有限会社Ayleeds社長日記。継接ぎだらけですが、世界一周旅行もやってます。

プチ社長日記:『人生はゲームか』の話#2

さて、続きを逝ってみようか。

■ざっくり前回をまとめるよ■
先日のエントリでは、『人生はゲームである』という主張として、ゲームの本質は選択の連鎖にある緊張を愉しむことであり、人生というものも同じく選択の連鎖により形成されるという論幕を展開した心算だ。
勿論、ゲームも人生も全てが制御可能な要素によって構成されているものではなく、ある一定の制御不能な領域というものがあるものの、優れたゲームというのは選択の結果によって制御不能な領域を克服できるものであるということも読み取っていただけたかと思う。

■脳は選択しかできないよね■
ゲームが選択の連続というものは、トランプなどを想起していただければご理解いただけるかと思うが、『人生は選択の連鎖』だという所には異論を持たれる方もいるかもしれない。
ちょっとこちらの方に論を加えておく。

あなたの世界観は脳によって形成されていることについては殆どの方が異論はないと思う。ユングのネィティブ・アメリカンに関する記述の中に、『彼らは心臓で考える』というのがあるが、一応ここではハーベイの血液循環説に基づいて考えることにする。
今さら言うまでもないが、あなたの世界観を形成する脳は、あなたの生活活動そのものを実行するわけではない。あなたの脳それ自体が食事をとったり、プレステのコントローラ握ったり、テレビのチャンネルを替えたりしたりはしないのだ。
脳それ自体はそれらの行為を指示するだけであり、その指示は神経細胞を伝達して実行され、その指示自体は突き詰めると1か0かというコンピュータと同じものでしかない。

結局、あなたの人生はそういった指示=選択の集合体でしかないということをご理解いただけるかと思う。

■それでも人生はゲームじゃないと言い張る人々■
人生はゲームじゃないと言い張る人々は、何か自己の人生を『ゲーム』などという言葉で表現されることを嫌い、何か神聖不可侵なものと捉えているのではないかと、私は時として感じることがある。
いや、どう捉えていようとその人の勝手なのであるが、たとえあなたの人生というものが『さむしんぐ わんだほー』なものだと思い込んでいたにせよ、違う価値観の人間からすると素晴らしいものでない可能性は高い。
それはゲームのルールが異なるからである。
ことわっておくと、ルールというものは、大前提さえ固まっていれば詳細が決定されていなくてもゲームは成り立つものである。最近のネットゲームをプレイしたことがある方なら、言わずともその辺の機微を体感されていることと思う。

人生はゲームじゃないという人に、『じゃぁ、あなたや私の人生って何なんですかね?』という質問をして論理的な回答をいただいた試しがない。
事前に考察していないと即答できかねる類の問題なのは理解できるが、だからといって感情的に反論するのはいかがなものかと思う。かと言って、『よく考えたことがありません』と申告する人も皆無に近いだろう。
その方が自分の人生を『さむしんぐ わんだほー』なものだと主張すればするほど、質問に対する回答というものから遠ざかっていることに気づかないようだ。
たまに『神様』を持ち出す方がいるが、私は『あなたや私の人生』についての意見を聞きたいのであって、神様のそれではない。
安易に神様を持ち出して思考停止になっている方を見ると、脱力感さえ覚える。救いようがない。

そのような無理やりな回答をつくるよりは、ゲームと理解した上で楽しめる内は黙々とカードを切っていけばいいのではないだろうか?
そう思うのだ。

(つづく、、のか?)



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