有限会社Ayleeds社長日記。継接ぎだらけですが、新しいビジネスを求めて世界一周旅行もやってます。

プチ社長日記:『34歳無職さん』の話

私のこのブログは、もともと『無職日記』というタイトルであった。要するに無職な日々を過ごしていたのだ。
ふらりと寄った書店で、タイトルと絵のタッチが気に入ったので購入。
しかし、てっきり男性だと思っていた主人公が女性と判明し1ページ目から衝撃を受ける。何と言うか、歌だけ知っていた山下達郎氏を初めて写真で見たときに誰もが感じるであろう、自分の思い込みの激しさを恥じ入る一瞬だ。

ところで、男性の無職と女性の無職ではどちらが風当たりが強いのだろうか?
私自身は男性なので、どうしても前者だと思ってしまう。世の中には『家事手伝い』というポジションがあるらしいが、『それって無職でしょ?』といつも聞くたびに心の中で突っ込みを入れてしまう。最近は男性もそういうポジションを名乗る人もいるらしいが、今までは女性しかそのポジションを名乗る人をみかけなかった。(私の周りだけかもしれないが。)しかも、だからといって特別に料理ができるわけでもないケースが多い。そんな時には『手伝い』つまり支援遂行が可能なのか問い詰めたいとチラリと考えてしまう。
別に『家事手伝い』が悪いと思ってるわけではなくて、それも無職に含めるというのなら、既に結構無職が多くて、社会もそれを容認している、ということかなと。実際、『親が(変な仕事をするくらいなら)働くなと言ってる』という、無職の持つ後ろめたい気持ち、、、それが逆に甘美だったりするわけだが、、の欠片もないケースも目の当たりしている為、そう思ってしまうのだ。私は前時代的なのだろうか。
個人的にはむしろ、ストレートに『無職です』と言う女性の方が好感が持てる。特にこのケースのように一人暮らしであって、家事は『手伝い』ではなくて主体としてこなす必要がある立場である故、社会適応スキルは高いと推測し得るケースは尚更だ。
因みにこの主人公(最後まで名前がわからないところがイイ。2巻以降で明らかになるのかも知れんが。)は、失業保険の受給もしているので行政上も失業者である。筋金入りでカッチョイイですね。

・・・話がそれた。
本書であるが、主人公は特に何もしない、隠者のような平穏な日々を過ごしている。恋愛をするでもなく、淡々と日々を送る。そこにリアリティがあって素晴らしい。作者も無職だったとのことで、その体験がなせる技であると共感する。大学時代のような、社会から与えられたモラトリアムではなく、自分の判断で選択するモラトリアムには、何かしら意味を与えようとするものだが、見事なまでに何もしない。何もしないので、何も起こらない。
そして、いろんな妄想を通じて内面を掘り下げ、向かい合っていく。そのような時間をとても愛おしく、丁寧に描かれていると思う。

・・・一方で、偶然だが私は並行して、沢木耕太郎氏の『深夜特急』を読み返していた。同じモラトリアムでもこちらはユーラシアを股にかけた移動や人々との出会いの中で、自分を見つめていく。静のモラトリアムと動のモラトリアムの対比とでも言おうか。その対比を通じて楽しめたのは僥倖であった。
どちらも魅力溢れる時間が描かれていて羨ましくなる。


・・・まったく纏まりのない話になったが、お勧めです。
今の私は無職じゃないので、当然明日も仕事です。なもんで寝ます。

プチ社長日記:『20年前の写真』の話

1998.JPG

部屋を掃除していると、フィルムが3本出てきた。
私は実家が写真業を営んでいたので、普通に実家に持って帰ればタダで現像できたのだろうが、持って帰りそびれている内に、棚の奥にしまわれていたのだ。

何が写っているのか、気になったのでDPEショップへ出向く。

「キチンと写っていないと思いますよ。カビも生えてる可能性がありますし。」
フィルムを一瞥して店主が言った。

「えぇ、かまいません。何が写ってるかわかれば十分です。」
そう返し、注文だけしてその日は踵を返した。

一週間後、写真を取りに行く。
一時は冷蔵庫で保管していたせいか、程度の差こそあれ、何が写っているかはわかる。
私が早大生だった頃のフィルムと東大に移ってからのゼミの写真が中心だった。
カビのせいか、全体的にサイケっぽいのが味わい深い。
20年間、フィルムを放っておくとこうなるのだな、という新鮮な驚きがあり、しばし写真に見入る。
・・・当時つきあってた彼女やゼミの教授が写っている。
元気にされているのだろうか?などと思うが、彼女や教授が今の私を見たらどう思うだろうか?とも同時に考え、呆れ顔でこちらを見るビジュアルイメージが立ち上がり思わず苦笑いする。

・・・まだ私にはやるべきことがある筈だ。そう言い聞かせて、振り返りもそこそこに私は店を出る。
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