プチ社長日記:『斜陽』の話

・・・やってもうた。
なんで正月早々、手に取った本が『斜陽』なのか。
気付いて、正月っぽくないって、気付いてミー。

太宰治の文章は、人によって好き嫌いが別れる、というより、読み手のその時の気分や境遇で受け止められ方が異なる、稀有な文章と思う。
滅びゆくものの美しさや、退廃的な中にきらりと光る恍惚とした魅力も、嵌る時は嵌るが、そうでない時は全くそうでない。自分の調子に対してのバロメータ的な位置づけであろうか。
初めて読んだときはいつか忘れたが、おそらく他の太宰作品と同じく18歳の頃と思われる。
太宰の持つ、サイコクラッシャー的なパワーに当てられる年代である。

・・・まぁ、ね。あるよね。そういう時代。思い返すと恥ずかしいけど。

今、割と突き放して、醒めた目で読めるのは、我が身の老いのなせるわざか。
だからと言って「余裕だぜ」と思うかというとそうではなく、ここまでの境地に至り39歳でこの世を去る潔さなど、年齢を重ねても読者の読後に苦みをもたらすのは作品自体の素晴らしさ故、ということだと思う。はい。

ただ、正月に読むのはお勧めしないけどね。
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