有限会社Ayleeds社長日記。継接ぎだらけですが、世界一周旅行もやってます。

プチ社長日記:性差万別の話

文責:吉光

『男なら』というフレーズに弱い。いや、別に無口でサッポロビールを飲むわけではない。せいぜい『民明書房刊』を愛読して男を磨く位である。
ただまぁ、『男なら○○すべきだ!』とか言われると、『おぉ、そりゃやらなきゃ』みたいに思ってしまうわけである。ほんのちょっとだけど。

それはきっと私が男として生まれたことを愛しているということなのだろう。
誤解のないように書いておくと、女性としての人生がツマラナイという心算は毛頭ない。ただ、うっかり美人に生まれてしまうと、せいぜいこの程度の努力はするかも知れないが、甘えられる環境ならトコトン甘えてしまう自分の性格を鑑みると、不美人に生まれでもしない限り、何となくヌルイ人生を過ごしてしまいそうで危険である。勿論これは僕自身の問題なのだが。

私は巣鴨に住んでいて(女の子に住所を聞かれると、聞こえのいい『文京区千石に住んでいる』と答えている)、学生用の1Kに今も住んでいるのだが、そんな生活を送っている理由の一つとして、「爺婆を見ては高齢化社会を憂い、ピンサロのポン引きや、最近とみに増えてきた中国人の『マッサージいかがですか』攻撃を足元に広がる吐瀉物をよけつつ振り切ったり、地下のゲーセンで鉄拳5の対戦に熱くなった後、松屋で飯喰ってエアコンのない部屋に無言の帰宅をし、冷たく、そして何故か常時しっとりしている布団に服を着たまま潜り込んで眠る日々に身を置いてこそ、研ぎ澄まされる感覚というものがきっとある」と信じているからである。

話がそれてしまったが、言いたいことは、女であれ男であれ、性という枠組みからは一歩もでられない所に限界を感じてしまうということである。
仏教の釈迦は王子であったから男性であるし、イスラムのムハンマドもおばちゃんと結婚してるから男性、キリストも男性なのだが、神として崇拝されているものは全て性を超越しているということを考えると、(神を創ったのは人間の思考であると割り切った場合)古人の思考を超えることはできないのかと考えてしまう。
『男なら』というフレーズに反応してしまう時点で、男女の彼岸に何があるのかを見ようとしていないんだろうな、きっと。

勿論、どーでもいいのだが。

♪そんなわけで、えぇ、ひとつ♪(ブログランキング)

==※今日の備考(リンク)※===
『民明書房刊』:読むべし
この程度の努力:とはいえ、大変ですな
 

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