プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#15:ハルゲイサ(ソマリランド)〜ジブチ(ジブチ)』の話

■ハルゲイサ
翌朝よりハルゲイサの街歩きです。
と、その前にドルを補充しにPremierBankに行ってドルを引き出します。
成田で両替したかったのですが、時間がなかったので。。200ドル引き出すのに6ドルの手数料取られます。高くね?
まぁでも、ドルに余裕があるのは心強いところ。
10ドルだけ両替商でソマリランド・シリングに両替します。手数料抜きの相場は1ドル=8400ソマリア・シリングでした。ソマリア・シリングと米ドルのどちらの支払いも受け付けている店も多いのですが、不思議と皆このレートでしたね。

さて、街歩き、と言っても大して見るところはないです。

東西に走る目抜き通りにそってミグ戦闘機のある記念碑から東に1kmくらい、そこを軸として市場があるので南北500m位に見るべきポイントは収まっています。
それと家畜市場が川の南にあるので、それで街中はほぼ全てかと。
あとはよしなに、というところです。

【ミグの広場】
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ソマリランドに来る人は殆どが、「謎の国家 ソマリランド」(高野秀行氏)を読んで来ると思いますが(私も読みました)、カート/チャット以外の記述は違和感なく受け入れられるところです。
中でも、混乱の中のソマリアにおいて、ソマリランドの平和実現を氏族の観点から整理しているのは秀逸と言えます。
あまり本の追体験をしても仕方ないのですが、安全の象徴ともいえるオープンな両替商などは普通に見れます。

【両替屋】
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翌日にはジブチに向かわないと流石に帰国が間に合わず、お客さんに怒られてしまうのでジブチ行きの足も探します。
バスターミナルをうろうろして聞きまわるも(そして聞いた人が、「おい、ジブチ行きってどこから出るか知ってるか?」と声をかけてすぐに10人くらい集まる)あまりヒントを得られませんでしたが、一人の流暢な英語を操る人に言わせると「ここみたいな市中のバス停からは出てなくて、タクシー捕まえてジブチ行きの車が出ている所まで連れて行ってもらいなさい」とのこと。
もう一声、情報が欲しいのですが、それ以上は聞き出せず、どうしたものかと思っていたのですが、そういやオリエンタルホテルに行けば何か聞き出せるかもと思い、昼飯がてらに訪問します。


【オリエンタル・ホテル】
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昼飯は豪華(といっても8ドル)にいきます。米が美味い。ビール飲みたいですが、残念ながらイスラム国家なので置いてません。
バー風のお店も酒は置いてなくて、あるのはcocktail(カクテル)を真似たノンアルコールのmocktail(ニセテルと命名)ばかり。

飯に感動して本来の目的を忘れかけましたが、フロントでジブチ行きの話をすると、「翌朝9時〜10時の間に来い。その時間、詳しい奴がいるから」とのこと。
決めきれなかったですが、まぁ、糸口は掴んだのでよしとします。

その後はダラダラ市場の方へ。なかなか面白いのですが、モロッコほどの大きさはなく、まぁこんな感じかな、と言ったところ。
外国人が少ないので、もしかしたら掘り出し物が見つかるのでは?と時計など見ますが、どれも粗悪な最近のものばかり(古いカメラや時計を探すなら、今のところイランがお勧めです)。
1000シリングでライターだけ買って終了。

【市場】
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【どう見ても出られなくて詰んでるスイカ売り】
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【結局、食べる】
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走っている車はほぼ全てが日本車(中古車)です。タクシーは何故かほぼ全てトヨタのヴィッツです。
家畜市場へ向かうために乗ったのですが、2千ドルで購入したと言っていました。
うーん、日本からの輸送費込みでそれなら安いよね。
普通に車検のシールとかが日本のそれなので、日本から来てるのは間違いないです。

【家畜市場。早い時間に来るべきだった。。】
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【売れ残り疑惑】
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そのほかにも昔、父親が転がしてたクラウンを見つけてしんみりしたり、親父の友達が誇らしげに買ってたカリーナEDを見て懐かしい気分に駆られました。
つーか、カリーナEDって、今考えたらすごい車名ですわな。
まぁ、確か僕が中学生くらいだったと思いますが、当時は普通にインポはインポと呼ばれてたからだと納得するなど、時代の変遷に思いを馳せる私@ハルゲイサの午後であります。

残りの時間は茶店にてソマリ・ティーを飲みながらひたすらダラダラ過ごします。まぁ、このダラダラが一番の贅沢なんですが。
茶店は男性のみで、ごくまれに女性と子供だけが小規模に集まる井戸端会議的なものを除けば、茶店は全てオッサンで溢れかえっております。
オッサンみんなで甘ったるいソマリ・ティーを飲んで談笑する絵面は決して美しくありませんが、酒が禁じられているイスラム世界ではよく見る光景ではあります。

好奇の対象である外国人の私は、茶店ではどこでもいろいろ聞かれますが、フランス語を操るソマリ人はいても英語はそれほど強くないと見えて、ひとしきり会話すると大体終了です。なんか知ってるフレーズ全部言い尽くして相手が満足するまで付き合うゲームみたいなもんです。その相手が去るとまた同じことの繰り返しです。Here comes a new challenger!!みたいな。
おつかれ、俺。

【ソマリ・ティータイム】
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1人、事情通の方がいて、南部ソマリアの情勢などを教えてくれました。カート文化とか。
ただし、残念ながら内容的には目新しいものは特になく前述の本の内容どおりといった感じでしょうか。
どうしても、攻略本を見てからゲームするような感覚だったので、これからソマリランド来られる方はロンプラその他で最新の治安情報を確認するだけの方がいいかもしれません。
それだけ、かの本の内容は正しいということでしょうか。
帰国後読まれる方が良いかもしれません。人によるでしょうけど。

***
因みにですが、今回、割と写真に私が写ってるのですが、これには理由がありまして、この地域の人々はカメラを向けられるのをすごく嫌がるのです。上の家畜市場に写ってる方などは承諾を得ているのですが、街角スナップは嫌がられてトラブルを招きかねません。なので、「自撮りに写った背景」みたいな扱いで写真を撮っています。
***

アルコールやカート(チャット)を嗜むか?と聞かれますが、とりあえず前者はノーと答えるのがここでは正解かと。
だいたい「グッド」と言われるので。
ハルゲイサは安全ですが、相手がもしアル・ハジャーブだとアルコール飲んでるだけで即アウトなんで(つーか、戒律的にアウト。アウトの時の反応が過激派かどうかの分水嶺)、ここはノーの一手かと。
カートはグレーみたいです。普通に売っているのですが、一応、おおっぴらにしないのが暗黙のルールの模様。
エチオピアのようにあっけらかんとはしていないです。

その後も茶店を転々としたのですが、良い写真を撮りたさに上に登れるところを探していたところ、1件だけ屋上にレストランがあるビルを発見。登るとまだ店は準備中で、親父が大量の人参を千切りにしてましたが、快く迎え入れてくれました。
ここではコーヒーを飲みつつ、給仕の青年と話せたのはいい思い出です。

【メインストリート】
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宿に戻って睡眠をとると23時過ぎに目覚めてしまいました。
夜のパトロールに出かけます。というか、口寂しくてカート買いに行っただけですけど。
こちらのカート(チャット)は1束5ドルとエチオピア南部より高く、単純にハルゲイサの周りにカート畑がないからでしょうが、鮮度も落ちる感じです。

【夜のハルゲイサ】
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【深夜のカート売り(撮影承諾済)。ただしカートは毛布で隠されている】
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とりあえず購入して夕方までいた茶店に向かいます。
実は茶店の客の一人から「夜10時からここでカートやってるから来い」、と言われていたので、カートというより四方山話でも聞こうと思っていたのですが、なんと行ってみると茶店そのものが消失してました。
朝まで生カートを期待していたのですが、残念無念。出来上がってるタイミング見計らったつもりでしたが、遅すぎたのかなぁ。。

ただ、カート持ってうろうろしてると親しみがより沸くのか、より話しかけられます。
適当に若者にカートをあげつつ(普段からアルコールやニコチンに触れていると殆ど効かないので、実は私はそんなにカートに興味ない)、宿に退却します。
帰ってきたのは1時前でしたが、まぁ、安全な街だなと思います。女性の一人歩きも見かけましたし。

宿に戻り再度就寝ですが、窓が全開だったので蚊が結構おりまして。。。
ひたすら格闘していたのですが、どういうわけかこちらの蚊、刺されても殆ど痒くならないことに気づきまして。
殺した蚊には自分の血がついてるんで、確実に吸われてるんですけど、どこがやられたのか分からないという。。。

だったら血くらいくれてやるわ、と思い直し、普通に寝ました。


さて、朝は軽く雑事をこなし、9時にオリエンタルホテルに向かいます。
手引きをしてくれるのは、ホテルのコックでした。
全部で50ドル、10ドルを前金として渡し、16時半にホテル再集合です。

それまでは街をブラブラしたり、茶店で日本から持ってきた本(何故か大江健三郎自選短編集・・・)を読んでのんびり過ごします。


■ジブチへ
タクシーに乗って街の北側の方へ。
ここには数台の4WDが停車しており、数台でジブチ国境へ向かう模様です。
地図にある道ではなく、砂漠を突っ切ります。直線距離では短いのと、おそらく、街道沿いはディルという、一応国家を自称している連中の勢力圏であることも理由の一つの模様です。

【出発準備中】
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荷物を屋根の上に括るのですが、PCその他は常に手で持ちましょう。
私、ちょっと放置した隙にSURFACEの画面割れました(涙)。

とっぷり暗くなった18時以降、それぞれの車は出発します。
どうやらバスではないので、夜に営業しても大丈夫っぽいです。例によってギチギチに乗り込むんですが、贅沢も言ってられません。不測のトラブルに備え、3台程度で隊列を組みます。

気づけば砂漠を走っています。
満月に近かったせいで、満天の星空は堪能できませんでしたが、月夜の砂漠というのはいつみても美しいものです。

ここでもやたらと世話好きなオジサンにコーヒーやら奢ってもらいます。
きっと私より年下なんですけどね。黙って恩恵にあずかります。
まぁ髭生やすムスリムは老けて見えるから仕方ないね。

【夜の茶屋】
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・・・途中、車が停止したので降ります。
なんでも雨で河ができております。砂漠でも河は流れます。で、それぞれ二手に分かれて渡河ポイントを探るということは理解しました。
いろいろ探りつつ、ここがいいんじゃない、というところを見定め、一気に渡河します。
水がフェンダー辺りまで来ましたが、さすがランドクルーザー、オプションのシュノーケルは伊達じゃない!
海外のランクルってシュノーケル付きを結構みますが、ネパールとここのランクルにおいては大活躍です。
日本の街で見かけるランクルって、そのスペックを引き出せずに終わってる車両、結構あるんやろなぁ、とか考えてしまいます。

朝、3時半ごろ、幾つか目の集落に到着して降車。
さっきから親切なオジサンが寝ろというので、私も並んで雑魚寝であります。
2時間くらいここで休むから、ということで、そりゃ寝ます。

【仮眠】
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夜が明けて日の出を拝む。遠くにはぐれたラクダなどを見つつ、歯磨きなんかしてると俺いったい何やってるんだ感が出てきますが、その感覚、嫌いじゃないんだなこれが。

【夜明け】
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そこからさらに2時間弱ほど走り、まだ9時前に国境到着。
国境が開くのを待って、通ります。

【国境】
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因みに、ソマリランド側のイミグレーションの建物は、日本政府の寄付によるものです。
ナイス日本政府。
国境は緩衝地帯を歩いて通るシンプルなスタイルです。

【GJ】
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先達のブログにはこの緩衝地帯でムスリムに襲われているので、なぜか石、途中からお誂え向きな棒を持ちながら移動したものの、まぁ、安全でした。
この先達さん、別の記事で見たのですが、黒い帽子を被っておられたので、イスラエル系と間違えられたのではと思料。

ジブチ側のイミグレは少し待たされます。
パスポート回収されて、順番に呼ばれるパターンなんですが、どうも非効率。
1時間ほどして晴れてジブチ入国です。

国境から街までは距離があります。
タクシーの客引きに50ドルとか言われます。一晩走ったのと同じ値段じゃねぇか。
スルーし、待っているおっちゃんに聞くと30ドルくらいじゃね?とか言います。
それでも高いよ。
でもまぁ、暫らく待ってみたものの、そんなに車がないので、運転手に行き先を告げ、乗り込むとさっきのオヤジが乗ってきます。
運転手とグルだったかな、と思ったので「お前も乗るなら運賃は折半だ」というと「いやいや、友達じゃねぇか」とかいって便乗しようとします。
「お前は友達じゃない。もう煩いから俺に話しかけるな」などと言ってると、運転手がそのオヤジを降ろしてくれました。
「すまなかったな。お前の友達かと思ってたよ。」とのこと。
そのドライバー(前に2人乗っていて、兄弟だった)は結構いいやつで、いろいろと街のことを教えてくれます。

【ジブチ港】
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そうこうする内に宿に。
最終日なので宿は奮発してケンピンスキーとかいう、無駄にゴージャスな宿に泊まります。
まぁ、砂漠の雑魚寝のあとなんで、宿泊費2日分ということで。
ジブチは水道がほぼ海水疑惑ありますが、さすがに良い宿の水は大丈夫です。それでもバスに張るとちょっとお湯が茶色いけど。

【無駄に豪華】
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その日は大人しくホテルに籠って仕事やジムでワークアウトなどします。

ジブチは塩湖などで有名(死海より塩分高いとか)らしいですが、翌日はおとなしく街歩きだけです。
Facebookで、イエメン料理の名店を友人に教えてもらったので訪ねてみたのですが、まさかのクローズ。

【イエメン料理屋】
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高地にあるアディスアベバと違い、ジブチは海沿いですから当然標高が低く、めちゃくちゃ暑いです。
昼間は人影もまばら。ビーチで多少遊んでいる人がいる程度です。

【ビーチ】
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暑さのせいでしょうか、なんか頭の悪い兄ちゃんに付きまとわれたのですが華麗にスルー。
なんか「FBI」の帽子被ってて「俺はFBIの人間だ」とか言って近づいてきて、無視しても2kmぐらいついてきてウザかったです。FBIはアメリカの組織ですってば。

さて、本日は帰国の日なのでジブチ空港までタクシーで行きます。

【ジブチ空港】
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免税店は大したものがなく、キットカットを高い値段で購入したのに溶けてました(涙)。まぁ、暑いから仕方ないね。
【裏側かと見紛う見事な溶けっぷり】
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紅海・アデン湾に面しているジブチ。日本も自衛隊がソマリア海賊からの護衛任務で派遣されています。対岸がイエメンということもあり、この空港にはフランス軍のミラージュが10機、C130 も1機駐留しています。飛行機を待っている間にもミラージュが4機飛び立つなど、独特な緊張感のある空港です。

【待合室から見えるミラージュ】
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アディスアベバ経由で帰国。次回のアフリカはジブチからエリトリアに行くか、アディスアベバからスーダンのハルツームを目指すか、現時点ではまだ決めかねています。

プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#14:アディスアベバ(エチオピア)〜ハルゲイサ(ソマリランド)』の話

■アディスアベバ〜ハラール
G.W.に続き、夏休みにまたしてもアフリカに戻ってまいりました。
今回はエチオピアのアディスアベバから東進し、ソマリランドのハルゲイサを訪問した後、ジブチへ行く予定です。
当初、スーダンを通ってエジプトのカイロに向かう予定でしたが、もしかしてジブチからエリトリアを抜けてスーダン(ハルツーム)目指した方がよくね?という疑問が頭をもたげ、とりあえず先にジブチに行くことにしました。
エチオピアにはアライバルビザで入国することとし、ソマリランドビザをエチオピアで取得する(日本で取れない)ので、ジブチのビザだけ事前取得です。
大使館は目黒にあります。とても感じの良い女性が対応してくれました。

エアチケットについては、珍しくエクスペディアでトラブったのですが割愛します。
遅延で有名なエチオピア航空ですが、私自身も当日遅延し、空港カウンターでは間に合わないので慌てて空港行きの電車内でオンラインチェックイン、その後搭乗口までダッシュです。
まぁ、結果だけ見ればエチオピア航空も遅れたので余裕でしたけど。
盆最初の3連休とはいえ、22時台の成田はカウンターも閉まってひっそりしています。

登場後、メラトニン飲んでソウルまで爆睡、その後もアディスアディスアベバまで寝まくりです。

アディスアベバには朝の7時着。空港外まで歩いてタクシーを捕まえます。今回はヒルトンとれずでラディソン・ブルホテルに投宿。タクシーの相場は150〜200ブルです。
このラディソン・ブルの中にはトモカコーヒーの高級版があります。本店の方が味がありますが、こっちもまた落ち着いていて良い感じです。ケーキも食べられます。

【ホテルから望むアディスアベバ市内】
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アディスアベバ観光は前回あらかたしているので、ホテルに籠って仕事の残りをやっつけます。
ただし、2つだけやることがあります。
.愁泪螢薀鵐疋咼脅萋
▲魯蕁璽襪、ディルダウまでのバスチケット確保
です。
,任垢、こちらは一度宿に到着して荷物を降ろしてからソマリランド大使館に向かいましたが、大使館は空港近くなので、開館までの2時間ほど時間を潰してから直接向かってもあまり結果は変わらなかったかも。
偉大な先達のブログなどをササッと予習していたので、100ドルと写真とパスポートID頁のコピーを持って行きます。
ソマリランド大使館は、通常、門扉を閉ざしているのですが、「たーのーもーう」ってな感じでノックすると開けてくれます。

【ソマリランド大使館。ちゃんとしてる】
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ほぼ朝9時(ソマリランドのローカル時間でいうところの3時)に到着。準備万端で挑んだので余裕です。
が、てっきり100ドル手渡しかと思いきや、銀行の口座番号を渡され、「エチオピア商業銀行が近くにあるから、そこで振込んで、そのレシートを持ってきて」と言われます。

なるほど、と大使館を出て150メートルほど歩いた商業銀行で振込み、また戻ってきます。
・・・ということなので、アディスアディスアベバでソマリランド・ビザを取得される方は、銀行の窓口の時間にも左右されます。一応、銀行の人に「何時まで開いてるの?」と聞くと「11時半」と言われたので、これは我々のいう所の17時半です。
が、窓口も混雑しているので、午前中に向かわれることを激しく推奨します。
ビザ取得後は近くのエドナ・モールで昼食とってビールをあおってからホテルに戻ります。

【エチオピア商業銀行】
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【エチオピア定番ビールの一つ(数種類ある)】
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【エドナモール周辺】
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さっきからチョイチョイ出てきてますが、、エチオピアはエチオピアのローカル時間で動いています。
「1日の始まりは日の出であるべし」という思想なのか、我々の朝6時が午前0時。夕方の6時(我々の18時)でリセットされて午後0時です。
アナログ時計も、デジタル時計もエチオピア時間に合わせていますが、GMTベースの時刻を刻んでいる時計も混在しているのでややこしいです。

,離愁泪螢薀鵐疋咼脅萋世あっさりいったので、次は△琉榮絢蠱覆粒諒櫃砲箸蠅かります。

アディスアベバに陸路でやってきた時と違い、北方へ向かう場合には市中心部であるマスカル広場南側が、出発するバスターミナルになります。便利ですな。

ホテルから広場までは徒歩圏なので歩き、コンテナを改装したセーラム・バスのチケット事務所でチケットを購入。
ハラール行きは売切れだったので、まぁ、手前のディレダワでいいやと即決。朝4時半発の便です(実際には、その1時間後くらいに出発だったけど)。
はええよ。エチオピア、夜のバス運行が禁じられているから仕方ないけど、概して朝早すぎない??ホテルの朝食を食べられないんですけど(涙)。


■ディレダワ〜ハラールへ

朝3時に起きて身支度をして、暗闇の中をマスカル広場まで歩きます。

【早朝のマスカル広場バスターミナル(暗い)】
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この時はディレダワに行く気でした。
セーラム・バスは高級とどこかの先達ブログで見たのですが、今となっては中級かと。Zeemenバスとかの方が新型車両を投入しています。
日本の旧型車を使用していました。特にトラブルなく昼の14時頃に到着。思ったよりも早い到着でした。やったね。

因みに途中、道端で休憩していると2人組に話しかけられましたのですが、普通にAK-47持ってました。
でも、英語も話せるし、特段怖い感じはないですね。
【ディレダワへの道 
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休憩で降りた宿場ではコーヒーを飲みます。エチオピアはどこでも安くて美味しいコーヒーが飲めるので、コーヒー好きには最高です。
【ディレダワへの道◆
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ディレダワはアディスアベバ〜ジブチ間の鉄道開設により栄えた街です。もともとはハラールを経由する予定だったのが、コスト削減のために北側にずれ、そこが新たに街として発展した経緯とのこと。
2008年に鉄道は運休したものの、最近になって中国の投資で新たに誕生、となります。
途中、バスは線路に並行して走るのですが、時々、きれいな鉄路を見ることができました。
基本的に古い鉄路は放棄され、新しく敷設し直しています。

ディレダワ駅ですが、先達のブログによると鉄道博物館なるものがあるそうで、ジンバブエのブラワヨで類似の博物館にはまった私は、結構楽しみにしてきました。

【ディレダワ駅。手前は保存車両】
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・・・が、閉館しており、明日なら開いてるよ、とのこと。
未練がましく駅の周りを1周するも、規模はブラワヨのそれよりぐっと小規模の様だったので、さすがにこの為に1泊はなー、と思い直し、意を決しハラールまで足を延ばすことにします。
バスターミナルに行くと、ハラールまで800ブルとか言ってきます。値切っても500ブル。いやいや、ここまで400ブル未満で来たのでそれはないだろう、と近くの老人にぼやくと、「ここは契約車ばかりだから、公共バスはここじゃないバス停だよ」と教えてくれ、グーグルマップ上にプロットしてくれました。
だいぶ西のはずれなのでバジャージで向かい、聞くと35ブルとのこと。やれやれ。
車内はまたもカート(チャット)パーティでしたが、アディスアベバ近辺はエチオピア南部と違って、割と隠れて満喫している感じです。シティボーイだからか??

ハラールですが、夕方の渋滞に巻き込まれて2時間半ほどかかりましたが、暗くなる直前に到着。
途中、女性グループに親切にしていただき、「ついたわよ」と起こしてくれます。
そのまま街の入口にあった宿に飛び込み、部屋を見されてもらって即決です。
まぁ、暗くなってから荷物持ってうろうろしたくなかったので。

晩飯はエチオピアのビールとピザ。ここはイタリアの植民地だったこともあって、イタリア料理はあなどれません。
そしてこれからムスリムの国に行くので、どうしてもアルコールの飲み溜めに走ってしまいます。(言い訳)

■ハラール
6時前に起きて街の散策へ。世界遺産にも指定されているらしいですが、旧市街は見ごたえがあります。
とはいえ、そんなに規模は大きくないので、半日もあれば十分ですけど。

【旧市街ゲート】
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【旧市街 
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【旧市街◆
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ハラールはキリスト教のエチオピア正教が主流のエチオピアにおいて、イスラム教の砦ともいった場所で、アラビア半島との交易の拠点(ムスリムは歴史的に交易上手ですよね)となった場所です。
文字通り城壁があり砦化されています。
今もムスリムが多いですが、特に問題なくキリスト教徒と仲良く過ごしていると言われています。
(近くのディレダワでは昨年暴動があったと聞きましたが。)

【ハラール城壁】
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コーヒーも有名で、ハラールコーヒーの名を聞いた方も多いかと思います。
本場は砂糖を敷き詰めたカップにドロッとした濃厚なエチオピアコーヒーを注ぎ、香草を噛みながら飲んだり、砂糖のかわりにヤギやラクダの乳を入れたりします。何度も言いますが、おいしいです。まぁ、美味しいというより、「癖になる」というのが近いかもしれませんが。

文学界きってのイケメン(と私が思っている)アルチュール・ランボーもここに滞在したことがあり、タクシーのドアにランボーの肖像が描かれたりしています。

【ランボーの描かれたタクシー】
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ランボーの「地獄の季節」は全然わからなかったですけどね。。。(遠い目)
タクシーと言えば、旧型プジョーのタクシーが非常に多く、ちょっと昔にタイムスリップした気分になれます。
まだ行ってないけど、キューバもこんな感じなのでしょうか。

■ハルゲイサへ
11時前にはバスターミナルに向かい、ソマリランド国境近くの街、ジジカ行きのバスを探します。頻発しているらしく、あっさり乗れました。
途中、知り合ったガミラというジブチ人女性およびその母親と姉と親しくなり、一緒にバナナ食べたりジュース奢ってもらいながら楽しくすごします。いいんでしょうか、46歳にもなって奢ってもらってて。だいたいムスリムの国は旅人をもてなす文化からか、私はいつも奢り負けます。エチオピアとか国民一人当たりGDP500ドルなんですけどね。隣のジブチでも1500ドルなんですが。
バスですが、人間以外にヤギも乗っててカオスです。

【誰ですか。ヤギ乗せたの。】
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ジジカからはそのまま国境の街、ワチャーレ行きのバスに乗り継ぎます。
とりあえずテキパキと決めるガミラちゃんにバス代くらいは出します。

しかしこれがガミラちゃん達のサービス精神に火をつけたのか、いろいろ面倒を見てくれます。
いや、いいんだけど。しまいには自分のサブ携帯のSIMを引っこ抜いて「連絡できなくなると困るからこれ差しなさい」とまでくる始末。いやいやいや、結構ですってば。
まぁでも、話を聞いていると女性3人の旅は心細かったようで、その後、彼女たちとは結局ハルゲイサまで一緒だったのですが、いろいろ交渉も買って出たりして持ちつ持たれつになれたんじゃないかと勝手に思っています。

ワチャーレまでのバスはガミラちゃんの活躍で最前席をゲット、見晴らしは良いのですが、道中は検問も多く、なかなか進みません。
挙句に雨にも降られ、ちょっと中途半端な場所でバスは停止、そこからバジャージで国境まで向かいます。

【中途半端な場所】
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国境ですが、それぞれの緩衝地帯との境界にはロープが垂れているだけのシンプルなものです。
それぞれのイミグレで私はスムーズに進んだのですが、ガミラちゃん一家の母親が賄賂を請求されて激おこ。
え?よりによってなんで彼女に?と驚くも、とりあえず交渉して事なきを得ました。

【エチオピア側イミグレ】
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【国境(ロープ)】
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【国境近辺は雑然としております】
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ソマリランド側の道をずっと歩き、ワチャーレの街の奥の方にあるバスに乗り込み、ハルゲイサへ向かいます。
やはり国力の差か、エチオピアに比べると道路の舗装状況がよろしくなく、バスも減速を余儀なくされます。
途中、雨で道がぬかるんだこともあり、夜の20時過ぎにハルゲイサ着となりました。

バックパッカーに有名なオリエンタルホテルを目指していたのですが、渋滞につかまり、
もうあとわずかという所で目に付いたSUGAALとかいう名前のホテルに泊まることにし、バスから降ります。

清潔でしたが15ドルはちょっと高い感じ。まぁ、安全を買ったと言い聞かせ、ピザ食って泥のように眠ります。

プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#13:ナイロビ(ケニア)〜アディスアベバ(エチオピア)』の話

平成から令和に元号が変わる2019年のG.W.に、アフリカ縦断第5回トライアルでまたもアフリカに行ってきました。
今回は10連休ということもあって、気付いた時には良い飛行機のチケットが取れず、金曜日にお休みをいただいて1日早く出国したものの、何故かオランダ経由でナイロビに到着です。

■ナイロビ〜モヤレ
旅の一泊目はインターコンチネンタルへの宿泊としました。

【ジョモ・ケニヤッタセンターからナイロビ中心部を望む】
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木曜の夜は徹夜で仕事を片付けようとしたのですが、私の仕事が遅く仕留めきれず(月末というのも痛かった)、成田エクスプレスでも仕事の催促が矢のように来るので、成田で諦めて万全の体制がとれるように手配しました。
道中もオランダ航空だったので18ユーロでwifiを購入し、そこでちまちま仕事をしたけど終わらず。
忙しいのは有難いけど、もうちょっと上手く捌く術も身につけなければと思うこの頃。
まぁ、仕事があるだけ贅沢なんですが。。

とは言え、旅の準備は整えないといけないので、朝5時にナイロビについた後、仕事の傍ら翌日のチケットを購入しに動きます。
ホテルのスタッフに購入場所を聞いたら、そも「陸路でアディスアベバなんてとんでもない!!」と言われ、コンシェルジュにベルボーイも加わって、やれ「ヤベロの街では過激化派の爆弾工場があってこの前もテロがあった」だの喧々諤々であります。
インターコンチネンタルのスタッフに聞いたのが間違いだったか。。。

一応、近辺のテロ事情は英語の文書まで調べていたのですが、もはや現地でしか報道されていない可能性もあるので、「そうなのかもな、、」と不安に思いながらも、まずは見てみようと思い、尚も食い下がると
インターネットで候補を調べてくれて「イスリーに行けば買えるらしい。オペレーター(運行会社)は『モヤレ ラハ』だ」と教えてくれました。
私もテロ事情は調べていたのですが、肝心のチケットの購入場所を調べていなかったのでGoogleマップを目の皿のようにして探すものの、イスリーは見当たらず。。。結局、旅の先人のブログを見てEastleighのことだと判明しました。(更に後になって知るのですが、ソマリ人が多く住む地区とのこと。)
尚、先人は「イシシ」と聞かされ、Eastleighと判明するまで同様に苦労された模様。発音分かりにくいよ〜!
とりあえずコンシェルジュに100ケニアシリング(約100円)で礼を言い(チップとしては高額)、タクシーに乗って当該エリアに。

【イスリーエリア】
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タクシーの運転手もそのオペレーター(モヤレ ラハ)のことは知らなかったのですが、イスリーの街の人に聞きまくった結果、なんとか見せてもらったHPとは程遠い感じの事務所でチケットを購入。

【チケットオフィス】
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また宿近辺(ケニヤッタ通り)に戻り、昼飯として近所で唯一の日本食(多分)「テリヤキ・ジャパン」で(テリヤキではなく)スキヤキ弁当を食べた後は、また宿に籠ることで初日は終了です。
なんだろう、この休日感の無さ。。。

【テリヤキ・ジャパンで癒される】
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**
2日目はバスが15時出発だったので、気を取り直してジムで運動した後に14時にはイスリーの街へ。
早朝のバスを覚悟していたのですが、エチオピアが夜間のバス運行を禁じているので、
エチオピア側のモヤレに早朝つくように逆算で考えると、ナイロビは昼〜夕方の出発になるようです。

ボロいバスだがこの季節のナイロビは涼しいので特に問題はなく、疲れからか出発とほぼ同時に眠りに落ちます。
尚、ケニアとエチオピアの国境の街となるモヤレへの到着予定時刻は早朝4時となっており、
真に受けると未明について危険な香りもするのですが、そこはアフリカ、「絶対に2時間は遅れるから大丈夫」という自信が揺らぐことは最後までなかったですね。つーか、発車の時点で1時間遅れてるし。

【モヤレへの道中】
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【つまみ代わりのコーヒー豆】
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距離としては700km位なんで、ブルンジ辺りだと絶対に1日で進める距離ではないのですが、
さすが比較的国力のあるケニア、中国の多大なる援助もあいまって道路は全部舗装されていました。
バスはボロでも道さえよければなんとかなります。やはりインフラは国力の礎ですな!!

ケニア〜エチオピアが危険とされるのは、アル・ハジャーブという過激派や山賊が出るからなのですが、ここまで見通しが良いと、よくある私設検問なんかも事前に検知できますし、高速で走る車を山間から補足するのも難しいかと思います。
一方で、旅人に不評である公式な検問もあるのですが、逆にこれらの検問で安全性が増すと考えれば、それほど苦ではありませんでした。

そんなわけで、幹線道路を快走している内はそんなに危険を感じませんでした。
(どちらかというと、街に近づいた辺りの方が警戒すべきように思います。そういえば、街に近い検問はチェックポストの周りに塹壕が掘られていました。いずれにせよ、旅は自己責任ですよね。)

丁度モヤレ直前で夜明けを迎え、ムスリムの人々がバスを降りてメッカの方に祈りを捧げます。
礫漠の中にあって真摯に祈りを捧げる姿は、異教徒である私にも美しく映ります。

【明け方の祈り】
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■国境
結局、4時どころか8時頃に国境に到着しました。

【国境】
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【ロバが・・】
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歩いて越境するオーソドックスなスタイルで、ケニア側は難なく出国できたものの、エチオピアの入国側で20分ほど待ちました。
e-VISAを事前申請していたのですが、アディスアベバへの照会が必要らしく、それが時間を要しました。
建物はやたらデカい(多分、中国パワー)のですが、開いてる窓口が一つだけで、しかもそれでどうにかなってるのがワロチです。
この時、もうすでに破棄してしまった購入時のレシート提示を求められて少し焦りましたが、問題なく通過できました。
e-VISA申請の方は、領収書も印刷して持っているのが吉のようです。
因みに、ケニアシリングの方がエチオピアブルより強いので、両替は割と強気のレートで交換できます。

【手持ちを両替】
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バイクタクシーで国境からバスターミナルに連れて行ってもらい(2km弱?)、そこで乗合いバスに乗り込みます。
国境に見るべきものがないというのもありますが、一般的に治安のよろしくない国境からいち早く離れたかったのがその理由でした。
バスは間もなく発車し、2時間ほどでヤベロに到着します。
ここで休んでも良かったのですが、ナイロビで聞いた「ヤベロはヤバい街(らしい)」という情報が引っかかっていたので、疲れてはいたものの更に北のディラを目指します。というか、アサワ行きのバスがもう終了していて、行けるのがディラまでだったんですけどね。
バスターミナルにいる人に、「ヤベロとディラはどっちが大きな町?」と聞くと、
「そりゃあ、ディラだよ!」との回答だったので、まぁ、大きな町なら大丈夫かと思い、進むことにしました。

【道中。真ん中に見える土塔は蟻塚か】
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ところで、ケニア人もエチオピア人も私の知る限りはとてもお金にクリーンな印象です。
さすがにバイクタクシーやバジャージ(3輪タクシー)は最初吹っかけてくるものの、キチンと交渉した値段で請求し、釣銭を返してくれました。
こういうの、揉めるとすごくストレスなので、私にとってはとても助かりました。

・・・これがどうしてエジプトになるとあんなになるのか不思議ですw
(エジプト人の信用ならなさには閉口したので。)

さて、ディラに到着したころは既に夜も更けており(だからバスの営業終了なのですが)、
見知らぬ場所で夜間に宿探しは避けたかったのですが致し方なしという状況です。普通なら。
しかも、私はSIMカード購入しない派なので、事前に地図をDLしていない地域に行くと厳しいのですが、なんと幸いなことにたまたま隣に座っていた若い男がディラのホテルで受付のバイトをしており、案内してくれるということで助けてもらいました。(ホテルDelight。1泊500ブル(約2000円))
彼の案内してくれた宿は、おそらくディラのなかでもだいぶ良い(マシ)な宿で、悩ましい南京虫もおらず、快適に過ごせました。基本的に運はいいワタクシです。

【ビールにありつく】
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■ディラ〜アワサ
最初は朝5時に起きて、一気にアディスアディスアベバへ向かうことを考えていましたが、
そもそも急いだところでジブチまで行くのはさすがに困難に思えてきたことで、今回はアディスアベバが最終目的地として当確なことと、南部エチオピアの人々が優しくて、ゆっくりしたくなってきて、本日は近くのアワサまでの移動としました。
4時間ほどの移動でしょうか。
とぃう訳で、朝からビール飲んで、付近を散歩していると、露店のコーヒーに誘われます。

【ディラの街並み。特に何もない】
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アメーバ赤痢菌は70度以上でだいたい死滅しますが、それまでに数分かかる(温度が高ければ時間は短くなり、沸騰してると一瞬で死滅する)ので、きちんと七輪の薬缶の湯が煮立ってるのだけ確認できれば、基本大丈夫。
こそさえクリアしていれば、それ以外は店?が汚かろうが、器がヒビ入ってようが私は気にならないので、普通に楽しみに預かることとにしています。
5ブル(約20円)でおいしいコーヒーが飲めます。
エチオピアコーヒーは、ベトナムコーヒーの練乳を砂糖で代替したような感じでしょうか?
黙ってみてるとカップに砂糖を敷いて、そこに濃く酸味の強いコーヒーを注ぎます。これが美味しいです。
現地の人と会話できる、貴重な場所でもあります。まぁ、だいたい(というかほぼ100%)中国人と思われるのですけどね。

街をブラブラしてると昼をとっくに過ぎてしまいました。
ディラのバスターミナルまでバイクタクシー(50ブル)で送ってもらい、そこから
アワサへ向かいます。アワサへのバスは頻発しているようで、ほどなく人も集まり、発車とあいなりました。
(満員になると発車するシステム)

【バスターミナル】
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ここで、私の隣に若い女性2人が乗車してきました。垢ぬけた服装からその手の商売の方かとお見受けし
(まぁ、後でパトロンだと言って中国人男性の写真を何枚も見せられたので、あながち間違っていない)、
隣に珍しい外国人(私)が同乗しているとあって、付近の注目を集めます(平たく言うと、冷かされる)。
まぁ、発車してしまえば関係ないんですけどね。

南部エチオピアですが、チャット(カート)の一大産地です。
ノンフィクション大賞を受賞した『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行 著)でも紹介されていたチャットですが、そのソマリランドへチャットを輸出しているのがエチオピア南部です。
そんな一大産地ですから、ほどなくして車内はチャット大会とあいなりました。

【チャット/カート】
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【車内がチャットだらけに】
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件の女性が100ブルでなかなか良質なチャットの束を購入。他のメンバも購入してましたが、この女性のものが上物であることは素人目にもわかります。
チャットは若葉を噛んで、そこから出る汁をのみ込みます。葉っぱは吐き出さずそのまま食べるので、はたから見るとパンダのように葉っぱを食べているようにしか見えません。

ちょうど女性の1人がスマホの充電器を途中の行商人から買おうとしていた(売ってなかった)ので、私の充電器を貸してあげる代わりにチャット大会に交ぜてもらいました。
というか、そんなことしなくてもやたらと先方から葉っぱを勧めてくるので、私もガンガン行きます。
チャットは結局のところ胃から吸収するので、覚醒効力を発するまで時間がかかる、というのは前述の本で知っていたので我慢強く葉っぱを食べまくります。

【チャットをバンバンくれる親切な?女性】
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味の方は、まぁ、何というとか、「シーザーサラダを頼んだけど、チーズもドレッシングもかかっていない、絶妙なところを食べてしまった感じ」といえば正鵠を射ているでしょうか。別に美味しいものではありません。
実際、全力で前向きに言うとルッコラに似た味で、シーザードレッシングかけて大量喰いしたい気分には駆られました。
ただ、単に喰えばいいという訳ではなくて、やはりほぞの部分、というか、ほっぺたに貯めて噛みしだくのが正解のようで、寧ろ私は「食べるのが速い」と窘められる有様です。

ところが、噛んでも噛んでも、「その時」は訪れない。。。
2時間はずっと食べてる。車中の誰よりもハイペースで。でも、その時はやってこない。
若い女性のもう一人は、一番おいしいところの新芽でピーナッツを包んだスペシャル版を何発も口に運んでくれます。
言われてみれば、周りは少し緩んだ空気になっているような(なっていないような)。
「これ、銀座だったら10万はいくな」そんなアホなことを考えながら、私もされるがままに女性のサービスに応じることにしました。
まぁ、女性に「あーん♪」とかやられて断る奴はいない(多分)ってもんですよ。
彼女たちはすごく楽しそうだから、まぁいいか。

ただ、目的地が近づくと、私の充電器を借りている方がそっと充電器ごとバッグにしまったのを見逃す私ではありません。
っていうか、酔ってないし。
・・・もしかして私を酔わせて充電器をせしめる腹積もりだったのだろうか?
そうとしたら、やたらと私にチャットを勧めるのもわからないでもないですが、充電器を貸したのはチャット大会の後半だったので、本当のところはわからないです。まぁ、どうでもいいことですが。

いずれにせよ、アワサに着くと借りっぱなしであることを指摘して、充電器は返してもらいました。

後で調べたのですが、チャットは普段からタバコや酒を嗜んでいる人には殆ど利かないとのこと。

早く言ってよ!!!という感じです。

『謎の独立国家ソマリランド』の本ではチャット(カート)で楽しく酔う描写があったので期待していたのですが、
残念ながら私には効かないようです。。。著者の高野秀行氏もビールは飲むので、チャットで酔うには相当苦労したと推察されますが。。。
(まぁ、ノンフィクションと言っても、多少盛ってる部分はあると思います。)

さてこの日は2日ぶりに仕事を片付ける日だったので、アワサ湖畔のリゾートホテルに投宿することにしました。
中華風の内装が、なんか場違いで居心地が悪かったのだけは覚えています。
油断していると部屋にサルが入ってくるのはヴィクトリア・フォールズと一緒なんですが、
世界三大瀑布の一角との違いは歴然で、チープ感は否めません。

【サル】
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宿泊客も全員アフリカの方でした。いや、そこはいいんですけど。中国人誰もいないのに何故、中国風の内装に。。。
因みに、ナイロビ出てから遭遇する白人は、全員UN関連の人でしたね。。。

街をぶらつき、アワサ湖に沈む夕日をエチオピアビール片手に眺めていると、この上もない多幸感に包まれます。
なんだかんだいっても、今回もいい旅ができているな、と安堵する一瞬ですね。
そしてこの日は私の46歳誕生日。おめでとう、俺!!
夜はおとなしく仕事関連のメールや調べ物をして過ごしました。wifi遅くてキレそうでしたけど。

【ご褒美】
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■アワサ〜アディスアベバ
翌日、アワサ湖から今回の目的地となるアディスアベバへ移動します。
ここでも気合が入らず、9時頃にバスターミナルまで3kmくらいを歩いていきます。途中でコーヒーとか飲みながら。

【コーヒー:至る所で安くておいしいコーヒーが飲めます】
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歯磨きしたくなったので、エチオピアの人がよくバスの中で使っている歯ブラシ(香木?の枝)を購入。
ブラシというか、消しゴムみたいにゴシゴシこすりつける感じで、歯間の汚れは全く取れないんですけどね。
バスチケットは手書きで130ブルでした。私は荷物が小さいので、飛行機もバスも全部持ち込みです。

【歯ブラシ?】
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【チケット:割とこの辺の人々はおカネにクリーン】
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バスはボロいのですが、エチオピアも道はなかなか良いので心配はしていませんでした。
が、そこはアフリカ、ちょっと慢心していたようです。

バスが高速で走っていると(だいたい一本道なので、クルマはいつも高速で走っている)、突然バン!と音がして
バスが蛇行の上、急ブレーキで停まりました。

「あぁ、パンクだね」と隣の男性と話し合いながら、バスを降りてスタッフらと共にタイヤを見に行くのですが、特に問題は見当たらず。
「なんかやたら熱くねぇか?」みたいなことをエチオピア語で言ってるみたいなんですが、
このバス、どうやらディスクブレーキではなくて昔懐かしドラムブレーキのようで、それで熱持ってるだけだと思われます。

その後、試しになんか200メートルくらい走ってみて、「なんもなくね?」ということになったらしく(んな訳ない)、またぞろ全員乗って再出発となりました。

更に10分くらい走っていると、車内後部が騒ぎ始めました。
気づいた時にはもう遅し、あっという間に煙と異臭で車内が充満。またも緊急停止です。
本当にパンクするから緊急停止ヤメテ。

みんなで車両を降り、スタッフが修理するのを見守ります。
なんというか、おおざっぱというか、エンジンを掛けっぱなしで車の下に潜り込んでジャッキアップするのって、どうなのかと思いません?
いや、さすがに熱いでしょ。ていうか、煙でてるんだから止めようよ、と思いながらも先方はエチオピア語でワーワー騒いでるので静観です。

【エンジントラブル】
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さて、私ですが、直るかどうか分からないバスをのんびり待っている、、、ほどの余裕は残念ながら無いので、さっさと荷物を取り出し、このチケットは諦めて通過するバンを停めて交渉して乗り込みます。
あまりにもぎゅうぎゅうなので、最寄りの街のバスターミナルまで連れて行って貰い(この時の同乗者が紳士で助かりました)、そこから違うバス(といってもライトバンみたいなやつですが)に乗ります。

【乗換え】
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アディスアベバへは、街の中心部よりだいぶ南のバスターミナルで降ろされます。
そこから北に数kmで中国が作った新交通システム(ゆりかもめみたいな奴)があるので、そこまでタクシーで移動。このタクシーの交渉が難航しましたが(もうちょっと便利な場所まで延伸してほしい。。。)、無事到着です。
仕事もあったので宿は安定のヒルトンにしました。
アフリカ連合の建物の隣で、治安の良いエリアです。

【アフリカ連合本部】
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■アディスアベバ
アディスアベバでは、三位一体教会や聖ギオギルス教会といった観光地の他、代々木上原(※現在は表参道に移転)にも店があるトモカコーヒーの本店を訪ねたりして過ごしました。

【三位一体教会※付近が官邸なのでカメラ注意】
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【トモカコーヒー】
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【店内※写真撮影は了承済】
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トモカコーヒーではマッキアートが人気の模様。白人のガイドをしていた男性からいろいろと旅の情報を教えてもらいました。

アディスアベバは公用語であるアムハラ語で「新しい花」という意味らしいです。標高2300m〜2500mの高地にある為、この緯度では気温が高い5月でも快適、というか東京より涼しいです。
(因みにナイトプールはお湯でした)

***
今回の旅程、ナイロビ〜アディスアベバは難所と言われる割には見るべきものが少ないとされるのですが、割と私は楽しめました。
アフリカ縦断という意味では、次回はスーダンのハルツームを目指すのでしょうが、ちょっと回り道してソマリランドを目指すことを決め、アディスアベバを後にしました。

プチ社長日記:『猫を抱いて象と泳ぐ』の話

芥川小説家である小川洋子氏の作品。
実在のチェスプレーヤーであるアレクサンドル・アリョーヒンと、これまた実在のチェス人形「トルコ人」を材料として、主人公の成長とチェスにかける人々の思考の美しさを描いた作品、と言えばいいだろうか?

【チェス人形トルコ人】


大きくなることを恐れ、小さく、控えめで目立たなくするよう努める主人公が、チェスの広大な海を漂い、美しい棋譜を紡ぐコントラストを活かした描写が素晴らしい。

読後にやさしい気持ちになれる、そんな一冊だと思う。

プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#12:キガリ(ルワンダ)〜カンパラ(ウガンダ)〜ナイロビ(ケニア)』の話

■キガリ〜カンパラ
キガリに再び戻ってきたのは2018年の夏。
前回のルサカ(ザンビア)〜キガリ(ルワンダ)は雨後の悪路により相当てこずりましたが、めげずに無理めの日程でアフリカです。
隙あらばアフリカに行かないと、いつまでたってもアフリカ大陸縦断を達成できないので。。。

キガリには割と早い時間に到着。
今回も宿は『ホテル・ルワンダ』の舞台である『ミル・コリンズ』です。
前回は触れませんでしたが、映画『ホテル・ルワンダ』ではフツ族・ツチ族の内乱状態にあって、虐殺からフツ族を守った美談ではありますが、実際にはお金を徴収しており、且つ配給品についてもチャージしていたとかで国内では主人公がブーイングの嵐、結局、ベルギーに国外逃亡生活をしているという、寧ろこっちを映画化すべきではないかという、ナイスな話になっております。

従い、当ホテルには『ホテル・ルワンダ』関連の話は全く出てこないのがナイスです。

【虐殺記念館から街の中央を望む】
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さて、キガリ、、、というかルワンダはコーヒーでも有名で、前回もチラッと触れたフィエ農園などあります。
日程の都合でスルーしてしまったのですが、せめてもの慰みとばかりに、有名なブルボンコーヒーに行きます。

一応、店の名前ですが、ブルボンというのはコーヒー豆の品種の名前でもあります。
アラビカ種・ロブスタ種・リベリカ種が3大品種ですが、このなかではアラビカが仏恥義理で有名、というか高級扱いで、スタバなどはアラビカ100%主義ですね。
ブルボンはそのアラビカ種の1種とのこと。
甘味があるからか、アフリカではふつうにお菓子というか、ちょっとしたおつまみに食べたりします。

で、ブルボンコーヒーで朝からのんびりです。最近はチェーン店化してるみたいですが。
で、本店では豆も売ってるのですが、ミル無い人にお土産で配っても意味ないので、ひいたものも売ってほしいところです。

さて、仕事を片付けつつその日は普通に宿泊し、翌日にウガンダのカンパラへ向かいます。

あ、話が前後して恐縮ですが、今回の旅程はキガリ(ルワンダ)〜ウガンダ(カンパラ)〜ナイロビ(ケニア)です。
この3国、アフリカでも安定しており、モロッコやチュニジア、エジプト、南ア以外でアフリカにトライしたい方にはお勧めです。
ビザもこの3国周遊ビザが発行されており、便利です。
私もこのビザを取得しています。結論から言えば、この3国の旅は非常に楽でした。まぁ、その分、刺激は少ないんですけど。
期間も1週間足らずで、8/13にキガリ泊、8/14〜8/15はカンパラ泊、8/16は夜行バスで過ごし、8/17にはナイロビ泊と
割とタイトな日程だったんですが、余裕でした。
これがタンザニアやブルンジなら倍の日程は見た方が良いです。   


ルワンダは金曜日の一定時間帯をゴミ掃除の時間にしているので、非常に綺麗です。
スーパーなんかのビニール袋は国内への持ち込み禁止です。
日本でもビニール袋を有料化する方向ですが、ここまで徹底してほしいですね。
ストローを紙にするという議論が先行しましたが、誰もが「そこからじゃない」と思った筈です。
美化だけでなく、いろいろ秩序だっているのがルワンダなので、居心地はとても良いです。
独裁政権がいい方に転ぶとこうなのか、と考えさせられます。
なんていうか、「イケてる独裁と、衆愚政に近い民主政のどちらが良いか」という、銀河英雄伝説的なアングルで考えさせられるのは私だけでしょうか?

「千の丘の国」とも言われるルワンダ。首都中心部も丘にありますが、バスターミナルは丘を下ったところにあります。この国のバイクタクシーは赤いゼッケンを着けていて、客もヘルメット着用が義務付けられています。規律とれてるなぁ。料金も口約束ですが、ボラれる印象は全然なかったです。

【キガリのバイクタクシー】
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【バスターミナル周辺】
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で、バスターミナルでEasyCoach社のチケットを購入したのですが、午後3時過ぎの出発とのこと。
カンパラ行は頻発だと聞いていて、午前中に移動できると思ってたのでちょっと焦ります。
でもまぁ、思い通りにいかないのが旅の常ですんで、バイクタクシーにキロリンゴ・マーケットというルワンダ最大の市場に連れて行ってもらいます。
・・・といってもただの市場なんですけどね。生鮮食品コーナーや生活雑貨コーナーなど、モノがあふれております。衣料コーナーでは中国製の足踏ミシンが並び、繕い事なんかをしているのを眺められます。
気温も同時期の東京より圧倒的に涼しいので待つことは苦にならなかったですね。
で、バスターミナルに戻り、ウガンダのカンパラへ向けて出発です。

【キロリンゴ・マーケット】
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【瓶の蓋を駒にしたゲーム。相手を飛び越えると駒を取れる模様。】
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さて、さすがにキガリを出ると未舗装の道路も見られますが、基本的にはよく整備された道路なので
バスは特に問題なく走ります。
やはりインフラは国力ですぜダンナ。

【キガリから離れる】
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さて、さすがにカンパラについたのは夜21時ごろでした。
カンパラのバスターミナルはアフリカ最大級と聞いていましたが、私の到着したバスターミナルは明らかにそれとは違う、ガソリンスタンドの裏手の駐車場みたいな感じです。ちょっと街の南の外れっぽいです。
到着と同時にわらわらとバイクタクシーのあんちゃんが寄ってきましたが、適当にあしらい、流しのバイクタクシーを捕まえます。

途中、バークレーのATMで現地通貨を引き出し、市中のホテルにチェックインです。
ここでは2泊の予定です。
ホテルの名前はスピーク・ホテル。割と居心地の良いホテルです。ちょっと仕事をする関係上、仕事の日は惜しみなく良いホテルに泊まることにしています。使った分、仕事で稼ごうと気合も入ります。

翌日、ウガンダは銀行の口座を作りやすいと聞いていたので目ぼしい銀行を回ったのですが、混雑がひどく、係員の説明もわかりづらいので保留としました。
日本から書類も書いて持って行ったのですが、なんやかんやと盥回しの挙句、やはり現地企業の職についていない者には容易に口座を作らせてくれなくなったとか説明を受けます。
ウガンダで起業登録した方が早そうです。
ちょっとこの辺はまた再トライするかも。
街を散策しますが、普通に都会です。お洒落なカフェでアイスクリームなんぞを食べます。
アミーバ赤痢が怖いので、火を通していないものは遠ざけていたのですが、さすが首都だけあって問題もなく。
ウガンダやルワンダでビジネスをしよう、という人が多いのもうなずけます。


さて、カンパラは、ナイルの源流が近く、人気の観光スポットです。世界でアマゾン川に続いて2番目に長い河の源流ですから、これはちょっと拝んでおこうかという気分にもなります。
ただ、特にアマゾン川は季節によって長さが変わることもあり、ナイルはナイルで最長を主張しています。
因みに、宿泊している宿の名前のスピークはナイル源流を発見(再発見というのが適当ですよね)したイギリス人冒険家に由来しています。
ナイル源流がヴィクトリア湖という主張を証明したそうです。
身も蓋もないですが、どうやらヴィクトリア湖から流れ出るのがナイル川だけである以上、ヴィクトリア湖はナイル水系の一部であって、本当の源流はナイル川に流れ込む河川を含むことになるため、本当はルワンダ辺りだそうです。
うわー、それ、知りたくなかったわ。

宿をチェックアウトし、とりあえず、ナイル源流に向かう為、バスターミナルに向かいます。
カンパラのバスターミナルはその規模で有名です。
もうめちゃデカくて、まさにカオス。
写真では見づらいですが、奥にあるビルの手前までミニバスがぎっしりです。これは一見の価値があります。
一見、カオスに思えてもやはりルールは存在していて、「あ、ここは迂回するのね」と暫らく眺めていると理解できてきます。
これは見ていて飽きないです。

【カンパラのバスターミナル】
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【カンパラから移動】
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ただし、ナイル源流へ向かうバスはここから発ではなくて、ミニバスで目抜き通り1本南の通りから出発とのこと。
渋滞につかまり、3時間くらいかかりましたが、小さな町の郵便局脇で降ろされました。

ここからナイル源流へトボトボ歩きます。
ウガンダの小学生が遠足で来てたりして、なべて平和です。
付近は有料で、外国人は割高料金です。どう見てもアジアな私も当然割高に。

【外国人6倍ですよ。きっつー。】
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それよりもボート代金が高く50ドルくらいしたのですが、まぁ、実質貸切だったので良しとしました。
船って結構、お金がかかるもんですからね。

ナイルの源流と言われるのは、ヴィクトリア湖の北側の中州にあります。
ショボい看板が目印です。センスのないところが好きです。

【ハイセンス】
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カンパラから直接ナイロビを目指すのではなく、ナイル源流のポイントからナイロビ行きのバスを捕まえるのはちょっと面倒でした。
最初、「バスは郵便局の脇から出発する」と聞かされていたのですが、これはどうも信じがたく、郵便局の女性に聞いても「いやいや、バスは街の入口から出発するわよ」とのこと。
つまり幹線道路まで戻らないといけません。
街を抜け、何もない所をさらに2kmほど歩き、幹線道路脇で待つのですが、何しろターミナルではないので油断していると置いてけぼりになります。
しかも私のが買ったチケットのオペレータは、事務所が少し離れたところにあって、そこにバスが来るだの来ないだの、人によって言うことがまちまちであり、両方に睨みのきく高所に陣取って見張るという、ダルいことをやっておりました。
しかもバスが大幅の遅延であり、バスが来るたびに高所から駆け下りて確かめるという、シーシュポスのような苦行であります。

ようやく、バスを捕まえ、眠りに落ちます。

■ナイロビ
ナイロビは大都会で、治安が悪いことでも有名ですが、一時よりはだいぶ改善しているそうです。
と言っても、私が宿泊した後、ホテル街の駐車場に停めてあった車に搭載された爆弾で何人かお亡くなりになってるのですが。
ただ、ナイロビ銀座と言われる一角は、手ぶらなら歩ける感じです。
バスは、ナイロビ駅近くのビルの裏手にあるバスターミナルに到着します。
ホテルまでは歩いて移動しました。明るい内なら特に問題なく感じました。(個人差あり)
尚、ここから北進する場合は、別のバスターミナルから出発することになります。

人心地ついて、観光もそこそこ、仕事をして今回の旅程は終了です。

プチ社長日記:『たまに思い出す心象風景』の話

ガラガラと音を立て、ポトリと玉が出てくる。
それが白色ならば残念賞でポケットティッシュが渡され、赤色ならば大当たり・・・・。
くじ引きによる景品とはこういったものだろうか。

僕はあのガラガラを回すのが嫌で仕方ない。
なので引き換え券などはすぐに他人にあげてしまう。
あの独特の手ごたえ、何か中に仕切りでも入っているのだろうか?よくわからない。
母親が昔、「あれ、逆回転させるとええんやで」とアドバイスくれたことがあるが、
子供だった僕にもそのアドバイスに根拠がないことは何となく見抜いていた。(ウチの母親は想像でモノを語るのだ。)

僕が嫌なのは、いつもある風景を思い浮かべるからだ。
とても幼稚なそれだが、何故か年に一度くらいは、ふっと思い出すのだ。

・・・朝起きて、周りを見渡すと白い部屋で、どうやらそれが僕の部屋らしい。
少年の僕は何故かキチンとパジャマを着ていて、まっさきに机の上にあるガラガラ、、、もう少しお洒落なデザインなのだが、を回す。
ガラガラの隣には大きな薬瓶のようなものがあって、その中には多数の白玉が入っている。
ガラガラは非常に重い。多数の玉がまだ入っているからだ。
僕はそのおおよその数を知っている。1日1つとして、天寿を全うできる個数だけ入っているのだ。
100年生きるとすれば、36,500個、閏年を考えれば36,525個入っている。
白玉以外は赤玉が一つだけ入っていることを、僕は知っている。

ポトリと白玉が落ちる。
僕は安堵してその球を拾い上げ、隣の薬瓶に入れるのだ。
僕にとって白玉こそアタリなのである。赤玉が出た日、僕は死ぬのだ。

ただ、それだけだ。

でも、次の日辺りに赤玉が出てくることを考えてしまう。


僕はもう46歳だ。
薬瓶には16,000個を超える白玉が入っている。
ガラガラには20,000個ほど入っているだろうか。
人間は生き物だから、死が訪れる確率は毎年一定ではない。
因みに厚生労働省の生命簡易表によると46歳まで生存した男性の今後1年以内の死亡率は0.169%だそうな。
1日当たりに換算すると「まぁ、当たらないよね」という確率だ。
でも、いつか赤玉は出る。
そして死神がやってくるのだ。

無論、子供の頃から厚生労働省のHPを見る僕ではなかったが、直感的にこの心象風景がそれほど間違ったものではないことを子供の内に悟り、なんども反芻する内に定着してしまったものだと考えている。
ガラガラに例える辺り、死を遊んでいるとも言えるが、逆に偶然に左右されるのも嫌で、その他の道を考えてばかりいた時期もあった。

今では日々を大切に生きるための警句と捉えているが、それでもあのガラガラの嫌な感じは身に沁みついてしまっている。

・・・嫌なものは嫌なんだよ。

プチ社長日記:『エクスペディア(expedia)のシステムこれでいいんですかね。。』の話

海外約100ヵ国と地域(台湾とかチベットも集計対象とする)を回っている私にとって、エクステペディアさんは良く利用するシステムで、毎年ゴールド会員なわけですよ。

航空券単体ならスカイスキャナーなど他の優良サービスもあるのですが、宿も含めて総合的にみると(特に辺境の地域の宿など)はエクスペディア凄いなー、とか思う訳です。
まぁ、宿に至ってはパキスタンやジョージアで既に在庫ないのを売りつけられたりしたのですが、その時も誠意のある対応をしてくれて、「あぁ、いいサービスだな」などと思っておったのです。

ところが先日の航空券のチケット予約の際にトラブルおきまして。この手の予約システムは仕様に明るくないのですが、さすがに「これどうなの?」という状況なので注意喚起しておきますね。

■経緯
.アランプール経由のアディスアベバ行きの往復チケットをブッキング。すぐに確約のメールが来る。
⇒眛、担当から電話が来て「チケットは取れてませんでした。でも今なら無料でキャンセルできますよ」と言われる。(別にキャンセルしたいわけではないのだが。)
上記は航空会社へのIFタイミングによるもので、エクスペディア側の瑕疵であることを確認。
ぐ豈、システム業界の話になると優しくなるワタシ。そうかじゃあ仕方ないねと検索すると、在庫がまだあるじゃないですか。さっそく予約。
コ量鵐瓠璽襪来るも、旅程を見るととれていない模様。いや、厳密にいうと、中途半端にとれている。何故か往路のみで、しかもクアランプールでなくてソウル経由になってるww。今度は先方からメールも電話もない。
Δ海舛蕕らコールセンターに連絡し、状況を確認するとやはり中途半端にしかとれていないのでキャンセルしてもらう。
ШE戮亙綿悗罵縮鵝3量鵐瓠璽觴領。でもやっぱり中途半端にしか取れていない模様。
⓼連絡こないので、こちらからコールセンターに連絡し、状況を確認するとやはりとれていないのでキャンセルしてもらう。
結局、Г⓼を他の便でも何度も繰り返し実施している内に、今度はカードの与信枠が埋まってしまう。(学生の時からのグレード最低のカードを愛用の為、すぐ埋まるww)
カード会社に連絡すると、エクスペディアに連絡しろという。
エクスペディアに連絡すると、与信枠解放はできないので(まぁ、そうだろう)3日待てと言われる。一方で発券できないのに与信枠をとったのはエクスペディア側だと認める。

というわけで、46歳にもなってカード破産した人みたいにカード使えないんですけどワタクシww


エチオピア航空/マレーシア航空のシステムに非があるのなら、「ま、しょうがないな、エチオピアだし」で納得するのだが、肝心なところでエクスペディア側がシステム不備を認めるものだから、話の持って行きようがない。
コールセンターの人にシステムの仕様を理解させるのは難しいかもしれないが、エクスペディアの業務的にここがキモなのは間違いないので、業務移行や教育担当になったらここは重点的に実施された方がよいよな。

口の利き方を知らない担当は、仕方ないにしても。

※その後、先方のマネージャーさんから電話をいただき、改善点について話しました。
(1万円のポイント付与を提案いただきましたが、お断りしました。)


プチ社長日記:『影響力の武器』の話

自分の持って行きたい方向、特にセールス面において「買わせたい」と利益誘導する技術等について書いた本書。
一応、そういった誘導に抗う術を身に付けることを目的としているが、詳述されているが故に利益誘導マニュアルになってる面有り。

まぁ、「希少性の法則」や「一貫性の法則」など、ラベルとしては新しいが、内容はそこそこ人生経験あれば「知ってた」というものばかり。まぁ、「あと残り僅か」とか言われると欲しくなるし、自分の発言の整合性を保つために、「小さな妥協が大きな妥協を惹起する」のも「あるある」となりますわな。

・・・本書の見どころは実例が多く挙げられているところに尽きる。
何となく「そんなもんだろうな」と思っていたことが、数値に裏付けられると予想以上の効果だということが理解できて読ませるポイントとなっております。ただ、翻訳は直訳感が出てて読みづらくはあるし、ボリュームもあるので気軽に読める本でもない。

最初にも触れたが、アムウェイの事例なんかも出ているものの、対アムウェイ防御法よりも類似アムウェイを生み出しそうな内容なのが痛いところ。
まぁ、セールスなどに携わる人は読んで損はない一冊となっております。

知らんけど。

プチ社長日記:『しゃあなし』の話

仕事を切り上げ明日に備えて大阪に向かうも、静岡大雨で大阪に行けず、引き返すプレイ。

プチ社長日記:『31歳と46歳で』の話

定点観測地の上海で昔の写真と比べてみるんゴよ。
【31歳】


【46歳】


31歳のときは会社やめて、サイト運営とかやってた頃ですね。日本株のトレード経験を最も積んだ時期でもあります。株は20代前半からやってたんですけどね。
結局、その後の生活の中心はコンサルに戻っていくんですけどね。
46歳の私ですが、結構、メインクライアントの契約上の建付け変更の影響を受けそうで、初心に戻って手探りでやっていく時期になりそうです。つらいのぅ。