プチ社長日記:『インド〜パキスタン#3(パキスタン)』の話

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【外務省安全ページより】※
※正直、感覚とズレてるのだが、一応掲載。

朝起きて、どこへ向かうかを考え始めた。
何となく、『フンザに行きたい』という思いはあった。

遡ること1年前、ヴァラナシでガンガーのボートから朝日を見ていた時のこと。たまたま出会った日本人と船頭の3人でボートに乗っていたのだが、その日本人の彼がしきりに『フンザがいいらしい。俺はいつかフンザに行きたい』と熱く語っていたのが引っかかっていたのだ。また、その後手にした宮本輝氏の『草原の椅子』の舞台でもあったので、その思いはより強くなっていた。


【映画『草原の椅子』】

フンザはカリマバードという街を中心としたパキスタン北部の領域(ノーザン・エリア)である。中国との国境に近く、国境とはカラコルム・ハイウェイでつながっている。このノーザン・エリアはインドと領域を争っている地域ではあるが、現在パキスタンの統治下にある。
最大の街はギルギットであるが、近くのペシャワールがタリバンの強い影響下にあるので、ピンディーからペシャワールを経由せずに行くとなると往復は同じ道を辿ることになってしまう。

では片道を空路にしよう、と思い、ピンディーのパキスタン航空のオフィスに歩いていく。
これまたどう見ても閉鎖されているようなオフィスなのであるが、一応営業しており、窓口のおっさんも親切だったのが助かった。ただ、適当なチケットは入手できず、とりあえずバスでカリマバードへ向かうことにした。

荷物をまとめ宿を引き払い、昼飯を食ってから北のバスターミナルへ向かう。
これがかなりややこしく、タクシーを利用するのが良いと思う。私は駅の北側まで3キロ歩き、そこからバスターミナル行きのチングニー(乗り合い3輪タクシー)で行ったが、最初はなかなか目当てのチングニーが見つからず、親切なおっさんが案内してくれなければ私も諦めてタクシーに乗るところであった。
そう。パキスタンは親切なおっさんだらけの国なのである。

夕方6時にターミナルを出たバスは、20時間かけてギルギットに向かう。(なげー。)

途中、4回の検問があり外国人の私は都度、降ろされるのだが、パキスタン警察はなべて親切であり、何の問題もない。
夜明け頃にベシャームという街で休憩となった。ここはノーザン・エリアの入口の街だ。
ここで2時間休憩し、他のバスを待ち合わせする。

ここから本格的にカラコルム・ハイウェイとなるのだが、そもそも悪路であり土砂崩れなどが頻繁に発生していること、そしてタリバンの進出により治安が悪化している領域を通過することから、夜明けを待ってバスが隊列を組み、その先頭を警察が護衛するという護送船団方式での進行となる。見ると大中あわせて15台のバスが警察車両を先頭に一列で進んでいる。(私は先頭のバスに乗っていた)
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【警察が先頭で護衛し、、、】

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【我ら金魚のフンが続きます!】

道路は、一応、舗装されており、 修理したりショートカットの架橋をしたりといろいろやっているが、リアルにケツが浮くほどの悪路である。大型バスが通れるギリギリといったところか。
ただ、景色は山岳砂漠なのでなかなか見せるものがある。

ぐったりしてギルギットについたのが翌日の昼2時。疲れてはいたが、一気にカリマバードまで目指そうと思い、マイクロバスに乗る。ここからは中国に近いせいか道がよく整備されており、3時間ほどでカリマバード到着である。夕闇に沈む氷河が美しい。
あこがれのフンザについたのだが、暗くて景色は見えず、オールド・フンザ・インという安宿にとまる。一泊800ルピー(1000円弱)である。ひと昔前のブログなどを見ると、信じられないほどの安値がついているが、バックパッカーに知られたこの宿がボルとも思えず、また、これまでのインフレ状況などから見ると、そんなものなのだろうと自分を納得させる。

部屋は綺麗とは言い難かったが、流石に標高も高いためクーラーなしでも快適である。しかもお湯が使える。(まぁ、バケツに水を張ると底が見えないくらいの透明度ではあるが。。)これ幸いと洗濯をした後、窓を開けて、虫の声を聴きながら足を延ばして眠れるのは心地よかった。

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カリマバードはなるほど素晴らしい場所であった。
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【メインストリート。ATMできました】

朝の5時に起き、隣のデュイケルという場所まで片道2時間ほどの散策に出る。デュイケルは山の上にある場所で、イーグルズ・ネストホテルがある場所である。とても清潔なホテルだ。年をとってまた来るなら、是非ここに泊まりたいと思ったほどである。ここのテラスでお茶をした後、山を下り始めたのであるが、親切な若者がバイクの後ろに乗せてくれたので、あっさりと帰ってこられた。
その後、カリマバードのバルティット・フォートを見学する。
宿で休憩後、今度は改めてもう一つの城塞のアルティット・フォートも見学すると、もう他に見どころは無い村である。
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【ナウシカ風の谷のモデルとも。。】

ただ、村の人々が非常に友好的であり、この地域はイスラームでありながらもイスマイール派を信奉しているので女性も華やかな装いが多く、村が明るい。
あんずの花の咲く春に訪れると更に素敵であろう。
ただ、ここも急速に近代化が進んでいるので、ここを訪れるなら早い方が良いと思われる。
『草原の椅子』の中では電気を使用している建物は稀で、ランプが使われているという描写があったと記憶しているが、今は全て電気であるし、今やATMもあるのである。
我々の勝手なノスタルジーを押し付けて、彼らに不便な生活を強いる訳には当然いかないので、こればかりは仕方ないと言える。
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【カリマバードの住居】

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もっと長く滞在したかったが、カラチに向かわねばならない。
ギルギットで更に1泊した後、ピンディーまでの20時間、そしてラホールまでの7時間(ガイドブックには4〜5時間とあったが。。)と怒涛の連荘でバスに乗り継ぎ、ラホールまで一挙に南下する。当然、暑い。(そしてケツも痛い。)

さすがに疲れていたのと、ちょっと仕事の関係でインターネット完備の場所に泊まる必要があったので、アヴァリ・ラホールという高級ホテルに宿泊した。高級ホテルといっても頻繁に停電するのはお国柄仕方ないといったところか。とは言え、当然ホテルには予備電源があるので瞬断で済んで快適だ。
夜もプールで泳いでなぞいると、つい「こういう『若旦那仕様』(?)の旅も悪くないなぁ」と思ってしまう。朝食でも日本語が聞こえ、日本人はここにいたのか、と変な感慨を覚える。

パキスタンの車市場における日本車率は非常に高い。日本より高いのではないかと思える。
『日本車天国』という言葉が久しぶりに浮かぶ。因みに、乗合自動車については、まるっと『スズキ』と呼ばれる。『イスズ』ではない。標識にも『スズキ乗り場』と書いてある。かつて日本でもパソコンのことを『IBM』と呼んでいたそうだが、そういうノリであろう。
バイクに至ってはホンダの天下である。BMWやドゥカティのような高級バイクは見ない。

これだけ日本車が走っているのに、日本人を殆ど見ないのである。
というか、フンザで2人見かけただけである。
無論、圧倒的に中古車であり、マイクロバスの車体にも『○○温泉』とか書かれている。『どこ行くねん』と突っ込みたくなるが、これはアジアどこでも見られる光景ではある。
中古車の取り扱いとなると中国やロシアが幅を利かせているので、日本人が売りさばいているとは限らないが、それにしても溢れる日本製品に比べ日本人の少なさは異様にも見えた。

パキスタンはインドから独立したので旧英国植民地である。
なので日本と同じく左側通行なのがバスなどの中古車市場で有利なのは想像できる。
もっとも、10年前のフィリピンなどでは,匹ΔいΔ錣韻ドアだけ右側通行仕様に改造 △修鵑覆竜い砲靴覆て乗客が道路の中央から乗降するパターン の2パターンが走ってたりしたので、どれだけ有利なのかは何とも言えないが。

話がそれたが、かつては日本人もパキスタンに大勢来ていたそうなので、もっと多くの同胞に訪問してほしいと思う。

ラホールにはラホール・フォートというムガル帝国歴代皇帝が建造した巨大城跡と、同帝国6代皇帝アウラングゼーブが建造した巨大なバードシャーヒー・モスクが有名だ。イランの青色のモスクに比べ、赤砂岩でできたそれらはいかにも武張った印象ではある。
ノルウェーがユネスコを通じて修復工事に当たっているので、アラムギリ・ゲートは通過できなかったが、ここが通商・軍事の重要拠点であることを印象付ける立派な建築物である。
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【バードジャーヒー・モスク】

見学を終え、街中にある鉄道の予約オフィスに行き、ここでも女性の販売員からカラチ行きの切符を買う。少数の事例から判断することは危険だが、やはり聞いていたよりも女性の進出がなされているようで安堵する。とはいえ、公共サービス以外の場所では女性労働者は殆ど見ないが。

で、カラチへは5,000ルピー(パキスタン・ルピーなので6,000円くらい)するが、グリーンラインで行けという。グリーンラインというのは、パキスタン国鉄が最優先で走らせる特急寝台だ。それだと18時間。他のだとちょっとどれだけかかるか解らない、ということである。
距離を考えれば日本より断然安いが、ラホール〜ピンディーの普通列車が370ルピーだったのに比べると高すぎるように感じた。
だが、その女性担当者のいう事を聞くことにした。女性に勧められると断れないのは悪い癖である。

結果は大正解であった。グリーンラインは中国製の客車を改造したコンパートメント形式の車両であり、1室最大6名まで乗れるが、その担当者が気を利かせてくれたらしく、1室をまるまる私に使わせてくれたのだ。チャーイこそ有料ではあるが晩飯・朝飯もついており、1泊分の宿泊代が浮くことを考えると十分だ。
それだけではない、外国人の多いイスラマバードやカラチならまだしも、パキスタンにはクーラーのついたカフェなどが街に全然ないので、列車の時刻までは灼熱の中をさまようことになるのだが、グリーンラインには専用の冷房付き待ち合わせスペースが駅にあるのである。
(もっとも、その存在を知ったのは出発の1時間前であり、それまで私は、たまたま話しかけてきたパキスタン人と2時間ほど時間を潰していたのだが。。)
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【ラホール駅にて。】

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【インドと同じ車両もある】

20時過ぎに出た列車は、途中4カ所の駅で停まるだけで、私をカラチへ連れていく。

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カラチは言うまでもなくパキスタン最大の都市である。
アラビア海に面しているので港があり、パキスタン海軍の拠点にもなっている。
イスラマバードがワシントンなら、カラチはニューヨークと言ったところか(私の中で)。

そんな思いから立派なターミナルを想像していたが、野晒しのホームで戸惑う。
「え?ホント?ここカラチ・カントンメント?」と降りる客に聞くがそうだと言う。
駅のチケットセンターは昼にも拘わらず閉まっている。次回、カラチに来るときはクェッタ経由のザヘダン(イラン)行きを狙うことになるのっで、国際列車の運行状況を調べておきたかったのだが、叶わず断念。
駅前も痺れるほど廃墟が多い。昼に到着してよかった。
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【カラチ駅】

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【駅前大通り】

ラホールでカラチの宿はエクスペディアから予約していたので、宿に徒歩で向かう。
結局、パキスタンで唯一、予約したホテルとなった。
が、実際に行ってみると「この予約は無効だ」と突き返される。
「いやいや、visaで決済もしてるでしょ!」と半分日本語の画面を見せ、そこから長い抗議がスタート。結局、ホテルとエクスペディア間の問題と判明し、後日エクスペディア側に返金催促することになったが、憤懣やることなくレイトチェックアウト等を認めさせる。
という訳で結局、パキスタンでは厳密には1件も予約できなかったことになる。

カラチは最大都市だが、特に歴史的に見るべきものがあるか、と言われるとあまりない。パキスタン建国の父であるジンナー廟があるくらいである。
この辺の、イスラームの歴史にとって特に何もない、というのがパキスタン・イスラム共和国をして遷都させた大きな動力になったそうである。
ただ、英領統治の面影を残すエンプレス・マーケット辺りなど、街並みは見てて面白い。
ただ、この日も仕事の都合で早めに宿に戻る。
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【エンプレス・マーケット】


翌日、パキスタンで唯一の国立博物館に行く。パキスタンと言えばモヘンジョダロやハラッパーのインダス文明遺跡が有名だが、ともにダコイットなどの反政府勢力の強い影響下にあるので、残念だが陸路メインの今回の訪問では避けた。8年前のガイドブックの記述でも厳しそうだったが、最近のウェブ情報でもモヘンジョダロ行きのバスが(狙われるので)外国人は乗車拒否に遭ったりと依然として厳しい状況が続いているそうだ。
塩害による劣化被害も相当進んでいると聞くし、何とか後世の人類に笑われないほどの文化保護はしてほしいと願うところである。
で、せめて遺物ぐらいはお目にかかろうという次第で、新市街の方へ歩いていく。

国立博物館は、建物ではなくて庭のところにチケット売り場がある。売り場と言ってもブースはなく、長机の前にオッサンが2人座っているだけである。最初は偽物かと疑ったが、そうでもないらしい。料金を払い庭を通ると本館だ。
これが昼なのに妙に閑散としている。見物客は私だけ。カラスがまるでヒッチコックの映画のように多数飛んでおり、夜なら敬遠したい趣だ。
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【国立博物館】

内部の展示品だが、有名な『神官の像』が見られたものの、警備も極めて手薄で、その気になれば盗難できそうな雰囲気である。そもそも窓があいててテラスに出放題なので、窓から展示品を投げ出せば難なく持ち出せそうだ。見ているこちらが心配してしまう。
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【中央が神官の像】

その他の展示品も微妙だ。インダスの『踊り子の像』はコルカタで本物を見たことがある。こちらはコピーだと思われたが、博物館員に『これ、コピーだよね?』と言うと『オリジナルだ』と憮然と答えられてしまう有様である。脚にボルトが付いてる訳ねぇだろ、と思ったが、ぐっと堪える。
博物館・美術館につきもののカフェなどが併設されている訳もなかったが、それはそれでお国柄が表れていて面白い博物館である。

いよいよ夜の遅い便で帰国である。カラチ空港へは宿から無料送迎を勝ち取ったので、それを利用する。
実を言うと、去年、デリーまで駒を進めておきながら、パキスタンを訪問しなかったのは、このカラチ空港が反政府ゲリラに攻撃され、20名以上の死者を出したからである。
襲撃を受けたのは貨物ターミナルであったが、黒煙をあげる空港の写真を見て、急遽目的地を北欧に変更したのである。
こういう事件があったので、さぞやセキュリティは厳しかろうと思っていたのだが、これが見事にザルである。空港までの検問所は多いものの、一度も停められることはない。空港内の審査員が気持ち真面目に見てる程度だろうか。
因みに、国際線のターミナルであるが、免税品はせいぜい香水と化粧品が多少買えるだけなので期待しない方が良い。ネパールのカトマンドゥ空港に次ぐ簡素な飛行場である。
チケットカウンターには、隅に冷蔵庫が置いてあり、その横に椅子に座ったおっさんが待機という『手動販売機』が1台あるだけである。シュールだ。
最後まで期待を裏切ってくれるという意味で、パキスタンはなかなか面白い国である。

イラン再訪の為に、私はこの地に戻ってくるつもりだ。それまでに、イランとの国境事情が改善されることを期待してやまない。
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