プチ社長日記:『修善寺物語』の話

※私が購入したのは長倉書店版である。

先日、修善寺の新井旅館に投宿した。もう何度目かは覚えていない。
初めて自分で来たときはいろいろな経緯(いきさつ)があったのだが、其のときにも初めてではなく、以前にも来た事がある気がしてならなかった。
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景気が良かった頃(〜2007年頃)は女中さんが沢山いて、宿の前に行けばぞろぞろと迎えに来られたわけであるが、最近は至って普通のお迎えになった。

因みに、修善寺には若い人に人気の宙(そら)という宿もある。
旅館というよりホテルに近い感じであり、手軽なのが受けているのかもしれない。ここは山裾の高いところにあるので、貸切の露天からは修善寺の小さな町が見え、なかでも目立つ修善寺の鐘楼から鐘の音を聞けるのが良い。が、個人的な感想をいえばそれ以外は目新しいものはなく、大浴場の露天は電飾で光り輝いており、なんというか修善寺というより鶯谷あたりでお目にかかれそうな逸品となっている。好き嫌いが別れるが、私は後者の方である。
そしてもうひとつが、これまた新井旅館と並ぶ老舗の「あさば旅館」である。修善寺には何度か足を運ぶものの、こちらには一度も行ったことがない。予約の都合で取れなかったりと、計画性のない私は何度か振られている。また、新井旅館が気に入っているので、執念深く予約を取ろうともしなかったのも事実だ。とはいえ、一度は行ってみたいので今年はたとえ一人でも投宿してみようと思っている。

新井旅館は数々の文人や芸術家が投宿している老舗旅館であり、岡本綺堂氏もその一人である。
氏が当旅館で執筆したのが修善寺物語(戯曲)である。
ずっと気にはなっていたのだが、やはりここで読むのがよかろうと購入した。

■粗筋
修善寺に幽閉中の身である鎌倉幕府2代目将軍 源頼家は、後世の形見として残すべく面作りの名人夜叉王に自分の顔の面を打つように命じたが、半年も経って出来あがらないので、ある秋の晩、夜叉王のところへ催促に行った。
夜叉王は何度面打ちしても、生ける相にならず、死相が現われるので納得できず作品を渡せなかった旨を頼家に告げると、それを言い訳と取った頼家は怒りのあまり夜叉王を斬ろうとした。
これを止めに入った夜叉王の娘かつらが、その死相の現れている面を頼家に献上した。見事な出来映えに頼家は感銘しこの面を受け取り、そして娘かつらを側女とした。しかし、その夜、北条の暗殺団に襲われた頼家は殺され、面をかぶって頼家の身代わりとなって戦ったかつらは瀕死の身で実家に落ち延びた。父夜叉王は自作の面が死相の面となるのはこの将軍の運命を暗示する為であることを知り満足の笑みを浮かべた。そして今まさに死なんとする娘、かつらの断末魔の面を写しとろうと筆を走らせる、鬼気迫る職人としての夜叉王の姿をもって幕が閉じる。


この本、内容は素晴らしく、表紙も岡本綺堂がインスピレーションを受けたという修善寺の真っ二つに割れた面の写真なのもよいが、何故か『修善寺物語』のフォントがホラーのそれで、安っぽいミステリー小説のように見えるのは真に残念な感じである。(表紙がこれでなければ、私ももっと早く読んでいた)

この本には、当戯曲のほかに岡本綺堂氏が当時を修善寺で過ごした『秋の修善寺』『春の修善寺』が収録されており、修善寺という町が明治の頃より変わりないことをひしひしと思い知らされる。詳細は割愛するが、一方で岡本綺堂氏が頼家の墓を勘違い(頼家の墓として紹介される石碑は、実は後の僧侶が建立した慰霊塔であって、その真裏にあるごくごく小さな2塔の石塔が頼家(と若狭?)の墓である)してたり、おみくじの自販機(現在もある)に言及しているのも面白い。
また、新井旅館に投宿している他の宿泊客についての記述もあり、ここに投宿された方が読めば思わずニヤリとする内容となっている。
この地を訪れた方には一読をお奨めしたい。

因みに、修善寺という温泉街は東京から直通の踊り子号が何本か出ているが、特段便利ではない上に、凄く小さな温泉街である。
【頼家公の墓】
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この地を訪れた正岡子規も「此の里に悲しきものの二つあり 範頼の墓と頼家の墓と」という歌を詠んでいるが、逆に言うと修善寺と2つの墓以外は特に見るべきものもない。いや、範頼の墓に至っては、訪れる者の殆どが行かない町である。
が、ここには人を惹きつける不思議な力がある。そのひとつが明治の頃から変わらぬ町の姿であることも確かであろう。
これからも、私が彼の地を訪れることしばしばであると思われる。
【あさば旅館付近】
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