プチ社長日記:『アフリカ縦断#2:スワジランド王国』の話

■スワジランド王国へ
スワジランド王国へはミニバスで約7時間を要した。

※「地球の歩き方」に書いてある所要時間は、この路線に限らず
短めに書いてあるところが多いです(おそらくバス運用会社側の言い値の時間を書いている)。
なべて1.5倍は見ておいた方がいいです。
いずれにせよ、余裕のある日程を組まないと、立てた計画は即座に破たんすると思われます。
加えて、道路事情(悪路か否か)にも左右されるので、ヨーロッパと異なり地図上の目分量で、「だいたい、このくらいは移動できるだろ」
という目算が狂いがちです。
ベストは「計画を立てずに行く」ですが、やはり仕事をしているとそうもいきません。

7時間の道のりだったが、国立公園の中を通過するので景色もよく、陽気な同乗者にも恵まれ楽しく過ごせた。
順調に進んでいたが、途中で車両がエンジントラブルを起こしてしまったのも、一興。
まぁ、このくらいのトラブルは付き物と割り切った方が精神衛生上良いです。

オーバーヒートで、ファンベルトの異常が原因とのこと。おそらくベルトが緩いのだろう。
適した工具がない為、運転手が必死で他の車を停めようとする。
これが存外停まってくれるもので、1時間に5台は停まってくれる。南アフリカの人はなべて優しいなぁと、ちょっと感動。
一部の客は、停まってくれたバスの方に乗ってしまったが、運転手は根気よく車を停めては、
ぴったりある工具の有無を聞いている。
一方で残った乗客は呑気なもので、最初こそ私も車を停める役を買って出たのだが、
そのうち
「お前、直せるか?」
「トヨタじゃないから無理だな。トヨタでも直せないけどね」
とかの駄噺などして、今思うと全く役に立ってなかったですね。大変申し訳ございません。
・・・とかやってると運転手がエンジンを直してしまう。運転手ゴイスー。
【エンジントラブル】
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【私が停めたトラックに奪取する運転手(働き者)】
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当初、首都ムババーネを目指していたのですが、私以外に首都を目指すものは無く、
皆さん最大都市であるマンジーニ行きでしたので、空気を読んで追従。
私がムババーネに固執しなかったので、皆さんも喜ぶ。
【国境】
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【バスターミナル】
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最大都市と言っても、私が着いた夜20時には店も閉まり、秋(5月)の虫が五月蠅い只の田舎です。
最寄りと思われる宿へ向かい畑の脇をトボトボ歩いていると、「お兄さん、遊んでいかない?」的な女性が3名ほどいましたが、それ以外は特に何もなく、南半球の星空が美しい街です。


因みにですが、近隣のモザンビーク、ボツワナなど含め、周辺はエイズ罹患率が相当高く、10年以上前のWHOの調査で
余裕の10%越えです。今やもっと高いとも言われています。
標本数など、詳しいことは知りませんが「平均値」でソレということは、プロにおいては推して知るべしですね。
くわばらくわばら。

宿は難なく見つかり、サントンの豪華ホテルとは比べ物にならない、トイレに便座もない宿でしたが、
腰を落ち着けられた喜びが勝ります。
さっそく、空腹を満たそうと宿の方に「近隣のどこか食べられる場所」を聞きだし、
そのバーで地ビールで一人祝杯。
ところがそのバーも22時で閉店とかで、以降は特にすることもなく、宿に帰っておとなしく寝ることにしました。
【サイベベ。美味。】
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プチ社長日記:『アフリカ縦断#1:南アフリカ」』の話

■口上
2017年5月のアフリカ縦断計画の第1回旅程の回想です。

4月に書いたケープタウンの話から随分、日が経ってしまいました。
実はこれを書いているのは、ケープタウンを嚆矢とするアフリカ縦断計画の第2回旅程を終えた
機上であります。
古新聞かと思われますが、沢木耕太郎氏の「深夜特急」も松尾芭蕉の「奥の細道」も
旅が終わってから記述されたと言いますし、ご了承願えればと。

場所柄、ちょっとガイドブックぽくなっておりますが、少しでも私の経験が後続のお役に立てればとの
思いによります。
(私自身も、先達の記事を参照にすることが多いので。)

■南アフリカ
ケープタウンは一部を除き治安は安定している印象です。
その一部とは駅と旧城砦跡周辺なんですが、私が訪れたときは城砦跡でイベントが開かれており、
休日の家族ずれでにぎわっていました。
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函館の五稜郭に似た城砦には歴史館があり、アムネスティのような人権団体がアパルトヘイトを軸に人種差別反対・
解放の歴史を展示しているのであるが、アフリカへの進出著しい中国による資本なのか、
何故かアンバランスに日本のネガティブキャンペーンになってしまっているのは非常に残念でした。
南京大虐殺(当然、30万人説)の展示とか、アパルトヘイトと関係ないと思うんですけど。

ケープタウンのバスターミナルは駅に隣接しており、長距離バス会社ではインターケープ社とグレイハウンド社が有名です。
私はグレイハウンド社のURLにアクセスできず、インターケープ社で予約を購入することにしました。
ネットで購入しても、クレジットカードの確認の為に一度窓口に行く必要があるのは両社共通のルールになります。
尚、この時に国境越えの場合はパスポートの有効期間等も確認されます。
バスは大型でトイレもついており、割と快適でした。
【インターケープのバス】
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ただ真っすぐ続く単調な道ではあるが、アフリカの広大さを垣間見れたようで嬉しくなる。
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約20時間後、ヨハネスブルグへ到着。
ただ、現地でヨハネスブルグと発音されることはなく、英語読みのジョハネスバーグ、
もしくは略称のジョー・バーグと呼ばれています。

・・・ヨハネスブルグの一時の治安は悪さは確かに凄まじかったらしい。
有名なポンテ・タワーという、円筒形のタワーマンションはギャングや薬の売人に勝手に占拠され、
円筒形の中空部分をなす吹き抜けは、彼らが投棄するゴミで5階部分まで埋まったといいます。見てないから知らんけど。
【バスの中から見たポンテ・タワー】
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【割と普通のビルでした】
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確かに、南アフリカ最大の都市であるにも関わらず、廃墟ビル、もしくは不法占拠(※)と思われるビルが多く見受けられます。
※明らかにオフィスビルの作りであるにも関わらず、人が住んでいるのでそう思っているだけで、
現在は(ポンテ・タワーのように)権利関係が整理されているのかも知れない。

ただ、メキシコもそうだが、犯罪の多くはギャング同士の抗争であったりするので、
過去10年において、この都市での日本人の殺人被害者は無く、十分気を付けていれば日中の散策程度は問題ない印象だ。
実際に散策したが、普通の活気ある街である。
【ヨハネスブルグのダウンタウン】
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一時、2ちゃんねの掲示板で「ヨハネスブルグのガイドライン」というガイドラインシリーズとでも呼ばれる掲示板が
立っており、そこは面白おかしく誇張された表現が成されていたが、(読み物としては楽しいが)
旅の参考になるようなものはないと思われる。
ガイドブックの代表格「地球の歩き方」でも、ヨハネスブルグに関しては、
その看板を投げ捨てて「歩くな」というスタンスであり、地図も載せない徹底ぶりである。
只、この辺はガイドブックなのだから、もう少し最近のデータを掲載した上で、
リスクを取る/取らないは読者に委ねる形式にするなどして、ガイドブックとしての矜持を守れないものかと思う。

かくいう私も、宿は郊外のサントン・シティにとったので、ヨハネスブルグが安全だと言うつもりもない。
一般に言われるほど、悪くはないと思います、という話である。
少なくとも、『北斗の拳』に出てくるような、モヒカンバイク野郎が『ヒャッハー』とか叫んでいるような街ではない。

ヨハネスブルグは過去の荒んだ時代に、企業を中心に中心部から郊外に拠点を移してきたそうで、
その一つがサントン・シティとのこと。
綺麗で巨大なショッピング・モールや高級ホテルが並び、漂う雰囲気からしてもう、安全である。
【サントン・シティの街並み】
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【ネルソン・マンデラ スクウェア】
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※ヨハネスブルグに来られる方は、少なくとも最初の1泊目はこのエリアにした方が良いかと思います。
空港からのアクセスも申し分ないです。
因みに、ここのショッピング・モールであるマンデラ・シティで昼飯を食べたのだが、
パスタにあれこれつけると普通に1500円ぐらいします。
ヨハネスブルグからバスで他の街や国に行かれる方は、バスターミナル(パークステーション)が
ダウンタウンにあるので躊躇されることもと多いかと思います。
ただし、バスターミナル建屋そのものは警備が行き届いているので安心だということは、先達もネットに記載している
通り。問題はターミナルへの行き方、ですね。
ガイドブックには、「バスターミナルの外ではなく、敷地の中までタクシーで送ってもらえ」とか
「着いたらホテルに迎えに来てもらえ、一歩も外に出るな」というような内容が書かれています。
しかし、空港⇒サントンシティ⇒パークステーションはハウトレインという新しい列車でつながれており、
ハウトレインの駅とパークステーションは50mほど歩くだけなので問題ありません(保証はしませんが)。
先ほど挙げた長距離バス会社などはその建物から出発しているので、街を散策しないならほぼ大丈夫です。

一方で、私はスワジランド狙いでしたので、ミニバス(ワゴン)の停留所に向かいます。
バスターミナルの裏手から出て、100mほどです。
【チケット購入】
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ここはちょっと物騒な雰囲気ですが、旅慣れた方なら何の問題もないレベルです。
ヨハネスブルグ発のミニバスですが、これがなかなか充実していて、近郊へ出るバスの他、
ボツワナ、モザンビーク、レソト行き等があり、見ているとわくわくします。
基本的にミニバスは「満員になると発車」というシステムなので、多少待ちますが、私の乗っているスワジランド行は
1時間ほどで発車できました。

プチ社長日記:『三つ子の魂フォエバー』の話

時間くっそ無いのに、シャーロックホームズのゲームを買ってやり始める。
通信主流の時代にあって、じっくり楽しめる据え置き買い切り御一人様仕様、もうこれはワイ仕様と言って過言ではない。
HDD16G?いいよいいよ、ワイはTV見ないし録画もないし、スカスカでござる。

ゲーム自体は簡単である。今のところ。まぁ、アクションでもないし。

ただ、無駄に英語版でプレイしており、ところどころ英語で躓くことによって、ほどほどの難易度に仕上がっているところが絶妙だ。

難点といえば、英語でやると「勉強してますから」というエクスキューズ成立により4時までやってしまい、朝8時半の会議(英語の会議なのだが)に遅刻しそうになるぐらいである。

という訳で、ワイ自身には激しくお勧めだが、通信で友達多くて英語も上級な人にとっては超絶クソゲーという評価の可能性も拭いきれないので自己責任で。

頑張れワイ、眠気に負けずロンドンに平和を取り戻せ! 豊島区民だけど。


プチ社長日記:『今年のバレンタインは・・・』の話

おっさん4人でプロレスを観に行くことになりました。
ノアだけはガチ!!!

プチ社長日記:『あけましておめでとうございました』の話

正月は仕事をしつつ過ごしました。

パズドラは学生の頃からの友人の協力もあってデータが復活しました。

白石一文さんの『快挙』を読みました。日常の何でもない生活を背景として人々の心の機微を書かせたら、この作者の右に出る人は多くないだろう。人生における快挙とは何かを問うくだりは、背中に寒いものが走るくらい鋭いものでした。

正月におせちを食べました。何年振りだろう、手作りおせちを食べたのは。

スキーブーツと板を新調しました。3本目の板。買いかえる度に長さが短くなるなぁ。

一年を振り返りました。出来たことに喜び、出来なかったことに嘆きました。この悔しさは新しい年の糧に。

概ね、良い年末年始だったと思います。






プチ社長日記:『スマホ壊れました』の話

年の瀬も押し迫ったこの時期に僅か50cmほどの落下で画面にヒビが入り、操作不能に。
この時期なので1日でも連絡がつかないといろいろ不便で萎える。

補償で同型の新スマホにデータを移行し終え、やれやれと思って古い方のデータを消去した直後に、パズドラのアカウント引継ぎを忘れていたことに気付く。1400日余りのデータなんですけど。。。
サンタさんがいたら、パズドラのデータを返してほしいって、マジ願うレベル。

まぁ、ピークはとっくに過ぎてるんだけどね。
まさか転生ネプチューンでパズドラ・ライフが終わるとは思わなかったよ。

しょんぼりである。

プチ社長日記:『気付けば・・・』の話

仕事の先輩と一緒に船舶免許を取得して以来、ちょいちょい船の練習をしている。
本日は勝鬨マリーナから船を借りて、東京湾一周である。
勝鬨から夢の島マリーナ経由で荒川に出て、そこから南下して海に出る。遥か左にディズニーランドが見える。
荒川を南下する際中、京葉線の鉄橋をくぐる。

私はリーマンショックの頃、幕張のプロジェクトに通っていた。
通っていた、と言っても平日は幕張のウィークリーに住んでおり、週末に行き来していた。
さざなみ号によく乗っていたが、荒川を渡る時、眼下にプレジャーボートで航行する人々を見て、羨ましく思ったものだ。
今、鉄橋を渡る列車を見て、自分が今、その位置にいることに気付くと、とても不思議な思いになる。

■京葉線
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因みに、船はレンタルである。思ったよりも安く借りられる(Sea Styleというヤマハのサービスを利用)。
あまりマリンスポーツに縁のない生活だった私だが、十分楽しめる。
何事もやってみなければ分からない。お声がけいただいた先輩に感謝である。


■東京湾
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・・・と、格好良く締めたいところだが、着岸時に流されてクラブ所属の他艇にこすってしまうのは、安定のクオリティである。今回はお咎めはなかったが、技術は真面目に身に付ける必要があるのね。。。

プチ社長日記:『さすがに・・・』の話

仕事が無くて困っているパキスタン人達から、「何でもいいから仕事くれ。掃除夫でもパシリでも何でもいい」という熱いメッセをいただくのだが、髭のオッサンにウチ来られてもむさくて堪らんので、「オマエ日本語話せないから無理」という冷酷なメールを連ポスする3連休。

プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#7』の話

目が覚めた。時計は7時を過ぎているのだが、緯度が高いのでまだ暗い。
ヒヴァのゲートまで行ってみる。吐く息は白い。
ゲートまで行ってみると、意外にも門は開いていた。
一部、微妙にライトアップされている。耳を澄ますと、そこかしこで箒で掃き清める音がする。
店は開いていないものの、徘徊するのはとても楽しい。
街のおおよその形を頭に入れると、明るくなってきた。

戻り一休みする。

宿は朝食がついている。おおよそ、どこの宿にも朝食がついている。タシケントやサマルカンド以外では朝から開いている店を見つけるのは難しい気がした。
シャワーを浴び、再びヒヴァ遺跡の方へ。

■ゲートの一つ
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遺跡としてのヒヴァは2重の城壁で囲まれている。随所に尖塔が建ち、オアシス都市のイメージそのままの、非常に美しい街だ。その美しさとは裏腹に、ついこの前の19世紀まで奴隷貿易で栄えていたという暗い過去を持つ。
奴隷としてこの街に連れてこられた者にとって、この街はどのように映ったのだろうか、、、そんなことを考えながら散策を続ける。
一つ困ったのが、中のレストランが殆ど休みだということだ。
遺跡を抜け、街中をさまよってみても、外食できるところが殆どない。仕方なくスタンドでコーヒーとサンドウィッチをもさもさと食べて済ませる。
一日中歩き回り、ヒヴァを堪能してから宿に戻り、タクシーを呼んでもらって空港まで行く。

■ヒヴァの町並み
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飛行機はロシア製のレシプロである。ジェットよりもレシプロが旅情が勝るので、私にとっては悪くない。
タシケントへの戻りはあっという間だ。もう相場が分かっているので、タクシーでもめることもなく、タシケントの宿に戻る。
翌日の飛行機は遅い時間なので、日本語教育センターなるものに足を運ぶ。およそ観光地ではないのだが、ちょっと仕事があったので、ここの学生達から情報を収集する。皆、非常に勤勉である。連れて帰って雇いたいくらいである。

学生達との時間は楽しかったが、夜のフライトでソウル、そして東京である。
ウズベキスタンという国は、スタン系の国の中でもサマルカンドに代表される観光資源が豊富であり、鉄道も整備されている。また再び訪問したい国の一つだ。



プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#6』の話

ブハラでは一人で静かな正月を過ごした後、最終目的地のヒヴァへ向かう。
宿屋の女主人にヒヴァへの行き方を聞き、近くのバスターミナルへ向かう。
(イスラム世界だが、女性の社会進出はそれなりにあるようだ。)
バスターミナルと言っても、バスはなく、乗合のワゴン(というよりバン)が屯ってるだけである。
で、ヒヴァ行きの交渉をするのだが、そもそもヒヴァ行きは夕方まで出ないと言われる。

■バスターミナル
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ブハラは見どころの多い街だが、それでも2日も滞在すれば見て回れる規模である。
オッサン達がタクシーで行けというので、駄目元で交渉してみると、(ちょっと正確な値段を失念したが)タシケント⇔サマルカンドより安いので飛び乗ることにした。
ところが、このタクシー、あれよあれよと乗客が増え、運転手と子供入れて7人となった。
因みに車種は「ネクシア」という、プリウスを少し大きくしたような車だ。

イスラム圏なので女性を優先して助手席に乗せ、狭いタクシーで一路ヒヴァへ。
道は割と整備されていて、地平線の見える広大な土地を西へ驀進する。
途中の休憩はバグダッド・カフェを更に廃れさせたような掘立小屋での1回のみ。
だが、そこで見た夕日が沈む様は息をのむような美しさだった。

その後も移動は続く。狭い車内で体中が痛い。一体、いつになったら着くのだと不安になるが、ヒヴァについたのはとっぷり日も暮れてから数時間走った後だった。
ヒヴァの遺跡は街の外れにある。宿をとっていなかったのだが、街の中心には大きなショッピング・センターなどもあって安心する。中心街に宿泊してもよさそうだが、朝日に輝くヒヴァを見たくて、遺跡の方まで行く。
もともと遺跡のゲートまで行くのが約束だったからだ。
中心街でタクシーを降ろされ、別のタクシーに分乗するのだが、ここでちょっとしたトラブルが発生する。
先行したドライバーが分け前を多くとったのか、分乗後のドライバーがもう少し金をくれ、というのである。
冷静に考えたら安いのであるが、そこはウズベキスタン。2千円くらいでも支払は札束となるので、大金を支払った気でいる私は当然、抗議。
商売のルール無視は私の逆鱗ポイントだ。断固拒否し、運転手は英語が話せないので身振りで胴元を携帯で呼び出してもらい、約束が違うと断固抗議、抗議というより(私の英語力のせいで)罵詈雑言である。
胴元は非を認めて取り消したので、それ以上は追及しなかったが、ドライバーがまだ何かブツブツ言っている。
ブツブツ言っているのだが、英語でないので聞き取れない。憮然としたまま、交渉は終了したのだからと黙殺を続ける。

車は長い間、のろのろと走り続けた。そうこうする内に数少ない英語表記の標識でも旧市街(遺跡)は通り越したようだ。
・・・そこで私は悟った。これはちょっとやりすぎたかも知れん。

車は街を外れ、人気の少ない川沿いを走る。周囲は真っ暗で、川沿いであることも目を凝らさないとわからない。
もはや道も舗装されていないので速度はそれほどでもない。ドライバーは私より小柄だが、いざという時の為に、飛び降りも辞さずで身構えていると、一軒の家の前で停まった。
ドライバーは何かを話して車を降りて民家に入っていく。着いてこいという身振りはしなかったが、私も車を降り、いざという時の為にドライバー側に回り込んでドアの傍に立つ。
血気盛んな野郎共が出てきたら、鍵を抜き取って逃走し、追ってこれなくしてやろうという魂胆だ。
暗闇の中、民家の方にじっと目を凝らす。

ところが、出てきたのは先ほどの小柄なドライバーと女性である。
女性は流暢な英語で話しかけてきた。

「オールド・ヒヴァ(遺跡のある旧市街方面)はこの時間帯になると車道は閉鎖されていてゲートまで行けないのよ。それで、彼はホテルまで送ろうと思ったのだけど、どのホテルまで送って行けばいいか分からないから、友達の私の所に来たのよ。」
・・・要約すればこうである。

どうやら、彼は胴元から誤解を解かれた後は、私から追加料金を請求しようとしているのではなく、私の為に付近を走り回り、挙句、英語の話せる人間の所に連れてきてくれたのである。私なら閉鎖されている地点で客を降ろすのだが、彼はそれを不憫に思ったのか、旧市街の周りをぐるっと回ってくれていたのだ。

私は恥ずかしくなった。無論、用心に越したことはないから、間違っていたとも判じ難いが、黙殺せずに意思疎通を図ろうとしていれば、彼の意図くらいは汲めたと思う。

彼女経由で運転手に謝罪の言葉を述べると、彼にも笑顔が戻った。
私は、宿はまだ決めていないので、交通規制箇所の手前で良いと告げた。
送ってもらって着いたところは、30分ほど前に通ったところだった。
彼の善意に感謝をし、結局、当初に追加請求された額以上のチップを渡した。
チップというのは、こういう時に渡すべきものだ。「正直こそが最良の商売方法」というのが世界中のコンセンサスになる日が来ればいいと、心から思う。

さて、もうすでに夜の10時を回っていた。砂漠地帯の夜は、猛烈に冷える。と言っても川が凍るほどではない。
車両の通行は止められていたが、徒歩なら先へ進める。旧都市のゲート付近になら必ず宿はあるだろうと思ったが、案の定、2軒ほどあった。
安そうな方に飛び込む。「今晩、部屋はあるか?」と聞くと「当然だ」という表情である。
カウンターの後ろにキーボックスがあるが、その殆どにキーがある。客がいないのだ。
正月が観光シーズンだとすれば厳しいかな、と思っていたが、そもそもイスラムの正月はヒジュラ暦ベースなので、それほどでもないようだ。というか、閑散期のようですらある。
念のため、「お湯は出るか?」「wifiは使えるか?」も聞いてみた。両方Yesだ。申し分ない。
部屋に入ると旧市街の門が見える。
疲れていたのでシャワーも浴びず、そのまま眠り込む。