300〈スリーハンドレッド〉
■あらすじ
マッチョなオヤジ300人が半裸で玉砕
■感想
いきなり話が逸れるが、私は今まで教えをいただいた先生方には恵まれていた。いや、勿論、恵まれるように努力したりしてたわけだが。
中でも高校世界史の大川先生にはお世話になった。卒業後、伊豆に湯治に来られた時に呼ばれ、朋友と共にお邪魔したことを思い出す。
大川師の世界史は近代⇒古代⇒中世という教え方も特異であったが、エピソードを講談師よろしく語り、印象付けることにあった。師の世界史がなければ大学受験で世界史を選択することや卒業後もギボンの「ローマ盛衰史」などは読まなかったであろう。
師がこのテルモピュライの戦いを見逃す筈は無く、粗筋は勿論、『スパルタ人よ、武器を捨てよ!』『ペルシャ人よ、奪ってみよ!』の台詞まで記憶にある。
さて、この話は上記テルモピュライ(テルモピレー)の戦いの話である。ただし、グラフィック・ノベルを素材にしているだけあって、映像表現は大胆に創作が加わっている。
主人公のレオニダスは、弱小コーヒーチェーンの看板にもなっている、あの英雄である。
英雄譚であるから、ペルシャのクセルクセス初め、ペルシャ側が『いかにも悪』という表現に苦笑は否めないが、まぁ映画ですから。
見所はやはり、革のビキニパンツにヘルメット、ガントレット(手甲)、サンダルという『末端ファッション』に身をつつんだマッチョオヤジが赤いマント翻して画面一杯に溢れるところである。
作戦とはいえ、大軍のペルシャを隘路に迎え撃つため、狭い場所に密集するオヤジ達。
戦術は勿論、地中海世界の十八番である密集戦法(ファランクス)であるからたまらない。狭い場所にオヤジがびっちり居並ぶ姿はカマキリの孵化シーンのようである。
モニターがエポクリン臭くなるのではないかと心配するほどオヤジ・オヤジ・オヤジであり、『あぁ、戦いはオヤジが作るのだ』という、無駄なまでの説得力を持つ。クマ系フォモには堪らんかもしれんが、私がペルシャ軍だったら絶対ヤダ。
『スパルタ人よ、服を着よ!』と言いたい。
因みにダビッド画の
レオニダスはパンツも履いていない。当たり前ですけど、当時は写実性よりも人間の肉体美を表現する方が優先されたからであって、ホントに裸の訳ではないですよ。
テルモピレーの善戦はギリシャ世界にとってはサラミスの海戦への準備時間を稼ぎ、これに大勝しギリシャ世界を守ったという点で重要な意味を持つ。映画ではプラタイアの戦いで幕を閉じるが、ここではテルモピレーの生き残りが参加している、という設定になっている。(ヘロドトス伝では全滅)
『パールハーバー』でもそうであったが、やられたら最後はやり返さないと気がすまない、というのが映画の世界らしい。
まぁいろいろ書いたけど、トータルでは見てお勧めっすよ。特にクマ系フォモに。(←しつこい)