プチ社長日記:『気付けば・・・』の話

仕事の先輩と一緒に船舶免許を取得して以来、ちょいちょい船の練習をしている。
本日は勝鬨マリーナから船を借りて、東京湾一周である。
勝鬨から夢の島マリーナ経由で荒川に出て、そこから南下して海に出る。遥か左にディズニーランドが見える。
荒川を南下する際中、京葉線の鉄橋をくぐる。

私はリーマンショックの頃、幕張のプロジェクトに通っていた。
通っていた、と言っても平日は幕張のウィークリーに住んでおり、週末に行き来していた。
さざなみ号によく乗っていたが、荒川を渡る時、眼下にプレジャーボートで航行する人々を見て、羨ましく思ったものだ。
今、鉄橋を渡る列車を見て、自分が今、その位置にいることに気付くと、とても不思議な思いになる。

■京葉線
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因みに、船はレンタルである。思ったよりも安く借りられる(Sea Styleというヤマハのサービスを利用)。
あまりマリンスポーツに縁のない生活だった私だが、十分楽しめる。
何事もやってみなければ分からない。お声がけいただいた先輩に感謝である。


■東京湾
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・・・と、格好良く締めたいところだが、着岸時に流されてクラブ所属の他艇にこすってしまうのは、安定のクオリティである。今回はお咎めはなかったが、技術は真面目に身に付ける必要があるのね。。。

プチ社長日記:『熱海』の話

熱海。熱い海と書いて熱海。

その湾を見下ろす絶景の場所に建つのが、歴史的な意味は全くない熱海城。
そしてロープウェーの駅はまさかの秘宝館と一体。
つまり、駅ビルが秘宝館。
アトレ感覚で秘宝館。

熱海、侮れじ。(行きました。)

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プチ社長日記:『さすがに・・・』の話

仕事が無くて困っているパキスタン人達から、「何でもいいから仕事くれ。掃除夫でもパシリでも何でもいい」という熱いメッセをいただくのだが、髭のオッサンにウチ来られてもむさくて堪らんので、「オマエ日本語話せないから無理」という冷酷なメールを連ポスする3連休。

プチ社長日記:『君は沿ドニエストル共和国を知っているか』の話

いや、俺もよく知らないんだけどね。
だから、とりあえず行ってみようと思って。

沿ドニエストル共和国。
2016年7月現在、貴方の世界地図にその国の名前はない筈だ。
因みにGoogle Mapにも華麗にスルーされている。
まともな国で此処を承認しているところはない。

ところが、軍隊、警察、通貨、陸運局(車のナンバー見て知った)等々、
国家としての機能を一揃え有している。それも、なかなかのレベルでだ。
1992年のトランスリニア戦争では、独立直後のモルドバ軍と戦って停戦に持ち込んでいる。
現在の「国境」(日本政府の立場では国ではないので「」表記。以下、同じ。)が、
ドニエストル川よりもキシナウ側にせり出している所を見ると、ロシアの支援を得ていたとはいえ、
かなりの善戦だった模様で、歴史博物館の誇らしげな展示物からも窺うことができる。

モルドバの首都キシナウでのホテルの店員(めちゃくちゃ親切だった)から得た最新情報、先人達のブログ、そして幼稚園児並みの
ロシア語という僅かな手持ち武器をひっさげ、いざキシナウのバスターミナルへ。
バスターミナルは駅から結構歩くところにあるが、鉄道駅よりも断然、こちら界隈の方が賑わっている。

沿ドニエストルの「首都」、ティラスポリ行きのバスは頻発している。
よしよし。慌てるこたぁない、ホットドッグや飲料を購入して悠然と乗り場へ行き、
バスを発見する。バスと言ってもワゴンなのだが。
スタッフにチケット売り場を教えてもらい(ターミナルビルの中ではなく、駐車場の隅にある。)、
チケット購入。36.5レイ。

この辺の鉄道の客車、乗り合いバス(ワゴン)に共通しているのは、冷房が無いことである。
そのくせ、極寒の冬に備えて窓は大抵、はめ込み式であかないということだ。
寒暖の差が激しく、夕方になると虫が一斉に鳴きだし、晩秋の趣さえ漂う当地方であるが、さすがに日中は暑い。

最初は3人しか乗客のいなかったワゴンであるが、最後にはほぼ全員着席に。
一人東洋人の私の隣だけが最後まで空席であった。
(そう言うの、うっすら傷つくからまじでやめてほしい。。。)

とは言え、彼らの警戒心もむべなるかな。
過半が沿ドニエストルの住人なのだ。私はどう見ても、全力でよそ者です。なんか、すみません。

未承認国家、というのは我々の興味(妄想)を掻き立てる土地だ。
まぁ、昨年訪問したパレスチナも同じ位置づけなのだが。

疑問はいろいろあり、キチンと時間をとって調べたいところではあるが、
旅行者から見れば犯罪者引渡協定辺りが気になる。国が未承認なので、調印は無いと思われるのが、
本当にないなら無法地帯になってしまうので、その辺はよくわからない。

パレスチナのように壁(イスラエルは柵と主張しているが)で囲まれている訳ではないので、
ティラスポリで犯罪を犯してもバスで「国境」通過するまでの100分間、もしくは自力で川を渡れば数分で「出国」である。
私が彼の地で身寄りの無い誰かを殺害し、後の調査で犯人が私と特定されても、沿ドニエストルの警察を
警察と認める国はなく、結果、完全犯罪とは言わないものの、うっかり再訪でもしない限り
拘束から逃れられるのではあるまいか、、などの妄想をぼんやり考えて過ごす。

・・・待てよ。
逆も真なり。
私が誰かに彼の地で殺害されたとして、沿ドニエストル警察は何をしてくれるだろうか?
モルドバ警察が調べに来てくれる?
・・・否、立入ることすらできないのではないだろうか。
沿ドニエストル警察の調査結果をもとに、モルドバ警察が各国に照会を依頼する?
せいぜいその位だ。よっぽどの案件でない限り、泣き寝入りしかなさそうだ。
と言うことは、どちらというと危険なのは私の方では??

実態はともかく、未承認国家でトラブルに遭うと、基本は自力解決、ということを肝に銘じておいた方がいいだろう。
まぁ、単独旅行者はなべて自力解決の世界なのだけれど。
警察こそが旅人にとってもっとも厄介で危険なケースは、ままあるのが実情だ。

さて、そんな妄想をよそに、目に映るのはトランス地方の美しい風景である。
女性的な稜線の台地に、ひまわりやトウモロコシ畑が広がる。
ひまわり畑には思わずレンズを向ける。
ただ、ひまわり畑を有難がるのは日本人位らしく、タクシーで「ひまわり畑に行ってくれ」というと
「何故、そんなところへ行くのか?」と運転手から質問攻めにあったという話を聞いたことがある。

話を戻すと、ルーマニア、モルドバは農村風景が有名である。なるほど見ごたえがある。

ただ、その長閑さは、国境が近づくと変わってくる。

まず、モルドバ側の検問所を通過する。モルドバ兵士が駐留しているが、モルドバは沿ドニエストルを建前上、相手にしていないので
スルーできる。バスも減速しないので、気を付けていないと見過ごしてしまう。

一方、沿ドニエストル側では、しっかり入国審査を受けることになる。
結論から言えば、ロシア語は不要だ。少なくとも日帰りでは。
パスポートにスタンプは押されず、イスラエル等でも見られるような入国カード制なので、
後でパスポート上のミスマッチを指摘されることはない(「入国」履歴は残らない)。
国境自体は歩いて越え、先回りして待機している同じバスに乗るという、ありふれたパターンで難なく突破である。
ちょっと拍子抜けである。

バスはそのまま市街地に入り、鉄道の駅前ロータリーが終点だ。
駅には両替所があり、特に悪くないレートで交換している。
ただ、駅前の売店は何故かモルドバ・レイで買い物できるので、レストランなどで食事をしないなら、
ここで飲料を買うだけで十分かもしれない。

沿ドニエストルの紙幣は、ここでしか使用できない。
まぁ、地域振興券みないなものなので、必要最小限の両替が鉄則だ。
10ドル両替したが、物価が安いのでビール1杯飲んで食事してコーヒー飲んでもお釣りがくる。
キシナウでも、キシナウビールは100円ちょい相当で飲めるので、物価だけ見るとこの辺は天国である。

事前にgoogle mapをダウンロードしただけなので、特に観光名所などがわかる訳ではない。
が、通りの広さや街のつくりから、大体この辺かな、という方向へ歩く。
まぁ、分からなくても根性出せばティラスポリはほぼ歩ききれそうな街であるが。

途中の喫茶店でコーヒーを啜り、街を歩くと、旅行代理店をよく見かける。
・・・ふと思ったのだが、未承認国家の国民はどうやって海外旅行をするのだろうか?
こればかりは、仮に沿ドニエストルがパスポートを発行していても、受け入れる国はない(厳密には)。
ロシアがパスポートを発行するとも思えないので、おそらく、モルドバとして発行しているのだろう。
だとすれば、沿ドニエストル国民には、忸怩たる思いに違いない。

途中で立ち寄ったレストランでピザとビールを腹に詰める。
レストランで流れる曲がcoldplayである。至って普通の田舎のレストランだ。

その後ものんびりと歩き続け、やはりというか、
ドニエストル川近くに、この国の中心である国会議事堂は建っていた。

沿ドニエストルは、「現代に生きるソ連」として紹介されている。
確かに見た目だけで言うと、議事堂前にはレーニン像が堂々とそびえており、
国章や国旗は「槌と鎌」のお馴染みソ連マークである。
因みに、ここまで立派(?)なレーニン像は今や珍しい。
(この数日後、ベラルーシのミンスクで更に立派なレーニン像を見ることになるのだが)

道の名前は「レーニン通り」「10月25日通り」(※十月革命の記念日)など、
まんまソ連である。
では、社会主義ゴリゴリかと思いきや、どうもそうではないらしい。
未承認国家の地位を利用してロシアからタダ同然で天然ガスを輸入し、それを
売却しているという。この利権を握っているのが一部の財閥層というから、
レーニンが知ったら激怒間違いなしの腐敗っぷりである。
ただ、さすがにロシアもタダ同然で天然ガスを売るのは
やめようということで、今は供給を絞っているという。
たちどころに沿ドニエストルの財政はひっ迫し、今は公務員に給料の遅配が出ているというから
もはや待ったなしである。

公務員の給料遅配は、治安悪化に直結するが、今のところ街は比較的おだやかで、
一人で歩いていても危険をまったく感じない。
ドニエストル川では、のんびりと水泳を楽しむ家族連れも見られる。

極めて長閑な「国」である。
ロシアが水を向ければ、真っ先にモルドバからロシアに併合を希望しそうな「国」であるが、
今のところそのような気配はない。
一種の火薬庫的な位置づけであるが、今は静かだ。


レーニン像を背にして通りを渡り、沿ドニエストルの「独立」記念歴史博物館といった趣の建物に入る。
戦没者の慰霊碑の裏側にある、外観は何てことない建物だ。
ロシア語で挨拶したせいか、女性の館員が無性に親切に英露混合で説明してくれる。
あまりの熱量にこちらも真剣に聞いていたので、出る頃にはだいぶ疲れてしまった。

この地を歩くと、「国家とは何か」というものを考えさせられる。
熱心に説明してくれた彼女を思い出すと、「幻想の共同体」と言ってしまえるほど、
単純なものではないように思える。
方向性としては同じなのかもしれないが、幻想というよりもっと熱量のある何かが、
その共同体の核となっている、そんな気がしてくる。


※上記の様に、政情は不安定であるものの、今のところ街自体はおだやかなので
機会があれば来訪をお勧めする。ただし、その際は最新の情報を以て各自で判断されたい。

プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#7』の話

目が覚めた。時計は7時を過ぎているのだが、緯度が高いのでまだ暗い。
ヒヴァのゲートまで行ってみる。吐く息は白い。
ゲートまで行ってみると、意外にも門は開いていた。
一部、微妙にライトアップされている。耳を澄ますと、そこかしこで箒で掃き清める音がする。
店は開いていないものの、徘徊するのはとても楽しい。
街のおおよその形を頭に入れると、明るくなってきた。

戻り一休みする。

宿は朝食がついている。おおよそ、どこの宿にも朝食がついている。タシケントやサマルカンド以外では朝から開いている店を見つけるのは難しい気がした。
シャワーを浴び、再びヒヴァ遺跡の方へ。

■ゲートの一つ
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遺跡としてのヒヴァは2重の城壁で囲まれている。随所に尖塔が建ち、オアシス都市のイメージそのままの、非常に美しい街だ。その美しさとは裏腹に、ついこの前の19世紀まで奴隷貿易で栄えていたという暗い過去を持つ。
奴隷としてこの街に連れてこられた者にとって、この街はどのように映ったのだろうか、、、そんなことを考えながら散策を続ける。
一つ困ったのが、中のレストランが殆ど休みだということだ。
遺跡を抜け、街中をさまよってみても、外食できるところが殆どない。仕方なくスタンドでコーヒーとサンドウィッチをもさもさと食べて済ませる。
一日中歩き回り、ヒヴァを堪能してから宿に戻り、タクシーを呼んでもらって空港まで行く。

■ヒヴァの町並み
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飛行機はロシア製のレシプロである。ジェットよりもレシプロが旅情が勝るので、私にとっては悪くない。
タシケントへの戻りはあっという間だ。もう相場が分かっているので、タクシーでもめることもなく、タシケントの宿に戻る。
翌日の飛行機は遅い時間なので、日本語教育センターなるものに足を運ぶ。およそ観光地ではないのだが、ちょっと仕事があったので、ここの学生達から情報を収集する。皆、非常に勤勉である。連れて帰って雇いたいくらいである。

学生達との時間は楽しかったが、夜のフライトでソウル、そして東京である。
ウズベキスタンという国は、スタン系の国の中でもサマルカンドに代表される観光資源が豊富であり、鉄道も整備されている。また再び訪問したい国の一つだ。



プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#6』の話

ブハラでは一人で静かな正月を過ごした後、最終目的地のヒヴァへ向かう。
宿屋の女主人にヒヴァへの行き方を聞き、近くのバスターミナルへ向かう。
(イスラム世界だが、女性の社会進出はそれなりにあるようだ。)
バスターミナルと言っても、バスはなく、乗合のワゴン(というよりバン)が屯ってるだけである。
で、ヒヴァ行きの交渉をするのだが、そもそもヒヴァ行きは夕方まで出ないと言われる。

■バスターミナル
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ブハラは見どころの多い街だが、それでも2日も滞在すれば見て回れる規模である。
オッサン達がタクシーで行けというので、駄目元で交渉してみると、(ちょっと正確な値段を失念したが)タシケント⇔サマルカンドより安いので飛び乗ることにした。
ところが、このタクシー、あれよあれよと乗客が増え、運転手と子供入れて7人となった。
因みに車種は「ネクシア」という、プリウスを少し大きくしたような車だ。

イスラム圏なので女性を優先して助手席に乗せ、狭いタクシーで一路ヒヴァへ。
道は割と整備されていて、地平線の見える広大な土地を西へ驀進する。
途中の休憩はバグダッド・カフェを更に廃れさせたような掘立小屋での1回のみ。
だが、そこで見た夕日が沈む様は息をのむような美しさだった。

その後も移動は続く。狭い車内で体中が痛い。一体、いつになったら着くのだと不安になるが、ヒヴァについたのはとっぷり日も暮れてから数時間走った後だった。
ヒヴァの遺跡は街の外れにある。宿をとっていなかったのだが、街の中心には大きなショッピング・センターなどもあって安心する。中心街に宿泊してもよさそうだが、朝日に輝くヒヴァを見たくて、遺跡の方まで行く。
もともと遺跡のゲートまで行くのが約束だったからだ。
中心街でタクシーを降ろされ、別のタクシーに分乗するのだが、ここでちょっとしたトラブルが発生する。
先行したドライバーが分け前を多くとったのか、分乗後のドライバーがもう少し金をくれ、というのである。
冷静に考えたら安いのであるが、そこはウズベキスタン。2千円くらいでも支払は札束となるので、大金を支払った気でいる私は当然、抗議。
商売のルール無視は私の逆鱗ポイントだ。断固拒否し、運転手は英語が話せないので身振りで胴元を携帯で呼び出してもらい、約束が違うと断固抗議、抗議というより(私の英語力のせいで)罵詈雑言である。
胴元は非を認めて取り消したので、それ以上は追及しなかったが、ドライバーがまだ何かブツブツ言っている。
ブツブツ言っているのだが、英語でないので聞き取れない。憮然としたまま、交渉は終了したのだからと黙殺を続ける。

車は長い間、のろのろと走り続けた。そうこうする内に数少ない英語表記の標識でも旧市街(遺跡)は通り越したようだ。
・・・そこで私は悟った。これはちょっとやりすぎたかも知れん。

車は街を外れ、人気の少ない川沿いを走る。周囲は真っ暗で、川沿いであることも目を凝らさないとわからない。
もはや道も舗装されていないので速度はそれほどでもない。ドライバーは私より小柄だが、いざという時の為に、飛び降りも辞さずで身構えていると、一軒の家の前で停まった。
ドライバーは何かを話して車を降りて民家に入っていく。着いてこいという身振りはしなかったが、私も車を降り、いざという時の為にドライバー側に回り込んでドアの傍に立つ。
血気盛んな野郎共が出てきたら、鍵を抜き取って逃走し、追ってこれなくしてやろうという魂胆だ。
暗闇の中、民家の方にじっと目を凝らす。

ところが、出てきたのは先ほどの小柄なドライバーと女性である。
女性は流暢な英語で話しかけてきた。

「オールド・ヒヴァ(遺跡のある旧市街方面)はこの時間帯になると車道は閉鎖されていてゲートまで行けないのよ。それで、彼はホテルまで送ろうと思ったのだけど、どのホテルまで送って行けばいいか分からないから、友達の私の所に来たのよ。」
・・・要約すればこうである。

どうやら、彼は胴元から誤解を解かれた後は、私から追加料金を請求しようとしているのではなく、私の為に付近を走り回り、挙句、英語の話せる人間の所に連れてきてくれたのである。私なら閉鎖されている地点で客を降ろすのだが、彼はそれを不憫に思ったのか、旧市街の周りをぐるっと回ってくれていたのだ。

私は恥ずかしくなった。無論、用心に越したことはないから、間違っていたとも判じ難いが、黙殺せずに意思疎通を図ろうとしていれば、彼の意図くらいは汲めたと思う。

彼女経由で運転手に謝罪の言葉を述べると、彼にも笑顔が戻った。
私は、宿はまだ決めていないので、交通規制箇所の手前で良いと告げた。
送ってもらって着いたところは、30分ほど前に通ったところだった。
彼の善意に感謝をし、結局、当初に追加請求された額以上のチップを渡した。
チップというのは、こういう時に渡すべきものだ。「正直こそが最良の商売方法」というのが世界中のコンセンサスになる日が来ればいいと、心から思う。

さて、もうすでに夜の10時を回っていた。砂漠地帯の夜は、猛烈に冷える。と言っても川が凍るほどではない。
車両の通行は止められていたが、徒歩なら先へ進める。旧都市のゲート付近になら必ず宿はあるだろうと思ったが、案の定、2軒ほどあった。
安そうな方に飛び込む。「今晩、部屋はあるか?」と聞くと「当然だ」という表情である。
カウンターの後ろにキーボックスがあるが、その殆どにキーがある。客がいないのだ。
正月が観光シーズンだとすれば厳しいかな、と思っていたが、そもそもイスラムの正月はヒジュラ暦ベースなので、それほどでもないようだ。というか、閑散期のようですらある。
念のため、「お湯は出るか?」「wifiは使えるか?」も聞いてみた。両方Yesだ。申し分ない。
部屋に入ると旧市街の門が見える。
疲れていたのでシャワーも浴びず、そのまま眠り込む。



プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#5』の話

だらだら書いている内に5月であり、すでに別の旅程でメキシコにまで行ってきた。

■ロシア製機関車
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・・・ウズベキスタンであるが、ブハラ駅到着後はタクシーの呼び込みを振り切り、バスで市街まで行く。確か15円相当だった記憶がある。宿は隊商が宿泊するイメージを模したもので、現地の食べ物を出してくれる。
小さな部屋だったが、小奇麗で使い勝手がよい。
街には新年だというのに静かなものである。彼らにとってはヒジュラ暦の正月やラマダン明けの方が重要なのだろう。寧ろ、ささやかながらXmasツリーのようなものを出しているのが不思議に思える。(何故か彼らは新年になってもクリスマスツリーを出している)。
観光は、メドレセあり、ミナレットあり、城砦ありので、十分楽しめる。

■中央アジア最古クラスの遺跡
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丁度、現金が少なくなってきたので両替をする必要が出てきた。公定レートは1ドル=2600スムである。闇両替は禁止されているが、ここウズベキスタンでは闇両替の方が有利である。恒常的なインフレが背景にあることは間違いない。
最初のタクシーの中で持ち掛けられたレートは、おそらく嘘ではなく本当なのだろう。だが、ちょっと事情がみえてくると、馬鹿らしいレートであることは間違いない。
1ドル=4000スム以上で両替が成立する。向こうから持ち掛けられるより、こちらから持ち掛けた方が良い(違法だけど)と思った私は、ガイドブックに載っていた鋏職人の店で両替を持ち掛けた。ある程度、信用できる人間の方が良いので、まっとうな商売人を選んだつもりだ。
1ドル=4500スムで成立。100ドル渡すが、当然それだけの現金がないので、小僧がバイクに乗ってひとっ走り出かけていった。その間、主人の出してくれたコーヒーで談笑する。
彼も同元に両替を持ち掛けるのだろう。もう少し大きなロットだと、さらに有利なレートで交渉できると思われる。ただ、札でポケットが膨れ上がるのは間違いない。
案の定、私の100ドルも札束で返ってきた。


観光客も殆どおらず、中央の広場では暇を持て余したおじいちゃんたちがドミノをしている。
ドミノと言っても、並べて倒す奴ではない。
こういう正月も、捨てがたい。




プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#5』の話

幾分か前回から間が開いてしまった。
最初は詳細に書き綴るつもりであったが、全部書き終える前に、間もなくメキシコ訪問に突入してしまう。

・・・サマルカンドに後ろ髪をひかれつつ、次なる目的地であるブハラとヒヴァに向かう。
どちらも『北斗の拳』で雑魚が断末魔として叫びそうな名前であるが、シルクロードの中継点として、歴史上、非常に有名な街である。

ブハラへは、念願の列車での旅となった。
機関車はソ連時代のものを塗り替えて使用しているのだろうか。無骨なフォルムがかっこいい。ただし客車は中国製のコンパートメントである。このタイプは世界中、至るところで使用されており、使い勝手は良いのだが、客車のバリエーションが少なくなるのは旅行者としては寂しいものである。
コンパートメントでは、遅めの休暇を取得したウズベキスタン人と一緒になった。
何故か彼はスターウォーズの新作海賊版を所持しており、一緒にiPadでみることになった。
ところが海賊版の為、画質が悪い上に、ロシア語吹き替えである。
解るかボケ。

でもそこは日本人なので、何となく見つつ、彼の故郷の話など聞いて過ごす。

プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#4』の話

サマルカンドはまず天文台を訪問した後、タクシーを捕まえて街の中心部へ向かう。観光客慣れしたタクシーを拾うとボラれる確率が高いので、通行人に相場を聞いていたところ、その通行人が親切にも交渉もしてくれて安心して乗ることができた。が、この運転手があまりにもマイペースで、どうやら買出しに出た子供を迎えに行く途中だったらしく、途中から大量の食糧を抱え込んだ2人の子供が乗ってきて、そのまま仲良く運転手の家まで行ってしまう。
私としても早く目的地に着きたいので、何故か荷卸しを手伝うのである。何をやっているのだ私は。

日本の感覚からすればタダ同然のタクシー代には他にも理由がある。通常、外国人を乗せるときは貸切に勝手になる(その分、勝手に割高になる)と思ってよいが、地元の人間にとってタクシーは相乗り前提のようなのだ。
私が乗っていても気にせず道端で止まり、行く方向か同じだと乗せてしまう。ご多分に漏れず若い女性が乗ってきた。パキスタンだとまず男女の同乗はないが、ウズベキスタンはその辺はおおらかなのだろう。挨拶をすると返してくれるし、レギスタン広場で私が降りる時もにこやかに送り出してくれた。

そして、いよいよ念願かなってレギスタン広場である。
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しかし年末だからか、人がまばらである。
警備の兵士も暇そうだ。だが私一人興奮度MAXである。
1時間ほどメドレセを見つつ広場をうろうろしている内、話しかけてきた兵士に、ミナレットには登れないのかと聞くと、普通は登れないが、、と歯切れが悪い。
こういうのは心得ているので、いくらだと聞くと50ドルだと言う。ふざけんなと言い、こっちも暇なので粘り強く話をして10ドルで手打ちである。
実は、ここの上に登れることは確信に近かった。パネル写真などで屋根からと思われるアングルの写真を見ていたからだ。無論、本来は開放していないので、屋根の上には照明のケーブルやらなんやらで雑然としている。宗教施設の屋根に上るのは、ミラノで大聖堂の屋根に上って以来かもしれん。

屋根に上ると遠くにかつてイスラム世界で最大を誇ったビビハニム・モスクが見える。
あぁ、俺はこれが見たかったのだと、旅の疲れが吹き飛ぶ一瞬だ。


サマルカンドは「青の都」と呼ばれる。青色のモスクと抜けるような青さの空の色に由来しているそうだ。
正直、空の青さはピンとこなかったが、朝の散歩において夜明けを待つときに納得させられた。

・・・特別に早起きをした訳ではない。前にも書いたが冬のウズベキスタンの朝は暗い。私はここでも運がよく、ティムール廟の近くの安宿に転がり込んでいたのだが、朝食までに時間があったので散歩にでかけることにした。大晦日の早朝だからだろうか、レギスタン広場には人影もない。
イスタンブールなどもそうだが、モスクは夜通しライトアップされることが多い。イスラームの国々の街ではそのモスクが映え、夜景はなべて美しい。
しかし、レギスタン広場のそれは格別だった。
ようよう明けゆく空の碧とモスクドームの青とが溶け合って息をのむような美しさであった。
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サマルカンドではしばらく滞在した。イスラーム建築だけでなく、町全体に活気があり、なるほど古来通商で栄えた街だけのことはあると納得した。

サマルカンドから次へは、ブハラを目指すことにした。タシケントで列車に乗り損ねたので、今度こそはと鉄道で移動することにする。少し前までロシア領だったので、駅の建築もまんまロシア風である。
平たくいうと、無骨で無駄にデカく、寒々しい。だが、それがいい。






プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#3』の話

まだ未明に目が覚める。未明と言っても冬のウズベキスタンは7時過ぎまで真っ暗だ。
昨日の寝しなに、まずは当初の目的通りサマルカンドに行くことに決定した。東のキルギスや北のカザフスタンを目指すことも考えたが、キルギスへの片道陸路・片道空路での往復では良いチケットがとれず、かと言ってカザフスタンは首都まで遠く、片道の陸路もおぼつかない。

なので、今回はウズベキスタンをじっくり見ることにした。
サマルカンドへは8時に特急が出ており、それなら昼には到着する予定だ。宿を探す必要から、早めに到着したかったので丁度良い。
ウズベキスタンを旅する時にネックになるのが、『レギストラーツィア』である。要は『登録』なのだが、宿泊先で一筆を書いてもらう必要がある。おそらく夜行だと車掌にでも書いてもらうのだろう。この書類が揃っていないと出国の際にトラブルになるという。おまけに税関申請も厳しく、持ち込み/持ち出しの外貨はキッチリ揃えないとこれまたトラブルになるらしい。まぁ後者はキッチリ数えれば良いだけだが、前者は私の様な個人旅行者には足かせになる。

何しろ年末年始である。イスラム圏なのでヒジュラ暦上の正月を重視するのかも知れないが、休暇で宿がとれないケースも考えられる。普通なら駅やそこらで野宿すればすむ話だが、それが無理となると心理的に重しがかかるのである。
エクスペディアで探してみると、サマルカンド以外では宿がとれない。
ただ、パキスタン同様、宿が予約でいっぱいと言うより、単純にエクスペディアに登録している宿が少ないだけの可能性もある。
迷ってても仕方ない。とにかく気持ち余裕を持たせて移動することとし、駅へ向かう。

タシケント駅につき、いざ構内に入ろうとすると、セキュリティチェックがある。単純なセキュリティチェックだと思っていたが、切符もチェックを受けている。
いやな予感がしたが、持っていないのでその旨告げたが、案の定、制止され「切符を買って来い」と言われる。
で、切符の売り場に行くと華麗にクローズである。
8時から営業らしいが、列車は7時台である。どうやら前日に切符をおさえておく必要があったらしい。
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【閉まっとるがな。。。】
旅の予定が狂うのは当たり前だ。嘆いていも仕方ないので地下鉄でバスターミナルのある駅に向かう。

ウズベキスタンの地下鉄は、まんまロシア地下鉄である。それも17年くらい前に旅行した時の「古き良き」ロシア地下鉄そのまんまで感動する。
なべて海外の地下鉄は薄暗いが、天井の高さもあって極めて暗い。しかし、よくよく見ると宮殿のような装飾もあって美しいのが特徴。そして入線してくる列車は古く、鋼鉄製の車両だ。車両が重いせいか、轟音で入線してくるのは迫力がある。
ロシア同様、ウズベキスタンも地下鉄の写真撮影はご法度なのだが、こっそり撮影したりなどする。
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さて、駅に到着後、地上にあがりバスターミナルを探す。どうやら駅のロータリーが乗り場のようだ。
所謂バスの車両はなく、スズキなどのバンが数台と、自動車が数台だ。
外国人の私にいっぱい群がってくるが、何しろ相場がわからない。一応、駅員に相場を聞いたのだが、彼も知らないという。ただ、傍にいたおっさんが、一人乗りだと外国人は60ドルくらいだという。
「外国人は」という表現は気になったが、まぁ多少上乗せされるのは仕方ない。インドなどでは美術館の入館料で3倍近い値段を外国人には請求されるケースもある。
相乗りは望むところなので、群がるオッサンたちに値段を聞く(黙ってるとすぐに車に連れて行こうとするのはどの国も同じだ)。無論、答えない。「幾らならいいんだ?」お約束の会話である。
「10ドルだ」というとみんな爆笑である。どうやら安すぎたらしい。誰一人のってこない。でもここで慌てて30ドルという必要もない。いろいろ聞いて回った結果、18ドルで手打ちとなった。
車には若い男と、老婆と老人が既に乗っていた。幸い、若い男は英語が話せたので道すがらいろいろ教えてくれる。最初、ガイド料を請求するのではと警戒していたが、どうやら学生らしい。鞄には贋物っぽい化粧品が大量に入っていたので、土産と言うよりは商売もしているのかもしれないが、どうやら私から金をとる気配はないらしい。逆に4時間も密室にいるとなんだかんだと仲良くなるもので、リンゴを奢ってくれたりした。(タシケント〜サマルカンド間はリンゴの産地らしい。ぼそっと「リンゴって(ロシア語で)ヤーブラカだよね」と言うと喜んで車を止めて買い与えてくれたのである。おそらく相手は20代で、こっちは40代なのだが、多分、相手は私を年下と見てるのかもしれない。日本人が若く見えるのは、パキスタンや中央アジアでは際立っているようだ。いや、これはホントであって、日本人の『彼は老けて見える』とかいうレベルをはるかに超越して連中は老けて見えるのである。)

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【タシケント⇔サマルカンド道路。ひたすら荒涼とした風景だが、よく整備されている。】

そして15時前にはサマルカンドに到着した。残ったメンバはまだ先があるようで、市の中心の少し北、天文台の辺りで降ろしてくれた。さっきまでガイドと警戒していたくせに、何となくその男の分の足しにとお釣りをあげて車を降りる。