プチ社長日記:『インド〜パキスタン#1(インド再訪)』の話

イスラエルに行ってきたばかりだが、その後、インド、パキスタン方面にまた出かけてきた。
なんで一旦帰ってきたかと言うと、月末・月初の仕事と会津に遊びに行く予定があったからで、これはこれで2泊3日ずーっと飲み続けの楽しいイベントであるので、世界のどこにいようと帰国する訳である。
いや、3か月分くらい3日で飲んだね。飲んでない時間でお皿とか焼き物焼いてたからね。

で、日本の夏を堪能した後は、ビザもおりたので再びのインド、ということにあいなった。

余談だが、他の旅行者に聞いた話だと、『(旅行者にとって)世界3大ウザい国』と言われているのが(北部)インド、モロッコ、エジプトだそうである。あ〜、なんか解る気がするな。エジプト知らんけど。

物乞も最初は『可哀想だな』と同情こそすれ、あまりにも多くの子供から当たり前のように手を差し出されると、その内まるで気にならなくなる。紛争なのか事故なのか、下肢が切断されてお手製スケートボードに乗ってやってくる、例えは悪いがザクタンクみたいな人も大勢いるので、五体満足な乞食くらいでは何とも思わなくなるのである。
(10年前のフィリピンでは、母親が子供に乞食をさせる為に、同情をひくよう子供の手足を切断するという話が横行していた。そのパターンでないことを祈る。)
そういう状況なので、現地にいるときは『うへぇ』と最初は思う。特に感覚が麻痺するまでは。
でも、一旦その麻痺の感覚を知ってしまうと、帰国後暫くしたらあら不思議、『何かまた行きたいな〜』と思わせる不思議な地である。この点は同意される方も多いのではないだろうか。

その理由を考えてみたのだが、一言では言い表せないが「『インド的な何か』はインドでしか見られないから」だと思う。ヨーロッパのある国で感じる楽しさは、他のヨーロッパ諸国で代替可能な部分が多い。それはキリスト教的な価値観が一貫しているからだと私は思う。インドは何だかんだ言ってヒンドゥーの国であり、『インド的な何か』が『ヒンドゥー的な何か』だとしたら、この規模だとインドでしか味わえないのは致し方無いのかもしれない。
まぁ、その『ヒンドゥー的な何か』がまた難しいのであろうが。(多神教の持つ、いい加減さとでも言いましょうか。。。)

昨年はコルカタ〜デリーを中心に、選挙でゴタゴタしてる中のネパール国境越えが思い出深かったが、今回はデリーから西進し、アムリトサルから陸路国境を越え、パキスタンのカラチまで行くのが当座の目標である。
時間があればクェッタからイランのザヘダーンまで行きたかったのだが、イランのビザ取得を待てずの出国となってしまった。月末・月初にいろいろ作業が入るので、クライアント先に貼りついていない時でも、月末月初のタイミングでは日本にいる必要があるのですわ。

最初は煩わしく思っていたが、この区切りがないとダラダラ旅を続けてしまうことが容易に予想できるようになってからは、ありがたい区切りと受け止めている。
「あれも見たい、これも見たい」と旅の好奇心を維持し続けるのは、これはこれで結構パワーがいるのである。いや、ホント。


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デリー到着は昼頃であり、2回目ということもあって難なく宿に転がり込むことができた。あいにく前回の宿には泊まれなかったので、ニューデリー駅近くの宿にした。
アムリトサル行きの列車は2日後なので、デリーではビールなど飲んでダラダラ過ごす。デリーに行ったことのある日本人なら大概は顔を出すと思われるインディアン・クラブ・カフェに行き、一人旅行再開を祝う。窓の下を大勢の人々が行きかい、ときおり牛が通り過ぎるのを見ているのは、意外に飽きないものだ。
ただ、旅行者は少なく、他のバックパッカー御用達の場所に顔を出すも、どこも閑散としていた。

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【デリーに行かれた方なら、見覚えある方も多い筈】

2日経ち、アムリトサル行きの列車は朝の6時発であった。どうやら深夜3時発もあるらしいのだが、私が窓口の人に聞いた時は何も言われなかったので空きがなかったのかもしれない。私としては2等車でもよかったのだが。。。

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【早朝のニューデリー駅。左端が目当ての列車】

結局、座席ではなくてデッキでドアを全開にして車窓を楽しんでいたのであるが、同じ北部インドと言っても、パトナー周辺のビハール州と今見ているパンジャーブ州では景色がかなり異なるように思えた。
こちらも水田が多いが、区画が整備されており、一区画の面積が大きいようだ。日本の田園風景に似ており、『ムヒ』とか『727化粧品』の立て看でもあれば、まんまそれと見まがうレベルである。
因みにビハール州はインドで最も貧しいエリアである。

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【ドア越しの農村風景】


アムリトサルには定刻の10分遅れで到着。10分しか遅れないとは僥倖と言えよう。インドは最近は予約のコンピュータ化などで鉄道インフラの整備が著しい。まぁ、新幹線を作るという話もあるから当然なのだが。
従い、無茶苦茶遅れることは最近は少ないようだ。(インドなどより東欧の方が経験的には遅延が酷い。)

駅に降り立ち、早速リキシャーワーラー(リキシャの運転手)と交渉する。安く纏めたおっさんのところへ行くとサイクルリキシャーであった。まぁいいやと乗ったが、異常に遅い。おまけに「お釣りはあるよな?」と事前に確認したにも関わらず、降車時に釣りがないとほざくので、「ふざけんな。お前、誰かから釣りを10分以内に借りて来い」と追い立てる。あぁインドだな、と思う瞬間だ。笑顔でごまかされないように狂犬のように噛みつく。

慣れるまでは、とにかく交渉に疲れるのがインドなので、短い距離だと歩いて済ましてしまう。だが、ちょっと先を急いでいる事情があったのだ。
アムリトサル市中についたのが15時頃だった。スィク教聖地の黄金寺院を見学する。
一通り見終わったのが16時前である。急いでいたのは、できれば今日中に国境を越えようと思っていたからである。
客引きのいないところまで歩いてからリキシャーを捕まえ、国境に向かう。着いたのが17時まえであったが、すでに国境は封鎖されていた。(後で見ると16時までだった)
ただ、このアムリトサル(パキスタン側はラホール)国境では、18時頃に両国の国旗を降ろし、閉鎖のセレモニーを行うのが有名である。本当はパキスタン側に渡ってパキスタン側から見たかったのであるが、間に合わなかったので仕方がない。インド側で鑑賞(観戦?)する。インド・パキスタン双方に観客席があって両国の国威昂揚の場となっての大盛り上がりである。

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【インド側で盛り上がる人々】

結局、鑑賞後は再びアムリトサルに戻り、夜のライトアップされた黄金寺院を再び見学に行く。
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【黄金寺院】

スィク教は、インドでは少数派であるが、ターバンをして銀の腕輪を嵌め、腰には短剣(現代では模造刀)と言った、割と『ザ・インド人』としてのイメージを抱かれやすい感じがしている。おそらく、彼らは宗教的に勤労を奨励しており、結果、商売で成功している者が多く(宿の主人がスィク教徒、というのはよくあるパターン)、影響力としては確固たる地位を築いているからだと思う。
価格交渉においては、基本的に提示してくる価格は高めで、タフ・ネゴシエーションとなるが、コスいことはしない、お金にクリーンなイメージを私も持っている(無論、全員がそうという訳ではないだろうが)。
宗教施設であるから、敬意をもって臨めば相手も歓待してくれる。施設内では食事が振る舞われ(不味いけど)、履物を無料で預かってくれる場所では何故かマドレーヌを貰ったりもした。

基本的に、教会などでは被り物を脱ぐのは当然だ。でも、ユダヤ教ではキッパという帽子を被るし、スィク教ではターバン(旅行者はバンダナとかでOK)を巻くのが決まりだ。この辺は割と厳格であり、日本人はこういうマナーに無頓着なので注意が必要だ(レストランなどで帽子をかぶったまま飯を食う日本人などをみるとゲンナリする)。
裏を返せば、キチンと敬意を示せば、いろいろとお得なこともある。
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