有限会社Ayleeds社長日記。継接ぎだらけですが、新しいビジネスを求めて世界一周旅行もやってます。

プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#4』の話

サマルカンドはまず天文台を訪問した後、タクシーを捕まえて街の中心部へ向かう。観光客慣れしたタクシーを拾うとボラれる確率が高いので、通行人に相場を聞いていたところ、その通行人が親切にも交渉もしてくれて安心して乗ることができた。が、この運転手があまりにもマイペースで、どうやら買出しに出た子供を迎えに行く途中だったらしく、途中から大量の食糧を抱え込んだ2人の子供が乗ってきて、そのまま仲良く運転手の家まで行ってしまう。
私としても早く目的地に着きたいので、何故か荷卸しを手伝うのである。何をやっているのだ私は。

日本の感覚からすればタダ同然のタクシー代には他にも理由がある。通常、外国人を乗せるときは貸切に勝手になる(その分、勝手に割高になる)と思ってよいが、地元の人間にとってタクシーは相乗り前提のようなのだ。
私が乗っていても気にせず道端で止まり、行く方向か同じだと乗せてしまう。ご多分に漏れず若い女性が乗ってきた。パキスタンだとまず男女の同乗はないが、ウズベキスタンはその辺はおおらかなのだろう。挨拶をすると返してくれるし、レギスタン広場で私が降りる時もにこやかに送り出してくれた。

そして、いよいよ念願かなってレギスタン広場である。
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しかし年末だからか、人がまばらである。
警備の兵士も暇そうだ。だが私一人興奮度MAXである。
1時間ほどメドレセを見つつ広場をうろうろしている内、話しかけてきた兵士に、ミナレットには登れないのかと聞くと、普通は登れないが、、と歯切れが悪い。
こういうのは心得ているので、いくらだと聞くと50ドルだと言う。ふざけんなと言い、こっちも暇なので粘り強く話をして10ドルで手打ちである。
実は、ここの上に登れることは確信に近かった。パネル写真などで屋根からと思われるアングルの写真を見ていたからだ。無論、本来は開放していないので、屋根の上には照明のケーブルやらなんやらで雑然としている。宗教施設の屋根に上るのは、ミラノで大聖堂の屋根に上って以来かもしれん。

屋根に上ると遠くにかつてイスラム世界で最大を誇ったビビハニム・モスクが見える。
あぁ、俺はこれが見たかったのだと、旅の疲れが吹き飛ぶ一瞬だ。


サマルカンドは「青の都」と呼ばれる。青色のモスクと抜けるような青さの空の色に由来しているそうだ。
正直、空の青さはピンとこなかったが、朝の散歩において夜明けを待つときに納得させられた。

・・・特別に早起きをした訳ではない。前にも書いたが冬のウズベキスタンの朝は暗い。私はここでも運がよく、ティムール廟の近くの安宿に転がり込んでいたのだが、朝食までに時間があったので散歩にでかけることにした。大晦日の早朝だからだろうか、レギスタン広場には人影もない。
イスタンブールなどもそうだが、モスクは夜通しライトアップされることが多い。イスラームの国々の街ではそのモスクが映え、夜景はなべて美しい。
しかし、レギスタン広場のそれは格別だった。
ようよう明けゆく空の碧とモスクドームの青とが溶け合って息をのむような美しさであった。
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サマルカンドではしばらく滞在した。イスラーム建築だけでなく、町全体に活気があり、なるほど古来通商で栄えた街だけのことはあると納得した。

サマルカンドから次へは、ブハラを目指すことにした。タシケントで列車に乗り損ねたので、今度こそはと鉄道で移動することにする。少し前までロシア領だったので、駅の建築もまんまロシア風である。
平たくいうと、無骨で無駄にデカく、寒々しい。だが、それがいい。






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