プチ社長日記:『カテゴライズ甘ぇよ』の話

俺が知りたいのは、仕事を『やらない人の脳』なんだけどな。

プチ社長日記:『SAKURAコンシェルジュ』の話

廣岡絵美女史の率いる株式会社UA-Links様の新規事業「SAKURAコンシェルジュ」のサイトを作成しました。
どうやら世間も夏休みらしく、私が自らボケ防止を兼ねて1日半で構築しました。
つっても、素材の提供を受けていたので楽勝でしたが。

無論、「走りながら作る」という、原則に忠実なので、現時点ではお見苦しい所も多々あります。

今回は、単純なweb作成代行ではなく、出資予約権を留保する形でのスキーマにしてみました。
先方との信頼関係が重要で、今回は手探りでしたが、ファクタリングなどを上手く利用すれば、今後、このスキーマで展開できるかもしれないなぁ、と考えております。

サイトデザイン最終化や運営は、UA-Linksに引き継ぐ想定です。

いやぁ、やっぱ元気のある会社は、見てて楽しいですわ。(自分のとこは休んでるけど)


■SAKURAコンシェルジュ
企業に在籍する女性社員の「モチベーションアップ」に徹底的にこだわった、日本初のサービスです。

プチ社長日記:『うむむ』の話

ちょろちょろ小さな案件は手掛けているが、本当に進めたい方向の話に限って頓挫する。
気晴らしにまたぞろ旅行でも行こうかな、と思ったが、いつの間にやら夏休みでいろいろ混んでいるし。。。

一日中、机の前に座って、何もアイデアが湧かない日が続くと精神上よろしくないねどーも。

プチ社長日記:『アジェットやっちまったな』の話

マザーズ上場企業のアジェット(7853)から目の覚める糞リリースが出ており、酒が進みます。
とっとと潰れてほしいですね。つーか、既に現在返済できていない債務の期限が来たらアウトでしょうけど。

第三者割当、役員異動、その他関係会社の異動の中止および資金借入、子会社新株予約権付社債の買入償還の未実施に関して


因みに『株式会社アイランド』のHPはこちらですが、『株式会社アイランド・インベスト』(II社)には、HPもなく、アイランド社のHPに記載のある「アイランドグループ」にも掲載されていません。どういう繋がりなんでしょうかねぇ。II社の代表「社員」の佐久間英徳氏は7/30にアジェットに役員として迎え入れられようとしていたようですが、詳細は知りません。まぁ、こんな会社どうでもいいですし。
昨年破綻した経営コンサルのスカイハート代表と同一人物かどうかは不明であります。

まぁ、あれですね。「貧すれば鈍する」ということでしょうか。
怖いですねー。。。そこを反面教師として活かしたいと思います。


【引用】
当社では今回の本件第三者割当の増資に先立って、7月14日付けの「資金の借り入れ、借入金返済および営業外費用の発生に関するお知らせ」で実施した旨の開示を行った資金の借入に関してですが、割当予定先である株式会社アイランドインベストメント(以下、「II社」といいます。)から7月14日付
けで資金の借入(349,998千円)を実施する予定でした。この借入金は、本件第三者割当の新株発行の現物出資(デット・エクイティ・スワップ(以下、「DES」といいます。)として払い込まれる予定でした。尚、実際に借入を実施していないにもかかわらず、実施した旨の適時開示を行ってしまった原因は、7月14日(開示日当日)の午前中にII社の代表社員である佐久間英徳氏(以下、「佐久間氏」といいます。)と、金銭消費貸借契約書に関する締結を行った際には振込に関して問題無い旨の確認を取っていたため、開示時間前での着金の確認を怠ってしまったためであります。
しかしながら(中略)7月15日午前10:00の時点でII社から借入金の振込が確認できなかったため、佐久間氏に確認したところ、本件第三者割当の資金提供元である株式会社アイランドから資金が振り込まれないため、当社にも振込ができない旨の回答を得ました。また、株式会社アイランドの代表取締役である亀頭隆行氏(以下、「亀頭氏」という。)は18日まで、海外出張のため詳細確認が取れない旨の連絡を受けました。(中略)
その後7月19日の午前9時30分に、亀頭氏、佐久間氏含めミーティングを行い、7月14日までに349,998千円の振込をしなかった理由と、今後当該349,998千円の提供と7月31日払込み予定の新株式の払込金額200,002千円、新株予約権発行時の払込金額9,000千円の合計559,000千円の資金確保が可能かどうかを亀頭氏に確認しました。亀頭氏の方からは、7月14日に振込を行わなかった理由に関しては、当該資金に関しては佐久間氏の方で用意できる旨の連絡を受けていたため準備をしていなかった旨の回答を得ました。(中略)
この借入金によって予定していた7月14日付け「子会社発行の新株予約権付社債の買入償還に関するお知らせ」でお知らせした、子会社の新株予約権付社債の買入償還に関しても実行されておりません。また、戸田泉氏および株式会社りく・マネジメント・パートナーズおよび横田行夫氏に対する借入金の返済に関しても実行されておりませんので併せてお知らせいたします。

プチ社長日記:『もう今年も折かえってるのかよ』の話

『真面目にやらなきゃいけないのに、いつの間にか夏になった。。。
あっちこっち出歩いてるのが、あんまり楽しくてさ。。。』
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あちこち種は蒔いてるのですが、モノになるかは運次第なところがあります。
因みに、オーバーホールは今月一杯はかかりそうです(笑)。。。

『ハワード・ベーカー元駐日米大使死去』

謹んでご冥福をお祈りいたします。
本当に、お疲れ様&ありがとうございました。

東京・赤坂にある大使公邸で「タイシ」と名付けた犬を飼い、夫人と共に浅草や、街中のトンカツ店にも足を向ける親日家だった。小泉純一郎政権の官房長官として気脈を通じた福田康夫元首相は飾らない人柄を「きさくなおじさん」と表現し、絶賛した。

 マンスフィールド氏と同様、日米を「世界で最も重要な二国間関係」と語り、駐日米大使を「最も輝かしいキャリアの一つ」と公言した。日本にとってかけがえのない真の友人だった。

プチ社長日記:『うーん』の話

ちょこちょこと投資や仕事の話も舞い込んで来るのだが、
順調に行っているもの、そうではないもの、まだ始まってすらいないもの、いろいろである。

あまり口を出さず、過度な期待もせず、できるだけ黙って見ていようとは思うのだが、
どうしてもいろいろ言ってしまう。

一方で、ちょっと困ってるから話を聞いてくれ、と出かけていくと、そもそも困ってる原因はその会社のやり方ではなくて、業務で使用しているサービサーの方だったりで、何とかしてあげたいと思ってもフックが見当たらないですね、としか言えなかったりである。

ただまぁ、全体的に景気が上向いてカネが動いてるのだなぁ、というのは実感できる。

ま、だからと言って、今日明日どうかなるもんでもないんだけどさ。

プチ社長日記:『雨が降っていると・・・』の話

異様に眠い。
昔からそうなのだが、雨降ってると眠い。。。
昔、空手で痛めた膝が痛くなる時もある。
それでも、雨は嫌いではない。

朝起きて、ちょこちょことポートフォリオ触って、寝る。
いろいろ案件調査して、人にも会ったりしているが、芽が出ないときは「寝てた方がマシだったよね」と思ってしまうタイプなので、戦略的選択の結果として寝ている、という事にしておこうか。

果報は寝て待て、とも言うしね。

プチ社長日記:『インド・ネパール国境越え:パトナー・ルクソール・ビルガンジ経由(没稿リターン)』の話

目の前で大きなプロペラが回っている。
自分の着ているクルタの襟が震えるほどの強風に吹き付けられているが、寒くはない。

そのプロペラが、ぬるい空気を撹拌するだけのシーリング・ファンであると気付くと同時に、倦怠感が体を襲う。

ベッドから起き上がり、宿の廊下にでる。向かいの部屋のドアを確認するが、施錠されている。
廊下から外階段に出て眼下を見下ろす。
錆びついている手摺は、おそらくその本来の用途を成さないだろう。試す気力もない。
手摺には触れず、持て余した手は左脇腹を掻く。またダニにやられたようだ。

廃墟となった建物の隙間から太陽が見える。
夜明けだ。
昨晩には瓦礫とゴミだらけにしか見えなかった地上には、よく見ると子供たちが当てもなく歩いていたり、牛がのっそりと歩いているのが見える。
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「何で、こんなところに来たんだっけ?」
無論、自分の意思で来たのだが、それでもここに来たのが幸運にも、不運にも思える。

このルクソールというネパール国境に近い街にたどり着いたのは、昨夜21時過ぎだった。

***

「今度、インドに行ってみようと思っているんですよ。」、、六本木のバーで、私が在籍していた会社の先輩に言ったのは、
出発の2日前だった。厳密には夜中なので1日前である。

先輩は社用でネパールのカトマンドゥから帰ってきたばかりだった。
実直で部下の面倒見のよい、尊敬できる先輩だ。

その先輩が「カトマンドゥ、良かったぞ。おまえも見て来い。」そう言ったのが、そもそもの始まり、である。
「カトマンドゥって、インドの左上でしたっけ?」
「馬鹿、右上だ。」
「あ、そうですか。じゃあ、行けそうですね。行きます。」
というので、当初インドだけを見る予定が、急遽ネパールへ足を伸ばすことに変更したのだ。

もともと私は運動会(体育会のことを我が母校ではこう呼ぶ)気質なので、先輩のいう事は絶対なのだ。
別に強制されている訳ではないのだが、世界中を見ている先輩が言うのだから、カトマンドゥとはきっと良い街に違いあるまい。

勿論、すんなり回答できたのには、多少の願望や勝算めいたものがあったからだ。

まず、インドの「右上」ならば今回の『コルカタINのデリーOUT』を予定している旅の前半のイベントになる筈である。
前半ならばトラブルに対応しやすい。それに、たかが一国の国境越えである。
私はその1ヶ月前までヨーロッパを旅行しており、その旅だけで、のべ25回の国境越えをしている。
勿論、ヨーロッパでの国境通過は比較的容易であり、特にシェンゲン協定加盟国間では何のチェックもない場合がある。あってもパスポートを見せる程度で、その相手も国境審査官というよりは鉄道の駅員といった趣だ。

その程度だから、ヨーロッパにおいて国境を越えるかどうかは、その朝に目覚めた気分次第でどうとでもなった。
今回も、ネパールではアライバル・ビザが取得できることだけ確認し、後は現地に行ってから考えよう、インドだけでもつまらないし、丁度良いや、と思っていたのだ。

***

本来、旅は予定通りにならないものだが、早速、目論見違いが生じた。

インドへはコルカタから入ったが、ここの宿は(その表示とは違って)wifiが入らなかった。
多くの旅行者にとって、これはつまりインターネットが見られないことを意味し、コルカタでの情報収集が満足に出来ないことを示していた。
それでもヨーロッパなら、スターバックスやらマクドナルドで簡単にフリーwifiに繋がるのだが、コルカタではそういう店が極めて少ない上に、ややこしい手続きを必要としていた。これは実は日本でも似たような事情であるので、インドを悪く言うつもりは無いが、まともにフリーwifiが繋がる場所を公共の場所で見つけるのはなかなかハードルが高い。
辛うじて洋書屋の喫茶コーナーでアクセスできる箇所を見つけ、そこがネット上での唯一の情報源となった。
外国人価格でコーヒーを提供する店ではあるが、足繁く通ったので僅か3日で「またカプチーノかい?」と言われる様になってしまった。

そこでのネット情報によると、インドから陸路でネパールを目指す場合、幾つかのルートがあるが、メジャーなのは、バラナシ〜ゴーラクプル〜スノウリとインド側を移動し、スノウリからネパールのバイラワに入り、そこからカトマンドゥに入るルートが一つ。それと、コルカタ〜パトナー〜ルクソールとインドを移動し、ビルガンジからカトマンドゥに至るルートがもう一つ、といった様子である。

丁度その時、コルカタで知り合ったインド人がパトナー出身であった為、情報量としては多いであろうルクソール経由を選択することにした。そもそも地図の直線距離で見ても近そう、というのも魅力的だった。平たく言うと、安易に決定した。

後になって解ったのだが、インドに2年在住している邦人に聞くと、インドからのネパール国境越えは、圧倒的に前者のゴーラクプル経由ルートが良いとのことであった。そもそもルクソールまでの道が非常に悪く、治安も良くないというのがその理由である。
(パトナーのあるビハール州はインドの中でも最も貧しい州であり、停電も頻発し、自由旅行がハードということも、ガイドブックの端っこに書いてあった。これらの情報は、後になって恐ろしく正確であったと思い知らされることになる。)

それでも、ルートが決まった私は、意気揚々とコルカタ駅から夜行に乗り込み、パトナーに向かったのであった。

***
朝の5時頃にはパトナーに着く筈であった。しかし、到着予定時刻を過ぎてもそれらしい駅に着かない。地方へ行くと駅の看板にも英語表記はなく、ヒンディー語のみになるので、駅に停まる度に「ここがパトナーか?」と乗り合わせた乗客に聞く羽目になった。
余りにも聞くのでウザいと思われたのか、指折り数えて「今から4つめの駅だ」と教えてくれてからは、私も少し大人しくなった。

結局、2時間半ほどの遅延でパトナーに到着した。夜行だから2時間半の遅延で済んだのかも知れないが、そもそも運行ダイヤがチャレンジングすぎるのではなかろうか?という疑問が拭えない。

着いてみると意外に大きな駅である。跨線橋を渡り、駅の北側に出る。(因みに日中の方角は全て太陽の位置から判断している。)
途中、ホームの屋根の上に、犬がいるのが見えた(下写真)。猫なら屋根の上にいるのは不思議ではないが、どういう塩梅で犬が上がってこれたかは謎である。
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パトナーからガンジス川まで1.5kmほど歩いて付近を観光した後、ルクソール行きのバスを捕まえるため、駅の南側まで戻り、そこから乗合オートリクシャーでぎゅうぎゅう詰めの中、2kmほど離れたバスターミナルへ向かう。乗合なので10ルピー(約20円)である。

ターミナルに着くと「May I help you?」の看板を掲げた警官の詰所がある。ルクソール行きのバスをどこで捕まえたら良いかを聞こうとしたが、私が話しかける前に中の(何もしていない)警官は手を激しく振って拒絶の意味を表した。因みに「May I help you?」の看板を掲げた詰所はその後もインド旅行中に何度か目にしたが、一度もhelpしてくれた試しはない。

バスターミナルと言っても、道路の端にバスが何台か停まっているだけなのだが、それでも中に入っていくと、インド人がわらわらと寄ってきて、「どこへ行くのだ?俺たちのバスに乗れよ!」と詰め寄ってくる。
「ルクソールに行きたいんだ。」というと、インド人達が顔を見合わせ「ルクソール行は、今日の朝の便は運行中止となって、夜行しかない。しかも選挙があるから、どこまで行けるかはわからない。このバスに乗れば途中のモティハーリというターミナルまで行くから、そこからルクソール行きに乗り換えろ。」という。
正直、インド人が自分のバスに乗せる為の口実だと思っていたが、周囲のインド人に聞くと皆、同じことを言う。
見るとエアコン付のバスで快適そうだったのと、夜を待つよりも明るい内に国境を越えられるかもしれないという期待から、このバスに乗ることにした。

因みに、丁度この時期、インドでは総選挙が行われており、それも与党交代が実現しようとする重大な選挙であった。
選挙が重大な治安の悪化や混乱を(特に地方において)惹起することを、私はフィリピンの生活で思い知っていた筈であった。
フィリピンのアロヨ政権誕生の時も、私はマニラやバコロドにいたのだ。
そこでは、対立候補を襲撃するなどのニュースや、現政権のイメージダウンを狙った事件(白昼の銀行強盗など)が多発していた。
日本では報道されなかったと記憶しているが、外国人が居住する高級マンションが占拠されたりもしていたのだ。
にも関わらず、その後の日本の生活に慣れきっていたからか、私は選挙があることをコルカタで知っていながらも重要視していなかった。

この時点で、,修發修發離襦璽帆択の誤り ∩挙の存在 というミスを犯していたのだが、その時の私は、少しでも国境に近づくことで頭が一杯であった。

何度かの休憩を挟み、6時間ほどバスに揺られたところで、車掌の男に「ここだ。降りろ。ルクソール行のバスはこの先を歩いたところで乗れる。」と言われた。
どうやらここがモティハーリという所らしい、手持ちのガイドブックにも載っていないので、モティハーリと言われても、何処のことだかさっぱり解らないのだが。

下車して周りを見渡す。てっきりバスターミナルを想像していたのだが、普通に道端である。それも、真っ直ぐな一本の道である。
かろうじて道の両側にバラックのようなものがあるだけで、バスはここでUターンして引き返して行った。
因みに道路は、途中からずっとそうであったが、舗装されていない。車が通過すると砂塵で目が痛い。

途方に暮れている暇もないので、近くのインド人にルクソール行のバス停はどこかと聞くと、「こいつが案内する」と言ってきた。案内と言ってもどうせ金を要求してくるのがインドである。まぁ、20ルピーくらいならいいかと思っていたが、彼らも連携が悪かったらしく、もう既に支払済みと思ったのか、案内した男は何も言ってこなかった。

その男に連れてこられた所は、先ほどの場所から200mほど真っ直ぐ行っただけで、単なる十字路である。
標識があって、真っ直ぐいけばルクソール、右はダッカと書いてあった。
とりあえず方向はあっていたようなので喜んだが、距離が解らない。そもそもダッカはここから無茶苦茶遠い筈である。つまり、静岡あたりで見かける「右に行けば東京、左に行けば名古屋」みたいな標識かもしれない。

事前にGoogleマップでもダウンロードしておけば、電話会社の電波を受信できる状態にいるだけで(通話料は発生しない)、現在地が把握できるのであるが、そもそもコルカタで十分なアクセス時間がなく、たとえあったとしても、基本的に紙の地図以外を使用しない主義からダウンロードしていなかったと思われる。それ以前に「何処か解らなくなる」状況にはならないと高を括っていたのも事実だ。

「今、自分が何処にいるか解らない」というのは「自分は迷ってしまった」というのと同じである。

さて、十字路にはジューススタンドがあったので、そこの庇に逃げ込み、ジュースをちびちびやりながらバスを待つ。
いろんなインド人に聞いたが、運悪く英語が通じないらしく、ジェスチャーから「日が傾くころにはバスが来る」ということだけがわかった。

個人旅行である以上、待つのも旅行の内と思ってはいるが、猛烈な暑さが容赦なく体力を奪う。

ここで3つ目の障害が立ちふさがる。つまりインドでの5月中旬は酷暑期 ということである。
そもそも月間平均最高気温が40度なので、今日の様に中旬で晴れていれば45度もザラにあるのである。

私は庇に身を隠して、バスが来るたびに交差点に飛び出し、「ルクソール行きか?」と聞くのを繰り返した。
だが、待っても一向にルクソール行きのバスは現れない。
ここまで来たバスから一緒に降りたインド人がいたが、彼はルクソールが目的地ではなかった。
彼にも確認したが、「バスがいつ来るかわからない」と言われるだけだった。それどころか、「ネパールの国境は、封鎖されてるんじゃないかな、だって、選挙だし。」と言ってきたのだ。

選挙で治安が悪くなるのは知っていたが、国境閉鎖まで至るはずはない、と考えていた。
少なくともインド〜ネパールの航空便が欠航しているとは考えづらいので、空路での入国手続きは実施している筈である。陸路だけ閉鎖されるなんてあるのだろうか?インド・ネパールの国境は、インド・パキスタンの国境よりも安定している筈である。
如何に貧しく、治安の悪いビハール州であろうとも、自国の経済にダメージを与えるようなことをする筈がない、と考えていた。
その考えは変わらず、「そういう可能性もあるかな。(でも大丈夫だ)」という程度の認識しかなかった。

でも、確かに中東で見かけるような、武装してターバン巻いている人間がピックアップトラックの荷台で運ばれているのを何度か見た。
「制服じゃないってことは、軍隊でも警官でもないんだよね、じゃあ何なのか?」・・・その辺は深く考えないことにした。

2時間も待っただろうか?バスが来るたびに日蔭から飛び出し、断られ、方向が同じなので半ば強引に乗ろうとすると押し出されることもあった。
「これでは明るい内に国境を越えるのが困難になってきた。ルクソールまで何とか辿り着いて、一泊しよう。でも、それだったら最初から夜行バスに乗っていれば良かった!!」後悔したが、夜行が運休にならない保証もないではないかと自分を慰めた。


乗合オートリクシャーの呼び込みの少年がいたので、ルクソール行のバスの話を聞いたら、「近くにローカル線の駅がある。そこまで連れていくから列車で行けば良い。」との返事が。鉄道なら少なくとも自分がどこにいるか解らない、という状況からは脱出できるだろうし、少なくともこんな灼熱の交差点にこれ以上待ってはおれぬ、とそのリクシャーに飛び乗った。(9ルピー(18円))

乗合リクシャーは客が一杯になるまで発車しないのだが、その乗客の内の何人かは英語が通じたので状況を話すと「バスを待った方がよくないか?そもそも国境越えられるのか?」と言う意見も出る。
自分でも「少し焦りすぎではないか?」と思ったが、このままでは埒が開かないので、とにかく駅まで乗っていくことにするんだと言った。

駅に着いたが、コルカタ駅と異なり、英語表記が一切ない。仕方ないので他の列車待ちの人間に聞きまくるのだが、要領を得ない。
線路なのだから、「こっちか?あっちか?」の2択しかない筈なのだが、英語が通じない、もしくは中途半端に通じているので、回答が一致しない。そうこうしている内に列車が入線してきた。これを逃すと次はいつになるか解らない。
近くの人間に「これはルクソールに行くのか!?」と尋ねるとYesと答える。とにかく乗るか、と思ったところ「それはルクソールに行かないぞ!逆方向だ!」と答える声が聞こえたので踏みとどまった。

声の主は家族連れで、来ている服も周囲のインド人に比べると垢抜けていた。
彼に礼を言い、「ではルクソールへはどうやっていけば良いか?」と教えを乞うたのだが、とにかく逆方向であり、しかもルクソールには直接行かないだろう、という回答であった。
確かに、ルクソールに列車で行けるなら、最初から列車でのルートがガイドブックなりに書いていそうなものである。
遅延が甚だしいインドの列車だが、それでも長距離の移動にはバスよりも軍配があがる(東ヨーロッパでは列車よりバスの方が速いが、それは道路が整備されているからである。)。
直接ルクソールに行けないとなると、やはりバスで行った方が良いのかな、と考えを新たにし、また乗合リクシャーに乗って元の十字路まで戻る。

日も傾き、少しは過ごしやすくなった十字路であるが、それでも暑い。
何度かバスが来ては駆け寄り、「ルクソールへ行くか?」と聞くのを無為に繰り返す。
「どうしてパトナーからの直行バスを待たなかったのか、直行便が運休だとしたらなぜ引き返さなかったのか」と再び悔やんだが、もう遅い。
そうこうしていると、白いシャツを着た爺さんも同じようにバス待ちしているのに気付いた。

近づいて話をすると、「選挙で混乱していて、バスが来ないんだ。いつもなら来るのだが。」と言う。
あぁ、やはり選挙のせいだったのか、と改めて思う。
彼はムンディと名乗った。(お互い様だと思うが)酷くなまっているので、正確には違うかも知れないが。
ムンディさんは、物腰柔らかく、外国人である私に非常に好意的だった。彼によるとここからルクソールまでは60kmほどあるが、彼の目的地はその手前15kmとのこと。インド人の距離感ほど当てにならないものはない(商売が絡む場合は特にそうだ)が、それでもざっくりと距離感が掴めたのは嬉しかった。とにかく、私は途中までムンディさんに付いていくことに決めた。残り15kmなら何とかなるだろう。
私は折れかけていた目標を再び掲げた。何としても今日中にルクソールに行き、国境を越えてやる。


とは言え、自分がどこにいるかも解らない有様なので、できる事はムンディさんに泣きつく事くらいである。
彼と私は暫くバスを待ったが、彼も埒が開かないと悟ると、「列車で行こう」と言い出した。
その手は2時間前に試したよ、と言いかけたが、今回はムンディさんがいるから何とかなるだろう、と思い2人でリクシャーに相乗りして再び駅に戻る。
駅に着き、彼が、「こっちだ」と示す方向は、先ほど私が誤って乗りかけた列車が向かう先と反対を指していた。

インド人は、嘘をつくというよりも、知らなくてもとにかく「自分が思ったこと」を言う国民だ、と理解した方がいいのかもしれない。
それが正しいかどうかは一向に気にしないのだ。少なくとも、そう理解した方が、インド人に対してやるせない怒りを抱くことはぐっと減る。

ところで、列車に乗る前に飲料を確保するのは、インドでは必須の儀式だ。

ムンディさんは、空きペットボトルに水道水を汲み置き、私は念のため売られているミネラルウォーターを買った。
こんな状況下で生水を飲んで腹をこわしたら目も当てられない。

二人でホームに向かったが、途中で足を引きずる乞食が何か言ってきた。
インドでは珍しいことではないので私は無視したが、彼は立ち止まり、ボトルの水を飲ませてあげた。
どうやら足が不自由なので水汲み場の蛇口に届かず、水が飲めないらしかった。

自分だけ安全な水を持っていながら、乞食を無視したことを気恥ずかしく思った。
勿論、事情が解らない「よそ者」である私たちにできることは限られているし、そこに付け込まれる事件も後を絶たないというので、無視したこと自体は間違っていないとは思う。注意を引かれる内に貴重品をスラれることなど、よく聞く話だ。
ただ、そういうインド人ばかりではない。ムンディさんのような人も沢山いるのだ、それを忘れてはいけないな、と自分を戒めた。因みに彼はインドでは少数派のムスリムである。

列車はほどなくしてやって来た。ローカル線の客室は最下クラスしか連結されていないが、それでも前へ進めるだけ嬉しかった。
さすがインド人のムンディさん、列車が入線してくれると窓の鉄格子ごしに自分のタオルを投げ入れ、場所を確保してから乗車する。
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インドの列車の窓には鉄格子が嵌められているのが定番だ。不正乗車防止の為だと思われるが、事故や火災の際は逃げ道を塞ぐことになる。どうやら、その辺は気にしないらしい。

車内は混んでいて、彼のおかげで私も座席にありつけたが、頭上の網棚には子供が寝ている。
とは言え、よく動画で見かけるように、屋根にまで登っている風ではない。

その網棚の子供や同席の人々全員が私を興味深げに眺め、何やら話をしている。
ムンディさんは彼らに私のことを紹介したり、いろいろ通訳してくれた。
「コイツはな、日本からわざわざ来たんじゃよ。」とか得意げに説明している風でもある。

ムンディさんが途中の駅で瓜を買って勧めてくれた。
旅先で勧められたものを口にしないのは、旅行者の鉄則だ。インドは今でも睡眠薬強盗の被害が多いと聞く。2〜3日かけて信用させる手口もあるので、まだ会って数時間しかたたない人物では尚更だ。
教科書どおりではそうなのだが、私は有難くいただくことにした。
その頃には車内の多くの人間が私のことを気に掛けてくれていたし、あのホームでの乞食に対する姿勢を見て、信用できると思ったからだ。
それに何より、信用しないと先に進めない。

列車はスゴーリ※という駅に着いた。(※後日、日本から調べたらサガウリと発音するらしい)
列車に1時間以上乗っていたので、あと30km位のところまでは来たのではないか?
タクシーとはいかないまでも、せめてオートリクシャーがあれば到達できる距離まで接近している筈だ。

しかし、駅には何もなかった。畑の中にぽつん、とあるだけである。
厳密にはホームもなく、多少突き固められているだけで、地面に降りるのと変わらない。
ムンディさんと線路の上を、最寄りの踏切を目指して歩く。
彼が言うには、ルクソールへ行くにはこの先、ずっと列車に乗ってから、乗換え駅で列車を元来た方向に向かって伸びる引き込み線方面に乗り換える、ということらしい。
どうやら一筋縄ではいかないようだ、ということだけは解った。

踏切までたどり着くと、そこは街道の様になっていて、男達が荷車で瓜や肉を売ったりしている。
肉には、ざるが被せてあるものの、ものすごい数の蠅がたかっている。ざるが全体に黒色に見えるほどだ。
街道とはいえ、タクシーはない。選挙活動のせいだろうか、先ほども見たような、荷台に銃を携えた男たちを乗せたトラックが時折、通り過ぎる。
私と同じく列車を降りた者たちは、そういうトラック「以外」の車両に対して、「乗せてくれ、乗せてくれ」と群がっていった。

丁度、踏切で車が減速するので、そこに「うわっ」と人海戦術でとりつき、お願いをするのである。
気付くとムンディさんもその群れに交じっている。
なるほど、そういうことか。
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どうやら、タクシーやバスというものは諦めねばならぬらしい。
ただ、車両としてのバスは通る。既に満席であったり、行先が違うようだ。

トラックの運転手に誰かがお願いをし、「ハーン」(Yes)とか言えば、わっと乗り込むのである。
さすがのインド人もドライバーの許可なしに乗り込んだりはしないようだ。

車両は通過するが、なかなか乗せてくれるドライバーがいない。そりゃそうだ。どう考えても燃費が悪くなる。
それでも「選挙でバスも何もないんだ!」とか懇願しているらしい、たまに乗せてくれるドライバーもいる。
1時間ほど経ったであろうか。2台目で荷台に登ることに成功した。
最初の1台目の時は、既に荷台が一杯だったので、正直気おくれしてしまったのだ。
ただ、私が諦めた後にインド人が果敢にトラックの後ろに取りつき、走り去っていくのを見ると、言い知れぬ敗北感に襲われた。
ムンディさんは、私が乗ってから乗ることに決めているようだった。どこまで優しいんだこの爺さん。
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トラックの荷台に乗って揺られていくと、30分も経たぬうちにガススタンド傍で全員、降ろされてしまった。
ドライバーがここに泊まっていくつもりなのか、ムンディさんにも事情は掴めていなかったが、好意で乗せてもらっていた以上、降りることに拒否権はない。幸い、ガススタンドなので、待っていると車両は来る。
ここまでくれば、後はオートリキシャーで良いだろう、そう判断した私はムンディさんに「500ルピー上限で良いから、ムンディさんの家経由でルクソールまで行くように交渉してほしい。」とお願いした。
6時間乗ったエアコン付のバスが300ルピーである。残りはたかが20kmと踏んでいた。オートリクシャーに500ルピーとは破格の値段だ。
私が交渉すると吹っかけられるので、私は木陰に隠れてムンディさんに交渉してもらうことにした。
「是非もない、快諾間違いなしだ。」私は勝利を確信していた。

ところが、意外にも交渉は成立しなかった。
500ルピーでも先方はの答えはNoであった。
他のドライバーにもお願いしたが、同じ結果だった。

理由を聞くと、「国境近くまで行ってトラブルに巻き込まれたくない」、「ルクソールまでの道は、極めてコンディションが悪い」というものだった。
価格は需要と供給で決まる。
日も暮れてしまった。野宿にはある程度慣れている私だが、さすがに街道の真ん中で夜を過ごすのは勘弁願いたい。
改めて、1000ルピー上限で交渉してもらい、1000ルピー丁度で妥結を見た。

どう考えても、(定常運行しているのならば)パトナーからの直行便に乗った方が安い。これで料金面でも負けてしまった。
言っても仕方ないので二人でリクシャーに乗ると、他のインド人もわらわらと「乗せてくれ」と頼んできた。
いわゆるタダ乗り希望であり、厚かましいといえば厚かましい。
だが、私も先ほどまでトラックにタダ乗りしてきた身分でもあるし、私自身は運転手の横なのでスペースは確保されている。
地元の人間も交じっているのか、ムンディさんもNoと言わないので乗せてあげることにした。

結局、バイクを改造しただけのオートリクシャーには運転手入れて7人が乗っていた。後ろの席では安堵の空気が広がり、煙草を吸ったりしている。その中の2名のインド人が、私と同じルクソールからの国境越えを狙っていることも解った。
彼らも同じ疑問を抱いていたのだろう、「国境は開いているか?」の問いかけをすると皆「開いていない(だろう)」という回答であった。国境が通過できなければ、私を含めた3名のこれまでの苦労は無駄だった、ということになる。
がっかりする彼らを見て、私も「これは越えられないんじゃないか。。。」と考えるようになってきた。

越境を狙うそのインド人2人の内、英語が話せる兄貴分の名はハーシュと言った。
ムンディさんの家から先は、この男に頼ろう、と決めた。リクシャーの席を譲って正解だ。
まだまだ運は自分にある、これはイケる。そう自分を奮い立たせた。

・・・「ルクソールまでの道は、極めてコンディションが悪い」確かに、そう聞いていた。
だが、これほどまでに悪いとは思わなかった。
四駆でもない限り、普通には走れまい。人間の頭ぐらいの石がゴロゴロしている。最初は明るいので良かったが、暗くなると絶望的だ。当然、道路灯などもなく、闇の中をよろよろと進む。見ると、歩く速さと変わらない。
運転手も相当疲れているようだ。それでも忍耐強く頑張ってくれたのは、1000ルピーと、私を含めた乗客5名の「頼むぞ!」という祈りの為だと思われる。

乗客が1人減っているのは、ムンディさんが先ほど別のガススタンドで降りたからだ。
どう考えてもただの道なのだが、スタンドが目印にでもなっているのだろうか。
ただ「ここまで来れば大丈夫だ」、とだけ言っていた。彼は100ルピーを出し、せめて受け取ってくれ、と言ってきた。
私としては寧ろガイド料を進呈すべきかと考えていた位なので固辞した。だが、先方も引かない。
結局、その100ルピーを受け取り、握手して別れた。彼がいなかったら、私はパトナーに引き返していたかも知れない。感謝、である。

ハーシュが、「あと少しでルクソールだ」と言ってきた。彼はここに来たことがあると言う。徒然草ではないが、「何事にも先達はあらまほしきことなり」である。運転手も、目的地が近いせいか饒舌になってきた。無論、後席の乗客と話しているのでヒンディー語なのだが、時折、「俺も日本に行ってみたい」だのとリップサービスをする余裕も出てきたようだ。

21時を過ぎて、ようやくルクソールに着いた。長距離トラックが沢山停まっているのが、国境の雰囲気を伝える。
だが、街が暗い。停電しているのだ。
エンジンを回して自家用発電しているところ以外は真っ暗であるが、よく見るとメインストリート沿いにローソクの灯りなどで店をやっている者もいる。

ハーシュと一緒に、彼が前回宿泊したという宿に向かう。彼に値段を聞いてもらったところ400ルピー(約800円)だという、まぁまぁの値段がしたが、彼と同じ宿に泊まる方が安全だ。宿はそこに決め、荷物を置き、彼に「外でビールでも飲もうや」と言うと、少しためらってから「OK」と返事をしてきた。
宿屋のオヤジに、「明日、国境を越えようと思っているが、可能か?」と聞くと、オヤジは首を振り、「国境は閉ざされている。不可能だ。」と回答された。
これにはハーシュも私も心底がっかりした。
流石に国境の町の宿屋のオヤジが、何の得にもならない嘘を自信満々に言うとは思えない。
一体、何のために苦労してここまで来たのか。
とは言え、当座は空腹を満たすことの方が先である。階段を下りて夜のメインストリートに出る。


メインストリート、と言っても舗装されていない道路が一本あるだけで、それに面して宿や飲食店があるだけである。
それも300mくらいだろうか。
その中から1件の店を見つけ、中に入る。酒を飲みたかったが、インド人は余り酒を飲まないこともあり、その店では売っていなかった。
何より、ハーシュが飲みたがらなかった。宗教上の理由からかと思ったが、彼自身はビールが好きだという。
その飲食店はお世辞にも綺麗とは言えないものであった。ピンクの壁には大きなヤモリが4〜6匹ほど張り付いている。一番近くのヤモリが近くを飛んでいた蛾に反応していたので、私は注視し、その捕獲の瞬間を見つめていた。確かに食欲をそそられる店でないことは間違いない。
だが、よくよく聞いてみると、彼が飲みたがらなかった理由は、「治安が悪いから」であった。

私たち以外に、店内には2人のライフルを持った私服の男がいた。一人は自動小銃だが、もう一人はボルトアクションの旧式である。本当に射撃できるのかも疑わしい代物ではあるが、腰のあたりをブラブラしている獲物の銃口が、偶然とは言えこちらに向くのは気分がよろしくない。

旅行者にとって最も大事なものは、危険を察知する嗅覚である、と私は思う。

私は、故意に危険な地域に行くことを好まない。どうしても当該地域を通過する必要があるなど、理由がなければ敢えて行こうとは思わない。
その場合でも、慎重に行動し、速やかに突っ切ることを信条としている。
一方で、何のリスクも負わずして世界を見て回るのも不可能である。ましてや、「何を以て危険と判断するか」の基準を日本においていては欧米先進諸国以外には旅行できなくなってしまう。

・・・その民兵化直前の2人にしても、寛いで食事をしている様子であり、店の出口を塞がれていてはいたが、とりたてて危険は感じなかった。危害を加えようとする人間は、たとえ素手でも危険な雰囲気を周囲に発するものだ。

私はハーシュに教えてもらったばかりのヒンドゥー語で「無視しろ」と言った。彼に言わせれば、店のヤモリを始め、インドで最も使える言葉がこれだという。
私には生粋のインド人のように右手だけで料理を食べるのは難しい。彼がフォークを貰ってくれたので、それぞれの皿の料理にありつきながら、

「明日、どうする?国境ゲートまでは距離があるみたいだから、バスか何か出てるのかな?選挙で出ていなければ、歩いて越えるしかないね。」と相談を持ち掛けた。
彼にはネパール入国ビザが不要だが、私はビザが必要である。
その時の手続きにも彼がいてくれた方が心強い。
晩飯を奢る代わりに、私は彼らを巻き込む気満々だった。

「それなんだけど。。僕たちは明日、朝5時の列車でパトナーに帰ることにするよ。」ハーシュは言いづらそうに言った。
「えぇっ?折角ここまで来たのに??」
「国境は閉ざされているよ。」
「でも、行かないと解らないよ。トライはしようよ。」
懐柔しようとしたが、彼らの決心は固かった。

ハーシュは気まずさからか、晩飯は私の分も払い、その後、一緒に飲んだラッシー代も払ってくれた。

宿に戻り、水しか出ないシャワーを浴び、ベッドに横たわる。
シーリング・ファンは最早、虫よけとしてのみ機能していた。

さすがにインド人が私より先に越境を諦めるとは思っていなかった。
もっとも、彼の連れである弟はまだ高校生くらいの年齢であり、より注意深く行動するのは理解できる。
それにしても、楽してここまで来たならともかく、散々苦労してここまで来た筈だ。
それでも引き下がる程というのは、よほど危険なことなのだろうかと自問した。

何となく「イケる」と思っていたが、宿屋の主人の話といい、ハーシュの判断といい、状況から判断すると引き返した方がよさそうである。
ただ、引き返すと言っても、ここまで来てしまった今ではそれも容易ではない。
最良の選択はハーシュと行動を共にしてパトナー行きの列車に一緒に乗ることである。

今度ばかりは、自分の見通しが誤っていたか。。。それでもこの目で国境をみなければ納得も行かない。
私は、たとえ無理でも明日、行けるだけ行ってみよう、と思い眠りについた。

***
朝、4時過ぎに目が覚める。日本ならば7時半である。体内時計のせいか、目覚ましのなる15分前に目覚めた。
頭がぼんやりして状況を把握するのに一瞬、間が空く。旅行中に陥るこの感覚は嫌いではなかった。
部屋を出て、向かいのハーシュの部屋のドアを確認すると、鍵がかかっている。まだ寝ているのだろう。

私は外階段から夜明けを眺めていた。

酷暑期のインドにあっても、この時間は清々しさが僅かばかり残っている。
もっとも眼下は廃墟とゴミの山が広がっているのだが。
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「よしっ」と自分に気合を入れて手早く荷物を纏め、階段を降りる。
宿屋のカウンターで昨日のオヤジがテレビを見ていた。
番組はどこに行っても選挙関連のものが映し出されていたが、ここも例外ではなかった。

「何処へ行くんだ?」オヤジが聞く。
「国境へ!」
オヤジが、「閉ざされていると、昨日言っただろう?」という表情をしたので、「試してみたいだけだよ!」とだけ言ってメインストリートに出る。

通りを北の方へまっすぐ行くと、踏切にぶち当たった。左手の方には列車が停止しているのが見える。
これがルクソール駅で、もしかしたらあの列車にハーシュは乗るのかも知れないな、と思いながらも先へ進む。

途中で両替屋が声をかけてきた。ネパールに越えられるか解らないが、越えられたとしても文無しでは困る。
1000ルピーだけ両替しようかと交渉してみると、1000ルピーは1600ネパールルピーだという。
ボラれている訳ではないので、両替を済まし、更に歩いていくと、遠くに橋が架かっているのが見え、その手前の道の真ん中に椅子を出して座っている警官が見える。あれが国境らしい、思っていたより随分と近い。

陸路でA国からB国へ国境を越える場合、まずはA国側で出国手続きする施設があるエリアがあり、そこから先に進むと本当の「国境」がある。更に進んでB国側で入国手続きを済ませ、そのエリアを抜けて晴れて越境完了である。
国境まで2kmと聞いていたが、出国手続きするエリアはその手前で、予想よりも随分と近かった、という訳のようだ。

橋を渡ろうとすると、案の定、警官に呼び止められる。
何処から来たかなどを答え、傍らの小屋を指さし、イミグレーションオフィス(イミグレ)へ行けという。

「国境、越えられるのか?」と聞いても、イミグレへ行けの一点張りである。
もっとも、許可を出すのはイミグレなので当然なのだが。
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で、橋の袂にあるイミグレ(写真右の青い建物)を見ると扉は閉まっており、南京錠がぶら下がっている。
「やっぱり、閉まっているじゃないか!」と思ったが、よく見ると南京錠は開錠された状態である。
ドアの隙間から除くと、人が机の上で毛布を被って寝ている。

意を決してドアを叩き、その人間を起こす。叩き起こされた係員は、怒るでもなく、準備するから待ってろと言うので外で待つことにした。
どうやら対応してくれるらしい。

15分も待つと中に入れてくれた。机の配置も変わっていた。
更に少し待つと、きちっと制服を着た審査官が現れた。
いよいよ出国審査だ。渡された用紙に記入し、係員がパソコンで何かを調べている。いろいろ聞かれたが、出国のスタンプを押してくれた。
選挙はインド側の問題なので、インド出国が可能という事はネパール入国も可能という事だ。

イミグレの小屋を出た時、私は思わず「よしっ!」と小さくガッツポーズをした。
先ほどの警官に挨拶をして、橋をずんずんと渡っていく。水は殆ど枯れているが、雨季には大きな川になるだろうと予想された。
橋の中央に錆びた鎖がダランとぶら下がっていた。

これが、本当の国境線だ。
周囲からは「閉ざされている」だの散々言われたが、実際に行ってみると大したことはない。ほんの一跨ぎだ。
思わず苦笑する。

写真を撮りたかったが、ネパール側に10人ほどの青色迷彩を着込んだ軍人がいるので控えて置いた。
原則として、国境地帯は撮影禁止である。
その軍人と思っていた集団だが、近づいてよく見ると警察である。
どおりで迷彩が青色なのか、とひとり合点が行く。
できるだけ大人しく通り過ぎようと思ったが、向こうから話かけてきた。

「どこから来たのか?」など、尋問というよりは、単なる個人的興味で聞いている様だった。
通り一遍の会話をして去ろうとすると、「アリガトウ。サヨナラ!」と返してきた。
これでネパールの第一印象はぐっと良いものになった。

橋を渡りきると、装飾的なウェルカムゲート(下写真)とネパール警察詰所があり、その先に鉄柵でできた機能的なゲートがあり、またも水色明細の警察官達がパスポートチェックをしていた。
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中には女性警官も交ざっていたので、躊躇うことなく女性警官にパスポートを見せる。
警官といえども腰には自動小銃がぶら下がっているので、少しでもピースフルな感じのする女性警官の所へ、本能的に足が向かってしまう。

その女性警官は、私が日本から来たことだけを聞いて、すんなりゲートを通してくれた。
ゲートを出ると、ネパール側の国境の町、ビルガンジだ。

「よし、ネパールについたぞ!まだ午前中だし、越境祝いだ」と目についた飲食店に入り、朝食をとることにした。
店のオヤジにカトマンドゥに行くにはどうしたら良いかなどを聞きつつ、飯を食べる。
食後のチャーイを飲んで、越境できた喜びを噛みしめていたが、ふと「あれ、そういやビザを購入していないし、入国スタンプを押してもらってないぞ」という事に気付いた。
飯が運ばれてくるまでの間に、カトマンドゥ行きの乗合四駆の手配をしたので、その四駆に乗ってしまえばカトマンドゥである。

おかしいなと思い、勘定を済ませて鉄柵ゲートまで戻り、先ほどの女性警官に「イミグレはどこですか?」と聞くと、鉄柵の向こう側を指さして、「あっちじゃないの」と言う。
「いや、俺、もうネパール入っちゃったけど、イミグレ受けてないから戻っていいかな?」と言うと、女性警官は苦笑いしながら「勿論よ!」と答えて通してくれた。
どうやら私は、小一時間ほど不法入国していたらしい。
入国スタンプがなければ、今は良くても出国の時に必ずトラブルになる。危ない危ない。

イミグレを探しながら国境付近まで戻ってきたが、先ほどのネパール警察詰所にあるだろうと思い、警備の人に聞いてみると、脇の小屋がそうであると教えてくれた。余りにも小さいので普通見過ごすでしょこれ、という大きさである(写真左※国境の写真は所謂「隠し撮り」です。。)。
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ネパール側の人々は、入国審査官に限らず、なべて親切であった。問題なく中で手続きを終え、地図を貰い、再び鉄柵をくぐり、先ほどの女性警官が今度は笑顔でビザを確認した後、再度ネパール側に出た。

あぁ!やれやれ!!これで越境完了だ。

***

以上で、今回のインド・ネパール旅行で最も印象深かった国境越えの話は終わる。
ビルガンジからカトマンドゥまでの乗合四駆の6時間ほどの旅は、それなりに辛かった。
荷物は天井に乗せ、車内には詰め込まれた10人がいた。
が、何よりつらかったのは道が悪路であり、沢を突っ切ったりと「四駆でしか越えられない」道をひた走ったことだ。
ただ、同じ悪路でもオートリクシャーではなく四駆であることの安心感は圧倒的で、太陽光は眩しいものの高地にあるネパールはインドに比べて断然過ごしやすかった。同乗したネパール人もいい奴らで、私はここでも彼らに昼飯を奢ってもらう栄誉に見舞われた。
こういう困難は旅にあっては寧ろ歓迎すべきであり、道中も含めて、ネパール側では全てが順調に行ったのである。
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昨今、旅行をしていても「国境越え」は徐々に大きなイベントではなくなってきている。
それは両国の交流を促進し、経済的な意味でも重要なことであるが、旅行者にとっては少し寂しい気持ちもある。

昔、NATO空爆の2年後にベオグラードを鉄道で訪れたとき、夜中に機関銃を持った兵士2名に叩き起こされ、懐中電灯の直射を受けながら質問に答えて入国したが、13年後に同じルートで再訪すると、女性の車掌がパスポートを確認してスタンプを押すだけだった。
何年か後にはシェンゲン協定入りしてスタンプも廃止されるかもしれない。

今回の越境は、久しぶりに「国境を越える」という大変さを思い出させてくれた。
無論、選挙に重なるとか、事前の自分の準備によって回避できた要素も大きく、今、再訪すれば拍子抜けするくらい簡単に越境できるかも知れない。でも、それも含めて「どうなるか判らない」のがこの国の最大の面白さではなかろうかか?と、私は改めて思うのだ。

■追記:『深夜特急』の沢木耕太郎氏は、パトナーからルクソールまで列車を乗り継ぎ、同様にビルガンジから越境していることを、帰国後に確認した。

プチ社長日記:『5年』の話

先日、1ヶ月あまりヨーロッパ中心に回っておりましたが、ここ2週間ほどはインド・ネパールを攻めておりました。
『遊んでばっかりじゃねぇか』という叱責が聞こえてきそうですが、遊んでばっかりなので仕方ないですね。

インドの2週間というのはあっという間でありまして、インド人に『おい、どんくらい旅行するんだ?』と聞かれ『2週間だ』というと『短いなぁ、おい』という反応が返ってきます。
それでも帰ってきたのは、偉大な先輩の命日があったので、毎年恒例の墓参りをするためです。

意外と、こういうのやっとかないと、後で気持ち悪くなる性分です。

あれから5年、その方が亡くなったのは43歳ですから、私だとあと2年で追いついてしまいます。
その背中は遠く、私などが追いつける訳など無いのですが、私なりに頑張ってみようと、いつも気持ちを新たにします。

さて、次はどこ行くか。。