プチ社長日記:『チベット』の話(5)


シガツェ着。

■チベット人の死生観について
チベット人が死ぬと、今でも8割程度は鳥葬となるそうだ。私はてっきり火葬の比率が上がっていると思っていたので、意外だった。鳥葬は死者の体を切断、砕き、肉団子のようにして鳥に食わせる葬制だ。ラサのセラ寺の奥の山などに普通に鳥葬場はある。
チベット人の鳥葬は世界的に有名だが、残りの殆どは水葬が占める。これは、前半のプロセスは鳥葬と同じで、後半は川に流して魚に食わせるのが異なる。川の傍に塔婆があってタルチョが大量に掲げられていたら、水葬場と思った方が良い。
このため、チベット人は魚を食べない。(鳥葬の鳥は猛禽類なので、普通に鶏などの肉は食べる。)
更に西チベットの方に行くと、川も上流で大きな魚もいないので、犬に食わせる。寺の壁画に、犬に死者を捧げる様子が描画されていた。
因みに、火葬は偉い僧侶が死んだ際、その遺骨を採取するために適用され、土葬は自殺者に適用される。なんでも自殺と言えば服毒自殺と相場が決まっていたようで、鳥や魚に与える訳にはいかなかったのが理由らしい。

鳥葬にせよ水葬にせよ、何とも適当な葬制に見えるが、そもそも火葬にしようと思ったらかなりの燃料が必要であり、植物限界より上に住んでいる人々には薪の調達もままならないので仕方が無い。
一方で、日本でも沖縄などには昔、風葬というのがあり、これは遺体を風にさらし風化を待つ葬制だ。私がガイドにこの話をすると、とても興味深そうに聞いていたのが印象深い。

チベット人は生まれ変わりを強く信じており、次の輪廻のためにも殺生をしない。
ふと見ると、運転手のミマが車内に迷い込んだ虫を丁寧に外に逃がしてやったりしている。どうやら、チベット人に殺虫剤は売れなさそうである。

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(写真:シガツェのタシルンポ寺。ダライ・ラマと並ぶパンチェン・ラマがここで説法などする。パンチェン・ラマは普段は北京に住んでおり、平たく書くと共産党の管理下にある。因みに右端の白い砦のような建物はタンカ台であり、祭の際にはタンカ(仏画)が飾られる。)

■チベット人の生活について
衣食住について、簡単に。
ギャンツェやシガツェなどの地方都市に行くと、民族衣装の方が(特にお年寄りに)多い。地方によりバリエーションがあるので、ガイドに聞くとどの地方のものか教えてくれる。

お茶としては有名な『バター茶』があり、これは茶というよりスープのような代物であり、正直、私は苦手だ。ただし、寒さが厳しく乾燥したチベットにおいては、このような形で脂肪分を摂取するのは大事なのだろう。
大麦をおやつがわりにバター茶でティータイムというのが一般的だ。食べ物は肉が多く、空港近くで食べたチベット風ハンバーガーは逸品である。その他、饂飩やすいとんに近いものがよく食されていて、こちらは日本人の味覚にもあうだろう。

住居に関しては石造りの二階建がポピュラーで、貧しい人は1階建である。ガイドに縁のある人の家にお邪魔したのだが、居間には共産党の毛沢東、江沢民、小平のポスターなどが飾られている。(配られたらしい。)
石造りなので冬は相当寒いと思われる。

信仰心はとても厚いので、余暇と小銭ができれば巡礼に出かける。ガイドのガジョン女史も、昨年ラサ市を五体投地で巡礼するほどの信徒だ。
巡礼はポタラ宮殿やジョカン寺などの対象施設に対して右回りに実施する。マニ車も右回りに回すし、多分、右回りに何か意味があるのだろう。因みにガジョン女史が採用した巡礼方法は、旧市街を右回りに回るというもので、これを実施すると旧市街内の全ての寺を巡ったことになるそうだ。日本では稀に「ラマ教」という表現をみかけるが、本当は「チベット仏教」が正しく、れっきとした大乗仏教である。

引退した人々は巡礼にしばしば出かけ、巡礼者同士で仲良くなって、茶屋で半日ほど過ごしたりする。結果、彼らの老後は寂しくないらしい。信仰は彼らの生活に溶け込み、ともすればレジャーのような位置づけになってたりするのが興味深い。 ↓
シガツェからゴンカル空港に行き、北京へ。

■北京雑感
北京ではNOVOTELに2泊したのだが、快適の2文字であった。何より高山病に悩まされない。酸素吸い放題。食べたいものも何でも手に入る。最高。
私はチベットのガイドブックしか持っていなかったが、北京は2回目なので問題なかった。王府路の方へタラタラ出かけると、ウブロやジャガー・ルクルトなどの高級腕時計店が軒を連ねる。ウブロの路面店などは、日本にもないような気がする。さすが、GDP世界2位の首都だけはある。
以前来たのは北京五輪の前である。随分と間があいた。私はある執念を持って、前回食べ損ねた狗肉を喰らうべく、狗肉屋を探したが、雑貨屋に変わっていた。北京五輪に際し、「犬を食べるなんて野蛮だ」と言われないように共産党から退去命令が出たというのはやはり本当なのだろうか。
一方で、王府路の小路に入ると、あいかわらず蠍やら百足の串焼きが売ってて安心する。
どうやら、食べられる犬を可哀想と思う人間はいても、食べられる蠍や百足や芋虫を可哀想という人徳者はいなかったようだ。

日本人も捕鯨問題でよく叩かれるが、(絶滅の危機に瀕している場合を除いて)他国の食べ物にケチをつけるのはナンセンスだと思う。シー・シェパードの中核で正義の味方気取りのオーストラリア人が、カンガルーを食べることはあまり知られていない。私には鯨がNGでカンガルーがOKな理由がさっぱり解らない。
因みに、自然雑貨(?)を売っているLASHという店はシー・シェパードのスポンサー様である。厳密にはオーストラリアかイギリスの販社だったと記憶しているので、「赤頭巾ちゃん気をつけて」だの「恋の導火線」と言った、それは商品名なのかふざけんな、と言った商品をお買い上げになった貴方のお金がそのまま資金としてシー・シェパードに入る訳ではないが、飼い犬の責任は飼い主にあるので、LASHは日本市場をナメてんだろうな、という印象を抱かざるを得ない。

・・・何の話だ。 CIMG0366.JPG
(写真:天安門広場。アジアの中心。)

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(写真:とっても美味しそうな串焼きたち。)

■『旅行』の終わり
5年前と同じように、北京飯店でカプチーノを飲む。65元。
中国は日々変貌を遂げているが、皮肉にもこの中心地が一番変わらない。ただ、街を走っているスクーターは電化が進んでいて、空気が心なしか綺麗だ。また、街全体にゴミが減っていて、数年前のように「一歩、路地に入ると異臭が充満」といったことも減った。そんな街並みを見ながら、ゆるゆるとカプチを飲む私は、5年前から何か変わったのだろうか?

・・・『旅行』という言葉は『行』という動詞が付いている分、『旅』よりも具体的な感じがする。
人生を旅にたとえる人はいても、旅行にたとえる人はいない。
私にとって旅行とは、『非日常体験の一連のつながり』と定義されようか。私にとって青海省からチベット自治区での体験は、まさに非日常の連続であった。
ところが、私が今、こうやって寛いでいるのは、別に非日常ではない。明日、空港へ行って飛行機に乗るのも、特別な体験ではない。
『場所が日本であろうがなかろうが、そんなことは関係なく、今回の私の旅行は終わったのだな。』そう思うと、寂しい気持ちになった。
カプチは、まだ温かい。標高5,000mでは沸点が86.5度であるので、コーヒーを作っている内に冷めてしまうのだが、ここはカップも温めてあるのか、飲み頃が続く。
私は久しぶりに飲む美味いカプチを飲み干して、思わず自分に言い聞かせるように呟いた。
『帰るか。』
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