有限会社Ayleeds社長日記。継接ぎだらけですが、新しいビジネスを求めて世界一周旅行もやってます。

プチ社長日記:『論文が佳作に選ばれました』の話

新型コロナウィルスに対する自粛期間中、久しぶりに書き物をしたのですが、それが公益財団法人北野生涯教育振興財団の佳作に選ばれました。
ありがとうございます。

「入選作品は、毎年1冊の本にまとめて出版」とあるとおり、出版されるそうです。
図書館などに寄贈されるそうで、一般の本屋の棚に並ぶものではないと思いますが。
それでも、早く他の入選作品を読ませていただきたいものです。

学生時代はちょこちょこ書き物をしていたのですが、社会人になってからは筆が重くあまり書いていませんでした。
別に日の目を見なくてもいいので、思うところを書き綴っていこうと思いなおすようになったのは、年齢のせいでしょうか。
いずれにせよ、背中を推していただいた気持ちなので、これからも精進しようと思います。

プチ社長日記:『たまに思い出す心象風景』の話

ガラガラと音を立て、ポトリと玉が出てくる。
それが白色ならば残念賞でポケットティッシュが渡され、赤色ならば大当たり・・・・。
くじ引きによる景品とはこういったものだろうか。

僕はあのガラガラを回すのが嫌で仕方ない。
なので引き換え券などはすぐに他人にあげてしまう。
あの独特の手ごたえ、何か中に仕切りでも入っているのだろうか?よくわからない。
母親が昔、「あれ、逆回転させるとええんやで」とアドバイスくれたことがあるが、
子供だった僕にもそのアドバイスに根拠がないことは何となく見抜いていた。(ウチの母親は想像でモノを語るのだ。)

僕が嫌なのは、いつもある風景を思い浮かべるからだ。
とても幼稚なそれだが、何故か年に一度くらいは、ふっと思い出すのだ。

・・・朝起きて、周りを見渡すと白い部屋で、どうやらそれが僕の部屋らしい。
少年の僕は何故かキチンとパジャマを着ていて、まっさきに机の上にあるガラガラ、、、もう少しお洒落なデザインなのだが、を回す。
ガラガラの隣には大きな薬瓶のようなものがあって、その中には多数の白玉が入っている。
ガラガラは非常に重い。多数の玉がまだ入っているからだ。
僕はそのおおよその数を知っている。1日1つとして、天寿を全うできる個数だけ入っているのだ。
100年生きるとすれば、36,500個、閏年を考えれば36,525個入っている。
白玉以外は赤玉が一つだけ入っていることを、僕は知っている。

ポトリと白玉が落ちる。
僕は安堵してその球を拾い上げ、隣の薬瓶に入れるのだ。
僕にとって白玉こそアタリなのである。赤玉が出た日、僕は死ぬのだ。

ただ、それだけだ。

でも、次の日辺りに赤玉が出てくることを考えてしまう。


僕はもう46歳だ。
薬瓶には16,000個を超える白玉が入っている。
ガラガラには20,000個ほど入っているだろうか。
人間は生き物だから、死が訪れる確率は毎年一定ではない。
因みに厚生労働省の生命簡易表によると46歳まで生存した男性の今後1年以内の死亡率は0.169%だそうな。
1日当たりに換算すると「まぁ、当たらないよね」という確率だ。
でも、いつか赤玉は出る。
そして死神がやってくるのだ。

無論、子供の頃から厚生労働省のHPを見る僕ではなかったが、直感的にこの心象風景がそれほど間違ったものではないことを子供の内に悟り、なんども反芻する内に定着してしまったものだと考えている。
ガラガラに例える辺り、死を遊んでいるとも言えるが、逆に偶然に左右されるのも嫌で、その他の道を考えてばかりいた時期もあった。

今では日々を大切に生きるための警句と捉えているが、それでもあのガラガラの嫌な感じは身に沁みついてしまっている。

・・・嫌なものは嫌なんだよ。

プチ社長日記:『君たちはどう生きるか』の話

何故か最近、よく本書を書店で目にする。どうも漫画版が売れているようで、時代を通じて価値を持つ「古典」に属する本書がどんな形態にせよ、若い人に馴染み深くなることは大変良いことに思える。

とは言え、小説を読むことの醍醐味の一つとして、文中から立ち上がる自分のイメージを愉しむことを重視する私としては、いい大人が敢えて他者のイメージを押し付けられるのを良しとしない。
無論、映画の類も好きなのだが、文章として存在するものは文章として読み、自分の理解に沿って楽しみたいのである。

本書は吉野源三郎氏の代表作であり、初版に近い形で出版されている。
当時の時代描写も細かく、その内容も相まって、傑作であることは間違いない。

実は私は、今回本書を読むのは初めてではなく、最初は小学館の文集に収録されてものであった。少年だった私は説教臭い内容と受取り、また知識としては知っていることが多かったので読むのが苦痛であり、挫折してしまった。
その後、岩波版で読み直し、これが今回、再読した形になる。
自分も既に叔父さんより年上となっているが、大人になって初めて、本書の良さを理解できたのは間違いない。
ものの見方、社会学的認識のすばらしさは勿論、コペル君への教え方も含め、蒙を啓かれる思いである。
年末のこの時期に振り返るには最適な書と思う。

尚、本書には丸山真男氏の解説がついているのもお勧めする所以である。

プチ社長日記:『スティーブ ジョブズのスタンフォード講演』の話



すごく有名な講演で、確か百式の田口さんも紹介していたと思うが、邦訳付きがあったのでメモ代わりに貼っておきます。

プチ社長日記:『(自分の)世界を売った男』の話

『世界を売った男』というより、『世界に売った男』と言えようか。

別れた女には「イカれてるんではないか」と言われたと言う。
言わせておけばいい。
男には自分の世界があるのだ。例えるなら空を駆ける一筋ぃぃぃの流れ星〜のようなものだ。

全てを清算して人生をやり直せるなんて、そうそうできることではない。
他人の人生を羨ましがる人でカネが余ってる方、ぜひ競り落としていただきたい。
私は他人の人生に興味はあっても、欲しくはないが。

持ち物全てをオークションにかけてる男のサイト

 

プチ社長日記:『世の中はわからないことばかり:2』の話

『午後の紅茶 ホットストレートティー』の原材料の記述が、「砂糖、紅茶、香料、、」となっているのはどういうわけなのだ。ミルクもレモンも入れなければストレートなのか。そんなバナナ。だったら「シュガーティー」とかにすれば良いだろうに。JAROに訴えるか悩む瞬間だ。

プチ社長日記:『「世の中はわからないことばかり』の話

「空気読めない」がKYだったら、「空気読める」の略は何なのだろうか。

何かKYという言葉が流行って、その恐怖からかオジサン達向けに「空気の読める会話術」みたいな本が売られてたなぁ。個人的には空気読める人よりも空気を支配する人になりたいがなぁ。
「くうき」を「からけ」とか読んでるのだろうか。なんでそんな本が売られてるんだろ。わからん。

プチ社長日記:『David Bowie再び』の話

前にも書いたけど、Bowieが好きだ。あの、TMネットワークとかと同時代のバンドではない。デビッド・ボウイの方だ。

この”デビボ”であるが、私は初期のグラム時代、及びジジィになってからの曲が好きだ。誰だティン・マシーン最高とか言ってる奴は。

で、ジジィになってから(といっても1999年。芸歴長いですから、この人)の名曲がこの「Thursday's Child」

何度見ても渋い。渋すぎる。ちょっとコイツと向き合ってみよう。

尚、歌詞はともすけ氏のサイトを参照されたい。(氏の解釈もとても興味深い)

この曲を理解するには先のエントリであげたヨーロッパに古くからある詩'Thursday's child'の理解が肝要なのだが、この中でも核である木曜日の解釈がこれまた難しい。

Mondays child is fair of face,
Tuesdays child is full of grace,
Wednesdays child is full of woe,
Thursdays child has far to go,
Fridays child is loving and giving,
Saturdays child works hard for his living,
And the child that is born on the Sabbath day
Is bonny and blithe, and good and gay.

ともすけ氏の解釈は『木曜の子は旅支度』である。これも解釈としては間違いではないが、一般的には

『木曜の子は苦労をする。』

とうもの。じゃあ何で苦労するのかというと、『醜く生まれた』というのが一説だが、そこまで行かなくても『不幸の下に生まれた』というのもある。"far"を物理的な距離ではなく、『異質な・超越したもの』として心理的な距離に重ねている解釈である。異質で超越した存在というのは、概して周囲の理解が得られず苦労するものだからだ。
私は『理解されずに苦労する』という解釈をしている。苦労の果てに希望の光が見えるのが、単純な悲哀の人生を暗示する『水曜の子』(
full of woe,)との決定的な違いと考えている。

ここを『旅支度』と解釈すると
'Seeing my past to let it go' フレーズとの相性がよく説得力があるが、私はここでも『 苦労の多い人生』という方の理解を採用。『木曜日の子』には様々な解釈があるが、ネガティブなものが圧倒的であり、ボウイがポジティブな意味をココに見出したとは考えにくいのがその理由だ。

また、ともすけ氏は

Monday, Tuesday, Wednesday born I was ...Thursday's Child

のところを『僕は木曜生まれの子』としているが、実はデビッド・ボウイは1947年1月8日の水曜生まれなので

『俺は生まれは水曜だけど、(詩でいうところの)「木曜の子」なんだよ』

という方が私としてはスッキリする。
一方で、'you'は単純に彼女と思ってる。
クリップを見ると彼女ではなさそうだが、概してクリップはクリップで作品の内容とリンクしていないことが多い(アーティストにもよりますが、、)ので捕らわれない方が良いです。
ただ、ともすけ氏の
解釈を読んで、母親説も良いように思えてきた。

全体的に私の解釈は「俺は今まで一生懸命生きてきたけど良いことは無かった。それもこれもこのチャンス(多分、「彼女を得るチャンス」)のため。この為だったら後悔はしない。( 苦労を運命とする)『木曜の子』だからね」という、捨て鉢ではない、悟りともいえる強さ的なものを感じるのですが、どうでしょう?

どうでもいいですかそうですか。

プチ社長日記:『春は嫌いだよ』の話

夜中に桜を眺めながら、慣れない街を一人散歩する。
今年もまた、私の好きだった季節が終わってしまった。
でも、もう私に好きな季節などなくなってしまったのだ。
・・・どうでもいい。

仕事に忙殺されることで何とかやりくりするこの日常は、いつまで続くのだろう。
土曜は起きたら夜の8時だった。
『いつまでも若くないんだから。。。』
放っておいてくれ。

今年の冬は暖かく、期待はずれだった。
続く春も、いつにもましてボンヤリとしているだろう。

ふと気づくと、異国での暮らしを夢想する。
行けなくもないんだが、今行くのは、どうも、、ね。

気持ちがざわめく。
きっと、このボンヤリとした春の夜のせいだろう。

ちくしょう。ちくしょう。

プチ社長日記:『あいかわらず』の話


年の瀬も押し迫ってまいりましたが、相変わらずナンバガのDVDなど見おります。田渕ひさ子のギターもいいですが、やっぱドラムっすよ、ナンバガは。
(youtubeに上がってるのは音割れてて良くないですね。ナンバガはライブ映像の方が好きですが。)

後、しょっちゅう見てるのがcoldplayとかレディへとかって、どんだけ暗い男なんだうわわわわわっ。

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