有限会社Ayleeds社長日記。継接ぎだらけですが、新しいビジネスを求めて世界一周旅行もやってます。

プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#2』の話

タシケント空港には夜遅くに到着した。初日の宿は羽田からエクスペディアで予約したホテルだ。簡単にエクスペディアで予約できる辺り、パキスタンと違って訪問が楽なのが窺える。

夜の空港から市街へは、タクシーしか足がない。例によって運転手が大量に群がってくる。空港から市街地までの相場は5ドル程度と聞いていたのだが、話がなかなか纏まらず、深夜ということもありやむなく8ドルで手打ちをする。
因みに、ウズベキスタンに正規のタクシーはないと思ってよい。行燈はついていて、それっぽい電話番号が車体に書いてある場合でも、メーターのない白タクだ。料金表も、無論ない。(だいたいイスラム圏は商店でも正札がないケースが殆どだ。)
ただし、買い手と売り手がいるので市場となり、結果相場が形成される。その相場を知ることが旅行者には難しいが、勉強料として多少ボラれたりしつつ、相場を知ることが楽しみでもあったりする。寧ろ、無理にでも楽しまないと何処にも行けない。

タシケントは、200万人余りがが住む大都市だ。世田谷区と渋谷区で110万よりちょっと大きいくらいかな。地震で一度壊滅的な打撃を受け、その後、ソ連・ロシア時代にロシア風街づくりが行われた。ロシア風と言うと、「大したことのない通りでも片側3車線は当たり前の、だだっ広く空間を使ったマッチョな街づくり」といったイメージがあるが、まさにそれである。
運転手の助手席には、まさに助手といった風貌の男が座っている。
車が走り出すやいなや、『ビジネスの話をしないか』といってダッシュボードを開けると、そこには札束がギッチリ詰まっている。何のことはない、両替話である。

・・・イランで100ドル両替しようものなら、札束が返ってくる。それと同じで、ウズベキスタンでも100ドル両替したら札束でポケットが溢れる。経済制裁でクレジットカードが使えず、国際バンクカードも使えない(つまり、ドル紙幣で持ち込むしかない)イラン(当時)に比べると、両方通用するウズベキスタンでは慌てる必要がない。もっとも、ここ一番で通用するのはやはり世界最強通貨のドルだが。とはいえ、地方の飯屋はウズベキスタン・スムなので両替は必須だ。
相場もわからん内に多額を両替するのはアホである。ましてや旧札・新札の混ざっている経済圏だと、額面は同じでも旧札は割高に請求される(価値が低い)などと不当な扱いを受けるケースもある。
適当にうっちゃっておいたが、どうやらこの助手の方が運転手の親分格らしい、『静かにしろ、疲れてるんだ』とピシャリと言ってもひるまない。商売人は嫌いではないので話くらいは聞いてやる。
そうこうする内に宿についた。『何ドルだっけ?』とすっとぼけると先方は10ドルを要求してきた。
(内心笑いをこらえつつ)激昂したフリをすると、『8ドルだった』と訂正してきた。そこで『お前はルールを破った。イスラムで重要な、ビジネスのルールをだ。2ドル分をズルをしたので、私もそうさせてもらう』と言って6ドルを投げつける。これは私がよくやる手だ。相手の様子を見つつなので、お勧めはしないが。
ただ、これで先方が追っかけてくるようなら、相場と乖離している証拠だ。今回のようにそうしなかったり、小声で礼を言われたりする場合は、相場付近だと思っている。
チェック・インを済ませて、ホテルで少額を両替しようと40ドルを渡すと、両画商の女性に『十分、多いですよ』と言われる。別に物価がべらぼうに安い訳ではない。正直に、『この国に来たばかりで、理由がわからない』と告げると、
レートがオフィシャル・レートだからだと言う。因みに1ドル=約2800スムであり、絶賛スム安傾向が続いている。
一方で、この国で闇両替は違法である。ところが、どうやら事実上、野放しのようである。因みにさっきのタクシーの助手席の男は3000スムを提案してきて、旧札だと決めてかかったが、結果からするとそうでもなかったみたいだ。

せっかくの女性の忠告を聞き入れ、少額だけ両替する。もう遅い上に、外は寒く(内陸なので寒暖の差が激しく、昼夜それぞれ日本の±5度といったところ)人影がないところを見ると、おとなしく寝るのが得策のようだ。部屋に入って今後のプランを考えて寝るとする。


プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#1』

昨年12月29日から1月4日まで、年末年始の休みを目いっぱい使用してウズベキスタンに。
この時期は「年末年始の予定は?」というお約束の会話がなされる季節なので、以下のような会話を数回くりかえす羽目に。

「年末年始の予定は?」
「・・・とりあえずウズベキスタンに行こうかと」
「なんで?」
「飛行機で」
「そういうの、いいからっ!」
「・・・んー。今回はいつもと違って、期間が短いからね。ルートをそれて、純粋に覗いてみたいところに行こうかと。昨今、中央アジアはビザのトルクメニスタン以外は緩和がなされつつあって、アクセスが飛躍的に容易になったこともあるし、ほら、安倍首相も今年に中央アジア歴訪したとおり、日本にとっても市場的に重要な地位になりつつあるんだ。加えて天然ガスなどの天然資源も豊富だし、再南下を目論むロシア、一帯一路的にアメリカとの直接対決を避けて西に食指を伸ばす中国との思惑が交錯してて、政治的にも今後熱くなる。それに俺は歴史好きなので、シルクロードの要衝サマルカンド観ずして死ねない。サマルカンドはね、別名『青の都市』と言われてて、俺の一番好きな色である、、」

「・・・もういい。わかった」
「人の話は最後まで聞けって、昔、習わなかったか?」

・・・最後はぶった切られたが、だいたい上記の理由で今回はウズベキスタンをチョイス。
今回は休みの期間が短かいので、1日も無駄にできない。ビザを事前に準備すべく調べてみると、大使館は泉岳寺付近になる。この前のパキスタン大使館の割と近くだ。

【ビザ取得】
仕事を中抜けして、品川駅から歩いて大使館へ。途中、泉岳寺わきのほっそい歩道を歩いていく。
大使館は、バングラデシュ大使館のような感じで、普通にインターホンを押して家に入っていく感じ。

PCからダウンロードした用紙とパスポートを提出する。
誠実そうな係の男性が対応してくれる。
書類の提出を終え、引き換え券を待っていたのだが、「そんなものはない」と言われて少々驚く。
引取りの際は別の身分証明書が必要かとも聞いたが、それも不要で、ビザ代の振込通知のレシートだけ持って来れば良いとのこと。

申請者が少ないのだろうか?
当惑した私を一瞥し、お前の顔みたら本人かどうかなんて解るだろ、なんでそんな事を聞くんだという係の方の反応が新鮮で、俄然ウズベキスタン行が楽しみになる。

帰りに泉岳寺にお参りする。実は初めて泉岳寺。そんでもって泉岳寺と言えば赤穂浪士。
如何に主君の敵とはいえ、47人の集団私刑なんて近代国家なら絶対に認められない暴挙だが、日本人はこの手の話が好きだよね。
私も日本人なので右にならえである。ただし、浅野氏の墓もいれると計48のお墓である。
1基につき30秒でも24分かかる。最初は丁寧にお参りしてたが、さすがに48はしんどい。講談に出てくるようなような有名人ならともかく、無名のその他(それも享年がめちゃくちゃ若い)の墓には「童貞で死んで、さぞ無念でしょうな。お察しいたします」くらいしか出てこない。
仕事抜け出して何やってるんだ俺は。

そんな感じでビザさえとれば、準備はほぼ完了である。

【出発】
28日は仕事納めである。先輩方といつものように遅くまで飲んだくれる。20時くらいから飲んでたかな?気付けば27時である。
いつもなら先輩方に最後までお付き合いさせていただくのが喜びであるが、朝早い便なので残念ながらお暇する。

タクシーで帰ってきてから、おもむろに荷造り。と言っても、いつものリュックにいつもの装備。下着類は捨ててくる覚悟で古いのを突っ込み、『地球の歩き方』を機内で読めるよう最後に詰めれば完了である。パキスタンと違って最新刊があることから、それなりに訪問者もいるのだろう。(パキスタン編は8年ほど更新が中断されている)

故意に事前情報を持たないようにしているが、周辺国のビザ状況と治安だけは確認するのも自分のお約束。見るとキルギス(旧キルギスタン)とカザフスタンはビザが不要である。現地で雰囲気みながら、機会があれば訪問を狙うこととする。

そのまま寝ずに羽田まで向かう。韓国ではGMPからINCに空港の変更があるので、酔いの抜けきらない顔で入国・出国手続きをすることになったが、便数が少ないので仕方がない。そもそも、いつもどおりの最安値クラスのチケットなので贅沢は言えない。

近代的な仁川空港の搭乗エリアにおいて、黒の革ジャン姿のムサい男の比率が高い地味目な一角がウズベキスタン行き便のゲートである。あぁ落ち着く。ひと眠りしたら夜のタシケントである。

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