。
実際にヨルダンやエジプト側の陸路入国スタンプで断られたという日本人の意見を聞いたことはないのだが、用心にこしたことはない(※)。
まぁそれでも厳密に言うと、日本の入出国のスタンプが日付入りで残るので、空白期間からイスラエル滞在が炙り出される可能性はあるが、
さすがにそこまではすまい、という詰めの甘さは残るのだが。

※検査官はプロなので、パスポートをざっと見るとどこに行ったかはすぐ読み解いてしまうようだ。
実際、イスラエルの出国時検査では、私のパスポートをざっと見ただけで、モロッコなどのイスラム諸国の入国を完全に押さえていた。


もっとも、イスラエルの入国履歴があると入国させてくれないアラブ諸国とは、イラク・シリア・イエメン・レバノン・スーダンである。
イラク・シリアなどは「そもそも当分は行けないっしょ」となるので、殆どの人は気にしなくて良いだろう。
ただ、スーダンに入国できないのは痛い。
私の「死ぬまでにやりたいことリスト」の中に確実に入る「アフリカ縦断」において、アフリカ大陸北東にあるスーダンは要の場所なのだ。
アフリカの西側を縦断するのは治安や疫病リスクが高い。一般的には東側ルートになるのだが、そうなるとスーダンはルートから外せない。

今回、イスラエルからヨルダンやエジプトに陸路で抜けたとしても、私のパスポートはあと5年で失効する。
そうなれば証拠は消えうせるし、無理にやるなら故意にパスポート紛失届を出して再発行でもよいだろう(非常に面倒だが)。
でも、「あと5年以内にアフリカをブチ抜いてやるぜ!」と自分を奮い立たせるために、今回はイスラエル一国のみの訪問とし、
その分、(次回来るときは短日程でも大丈夫なように)主要なところは押さえようという目論見だ。
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【外務省安全ページより:何だかんだ言って割と安全!?】



プチ社長日記:『次の廃語辞典の最有力候補:ニッキィ』の話

日経の記事を読んでると、たまに目にするくだらない記事に限ってニッキィがどうとか書いてある。(下記)

■ニッキィとは 日経を日ごろからよく読んでいる女性の愛称です。日本経済新聞社は毎週、経済通、世の中通を目指す読者を本社に招いています。詳しくはhttp://www.nikkei4946.com/nikkey/をご覧ください。

正直、活動自体は悪くないと思うのだが、そんな愛称を他で聞いたことがない。
経済通、世の中通を目指す読者が「為替はどうして動くの?」とか質問するものだろうか?
リンク先を辿って動画を見ると、そういう質問をして「周囲にアピールしちゃおう」的なアナウンスが流れている。
いいからやめておけ。

いずれにせよ、もうちょっとマシなネーミングはなかったのだろうか?
まぁ、私もその手のセンスは無い方なのだが。

*****
清水義範氏の名作短編集『ことばの国』の『廃語辞典』は廃語を丁寧に解説したものである。中でも私の一番のお気に入りは『E電』である。『国電』に代わる名称として公募され、なぜか『ぱっとサイゼリア』の宣伝(ファミレスの宣伝ではない)の小林亜星氏などが選んだ用語だが、そもそも『イイ電車』に由来している(エクスペディアではEnjoyなどと書いているが、当時の報道で私も『イイ電車』と聞いた記憶があり、最低のセンスだな、と呟いたのを覚えている)というマヌケな由来から、見事なくらい定着しなかった。そりゃそうだ。定着しなくてホント良かったと胸をなでおろし、日本人の言葉のセンスの正しさに光明を見る思いである。

今、もし私が『廃語辞典』の改版を依頼される立場だとしたら、是非推したいのが『オーストリー』である。
かつてオーストリア駐日大使館商務部が「Austria」の日本語表音表記を「オーストリー」へと変更すると突如宣言。これについては私も過去のブログで書いた記憶がある。
当時から、その変更の理由が『だって、オーストラリアと間違われやすいから』という中学生レベルである点に香ばしさを感じていたが、各報道機関はこれを見事に黙殺。音速の廃語化を遂げている。(しかもオーストリア通商部のサイトのリンクが今はもう切れている。なかったことになっているようである。)
いや良かった。胸をなでおろし、日本人の(以下略)。

そして今、私が次の廃語候補として挙げるのがニッキィである。
これからも生暖かく見守りたいと思う。つーか、もう廃語でいいんじゃないか、これ。





プチ社長日記:『ひさかたぶりにスキー』の話

いつもつるんでスキーに行っていたメンバーだが、なんだかんだと忙しく、そのうちメンバの子供の出産なんかもあって、3年振り(多分)のスキーへ。

一人が育児だったので、ザ・オリジナルの3名の予定となったのだが、一人が前日に食あたりとなり、すわ2名でキャンセルかとなったが、まぁ、そこは長年の付き合いの気の置けない仲間なので「まぁ、オッサン2人でもいいんじゃねぇか」と行くことに。

目的地は白馬コルチナスキー場。
なんでそこを選んだかと言うと、かれこれ25年ほど前に行って、それなりに良かった記憶があったからである。25年前というと高校生なのだが、当時はまだ最新鋭のスキー場であり、そもそもスキーというスポーツに人気があり、活気に満ちていた煌びやかなイメージが残っていたのである。

ネックは交通の不便さ。
南小谷駅という目的地には、新宿からの直通だと特急(あずさ)が1本あるだけであり、それも4時間ほどかかる。なんで長野でそんだけかかんだよ。
その1本を逃すと、目も当てられない。何しろ乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎで6時間かかるケースもある。
無論、予約に関してはその1本をゲットである。我ながら名幹事ぶりよのぅ。

ところが、その一人が時間にこない。
これだからア○セ○チュア社員は。俺もだけど。

で、悲しきかな酒宴で盛り上がる車内で4時間、私は一人きりなのである。
特急の名前は「あずさ」。「8時丁度のあずさ2号で〜♪」のあずさであるが、増便されているらしく、私が乗った7時半発で3号である。で、どうやらあずさの中でもこの時間帯で最も遠くまでいくのがこの「あずさ3号」であるから、演歌の元になったのはこの特急かと推察する。なるほど、遠い。距離にしてはさしてない筈だが、車窓からは凍った湖面でワカサギ釣りに興じる人なんかが見えて、異世界である。
ちょっとこっち方面に逃げ込まれたら、追いかける気力を出すにはよっぽど魅力的でなければ厳しい。
そんなことを考えてようやく到着である。

ホテルグリーンプラザ白馬、うーん、、、さすがに25年の歳月はだませないものの、今見てもそんなに見劣りはしない。受付で、「当ホテルのご利用は初めてですか?」
「や、2回目です。」
「そうですか、それはありがとうございます。」
「・・・25年前ですけどね」
「!!」
とかいう会話もまた楽し。

因みにその頃、相棒はようやく起きて長野に向かって6時間の行程を驀進中。
結局、ナイター合流となったので、それまで私は一人、ゲレンデで滑ることにあいなったのであった。
まぁ、なんだかんだで結局楽しかったんですけどね。

ski1.JPG
(やっぱ自然は全然変わんない。あぁ、こんなだったなぁ、と想い出に浸ることしきり)

ski2.JPG
(遅れて参上の朋友。既に周り暗いし。)

プチ社長日記:『業務連絡:今、北欧あたりにいます』の話

すんません。先日、と言っても1週間以上前ですが、北欧辺りを回っております。
ヘルシンキ(フィンランド)⇒タリン(エストニア)⇒ストックホルム(スウェーデン)⇒オスロ(ノルウェー)⇒ベルゲン(ノルウェー)⇒オスロ(ノルウェー)⇒コペンハーゲン(デンマーク)と来て、ベルリン行の夜行に乗っております。

何となくワルシャワ・アウトにしてたのですが、facebookで旅慣れた方からリトアニアを絶賛されたので、そのままバルト三国見て、ヘルシンキ・アウトに変更しようかと考え中です。
「いつまでふらふら遊んでるんだ!」と叱責を賜りそうですが、ふらふらではなく、本人は至って真剣に遊んでおりますので、今しばらくご容赦ください。

と、いう訳で、諸々、滞ってますが、帰ったら片付けます。

以上、宜しくお願いいたします。何を。