プチ社長日記:『31歳と46歳で』の話

定点観測地の上海で昔の写真と比べてみるんゴよ。
【31歳】


【46歳】


31歳のときは会社やめて、サイト運営とかやってた頃ですね。日本株のトレード経験を最も積んだ時期でもあります。株は20代前半からやってたんですけどね。
結局、その後の生活の中心はコンサルに戻っていくんですけどね。
46歳の私ですが、結構、メインクライアントの契約上の建付け変更の影響を受けそうで、初心に戻って手探りでやっていく時期になりそうです。つらいのぅ。

プチ社長日記:『アフリカ縦断#11:キゴマ(タンザニア)〜キガリ(ルワンダ)』の話

■キゴマ〜ブジュンブラ
キゴマを早朝に出発する。
宿の主人にバスターミナルまで送ってもらい、小さなバスに乗り込む。
バスは軽快に走り、タンガニーカ湖のあるキゴマからどんどん高度を上げていく。
気づけば山の稜線を走っている。
ブルンジ、及びその先のルワンダは山が多く、標高の高さから夏でも涼しい。

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1時間ほど走った後、タンザニアを出国し、ブルンジに入国する。
そこでアライバルビザを申請するのだが、またここでトラブルである。

ビザが発行できない、という。

・・・は?理由を教えろ、と食い下がるもどうも要領を得ない。
で、異変を察知した野次馬から聞いたところでは、「紙がないから発行できない」とのこと。
どういうこと?

紙というのは、申請書ではなくて、ビザそのものの紙らしい。
その紙がないから発行できない、ということのようだ。

バスの連中は私をおいて先に出ていってしまった。
ヤバい。国境は山間なので何もない。さっそくバイクタクシーの運転手と交渉してタンザニア国境まで戻る。
事情を話して再入国させてもらい、今度はタクシーの運転手と交渉する。
とにかくキゴマに公館があるから、そこへ行け、ということである。早くしないと公館が閉まってしまう。
通常、ビザ発行の受付は午前中のみだったりする。
はやる気持ちでタクシーにのり、キゴマまで戻る。

【キゴマのブルンジ公館】
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正午過ぎにキゴマの公館に飛び込み、「すみませーん、ビザを発行してください〜」とお願いすると、
ビザは発行できるという。往復で2時間。国境で過ごした時間が1時間だとすると、3時間遅延だ。
タクシー飛ばせばバスに追いつけるかもしれない。

出てきた女性は親切で、ここに記入しろ、あそこに記入しろ、と申請を手伝ってくれる。
ひとしきり記入が終わった後、
「ところで、お願いがあるの。私たちに好意を見せてほしいわ」と言ってきた。

「好意って?」と聞き返すと同時に、賄賂を要求しているのがわかった。
ビザの発行は彼女の裁量次第だということは想像できたので、ここで断固拒否すると今日のビザ発行は絶望的だ。
さすがにこれ以上の遅延は連休中に帰国できない。
地獄の沙汰も金次第、ということか。

釈然としないまでもビザ代込みで30ドルを掴ませる(何となく50ドルを匂わせていたが)と、あっという間にビザは発行された。
ブルンジ人がタンザニアのキゴマで生活できてるだけで優遇されているとは思うのだが、
人間の欲の深さに限りはないらしい。

元来た道を取って返し、タンザニア国境を越え、そこからバイクタクシーに更に乗り換え、ブルンジ国境に到着。
問題なく越境。ただ、越境しても山間である。幸い、ブルンジ側もタクシーが何台か停まっていたので交渉し、
ブルンジの首都ブジュンブラへ向かう。(30ドル)

【独国系植民地と英国系植民地では車線が違う】
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ブルンジは近隣では最も貧しい国と言える。
ルワンダとほぼ時を同じくして内戦状態になったが、いまだに貧困に苦しんでいるのはその後の政治の巧拙によるところが大きい。
ブルンジ領内では集落ごとに私設検問のようなものがある。
ここで通行量を巻き上げようというのか、それとも減速した車にものを売りつけようとするのか?
私にはわからなかったが、タクシーは免除されているのか、お咎めは何もなかった。

集落を通過する途中、道のど真ん中で泡吹いて仰向けに倒れている女性がいた。
「クスリだな」と運転手が言っていたが、入国したとたんにヤバい香りがして気を引き締める。

タクシーは山間を抜けて、再びタンガニーカ湖沿いに走る。
湖畔を北上するのだが、ここも先日の雨で道がぬかるんでおり、スピードが出せない。
不幸中の幸いだが、バスではなくてタクシーで正解だった思う。
結構、水に浸かりながらもタクシーはどんどん北上する。
途中で割にあわないと思い出したのか、運転手が本当に30ドルくれるのかと心配そうに聞いてきたが、
キチンと送ってくれれば問題ないと励ます。

【こんな道ばっかり。。。】
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休憩もなくひたすら運転手が先を急ぐのだが、湖畔から離れた集落で運転手を誘って休憩する。
ジュースを振る舞い、タバコでご機嫌になったのか、運転手もすっかり安心した様子。

【ブルンジの集落】
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暗くなるまでにブジュンブラに着きたいのは彼も同じ思いのようで、休憩後も再び彼はタクシーをとばす。
バナナ農園が広がり、ところどころに集落があるのだが、何か選挙活動のような集会がそこかしこで開かれていた。
不要に絡まれてもつまらないので、こういうのには近寄らないのが吉だ。

さて、夕方ごろにブジュンブラに到着した。帰宅ラッシュなのか、車が行きかうも、何となく統制の取れた感じがしないのは気のせいか。
ブジュンブラの治安は悪いと見たのと、この町は絶望的に観光資源がないので、近辺を散策するだけにとどめ、
まずはバスターミナルに向かってルワンダ行きの便を探す。

先達の情報によると、 YAHOO バスがよいとのこと(無論、ポータルの YAHOO!とは無関係)であるが、
どうも最近はネガティブな評価が多い。
数年前にはゲリラに襲撃されたそうな。
治安がよくないので朝発の便のチケットをとる。ブースの兄ちゃんによると、明日の朝に宿まで迎えに来てくれるらしい。
お、そりゃ助かるな、と喜び宿に転がり込む。
いい部屋が無かったとかで、1階の暗い部屋だったが、ロビーでビール飲んで人心地である。


■ブジュンブラ〜キガリ
ちょっと寝坊してしまったが、迎えは指定の時間にやってきた。

ビザトラブルがあったものの、何とか1日の内にブジュンブラまで移動できたので、
今晩、ルワンダの首都キガリまで到達できれば明日の便に間に合いそうだ。
ルワンダは近辺で最も治安が良く、インフラも整備されているというし、勝負はブルンジ側を越境できるかに掛かっている模様。
イエローカードも所持している(2019年現在、ルワンダ入国に黄熱病予防接種済を示すイエロー・カードは不要になったとのこと。
ただし、入国予定の方は最新の情報を確認されたし。)ので、問題はないだろう。

車には既に他の乗客が一人のっている。
更に付近を走り、おばちゃんが1人乗ってきた。
さて、いよいよバスターミナルに向かうのかな、と思っていたが、タクシーはブジュンブラ郊外に出て、そのまま北上してします。
あれ、どうやらバスではなくて普通の乗用車で向かうようだ。
この時点からちょっと嫌な予感はしていたが、せんなき事なので、周りの景色を見やる。

【ブジュンブラ街並み】
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入国用のビザでいきなり賄賂を要求され、道はぬかるみ、またところどころに豪快で土砂崩れが起きていることから、ブルンジというのはなかなか旅行者にタフな国だというイメージである。
ただし、土砂崩れはあっても、対向車がいるということは、通れるということだ。
しかも、土砂崩れのポイント前には、竹のような食物がわざと折られて置かれており、突如突っ込むという事はない。
※「地球の歩き方」にもブルンジの記載は一切ない。

【コバンザメ走法】
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ルワンダも山が多く、首都キガリも「千の丘の街」と言われるくらいなので標高は高い。
いきおい、登り路が多くなるのだが、トラックやバスにどう見ても過積載の自転車が複数台取り付いて山道を登るさまは見ていて飽きない。
なんだろう、みんな逞しく生きている感があって、自分がもしこの国に生まれていたらどんな気分だったろうと想像に掻き立てられるほどに、ワイルドな雰囲気である。
それでも走っている乗用車の中は安全だ。景色を楽しみつつも、国境にさしかかる。順調、順調。

【国境】
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余裕をかましていたのだが、またしてもここで問題が。
私の方はアライバル・ビザも取得し、車が越境してくるのを待っていたのであるが、いつまでたっても来ない。
そのうち、また雨も降りだした。
さっきまで同乗していたおばちゃんは、業を煮やしたのかルワンダ側の相乗りタクシー運転手と交渉を纏めてしまった。
事情を聴くと、どうもYAHOO!バスが警察にとっつかまって越境を諦め、ブジュンブラに戻っていったとのこと。
どうもこの運行会社、警察に目をつけられており、それ故に破格の値段だった模様。おいおい。

おばちゃんが交渉していた乗合タクシーはおばちゃんで満席となってしまったので、別の相乗りタクシーを探す。
不幸中の幸い、美人のお姉さん2人と同乗することになった。
雨の中で出発を待つ間、なんやかやとこの2人と話しており、お菓子をくれたりなどする。
睡眠薬強盗かと、警戒しつつも、彼女らのルワンダ事情の話を拝聴する。なかなか流暢な英語で、身に着けているものからも相応裕福な家のようだ。
さて、ルワンダに入ってしまえば、予想していたとおり事態はスムーズに進んだ。
国力の差が如実にでるのだが、ブルンジに比較して道路はキレイに舗装されており、ところどころに土砂崩れはあったものの、
付近の住人が復旧作業に当たっていた。雨の中で作業をしても二次災害になるのではとこちらが心配していたが、
彼らのおかげで順調にキガリに向かえている訳だから、頭の下がる思いである。

【ルワンダの子供たち】
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思えば、アフリカは割と金に汚くない。
たとえ貧しい国であっても(国連難民高等弁務官事務所の施設などもあった)、割と決めた値段で仕事をしてくれる(YAHOO!バス除く)。
このドライバーも確り仕事をしてくれたので助かった。

【難民キャンプ】
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途中、コーヒーで有名なフィエを通過する。コーヒー農園で豆を乾燥させている景色が見えた(雨はあがっていた)。
そうこうする内に、首都キガリに到着する。

【虐殺記念館からキガリ中央部を眺める】
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日も暮れてしまったので、虐殺記念館以外の観光は諦めた。ただ、キガリの宿だけは前から決めており、そこが観光地の一つになっている。
宿の名前は「ホテル・ミル・コリンズ」。
映画「ホテル・ルワンダ」の舞台だ。

■キガリ#1
ホテルにて明日の飛行場までのタクシー事情を確認し、とりあえず明日の飛行機に乗ることはできそうだと、ようやく安堵する。
思えば前半に先を急いでいなかったら、悪路での立ち往生やブルンジビザのトラブル、
及びルワンダ国境でのトラブルに対応する時間がとれていなかった可能性が高い。
そのトラブルも、それぞれバスの運転手の英断や、たまたまタクシーがいい塩梅に捕まったという幸運により対応できたと思う。
アフリカ大陸という不確定要素が多い土地を旅するには、一も二にも余裕ある旅程が必要と痛感する。まぁ、仕事しているとそうもいかないのであるが。

さて、宿泊した「ホテル・ミル・コリンズ」であるが、実際には映画のような美談ではなかったことを付け加えておく。
【ミル・コリンズ】
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プチ社長日記:『アフリカ縦断#10:タンザニア〜ブルンジ◆戮力

とにかく、タンザニア内はひたすらバスである。目指すはキゴマ。
コンゴ紛争の時は難民が押し寄せ、キゴマキャンプは悪い意味で有名であったが、
今は落ち着いてタンガニーカ湖畔のちょっとしたリゾートらしい。
私は仕事の為に、週に1〜2日は中級以上のホテルに泊まることにしている。
キゴマでシャワー浴びて、のんびりして、酒にありつくぜ!と一人ご満悦である。

朝の5時に出たのだ、さすがに今日中には着くだろう。

・・・着きませんでした。

ハイハイ、ここ終点だから、とバスから降ろされた場所は、ムパンダという場所らしい。

え、どこですか?それ。
「いやいや、俺、キゴマ行きの切符持ってるから!」と申し立てると、
「あ、乗り換えなんだよ。そのバス出るの明日だけど」

ええええ。

まだ夕方っすよ。頑張れば今日中にいけるっしょ。
諦めの悪い私は、というか、「さすがにこのままだとゴールデンウィーク明けに出社できなくてヤバい」と
考え出した私は、ムパンダのバスターミナル内を走り回り、「キゴマ行き」のミニバスをしつこく探し回るが、
どこにも、ない。

まじかよ・・・。
いやー、特に観光する場所もないし、暗くなってきて出歩くのもちょっと危険なので、
もう早々に諦めてターミナル傍のドーミトリーに転がり込んで不貞寝を決め込む。


■キゴマへ
服のまま寝てたので、まだ夜明け前に起きてそのまま隣のバスターミナルに行き、ビスケットや水やらを買い込みシートに陣取る。

【ムパンダ バスターミナル】
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早朝のルサカを友人と別れ早朝に立って以来、2泊3日はただひたすらバスに乗る日々である。
まぁ、ルサカ〜ダルエスサラームが40時間と聞いていたので、ある程度覚悟はしていたがほぼ3日かかるとは思わなかった。
ゴールデンウィーク明けに会社の同僚やお客さんに「オマエ、休みの間は何やってたの?」と聞かれれば、
僕は間違いなく「バスに乗ってました」と答えるだろう。
そう、僕はアフリカまでバスに乗りに来たのだと自分に言い聞かせ、旅を続ける。

昨日、夕方でムパンダで足止めを喰らい、キゴマ行きのバスが終わってしまっていて悔しい思いをしていたのだが、
走り出して30分で理由が判明した。

滅茶苦茶、悪路なのである。
今まで、チベット山岳地帯やインド・ネパール国境他で悪路は経験してたが、ちょっとこのレベル初体験ゾーンである。というのも、両者とも四駆で重装備だったのだが、こっちはサスペンションもフワフワのオンボロバスなのだ。

【無理ゲー感溢れる悪路】
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バスの天井にしたたか頭を打ち、呻き声がそこそこで聞こえる。
私も半端なく頭痛い、帽子かぶっても無駄である。もう、しょっちゅうケツが浮いて無重力を味わえるのである。
ヤバい。このインターステラー感ヤバい。もはやドリフの世界。これ、日本ならゲロまみれになりそうな地獄絵図であるが、さすがに現地人、誰も吐かない。
くも膜下出血とか普通になりそうなので、間違っても後部に陣取ってはいけない。運転席後ろを激しく推奨である。
・・・って、こんなところに書いても「おぉ、貴重な情報ありがとう」なんて思う人は絶無だと思うが。


無論、バスはスピードを出しまくってる訳ではない、寧ろ逆である、中国の支援(?)で道路を舗装しようとしてる
箇所もあるが、基本はぬかるんでいるので、ママチャリで走った方が早いレベルである。
途中、バスが停車した。
で、みんなバスを降りてゾロゾロと前の方へ歩いていく。
もはや少々のことでは驚くことのなくなった私は「え?なになに?何がおこったの?」と周囲に聞きまわる気力も失せ、羊の様に黙ってついていく。
渋滞というほどではないが、何台かトラックが止まっている。
その先頭の車両を見て、判然とした。

思いっきりタイヤとられとるやーん♪
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あぁ、これアカンやつや。
ワイらのバスも、こうなってしまったら半日は棒に振るだろう。

午前中に、キゴマに着けるだろう。

悪路だけど、明るい内に着けるだろう。

今日中にキゴマに着けるのかな。。。

まだ朝だというのに、既に僕のテンションは2段階ダウンしていた。
車列の後方にいた同じ会社のトラックが、荷台を外して救助に向かう模様。
が、そいつも一筋縄でいかず、なかなか進めない。

同じバスの乗客は周囲に散り散りになって様子を見守っている。
・・・1時間は過ぎた。

すると遠くから轟音が聞こえてきた。
ドンドン近づいてい来る。
あぁ、なんと!僕らの乗っていたバスである。

運転手、イチかバチかの勝負に出たのか、ハイスピードで突っ込んでくる、そして、ぬかるんで動けなくなった
トラックの脇を突き抜け、窪地から飛び出してきた。ちょっとしたジャンプをして、車輪こそ浮かなかったものの、
僕は窓ガラスが粉々に割れるのではないかと心配したくらい、激しいが見事な突破だった!!!!

今思えば、あれがタンザニアのハイライトの瞬間である。
運転手ブラボー!!フォエバー運転手!!
バスの乗客も狂気乱舞である。(動画撮れなかったのが悔やまれる)

が、ここからがいけない、運転手興奮してるのか、バスを停めない。
停まったら死ぬ、という間寛平師匠の境地なのだろうか。確かに停まったらぬかるみに取られそうであるが。

僕は走った。
そして、徐行しているバスに取り付き、何とか車内に入る。ほかの乗客もどんどん乗ってくる。

この難所を抜けると、対向している車列が同じように溜まっていた。
思えば、この難所に来るまで、対向車と出くわしていなかった。
田舎なので、そんなもんだろうと思っていたが、ここが原因だったようだ。

対向車列が存在する、ということは、「キゴマから、ここまでは来れる」ということだ。
つまり、ここ以上の難所はもう無いだろう、この瞬間、僕は勝利を確信した。
勝利といっても、「今日中に目的地に着けます」という、ただそれだけなのだが。

日が昇り、道路が乾いてくるのも手伝ってか、車内の揺れのピークは過ぎた。
途中の休憩所では絞めたての鶏BBQにありつく。残酷なシーンを見ても、腹は減るのである。

【レストラン?】
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結果、まだ明るい内に、キゴマのバスターミナルについた。大きくて、割とすっきりしている。
キゴマであるが、バスターミナルが街の中心からめちゃ遠い。
バイクタクシーがいろいろ集まってくるので、交渉して街まで連れて行ってもらう。
ちょっと聞いていた相場より高めだったが、街中にあるキゴマからのバスチケット販売のブースまで連れて行ってくれたり、なかなか気のいいあんちゃんであった。次の場所への移動手段の確保は、非常に重要である。

街並みというと、下方にタンガニーカ湖が見える。
めちゃくちゃ大きくて、もはや海である。
因みにタンガニーカ湖はアフリカの大地溝帯によりできたものであり、気の遠くなるような未来、このアフリカの大地はここから完全に裂け、ここは海になるという。
ちょっとスケールがデカすぎてよくわからない話のようだが、実際にこの巨大な湖を目の当たりにすると、「なるほどなー」と思える迫力である。

キゴマは貨物だけだが鉄道駅が備わり、建物の佇まいが美しい。
おそらく且つては旅客用にも使われていたのだろう。安価且つ頻発のバスにその座を奪われるのは海外ではよくあること。
この鉄路はあのエッフェルが設計したモザンビークのマプト駅にも繋がっている(はず)である。
駅の後ろはタンガニーカ湖になっているが、湖に向かって左手の方に高級ホテルがあり、そこのレイクサイド・バーが観光客に人気らしい。
白人もいる。ザンビアのルサカからここまで、一人として白人を見たことはなかったが、さすがリゾート地である。

【キゴマ駅(貨物のみ)】
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宿に荷物をおいて、先ほど触れた高級ホテルのレイクサイド・バーで久しぶりの酒にありつく。
至福。
盃を重ね、タンガニーカ湖の向こう側、遥かコンゴにに夕日が沈むのを眺める。
・・・美しい。何て美しいんだ。
体中から疲れが抜けていくのがわかる。
あぁ、俺はこれを見るためにここに来たのだな、と卒然として理解する。

【落日のタンガニーカ湖】
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とっぷり暗くなるまでバーで過ごし、酩酊してしまった。
ちょっと不用心だな、と思いつつも、タクシーを待っていると金持ち風の白人が同乗させてやるという。
ありがたく乗せてもらい、自分の分は払うと申し出るも固辞される。
私、海外でも驕り負けている気がする。日本で外国人みたら優しくしよう、と思いを新たにする。

宿泊先はリーダーズ・ロッジという宿。かつて国の指導者達がキゴマで過ごした宿である。
快適であり、宿の主人が何くれなく世話してくれて、夜も一緒にコーヒーを飲んで過ごす。

いよいよ明日は、今回の最終目的地、ルワンダのキガリへ向かうこととなる。

プチ社長日記:『アフリカ縦断#9:タンザニア〜ブルンジ 戮力

タンザニアのムベヤに深夜に到着した私は、遠くに聞こえる音を頼りにフラフラと幹線道路を歩き、割と大きな交差点近くにクラブ・バーのようなものを発見する。

【音楽は響くが、人はまばら】

ビールでも飲みたい気分だが、現地通貨もなければ、ここがどこなのかの知識もない。
とにかく少しでも前に進まないとGW明けの出社に間に合わない気持ちが背中を押す。

とりあえず、仝獣歪眠澆悗領沼悄´⊆,両貊蠅悗琉榮扱佻の確保 を優先に考える。
バーのお姉さんに「ATMどこ?」など聞いて、差された方角へ500mほど歩くと、また別のバーに行き当たる。
人が全然歩いていない割にバーはあるが、ホテルらしきものはない。
一部ではバーがホテルを兼業していると聞くが、あまり泊まりたい雰囲気でもない。
幾つかATMを試すが、どれも無効とカードが突き返される。
カードが飲まれると嫌なのであまり独立したATMを使いたくないのだが、贅沢も言えない。
が、メイン・ストリート(と思われる)沿いのATMは全滅である。
・・・これはちょっとヤバいのではないか?(←気付くの遅い)

因みに今は5月1日の朝3時前である。火曜日である。そして、私の誕生日である。それも45歳である。
「また一つ、歳を取ってしまった」というだけでも破壊力抜群なのに、このシチュである。

ふと気づくと、道の傍らに若者がバイクで屯っている。
・・・ごめん、嘘ついた。ずっと前から気付いていたのだが、目が合わないように気付かない振りしていただけである。背に腹は代えられないので話しかけるが、どうもバイクタクシーの運転手の集まりだったらしく、とにかく海外カードが使えるATMに私を連れて行き、その後、セントラル・バスターミナルへ連れていけという交渉を纏める。
セントラル・バスターミナルという名前なのかは知らないが、だいたいこれで通じる。
で、バイクで2ケツしてムベヤの街中を走る。
なんかちょっと走るだけだろう、と高を括っていたのだが、これが結構走るのである。
何しろガチで暗闇を走るので、何kmくらい出ているのかピンとこないのだが、明らかに歩いて元の場所に帰れない。こういう時に思うのは、「どこか仲間のいる所に連れていかれて囲まれないか」であるが、まぁ、そうなったらそうなった時のことだ。とにかく今は親しげにバイクの運転手と会話する。

【明るい場所で撮ったつもりだが、ブレブレ。。。】
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・・・1件目のATMでカードは使えなかった。2件目でようやくバークレイズを見つけ、タンザニア通貨ゲットである。よくよく考えるとATMで自分の金を下ろしただけなのだが、こういう状況なので思わずガッツポーズが出てしまい、あまつさえ運転手にもそれを見られてしまう。まぁ、彼も運賃のとりっぱぐれがなくなって嬉しい筈なのだが。

さぁ、これで仝獣歪眠澆悗領沼悄,魯リアした。⊆,両貊蠅悗琉榮扱佻の確保に着手する。
バイク・タクシーの運転手が「どこに行きたいんだ?」と聞く。
実はまだ決めかねていた。
最初は大都市ダルエスサラームへ行こうかと考えていたが、とてもインド洋に出る時間はなさそうだ。そこから北上するにしても、首都ドドマまでは往復になりそう。ドドマ経由で北上してヴィクトリア湖を見にムワンザを目指す道も考えたが、これも断念し、最短と思わるムベヤからキゴマへの北上ルートを選択。ちょっと拙速かなとも思ったが、余裕が出来れば旅の後半でのんびりすれば良いだけの話だ。

てっきり元いた場所付近に戻るのかな、と思っていたが、着いた場所はロータリーのような場所。
周りも静かだが、よく見ると暗闇にバスが何台か停まっておるのが月明かりで見える。さらに奥にはブースと思われる影も見える。
バイク運転手にチップをはずみ、ゆるゆると歩いていくとバス会社の男に捕まる。

「キゴマへ行くバスはあるか?」と聞くと、毎朝出ているという。よしよし、順調、順調。この街に長居してみたい気もしたが、今は先を急がねば。
バスのチケットを買おうとすると、そのブースの周りには野宿している人がいっぱいいる。
寝ている人を踏んづけないように気をつかいなが、懐中電灯のあかりでチケットの台帳に記入する。とにかく、暗い。
これで⊆,両貊蠅悗琉榮扱佻の確保も達成だ。

【キメるバス会社の人】

満足感が押し寄せると同時に、一気に睡魔がやってくる。
バスが出るまでは、4時間ほどだった。もう眠い。寒いけど、野宿でいいや。

すっかり目も慣れた。月明かりに照らされたバス停には20人くらい寝ているだろうか。
私もロータリーの端に腰を落ち着け、残ったビスケットを晩飯代わりにぼそぼそ食べる。
飯とも言えない飯だ、それも誕生日に。
でも私は満足していた。
見上げると西に傾いた満月が美しい。今晩、月が出ていなかったら心折れていたかもしれない。助かった。
目を閉じると、あっという間に深い闇に落ちていった。







プチ社長日記:『アフリカ縦断#8:ザンビア〜タンザニア』の話

気付けはもう10月も下旬で、今年もあと残すところ2ヵ月余り。
毎年、年初に目標を立てているのだが、その進捗率に満足を覚えたことはここ数年、ない。
それはともかく、ライフ・ワークとして続けている陸路世界一周の続きである。世界一周、といっても、ピース・バイ・ピース、つまり断片を纏めて一周するというものである。
どっかりと半年〜1年ほどかけて1周できればいいのだが、働いていればそんな期間も取れないし、老後の楽しみにしてはタフすぎる。それに、「旅疲れ」とでもいおうか、1ヶ月すると旅が非日常ではなくなる感覚になるので、これくらいのペースがお勧めである。いくら海外にいても、そんな毎日を濃厚に過ごすのは我が国の誇る松岡修造氏を除いては、無理というものである。

枕が長いが、今年のGWにアフリカ縦断の続きを実施したので、以下はその記録となる。

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私たちは意気揚々とバウ・トレインに乗っていた。治安の悪い南アフリカはヨハネスブルグで、最も安全な公共交通機関だ。私「たち」とあるように、今回は一人ではない。
若い女性と連れ立って、、、と行きたいが、これからの訪問予定&予算を考えると、ちょっと厳しい。
相方は私が以前所属していた会社の後輩であるK氏である。「あっちゃん」と呼んでいる。
彼は私と同じくザンビア入りし、そこで別れ、私がかつて北上した道を南下する形でヴィクトリア・フォールズを見た後、空路でケープタウンを見るという。一方で私は北上を続け、ルワンダまで行こう、という目算である。
6度目のアフリカ。縦断計画としては3回目ということになる。
順を追って書くと、前日(土曜)の朝に空港で落合い、そのままシンガポールでストップオーバーして晩飯を食べ、機中泊で南アのヨハネスブルグ、さらにザンビアのルサカまでの待ち時間をヨハネスブルグのサントンとダウンタウン見学をした帰り道である。
荷物を持ったままだったので、ダウンタウンはパーク・ステーション周辺のみという手堅さであったが、街の雰囲気は彼も感じられたようで、私としても一応、先導としての務めを果たせて良かった。

旅は初日が危険だと思う。移動での疲労とテンションが旅モードに切り替わらないまま来てしまうからだ。初日は、無理せず、これくらいが丁度いい。とはいえ、まだ初日は終わらない。その日の内にザンビアのルサカまで飛ぶ。

ルサカの空港は付近に公共交通機関がなく、そこからの移動はと言うと、もうタクシー一択である。当然、吹っかけてくる。現地の人に教えてもらって、(入国ではなく)出国ゲート付近の方でタクシーを捕まえるも、どうも交渉が成立せず、また戻ってきて捕まえ直したりなどする。
ルサカと空港は結構離れているので、結果としてそれほど安くはならなかったが、何とか夕方には目的の宿に2人で転がり込む。

■ルサカ@ザンビア
宿は、鉄道駅の傍で且つバスターミナルにも近い利便性を持った中級ホテルを予めチョイス。高級ホテル街は街の東側にあるが、何しろ今後の移動をこれから考えるので、移動拠点に近い方が良い。
私の次の目標はタンザニアで、タンザン鉄道で入国することを考えたが、タンザン鉄道はルサカより東の街から出ており、まだ便利とは言えない。首都の駅が貨物専用というのは、ちょっと萎える。
一方であっちゃんもヴィクトリア・フォールズ方面のバスチケットをとる必要があるので、休憩もそこそこに、明るい内にバスターミナルに向かう。

【ルサカ駅(貨物のみ)】
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バスターミナルは正直わかりづらい作りになっている。オフィスを構えている連中にタンザニア国境へ向かうバスを聞くが、無いと言われる。手前のチンサリ行きのバスを推してくる。もう少し聞いて回っていると、「俺は知ってるぜ」と耳打ちしてくる男が出てきた。小銭(5Zk)を渡してチケット窓口まで連れて行って貰う。
薄暗い市場の建物の小窓がそれである。わかんねぇよ、と苦笑いしつつ購入。
あっちゃんも無事チケットを入手したようだ。ただし私のチケットは朝4時発である。はぇえよ。でも他に選択肢なし。早々にタンザン鉄道を諦め、まずは前半飛ばして後半の日程に余裕を持たすスケジュールで動くこととする。

翌日の足を確保した私とあっちゃんは意気揚々。では、ちょっと観光でもすっか、となった。
が、何しろ何もない街である。自由広場をまずは押さえよう、となったが、無骨な建物の前に銅像あるだけである。まぁ、紙幣にもなってる有名な像ではあるんだけどね。

【自由広場】
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その他、街の東側にステンドグラスの有名な教会があるとのことで、とりあえず向かってみたが、日が傾いてきたので引き返す。以上、観光終了。

宿へ戻る途中、半分廃墟のビルにて微妙に中華ナイズされたテイクアウトの食事を買い、宿でビール飲んで過ごす。
宿のバーだけリフォームされた直後らしく、ここだけ新しくて浮いている。当然、そのようなお洒落?な場所にはその手のプロもやってくる。途中、売春婦に「部屋に遊びに行っていい?」と聞かれるが、丁重にお断りする。

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スマホのアラームで目が覚める。4月30日(月)3時半。見事に真っ暗である。あっちゃんは隣のベッドでスヤスヤ寝ている。荷物を纏め部屋を出る。昨日の雰囲気だと、ターミナル周辺までは安全そうだった。道がところどころ陥没しているので、そこで足をくじいたりしなければ問題ない。たぶん。
幸い、小さな懐中電灯は持っている。
意を決して外に出ると、ホテルのセキュリティが声をかけてきた。「バスターミナルに向かうのだが、危険かい?」と聞くと、思案した上で、タクシーを勧めてきた。誰もいないから、安全なのか危険なのかも分からない、というのは本当のところだろう。その思案した姿が親身に感じられたので、応じることにする。日本円で300円ほど。高い気もするが、この時間にタクシーに乗れるのは寧ろ僥倖である。安くあげるのが目的ではないのである。避けられるリスクは、避けた方が賢明だ。

早くついたので時間潰しが心配だったが、それは杞憂だった。早朝にも拘わらず、人はたくさんいた。もっとも、地べたにでシーツにくるまって寝ている人が殆どだったが。
ビスケットと水を買い込む。めずらしくエアコンのないボロバスだったが、今は朝なのであからさまに寒い。日中もこの季節ならエアコンは不要だろう。バスが出発し、ルサカの街を出ると道も暗い。眠りに落ちるまで1分とかからなかった。

【早朝のルサカ・セントラルバスターミナル】
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バスは割と快調に走っていた。ザンビアは公共交通が発達しておらず、一部はヒッチ必須と聞かされていたが、私の場合は特に問題なかった。ただ、途中の休憩も多く、「早朝に出たのだから、夕方にはムベヤに着くだろう」という予想はハズレつつあった。因みに、その予想とは過去の移動距離の経験からの『目分量』によるものである。地図見て指で測る、アレである。アレ。

【昼飯休憩】
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とにかく、メルカトル・マジックを考慮しても、南アのようには進まないことだけは確かだ。
もうとっぷり日も暮れたのに、まだチンサリという事実は、軽く衝撃である。

その後も走り続け、午前0時頃にトゥンドゥマの国境を越える。ビザも不要なので、割とあっさりの越境である。


■ムベヤ@タンザニア
ムベヤに着いたのは午前2時頃だったか。
22時間、バスに乗っていたことになる。もっと長時間乗っていた経験があるのだが、これまでの日程を振り返ると、金曜の夜遅くまで仕事をした後、土日で移動というものだったので疲れが溜まっていた。

タンザニアはザンビアやブルンジなどに比べて治安が良く、人々も大人しい、というのがよく聞く意見だ。
これと言って観光資源が無いにも関わらず、居心地のよさに気付けば長期滞在していた、という話をよく聞く。
(・・・が、それは一昔前の話で、今はそれなりに危険だという。)
無論、地域にもよるだろうが。
さて、ムベヤであるが、バスは、ターミナルに到着するのかと思っていたが、ガススタンドのようなところで終了となった。
バイクタクシーが寄ってくるが、こちらはタンザニア通貨も持ち合わせていない。
幸い、今宵は満月だ。開けた道を歩けば咄嗟に襲撃を受けることもあるまい、と呑気に構えてATMを求めて歩き出す。人気がないのは幸いだが、人気のないところにATMもない。耳をすませば音楽が聞こえるので、街の中心の方へ、ふらふらと歩いていく。




プチ社長日記:『アフリカ縦断#7:ジンバブエ・ザンビア国境』の話

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※ブログの日付が前後しますが、当内容は2017年夏のアフリカ訪問の書き起こしになります。南アフリカのケープタウンから陸路アフリカ縦断を目指すもので、『アフリカ縦断#6:ジンバブエ共和国(▲凜クトリアフォールズ)』の続きに相当します。
私もそうですが、仕事を持つ人でも夏休みなどを利用し、分割してアフリカ縦断しようというものです。
今回は、モザンビークのマプトから直接北上せずに、ヨハネスブルグから再出発し、ヴィクトリアフォールズを見てザンビアのルサカから帰国するルートになります。


ヴィクトリアフォールズ2日目は、朝食後にヘリコプター・ライドに行きます(お迎えが来てくれます)。ヘリコプターはそれなりの値段でしたが、ここで惜しむ気もないので、最長のコースにアップグレードします(現地のスタッフが商売上手で勧めてきます。)。これだとサバンナの方まで飛んでくれます。
何しろデカすぎて全貌が掴めない滝なので、ヘリコプター・ライドはマジお勧めです。

【ヘリコプター・ライド】
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【バンクすると結構迫力ある】
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【滝!滝!!】
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【写真じゃ小さすぎますが、象の群れがいます】
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終了後は街の中心地まで送ってもらいました。
そこから徒歩でザンビア越境です。
国境にかかる橋は見ごたえたっぷりです。
因みに、ザンビア側のビザは日本で申請していたのでスムーズでした。

【ジンバブエ側イミグレ】
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【ザンベジ川が国境になっている】
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【ザンビア側イミグレ】
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国境を抜けるとマラリア注意の看板が歓迎してくれます。
予防接種してないですが、防虫には少しだけ気を遣いました。

【マラリア注意】
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滝とリヴィングストンの街は結構離れているので、徒歩は無理だと思ってください。タクシーを利用します。
この街も安全でアフリカ感ないですが、ジンバブエ側のヴィクトリアフォールズの街よりもリゾート度は下がります。

【リヴィングストン街並】
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【コロニアル風建物が多い】
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【バスターミナル近く】
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【スーパーで買い物】
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さて、宿は前の道路も舗装されておらず、野犬に注意が必要でしたが、快適な宿に泊まれました。夜は真っ暗なので星空が圧巻でした。宿まで連れてきたタクシーの運転手がいい人だったので、翌朝早くに迎えに来てくれるよう約束しておきました。

翌日はデビルズ・プールです。ここへ行くにはツアーに参加する必要があります。
これ、朝イチの回しか空いてなかったのですが、朝イチの回で正解です。南半球なので8月の朝は寒く、水も冷たいですが、ちょうど太陽光を背にするので虹がかかります。
水煙が常にあがっているので、この季節・時間帯ならいつでも虹がかかると思ってよいでしょう。

【ボートで滝に近づきます。前に見えるのは水煙です】
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【滝を間近で見られるのがザンビア側の良い所です】
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【ここがデビルズ・プール。8月がベストだそうです】
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【お目汚しすみません。でも、こんな感じです。落ちると死ねます】
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デビルズ・プールのツアーには昼食がついていて、集合場所でもあるロイヤル・リビングストンホテル提供なので美味しいです。その後はバスターミナルに移動し、ミニバスで今回の最終目的地でもある首都ルサカまで移動します。

【ルサカへ】
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結構時間がかかって7時間ほどかかりました。途中、山焼きなのか山火事なのか、至る所で山が燃えていました。天城越えのようです。(違う)

着くと日没後で、不慣れな土地の為にすぐにタクシーでホテルに向かいました。(最初と最終日は日本でホテルを予約していました)
ルサカは再訪する予定なので観光はあきらめ、翌朝、飛行場に向かいます。結構な大都市です。空港はボロいですが、隣に大きなターミナルが中国の援助で建設中です。日本の影が薄いのが残念ですが、これも時代の流れでしょう。見かけるアジア人は、みな中国人です。

【現ターミナル】
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すぐにルサカを再訪したかったのですが、トルコ〜イラン〜パキスタンの陸路横断を優先したので、次にここを訪れるのは2018年のゴールデンウィークの予定です。ルサカから北上再開して、ルワンダのキガリまでを漠然と考えています。

【さらばルサカ】
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プチ社長日記:『アフリカ縦断#6:ジンバブエ共和国(▲凜クトリアフォールズ)』の話

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※ブログの日付が前後しますが、当内容は2017年夏のアフリカ訪問の書き起こしになります。南アフリカのケープタウンから陸路アフリカ縦断を目指すもので、『アフリカ縦断#5:ジンバブエ共和国(。贈覆肇屮薀錺茵法戮梁海に相当します。
私もそうですが、仕事を持つ人でも夏休みなどを利用し、分割してアフリカ縦断しようというものです。
今回は、モザンビークのマプトから直接北上せずに、ヨハネスブルグから再出発し、ヴィクトリアフォールズを見てザンビアのルサカから帰国するルートになります。


ブラワヨからの夜行列車に乗り、気付けばもう、夜明け。

【夜明け】
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同室の黒人は夜明け前に到着した途中の駅で降り、私は終点のヴィクトリアフォールズに向かいます。途中ザンベジ川に沿って走るのですが、その圧倒的な景色には感動を覚えます。
駅近くになって列車が徐行するのですが、車窓から遥か遠くに水煙があがるのが既に見えて期待度が上がります。
※もしかしたらワザと徐行してくれているのかもしれません。

【ヴィクトリアフォールズ駅】
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ヴィクトリアフォールズという街は、観光地化しているので至極安全です。印象的にはグアムに近いかな。海ではなくてザンベジ川ですけど。

駅の近くでは、ハイパーインフレ時代のジンバブエ紙幣を売りに来る少年たちがいますが、20ドルなど法外な値段で売ってくるので無視した方がいいでしょう。私は後に5ドルで全セットを購入しましたが、これが高いのかどうかは私にもわかりません。
まぁ、私はデノミ前のトルコ紙幣とか使っていた年寄りなので、旧ジンバブエ紙幣にそんな感慨はないですが、まぁ、お土産に。

そうそう、ジンバブエはハイパーインフレで有名で、日本でも高い値段を揶揄する時に「ジンバブエかよ!」とか言う人もいますが、今のジンバブエドルはドルと等価交換です。ブラワヨのスーパーマーケットで20ドルだけ両替しましたが、完全等価なのでドルをジンバブエドルに交換する酔狂な奴はいません。ドルが最強です。債務の棒引きを条件に、中国元も公用通貨として認められたのですが、元払いは中国人が出入りするホテルなどを除いて出来ないです。知らずに両替した私はスーパーのおばちゃんに笑われてしまいました。で、何が言いたかったかというと、「ジンバブエかよ!」というのは今や逆の意味になっていて、不用意に使うとオウンゴールになるよという、しょうもないことが言いたかったのです。

さて、駅からの一本道をてくてく歩いて滝を見に行きます。もう、全然遠い筈なのに滝の音が聞こえてきます。はやる足取りを抑えて国立公園に。(観光地なので、めちゃくちゃ高かったのを覚えています。)

【やべぇ】
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【マジやべぇ】
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【写真で伝えるのは無理です】
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【でも載せます】
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ベスト・シーズンは6〜8月とのこと。それより前だと水量が多すぎて、後だと少なすぎるからで、一般に滝は水量が多い方が迫力がありそうですが、もう水煙がすごくて8月でさえ視界が遮られます。おまけにめちゃ濡れます。すぐ乾きますが、一眼レフなど持って行く方は配慮が必要です。風向きや日差しの向きでは「驚きの白さ」で何も見えません。アタックの世界です。
(肉眼では見えても、写真にとったらホワイト・アウトしてたりするので油断なりません。)
もう、行くしかないです。その迫力たるや神秘のレベルで、おじいちゃんでなくても拝みたくなるレベルです。


堪能して公園を出た後、バオバブの樹(ビッグ・ツリーと呼ばれる)が生えている所へ向かいます。
ここは少し街の外れにあって、ここだけは治安で注意が必要と言われていましたが、一本道の入口に常時警官が立っているので安全に思えました。
ただ、ヒヒや鹿の野生動物は普通にいるので注意が必要です。特にヒヒがいるので、あまり食べ歩きはお勧めしません。一方で、一本道には途中売店もないので水は必携です。
途中、すれ違った黒人グループに「象に気を付けろよ」とアドバイスをもらいました。
確かに、大きな動物の糞もあったので、注意した方がいいです。

【ビッグツリーへ向かう道】
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さすがに疲れも出てきたので、宿に向かいます。因みに、ヴィクトリア・フォールズに安宿はないです。というか、ここはリゾートなので奮発して贅沢するのが吉だと思います。私もザンベジ川沿いのホテルに投宿。夜行バスに夜行列車と連続で来たのでのんびり風呂に入って疲れをとります。フロントで夕方のヘリコプター・ライドを予約しようとするが、さすがに一杯で、翌日に予約を取ります。明日はザンビア側の街、リヴィングストンに泊まる予定なので、(滝に近い所に安宿はない)明日の宿と早朝のデビルズ・プールにも予約を入れます。その後、調子に乗ってプールにも入ります。疲れを取りたいのか疲れたいのか、自分でもよくわからなくなってきました。

【南アのビール】
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【ジンバブエのビール】
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久しぶりのリゾート気分満喫で上機嫌です。
・・・が、周りを見たら男一人は私だけでした。(気付かない振りしましたが。)


プチ社長日記:『アフリカ縦断#5:ジンバブエ共和国(。贈覆肇屮薀錺茵法戮力

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※ブログの日付が前後しますが、当内容は2017年夏のアフリカ訪問の書き起こしになります。南アフリカのケープタウンから陸路アフリカ縦断を目指すもので、『アフリカ縦断#4:ボツワナ共和国』の続きに相当します。
私もそうですが、仕事を持つ人でも夏休みなどを利用し、分割してアフリカ縦断しようというものです。
今回は、モザンビークのマプトから直接北上せずに、ヨハネスブルグから再出発し、ヴィクトリアフォールズを見てザンビアのルサカから帰国するルートになります。


ボツワナの夜にハボローネを出発し、ジンバブエ(旧ローデシア)のブラワヨに向かいます。
陽気なバススタッフが気を利かせてくれて最前列の座席をゲット。

【バスの風景】
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ボツワナは比較的過ごしやすい国でした。やはり南アに近いのとダイアモンドで潤っているからでしょうか。
途中、休憩をはさんで、いよいよボツワナとジンバブエの国境に差し掛かります。
24時間空いている訳ではなく、ここで国境の開く夜明けを待ちます。

【国境で待機】
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すると、一団がぞろぞろと車列を離れていきます。
トイレかな?何があるんだろうという好奇心で私もその一団を追いかけます。
すると、バスのスタッフの一人がダッシュで私を猛追してきました。

(`・ω・´)
「戻れ、奴らはBJだ。」

(・∀・)
「BJって何?」

(`・ω・´)
Border Jumpersだ。」


マジかよ!

こんな大っぴらに密入出国してるとはさすがに予想外でした。
車掌に連れられてバスに戻される途中にも、さらに一団が闇に消えていきます。
実にバスの約1/3は密入出国者でした。

【闇に消えゆくBJ達】
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バスに戻ると、スタッフが私をネタに「こいつ、BJについていったんだぜ」と笑いを買っています。元から日本人の私は目立ってましたが、晴れてこれでみんなの人気者に。

さて、夜が明けたのでバスは動き始めます。
因みに、国境周辺ですが、山地なのでアフリカと言えども吐く息が白いほどに寒いです。

【ボツワナ・ジンバブエ緩衝地帯。遠く鉄塔が見えているのがジンバブエ側】
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さて、いよいよジンバブエです。ビザは国境で取得しました。
・・・が、この検査にえらく時間がかかります。結局、3時間もかかりました。
バスの荷物を全部降ろしてチェックするのですが、非効率極まりない。
ふと気づくと、フェンスの外には我々の入国審査完了を待つBJ達が待っています。どうやら緩衝地帯を迂回して先回りしたようです。

【ジンバブエ側入国審査】
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【フェンスの奥のBJ達】
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ようやくバスが動き出し、やれやれと思っていると、また検問があります。
先述のとおり最前列に座っていた私は、バスのスタッフが警察官に金を渡している様子をずっと見ていました。何のことはない、半分嫌がらせで検問をして、お金を巻き上げているのです。そもそも1本道で複数回検問するのも謎です。だいぶゲンナリする状況です。

その時、ふと映画(Blood Diamond)やゲームでのお約束のセリフ「T.I.A.だな」(This is Africa.)をスタッフに言ってみたのですが、
(`・ω・´)
「T.I.A.って何だ?」
と逆に訊かれてバツの悪い思いをしました。

この後、ザンビアで日本にも精通しているアフリカ暦の長いアメリカ人にも聞いたのですが「T.I.A.」ってのは全然使われていない様です。最も、映画の舞台はシエラレオネの方だったので、アフリカ北部では知りませんが。

さて、結局お昼近くにようやくブラワヨに着きました。

【ブラワヨターミナル】
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※因みに写真正面をそのまま進むと市場に出て、さらに進むと街の中心に出る近道となります。

【ブラワヨ市街】
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首都でも観光地でもないせいか、外国人はあまりおらず、観光案内所も閉鎖されている状況でした。ただ、結構都会だったので、私はスマホの修理ができないか町中を歩いたのですが、サムスンやハーウェイはできても、私のソニー製品はパーツが無くて修理できず、涙をのみました。

ブラワヨからヴィクトリアフォールズまでは夜行列車が出ています。列車旅が好きな私は、チケットを取りに街の外れにある駅まで歩いていきます。火力発電所が目印になります。

【ブラワヨ駅周辺】
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【ブラワヨ駅】
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【時刻表。。列車すくなっ!】
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そして駅の裏側に鉄道博物館があります。
博物館と言っても、古い車両を大量に並べているだけなのですが、結構規模が大きく、ノスタルジックな気分満載で楽しめます。

【鉄道博物館】
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さて、町中にもどってウロウロした後、再び駅に戻ってきました。
ただ、ブラワヨ駅周辺、夜はほぼ真っ暗でちょっと危険です。
治安面もありますが、道路がところどころ陥没していて、落ちるとかなりの確率で怪我しそうです。ヒマですが、明るい内に駅に着くことを推奨します。どうせ街中もあまり見るものないですし。

【夜行に乗り込む】
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駅の中もだいぶ暗いので、むしろ笑えます。食べられそうなものと水を買い込んで列車に乗り込みます。
コンパートメントにはすでに黒人の兄ちゃんが寝てたので、簡単な世間話などして、私も寝支度です。

明日には、ザンビアとの国境の街、そして三大瀑布に数えられるほど有名な「ヴィクトリアフォールズ」に到着です。

プチ社長日記:『アフリカ縦断#4:ボツワナ共和国』の話

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※ブログの日付が前後しますが、当内容は2017年夏のアフリカ訪問の書き起こしになります。南アフリカのケープタウンから陸路アフリカ縦断を目指すもので、『アフリカ縦断#3:モザンビーク共和国』の続きに相当します。
私もそうですが、仕事を持つ人でも夏休みなどを利用し、分割してアフリカ縦断しようというものです。
今回は、モザンビークのマプトから直接北上せずに、ヨハネスブルグから再出発し、ヴィクトリアフォールズを見てザンビアのルサカから帰国するルートになります。


夏休みになるや否や、シンガポールでストップ・オーバー後のヨハネスブルグである。
ヨハネスブルグは2回目なので、すんなりバウトレインでセントラル・バスターミナルまで移動し、ハボローネ行きのチケットをゲット。時間があったので周囲を散策したかったのだが、そこはヨハネスブルグ、平和ボケ日本からアフリカに降り立って感覚も調整できないまま、フル装備での単独徘徊は危険なので半径100mほどにし、後はサントン・シティまでバウトレインで戻って朝食などとる。

【バウトレインは便利】
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再びダウンタウンに戻ってバスでの出発となる。モザンビークの時と違って、大型バスでの移動で快適だ。
国境は歩いて越えて、並行して通関したバスに再度乗りこむオーソドックスなスタイルだ。
明るい内に到着したかったが、日もとっぷり暮れた21時ごろにバスターミナルに到着。

【南ア〜ボツワナは景色が良い】
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【ボツワナ国境】
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【ボツワナ国境】
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ボツワナは日本ではあまり知られておらず、「どこそれ?」とか言われてしまうのだが、日本の約2倍の国土面積を持ち、ダイアモンド輸出で経済も比較的安定した国家である。経済の安定と治安の良好さは全国どこでも強い相関を持つので、治安も問題ない。
後に出てくる「3人の丘」で称えられている敏腕の3政治家などのおかげで、平和裏に独立を達成している。

付近の状況を見ても、なるほどそう思われたので、もう遅かったがバスターミナルからビジネス地区に予約した宿まで歩くことにする。私が到着したのはガソリンスタンドだったが、バスが発車するバスターミナル近辺はちょっと怪しげな雰囲気だったので、迂回して鉄道のヤードをまたぎ、宿までトボトボ歩く。
途中、ちょっと近道しようと草原を進んでいたのだが、その際にすれ違った兄ちゃんが、「この辺、危ないから気を付けろよ」と言ってくれたのが寧ろ安全に思われて感動する。

ところが、「おぉ、そうする。ありがとよ!」と返事をした直後にすっころんでスマホを割るという事故が発生。
しかも保護シール無傷。おいコラ。
今にして思えば、「危ない」というのは、強盗の類ではなくて、足下のことだったのだろうか。。。

【夜のハボローネ】
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凹みながらも宿に到着し、仕事のメールを捌いたりしてる内に夜中になったので、大人しく眠る。

■ハボローネ
早起きして宿で朝食を取り、まずは昨夜あやしげな雰囲気を出していたバスターミナルに行く。
流石に朝は冷涼で爽やかな空気が辺りを包む。

【開発が進むハボローネのビジネス地区】
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次の目的地はジンバブエのブラワヨだ。首都のハラレをスルーするのは、ヴィクトリアフォールズを目指すためである。ブラワヨ行きのバスを探してウロウロしていると、こっちこっちと呼ばれて交渉する。
・・・どうやら夕方発のバスしかないらしい。

一旦保留して、鉄道駅の方へ向かう。

駅周辺は、ショッピングモールになっていて、新しい駅舎を建造中であるが、古い現役の方は首都駅の駅舎にしてはびっくりするほど小さい。
写真を撮ろうとすると、「撮るな」と中からおばちゃん駅員が出てきた。鉄道施設を写真に納めるなというのはよくあるルールなので、素直に謝罪し、これ幸いとばかりにいろいろ質問する。
できれば鉄道で国境を越えたいのだが、鉄道は夜20時発で、しかも国境手前までしか行かないらしい。そこから乗換えが発生するのだが、あまりにも待ち時間が長いので断念する。

【現役の駅舎】
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【建設中の新駅舎】
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仕方なくバスターミナルまで歩いて戻り、先ほどのバスの所まで行く。
朝から夕方までバスが停止しているというのも資産活用としてどうなのか、とか思うが、彼らにそんなこと説いても仕方ないので夕方まで待つことにする。
まぁ、ハボローネも見てみたいし。
(後で気付いたが、結局、国境が開く夜明けまで国境付近で待つ必要があるため、中途半端な時間には発車しない)

【陽気なバススタッフ】
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レシートみたいなチケットを購入した後、ハボローネ唯一の観光名所「3人の丘」に行く。
丘と言っても、ビジネス地区全体が丘になっているので、丘を登る感覚はない。2〜3ブロック歩いたところの、官庁ビルの前にある。
こちら、どうやらコマツが支援して建てたものらしく、中国色の強いアフリカにおいて、ちょっと誇らしい気分になる。入口で記帳する仕組みで、いろいろ親切な方が公園を管理している。

【3人の丘】
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【コマツGJ】
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ところが、どう時間を使っても20分もあれば観光は終了してしまう。

・・・困った。
ヒマである。

いろいろ聞くと、数キロ離れたところに巨大ショッピングモールがあるそうなのだが、惹かれない。
ヒマ潰しをしようにも、スマホ割れてるので操作できず、かといってSurfaceを持ち出すのも場所を選ぶ。
それならば駅周辺で貨物列車のヤード作業でも見てた方が楽しい(鉄道好き)ので、夕暮れまでぼんやり過ごす。

【ヒマだなぁ。。】
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時間が近づいてきたので、バスターミナルまで再度移動する。夜になると幾多のバスが出発するせいか、音楽がガンガン流れ、物売りの少年が走り回る異様な熱気に包まれている。昨夜見て危険と思ったが、そうでもないらしい。
パンやビスケットを買い込み、そそくさとバスに乗る。


プチ社長日記:『ザヘダーン(イラン)〜クエッタ(パキスタン)陸路越境』の話

JUGEMテーマ:世界一周の旅



今回の旅(2018年2月3日に日本を出国し、3月20日に無事帰国)の難関と思われるのが、イラン⇒パキスタンの国境越えである。

イランのザヘダーンから国境へ向かい、その後パキスタン側の国境にある町タフタンを経て、バルチスターン州の州都クエッタまで行く道のりだ。

念の為、書いておくが、当該領域の殆どは外務省の安全ページではLv.4の退避勧告領域にある。
くれぐれも自己責任で行動していただきたい。(Lv云々に関係なく、旅とは元々そういうものだとは思うが。)

【外務省HPより。捕まったら迷惑かけず、おとなしく死ぬ覚悟で】
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尚、越境に当たっては、外務省の安全レベルだけでなく、各国の該当するページ等も参考の上、最新情報を収集されることをお勧めする。
この他、今回の越境に際しては、当サイトを大いに参考にさせていただいた。
(当サイトには今回のフィードバックを送信予定である。)

因みに、一人の場合、英語が話せない方は行かない方がいいだろう。(正直、キツイ。)
ウルドゥー語も挨拶や簡単な会話くらいは身に付けた方が良いと思われる。
要は、「あなたの国の文化を尊敬していますよ」というのが伝わればいいと思う。(最後はキモチ。)
それなりに経験のある方向けのルートになるが、それでも行く価値はある。
(私はイランもパキスタンも今回が初めてではない。)

■ザヘダーンへ:1日目

イランのヤズドにいる頃に越境のタイミングを測っていたのだが、当初の想定(と言っても直前に決めているのだが)であったバムの城塞見学を盛込むのは厳しい状況であると判断し、一気にヤズドからザヘダーンまで夜行で向かうことに変更した。
ヤズドを18時38分発の夜行に乗るとバムには早朝4時頃、ザヘダーンには8時頃着くと駅員に聞いた(実際には9時半頃に到着したのだが)、バムへ早朝に着くのは構わないが、ザヘダーンに着く時間が問題だ。
【ヤズド駅】
01.JPG

越境に際しては、下記2点を重視していた。
.競悒澄璽鵑悗僚蒜颪魏麋鬚垢襦
△覆襪世荏瓩せ間に両替を済ませて国境に到着し、国境泊を回避する。

上記の内、,蓮▲競悒澄璽鵑暴蒜颪垢襪函▲曠謄襪当局への連絡義務を負い、結果、国境までイラン側の警備が付いてしまうので時間を消費する。
(もし、警備が必要と思われるなら構わないが、私は日中の移動ということもあり、そう思わなかった。)
△蓮∩瓩国境に到着すれば、その日のうちにパキスタン側のダルバンディーンまで移動できる為である。
どこの国でもほぼ共通して、国境に長居は無用だ。

両方とも前述のサイトに書いてあったからであるが、△篭饌療に何時頃まで行けば良いかは書いていない。
また、,砲弔い討蓮▲競悒澄璽鵑貿颪泙蕕困縫丱爐悗僚蒜颪魎めていた。

しかし、仮にバムに宿泊した場合、朝4時に街を出てもザヘダーンに着くのは8時だ(と思っていた)、これ以上遅くては△播日にダルバンディーンまで行くのは厳しい。ならばそのまま行ってしまおう、ということにし、列車の中でバム〜ザヘダーンの追加分料金を支払い(20万リヤド)、終点まで進むことにした。
結果、私がいたコンパートメントは、全員がザヘダーン行きとなった。
月夜の砂漠を進む列車からの眺めは素晴らしく、ふと雪原を走っているような錯覚さえ覚える。
この時は目的地変更が上手くいったと満足げに車窓を眺めていた。

■国境(タフタン)へ:2日目

結論から書くと、この夜行列車の目的地をバムからザヘダーンに延長したのが裏目に出た。
パキスタン側で国境から警備隊が出立するのは朝8時〜9時頃であるようだ(当地で8時頃、と聞かされた)。
私の場合は、トラックの着火プラグが古く、いろいろ手間取って10時発になったが、先客がいればともかく、8時頃に行って「では、お願いします」というのは通用しないように思えた。

その場合でも、国境の審査で1時間、ザヘダーンから国境までの移動を1時間とみると、朝6時にはザヘダーンにいないと間に合わないのである。
仮にザヘダーンに宿泊した場合も、イラン側の警備隊がそんな朝早くエスコートしてくれるかは疑わしい。
結果、車でキャンプしている方以外は、上記 ↓△鯲称するのは難しいと感じた。
バムに宿泊する場合は、国境で1日足止めを喰らうのは覚悟した方が良いだろう。

寧ろ、国境で1泊するのは覚悟の上で、バムなりザヘダーンなりで観光でもして美味しいものを食べてから国境に到着するのが正解だと思われる。
【ザヘダーン駅】
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これらは当然、後になって判ったことなので、私はザヘダーン駅に到着後、先を急いですぐにタクシーと交渉した。

この辺まで来ると英語を話せるドライバーが少なくて苦労するが、逆に流暢に話せると「やたら観光客慣れしてるからボッてくるのではなかろうか」とジレンマに陥るのが自分でも面倒くさい。
ドライバーと交渉中、丁度英語ができる人がいたので仲介してもらい、両替商経由で60万リヤド(16ドル)となった。
後で国境の係員に聞くと20万リヤドでも来れると聞いたが、ヤズドの相場から換算しても悪くはないと感じたのと、
乗合いではなくて両替商経由で外国人相手なら仕方ないと自分を説得した。
安く旅するのが第一目的ではないのだ。

両替だが、タクシーの運転手が奮闘してくれて何件か当たってくれたのだが、どれもレートがよろしくない。イランでパキスタンルピーを入手するのは最小限にした方が無難ではあるので無理はせず、少量だけ両替する。
尚、国境でも両替できるのだが、レートはこちらもよろしくない。
ただ、イランのお金はここでほぼ全部換金した。

いろいろ街をさまよったが、両替も済んだのでいよいよ国境へ向かう。
一応、ここから外務省の安全情報的にはLv.4なのだが、道は見通しがよくてチェックポイントも複数あり、通行量もそれなりにあるので、危険は全く感じなかった。

【ザヘダーンからタフタンへ向かう】
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イラン側国境では何故か観光事務所を開いているオッサンの営業の手伝い(宣伝してくれと頼まれる)をさせられたものの、特に問題なく出国。国境の施設も充実していると感じた。

一方、パキスタン側はセメントで固めた小屋みたいなのが入国管理局である。
何というか、国力の違いを如実に感じる。
内容については、簡単な質問に答えるだけで、特に問題はない。

で、「このオッサンに付いていけ」と言われるのでバイクで仲良く2ケツして、すぐそばの警備隊駐留所に連れていかれる。
この警備隊は「リーバイズ」と呼ばれている。
いよいよ出立かと思ったが、ここで、「ハイ、じゃあ明日までここで待ってね」と粗末な部屋に通される。
まだ12時前である。
ほぼ一日ここで過ごすのか、、と思うとゲンナリで、バムもすっ飛ばして急いで来たものの報われなかったが、これも経験である。
まして、飯も出してくれるのだ。コンセントは部屋の外にしかないけれど、まぁ、安全なだけ良しとする。

【リーバイズ詰所】
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【ごはん(無料)】
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【宿泊部屋】
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※窓は破れており、床はほぼセメント。夏は相当量の水を持参した方がいいと思われる。

■タフタン〜ダルバンディーン:3日目
8時に出発と聞いていたが、前述のとおりピックアップトラックの調子が悪く、結局10時前に出発となった。

ピックアップトラックの荷台に乗り込むのであるが、本日の「荷物」は私だけである。
リーバイスの各管区で、バケツリレー形式に要警備対象者が運ばれる、という塩梅である。

【タフタンの街並み】
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軍のチェックポイントも別にあるが、リーバイスのチェックポイント3カ所で車を代え、結局のべ4台でダルバンディーンに到着。
3月月初だったので、トラックの荷台は頗る気持ちがいい。

【軍のチェックポスト】
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【リーバイズのチェックポスト】
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【途中すれ違ったタフタン行きの列車。一応客車が連結されているが、乗れるかは不明。】
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【よくこんな線路走るよな。。】
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【リーバイズの主武装はAK-47】
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【陽気な隊員】
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基本、東に移動しているの午後には荷台への日差しに遮るものがなく、少々暑かったが、バスより快適で無料、そして警備付きなので文句のつけようがない。
因みに、実際には私以外に多少の管区間の物資が積まれており、水や、何故かテーブルセットなどが運ばれていた。

ダルバンディーンには指定のホテルに泊まることになる。(1000ルピー)
警護の人の隣室に泊まるのだが、何故かその分も負担してくれと頼まれる。
部屋は超低速ながらもwifiが使用でき、お湯も10分くらい我慢すれば出てくる。
事前に持っていた情報よりも遥かに使い勝手が良いので文句はない。
ただ、パキスタンにありがちなのだが、トイレは超絶汚い。
因みに私が今まで出会った最も汚いトイレも、前回のパキスタン(ギルギット)訪問時であった。

余談だが、警備の方はなかなか面倒見がよく、2時間に一回くらいドアをノックしては「大丈夫か?」と
聞いてくる。もう、ドアに「No problem.」と紙に書いて貼っておこうかと思うくらいだ。
そんな訳で、(安全ではないのだろうが)危険は全く感じなかった。

【一緒に宿泊するリーバイズ隊員。親切。】
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■ダルバンディーン〜クエッタ:4日目
さて、4日目である。
宿での朝食はなかったが、事前に指定された8時半丁度に出発。
昨日と同じ、一日中ピックトラップの荷台で移動である。
ただ、各管区が細かいのか、やたら乗り換えが発生する。
途中から数えるのを諦めたが、10台以上である。

【チェックポストをひたすら通過する】
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【写り悪いですが、そこかしこにプチ竜巻が。】
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【西日はつらい】
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乗り換えは基本的にリーバイスの詰め所で実施されるのだが、稀に、ただの道端で交代となる。
詰所では、だいたい名前その他の情報をノートに記入した後、チャーイや水を貰えたりする。
無線はあるものの、隣接する管区との連携が決して良くはないので、隣の管区からトラックが来るまでの間は雑談タイムである。

【雑談タイム】
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稀に彼らの「お祈りタイム」になる。日没時は、詰所ではなくて道端の祈祷スペース(結構、多数存在)に寄ってのお祈りである。
ただ、彼らは交代制であるが、運ばれている私の方にはランチタイムはない。
トラックに揺られる2日間は水とビスケットだけで凌いでいたので、両方とも事前の購入を推奨する。
(国境のリーバイス詰所のすぐ隣にATMと店がある。頼めば一緒に連れ出してくれる。)

道中の景色は、砂漠、礫漠、山岳地帯と意外に変化に富み、見ていて飽きない。
荷台は一人のことが多いが、後半になるに従って人数が増えて荷台に一緒に乗ってきたりして、それもなかなか楽しいのである。

【砂漠地帯】
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おそらく、タフタン周辺の危険は少ないと思われる。荷台に乗っていても、正直、あまりにも何もないので警備の必要性が疑問だったし、実際に警備もおじいちゃんがAK-47を抱えているだけだったりする。寧ろ杖にした方が良さそうである。
一方、山岳地帯を中心に、クエッタに近づくに従って多少、警備が本格的になる。
単に急いでるだけなのだが、猛追してくる自動車が近づいて来たときに、銃の安全装置に指をかける隊員もいた。
ダコイット対策という意味では、フンザ近辺と同様、山岳地帯の好戦的な部族が危険、ということかもしれないが(トライバル・ゾーンと呼ばれる)、リーバイス管区は結構地元の人間が多いようで、トラックに揺られながら「これ、俺の村だぜ」とか教えてくれるので、基本、危険は感じない。まぁ、でも、キ〇ガイは一定の確率でどこでもいるからね。用心に越したことはない。

山岳地帯の終盤であるムスタング管区を抜け、いよいよクエッタ管区である。
ここだけピックアップトラックではなく、何故か防弾仕様のレンジローバー(但し激ボロ)である。
目立つし遅いし、逆効果疑惑があるが、それも2台乗り継いでの移動である。

【防弾仕様レンジローバー】
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ホテルについては、事実上、一択である(実際には2択)。
ブルームスターというホテルで、「地球の歩き方」にも出ている良心的な宿だった(過去形)。
尚、「地球の歩き方」のパキスタン編は08年度が最後に更新されておらず、事実上2007年以前の情報である。
それでも無いよりマシだが、インフレが激しいので料金は当てにならない。

このブルームスター、食わせものの宿で、料金3000ルピー(約3000円)も高いが、トイレットペーパーや石鹸を黙って渡しておきながら使用すると料金を請求されるシステムである。
宿につくと先客が揉めていたので、それを聞いて事前に事情を知ったので私は回避できたが、
何かとコスイのである。
ホテルからは出られないので、晩飯もここでとるしかないのだが、これも値段が高めで腹立たしい。

他の宿泊者3名(ドイツ/スェーデン/スイス)も同意していたが、指定宿泊所というのをいいことに、どうもバロチスターン州政府の一部とつるんでいる疑惑が絶えない宿である。
それも、悪化の一途を辿っているらしい。
3名の内2名は逆方向(イラン行き)であったが、残る1人はなんだかんだと足止めされているとのこと。
警備なしに宿からは一歩も出られないので、無論、連泊する意味など何もないのだが。。。

■クエッタ:5日目
さて、リーバイスの警備体制はまだ終わりではない。
クエッタにて役所から「NOC」という文書の発行を受けないといけないことになっている。
この申請の為、朝9時頃に比較的重装備の隊員が迎えに来てくれる。

【迎えに来てくれるリーバイズ隊員】
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この日は、既にブルームスターに宿泊していたスェーデン男性(50歳・独身)と一緒に役所に出向く。
彼はイラン・パキスタンを車やヒッチハイクなどで、計10回は来ているということなので、いろいろと教えてもらう。
私はNOC申請だけだが、彼はイラン大使館でビザの発給を午前中に受けなければいけなかった。
実際に行ってみると、いろいろな部屋に通される。
そこでは挨拶はするものの、特に何もしない。ボケっと待っているだけである。
で、そうするとまた次の部屋に呼ばれて、挨拶である。
機上にパソコンはあるが、モニタにはクリケットの試合やゲームしか映っていない。
仕事は全て紙ベースである。

・・・遅い。非常に遅い。
あんな宿に2泊するのは御免だ。私は「できれば列車で、今日中には街を出たい」と伝え、スウェーデン人も大使館の件を何人にも伝えていた。
しかし、一向に進まない。
スウェーデン人によると「前回は30分で終わったよ」という手続きは、我々の足下を見透かしたかのように、遅い。

途中、役人たちと一緒にスウェーデン人を囲んで彼の身の上話になったが、「結婚式の2日前に彼女に逃げられて以来、彼女のことが忘れられずいまだに独身。彼女の行方は不明。」という衝撃の告白に、パキスタン人役人と私の泳いだ視線が交錯する瞬間こそ熱かったが、それ以外は「ひま」の2文字である。

結局、NOCが渡されたのは5時間半後の15時過ぎである。
NOCを見ると、「翌日に列車でカラチ方面に行くから、管区にいる皆の衆、よろしくな」という内容とサインだけである。
おい、ちょっと待て、翌日ってなんだよ。
「いや、今日、街を出るって言ったよね?」
「もう、今日は列車ないよ。次は17時。」
「じゃあ、17時に乗るよ。」
「暗くなったら出歩いたらダメって書いてるだろ。」
「17時は全然明るいじゃん。」
「ダメ。」
「じゃあ、列車を諦めてバスで行くから、ここ(記載内容)変更してよ。」
「ダメ。」
である。因みに17時より前の列車は11時だけだが、バスは頻発だ。

・・・もうね、俺はテロリストじゃないけど、役所ごと爆破したい。
一日中ゲームやってテレビとスマホ見てる生産性ミニマムな役人連中を、別に税金払ってる訳でもないけど、血祭りにあげたい!!
・・・そう思う瞬間だ。

正直、「私が帰った後、どうぞテロリストの皆さん、爆破してください、応援します!」
と抱いた気持ちは、今でもちょっぴり残っている。

【決して見返されなさそうな書類群】
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【PCはクリケット観戦用。何もしない役人。】
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可愛そうなのは、彼女に結婚式2日前に逃げられたスウェーデン男性(50歳)である。
それだけでも可哀そうだが、彼のNOCも「翌日にイラン方面行くから(以下略)」と書いてある。
いやいや、お前らのせいでビザ取得は明日にずれ込んだので、明日は無理だろ、明後日だろ、と一緒になって詰め寄ると、「OK、OK」とか言って、「明後日」に書き換えた紙を再出力した(サインもない)紙をポン、と寄こしてくる。

この瞬間、「お前、一瞬で出来るやんけ!!」とキレかかる私を、彼女に結婚式(中略)スウェーデン男性(50歳)が「いいから、ケンジ。ハウス!ハウス!!」という目で静止するので思いとどまる。

パキスタン、という国は、変にメンツを気に掛けるところがある国だ。
「名誉殺人」という言葉があるのも、お国柄か。
役人に恥をかかすのはタブー、ということらしい。

しかし、彼は良くても、私としてはブルームスターにもう一泊するのは業腹である。
実は、もう一つの選択肢があるということを、別管区のリーバイスから聞いていた。
ホテル・セレナ。
このラブホみたいな名前のホテルも候補らしいのだが、料金が非常に高く、また、例の理由もあってかクエッタ管区の連中はブルームスター一点張りということらしい。

というか、NOCには「宿泊所ブルームスター」って印字されているし。
癒着の温床にならん方がおかしい。


迎えに来てくれたリーバイス隊長格の人に、「ホテル・セレナも見てみたい」と申し出る。
幸い、(前略)スウェーデン男性(50歳)も「ダメ元でイラン大使館に寄りたい」というのだが、彼によるとセレナはイラン大使館のすぐ隣らしい。

なので私も連れてってもらったのだが、、、私はこのホテルを一目見て気に入ってしまった。
高らかに「ここに泊まります」と申請する。
16,000ルピー(約16,000円)だが、物価の安いパキスタンと言えども、カラチの高級ホテルは20,000ルピーはザラである。
朝食は勿論、飲み物、ラウンジの食べ物込みでこれはお得だ。
もともと私は仕事の為に、1週間に1度は中級以上のホテルに泊まることにしている。
日本だと一泊5万以上は優にするクラスなので、文句はない。
一番貧乏そうな恰好をし、ブルームスターの料金に文句を言っていた私がイキナリ高級ホテルに泊まると宣言したのでリーバイズ隊長は驚いていた。

隊長は「明日、9時に迎えに来る。」と言い残し、私も念も押したのだが、もはやこの時点で、私はこの隊長を信じていなかった。

「列車の出る11時までは来ないだろうな。」そう思ったが、「では、明日。」と言って別れた。

※リーバイスの名誉の為に書いておくが、私の知る(ごく狭い)範囲では、クエッタ管区の一部メンバ以外は(適当なところも含めて)良い人ばかりである。

■バロチスターン州脱出:6日目
セレナは、設備は申し分なく、スタッフもプロの仕事として及第点で満足であった。
(もともとホスピタリティ溢れる国民性だが、仕事になると突然ダメになるという私の印象である。)

朝食とチェックアウトを済ませ、ロビーで待っていると、案の定、今日は迎えが来ない。
11時に間に合わなければ、NOCの再交付で本日もクエッタ泊である。
またブルームスターに泊まらせる気なのだろうか。。。

ホテルスタッフに催促の電話を入れてもらったら、「本日は忙しくてすぐには出動できない」とのこと。
・・・やれやれ。

NOCには、「適当な護衛なしに(バロチスターン州を)出歩いてはいけない」旨が書かれている。
この「適当な」を最大限軽く解釈し、クエッタ市内は一応Lv.3であることを心の盾に、一人で駅に向かうことにする。
念の為、ホテルのマネージャ格の人に「あと20分待って来なかったら、俺は行くから」と言って了承をもらった会話をこっそり録画させていただいた上で、きっかり20分後には、静止するセキュリティを「いいから、いいから」と制止の上ゲートを出て、すぐにトゥクトゥクに乗って駅まで行く。

【ホテルセレナのセキュリティを抜ける】
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【クエッタ駅】
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・・・ここは自己責任だが、本当に危ないかどうかは、ある程度経験のある旅行者ならわかるものだと思う。
因みに、外務省の安全ページでは日本は危険指定されていないが、私の評価ではLv1指定だ。

駅には、(我々を護衛してくれていたのとは別の)リーバイス隊員がおり、こちらから積極的に挨拶をしに行く。
「なんで護衛がいないんだ?」とか聞かれることはなく、一応、NOCを見せたが、それ以前から早速世話を焼いてくれて、列車のチケットも取ってもらった。
パキスタンは特急列車(グリーンライン)は事前の予約が必須だ。今回は急行だったが、指定座席をとってもらった(警備要員の為に、確保している枠があるとのこと)。おまけにチャーイも奢ってくれた。
最後に「FacebookのID教えてくれ」と来たので、即OKで今は友達欄に出てくる。ありがとう、イムラン。

【クエッタ駅構内】
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【チケットを取ってくれている】
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【バロチスターン州の駅】
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【列車】
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列車は定刻どおりクエッタ駅を出発。
これで晴れて自由の身となった。
安堵すると共に、世話してくれたリーバイス隊員達に感謝しながら、流れゆく車窓を見やる。