プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#15:ハルゲイサ(ソマリランド)〜ジブチ(ジブチ)』の話

■ハルゲイサ
翌朝よりハルゲイサの街歩きです。
と、その前にドルを補充しにPremierBankに行ってドルを引き出します。
成田で両替したかったのですが、時間がなかったので。。200ドル引き出すのに6ドルの手数料取られます。高くね?
まぁでも、ドルに余裕があるのは心強いところ。
10ドルだけ両替商でソマリランド・シリングに両替します。手数料抜きの相場は1ドル=8400ソマリア・シリングでした。ソマリア・シリングと米ドルのどちらの支払いも受け付けている店も多いのですが、不思議と皆このレートでしたね。

さて、街歩き、と言っても大して見るところはないです。

東西に走る目抜き通りにそってミグ戦闘機のある記念碑から東に1kmくらい、そこを軸として市場があるので南北500m位に見るべきポイントは収まっています。
それと家畜市場が川の南にあるので、それで街中はほぼ全てかと。
あとはよしなに、というところです。

【ミグの広場】
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ソマリランドに来る人は殆どが、「謎の国家 ソマリランド」(高野秀行氏)を読んで来ると思いますが(私も読みました)、カート/チャット以外の記述は違和感なく受け入れられるところです。
中でも、混乱の中のソマリアにおいて、ソマリランドの平和実現を氏族の観点から整理しているのは秀逸と言えます。
あまり本の追体験をしても仕方ないのですが、安全の象徴ともいえるオープンな両替商などは普通に見れます。

【両替屋】
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翌日にはジブチに向かわないと流石に帰国が間に合わず、お客さんに怒られてしまうのでジブチ行きの足も探します。
バスターミナルをうろうろして聞きまわるも(そして聞いた人が、「おい、ジブチ行きってどこから出るか知ってるか?」と声をかけてすぐに10人くらい集まる)あまりヒントを得られませんでしたが、一人の流暢な英語を操る人に言わせると「ここみたいな市中のバス停からは出てなくて、タクシー捕まえてジブチ行きの車が出ている所まで連れて行ってもらいなさい」とのこと。
もう一声、情報が欲しいのですが、それ以上は聞き出せず、どうしたものかと思っていたのですが、そういやオリエンタルホテルに行けば何か聞き出せるかもと思い、昼飯がてらに訪問します。


【オリエンタル・ホテル】
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昼飯は豪華(といっても8ドル)にいきます。米が美味い。ビール飲みたいですが、残念ながらイスラム国家なので置いてません。
バー風のお店も酒は置いてなくて、あるのはcocktail(カクテル)を真似たノンアルコールのmocktail(ニセテルと命名)ばかり。

飯に感動して本来の目的を忘れかけましたが、フロントでジブチ行きの話をすると、「翌朝9時〜10時の間に来い。その時間、詳しい奴がいるから」とのこと。
決めきれなかったですが、まぁ、糸口は掴んだのでよしとします。

その後はダラダラ市場の方へ。なかなか面白いのですが、モロッコほどの大きさはなく、まぁこんな感じかな、と言ったところ。
外国人が少ないので、もしかしたら掘り出し物が見つかるのでは?と時計など見ますが、どれも粗悪な最近のものばかり(古いカメラや時計を探すなら、今のところイランがお勧めです)。
1000シリングでライターだけ買って終了。

【市場】
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【どう見ても出られなくて詰んでるスイカ売り】
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【結局、食べる】
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走っている車はほぼ全てが日本車(中古車)です。タクシーは何故かほぼ全てトヨタのヴィッツです。
家畜市場へ向かうために乗ったのですが、2千ドルで購入したと言っていました。
うーん、日本からの輸送費込みでそれなら安いよね。
普通に車検のシールとかが日本のそれなので、日本から来てるのは間違いないです。

【家畜市場。早い時間に来るべきだった。。】
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【売れ残り疑惑】
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そのほかにも昔、父親が転がしてたクラウンを見つけてしんみりしたり、親父の友達が誇らしげに買ってたカリーナEDを見て懐かしい気分に駆られました。
つーか、カリーナEDって、今考えたらすごい車名ですわな。
まぁ、確か僕が中学生くらいだったと思いますが、当時は普通にインポはインポと呼ばれてたからだと納得するなど、時代の変遷に思いを馳せる私@ハルゲイサの午後であります。

残りの時間は茶店にてソマリ・ティーを飲みながらひたすらダラダラ過ごします。まぁ、このダラダラが一番の贅沢なんですが。
茶店は男性のみで、ごくまれに女性と子供だけが小規模に集まる井戸端会議的なものを除けば、茶店は全てオッサンで溢れかえっております。
オッサンみんなで甘ったるいソマリ・ティーを飲んで談笑する絵面は決して美しくありませんが、酒が禁じられているイスラム世界ではよく見る光景ではあります。

好奇の対象である外国人の私は、茶店ではどこでもいろいろ聞かれますが、フランス語を操るソマリ人はいても英語はそれほど強くないと見えて、ひとしきり会話すると大体終了です。なんか知ってるフレーズ全部言い尽くして相手が満足するまで付き合うゲームみたいなもんです。その相手が去るとまた同じことの繰り返しです。Here comes a new challenger!!みたいな。
おつかれ、俺。

【ソマリ・ティータイム】
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1人、事情通の方がいて、南部ソマリアの情勢などを教えてくれました。カート文化とか。
ただし、残念ながら内容的には目新しいものは特になく前述の本の内容どおりといった感じでしょうか。
どうしても、攻略本を見てからゲームするような感覚だったので、これからソマリランド来られる方はロンプラその他で最新の治安情報を確認するだけの方がいいかもしれません。
それだけ、かの本の内容は正しいということでしょうか。
帰国後読まれる方が良いかもしれません。人によるでしょうけど。

***
因みにですが、今回、割と写真に私が写ってるのですが、これには理由がありまして、この地域の人々はカメラを向けられるのをすごく嫌がるのです。上の家畜市場に写ってる方などは承諾を得ているのですが、街角スナップは嫌がられてトラブルを招きかねません。なので、「自撮りに写った背景」みたいな扱いで写真を撮っています。
***

アルコールやカート(チャット)を嗜むか?と聞かれますが、とりあえず前者はノーと答えるのがここでは正解かと。
だいたい「グッド」と言われるので。
ハルゲイサは安全ですが、相手がもしアル・ハジャーブだとアルコール飲んでるだけで即アウトなんで(つーか、戒律的にアウト。アウトの時の反応が過激派かどうかの分水嶺)、ここはノーの一手かと。
カートはグレーみたいです。普通に売っているのですが、一応、おおっぴらにしないのが暗黙のルールの模様。
エチオピアのようにあっけらかんとはしていないです。

その後も茶店を転々としたのですが、良い写真を撮りたさに上に登れるところを探していたところ、1件だけ屋上にレストランがあるビルを発見。登るとまだ店は準備中で、親父が大量の人参を千切りにしてましたが、快く迎え入れてくれました。
ここではコーヒーを飲みつつ、給仕の青年と話せたのはいい思い出です。

【メインストリート】
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宿に戻って睡眠をとると23時過ぎに目覚めてしまいました。
夜のパトロールに出かけます。というか、口寂しくてカート買いに行っただけですけど。
こちらのカート(チャット)は1束5ドルとエチオピア南部より高く、単純にハルゲイサの周りにカート畑がないからでしょうが、鮮度も落ちる感じです。

【夜のハルゲイサ】
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【深夜のカート売り(撮影承諾済)。ただしカートは毛布で隠されている】
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とりあえず購入して夕方までいた茶店に向かいます。
実は茶店の客の一人から「夜10時からここでカートやってるから来い」、と言われていたので、カートというより四方山話でも聞こうと思っていたのですが、なんと行ってみると茶店そのものが消失してました。
朝まで生カートを期待していたのですが、残念無念。出来上がってるタイミング見計らったつもりでしたが、遅すぎたのかなぁ。。

ただ、カート持ってうろうろしてると親しみがより沸くのか、より話しかけられます。
適当に若者にカートをあげつつ(普段からアルコールやニコチンに触れていると殆ど効かないので、実は私はそんなにカートに興味ない)、宿に退却します。
帰ってきたのは1時前でしたが、まぁ、安全な街だなと思います。女性の一人歩きも見かけましたし。

宿に戻り再度就寝ですが、窓が全開だったので蚊が結構おりまして。。。
ひたすら格闘していたのですが、どういうわけかこちらの蚊、刺されても殆ど痒くならないことに気づきまして。
殺した蚊には自分の血がついてるんで、確実に吸われてるんですけど、どこがやられたのか分からないという。。。

だったら血くらいくれてやるわ、と思い直し、普通に寝ました。


さて、朝は軽く雑事をこなし、9時にオリエンタルホテルに向かいます。
手引きをしてくれるのは、ホテルのコックでした。
全部で50ドル、10ドルを前金として渡し、16時半にホテル再集合です。

それまでは街をブラブラしたり、茶店で日本から持ってきた本(何故か大江健三郎自選短編集・・・)を読んでのんびり過ごします。


■ジブチへ
タクシーに乗って街の北側の方へ。
ここには数台の4WDが停車しており、数台でジブチ国境へ向かう模様です。
地図にある道ではなく、砂漠を突っ切ります。直線距離では短いのと、おそらく、街道沿いはディルという、一応国家を自称している連中の勢力圏であることも理由の一つの模様です。

【出発準備中】
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荷物を屋根の上に括るのですが、PCその他は常に手で持ちましょう。
私、ちょっと放置した隙にSURFACEの画面割れました(涙)。

とっぷり暗くなった18時以降、それぞれの車は出発します。
どうやらバスではないので、夜に営業しても大丈夫っぽいです。例によってギチギチに乗り込むんですが、贅沢も言ってられません。不測のトラブルに備え、3台程度で隊列を組みます。

気づけば砂漠を走っています。
満月に近かったせいで、満天の星空は堪能できませんでしたが、月夜の砂漠というのはいつみても美しいものです。

ここでもやたらと世話好きなオジサンにコーヒーやら奢ってもらいます。
きっと私より年下なんですけどね。黙って恩恵にあずかります。
まぁ髭生やすムスリムは老けて見えるから仕方ないね。

【夜の茶屋】
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・・・途中、車が停止したので降ります。
なんでも雨で河ができております。砂漠でも河は流れます。で、それぞれ二手に分かれて渡河ポイントを探るということは理解しました。
いろいろ探りつつ、ここがいいんじゃない、というところを見定め、一気に渡河します。
水がフェンダー辺りまで来ましたが、さすがランドクルーザー、オプションのシュノーケルは伊達じゃない!
海外のランクルってシュノーケル付きを結構みますが、ネパールとここのランクルにおいては大活躍です。
日本の街で見かけるランクルって、そのスペックを引き出せずに終わってる車両、結構あるんやろなぁ、とか考えてしまいます。

朝、3時半ごろ、幾つか目の集落に到着して降車。
さっきから親切なオジサンが寝ろというので、私も並んで雑魚寝であります。
2時間くらいここで休むから、ということで、そりゃ寝ます。

【仮眠】
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夜が明けて日の出を拝む。遠くにはぐれたラクダなどを見つつ、歯磨きなんかしてると俺いったい何やってるんだ感が出てきますが、その感覚、嫌いじゃないんだなこれが。

【夜明け】
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そこからさらに2時間弱ほど走り、まだ9時前に国境到着。
国境が開くのを待って、通ります。

【国境】
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因みに、ソマリランド側のイミグレーションの建物は、日本政府の寄付によるものです。
ナイス日本政府。
国境は緩衝地帯を歩いて通るシンプルなスタイルです。

【GJ】
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先達のブログにはこの緩衝地帯でムスリムに襲われているので、なぜか石、途中からお誂え向きな棒を持ちながら移動したものの、まぁ、安全でした。
この先達さん、別の記事で見たのですが、黒い帽子を被っておられたので、イスラエル系と間違えられたのではと思料。

ジブチ側のイミグレは少し待たされます。
パスポート回収されて、順番に呼ばれるパターンなんですが、どうも非効率。
1時間ほどして晴れてジブチ入国です。

国境から街までは距離があります。
タクシーの客引きに50ドルとか言われます。一晩走ったのと同じ値段じゃねぇか。
スルーし、待っているおっちゃんに聞くと30ドルくらいじゃね?とか言います。
それでも高いよ。
でもまぁ、暫らく待ってみたものの、そんなに車がないので、運転手に行き先を告げ、乗り込むとさっきのオヤジが乗ってきます。
運転手とグルだったかな、と思ったので「お前も乗るなら運賃は折半だ」というと「いやいや、友達じゃねぇか」とかいって便乗しようとします。
「お前は友達じゃない。もう煩いから俺に話しかけるな」などと言ってると、運転手がそのオヤジを降ろしてくれました。
「すまなかったな。お前の友達かと思ってたよ。」とのこと。
そのドライバー(前に2人乗っていて、兄弟だった)は結構いいやつで、いろいろと街のことを教えてくれます。

【ジブチ港】
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そうこうする内に宿に。
最終日なので宿は奮発してケンピンスキーとかいう、無駄にゴージャスな宿に泊まります。
まぁ、砂漠の雑魚寝のあとなんで、宿泊費2日分ということで。
ジブチは水道がほぼ海水疑惑ありますが、さすがに良い宿の水は大丈夫です。それでもバスに張るとちょっとお湯が茶色いけど。

【無駄に豪華】
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その日は大人しくホテルに籠って仕事やジムでワークアウトなどします。

ジブチは塩湖などで有名(死海より塩分高いとか)らしいですが、翌日はおとなしく街歩きだけです。
Facebookで、イエメン料理の名店を友人に教えてもらったので訪ねてみたのですが、まさかのクローズ。

【イエメン料理屋】
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高地にあるアディスアベバと違い、ジブチは海沿いですから当然標高が低く、めちゃくちゃ暑いです。
昼間は人影もまばら。ビーチで多少遊んでいる人がいる程度です。

【ビーチ】
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暑さのせいでしょうか、なんか頭の悪い兄ちゃんに付きまとわれたのですが華麗にスルー。
なんか「FBI」の帽子被ってて「俺はFBIの人間だ」とか言って近づいてきて、無視しても2kmぐらいついてきてウザかったです。FBIはアメリカの組織ですってば。

さて、本日は帰国の日なのでジブチ空港までタクシーで行きます。

【ジブチ空港】
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免税店は大したものがなく、キットカットを高い値段で購入したのに溶けてました(涙)。まぁ、暑いから仕方ないね。
【裏側かと見紛う見事な溶けっぷり】
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紅海・アデン湾に面しているジブチ。日本も自衛隊がソマリア海賊からの護衛任務で派遣されています。対岸がイエメンということもあり、この空港にはフランス軍のミラージュが10機、C130 も1機駐留しています。飛行機を待っている間にもミラージュが4機飛び立つなど、独特な緊張感のある空港です。

【待合室から見えるミラージュ】
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アディスアベバ経由で帰国。次回のアフリカはジブチからエリトリアに行くか、アディスアベバからスーダンのハルツームを目指すか、現時点ではまだ決めかねています。

プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#14:アディスアベバ(エチオピア)〜ハルゲイサ(ソマリランド)』の話

■アディスアベバ〜ハラール
G.W.に続き、夏休みにまたしてもアフリカに戻ってまいりました。
今回はエチオピアのアディスアベバから東進し、ソマリランドのハルゲイサを訪問した後、ジブチへ行く予定です。
当初、スーダンを通ってエジプトのカイロに向かう予定でしたが、もしかしてジブチからエリトリアを抜けてスーダン(ハルツーム)目指した方がよくね?という疑問が頭をもたげ、とりあえず先にジブチに行くことにしました。
エチオピアにはアライバルビザで入国することとし、ソマリランドビザをエチオピアで取得する(日本で取れない)ので、ジブチのビザだけ事前取得です。
大使館は目黒にあります。とても感じの良い女性が対応してくれました。

エアチケットについては、珍しくエクスペディアでトラブったのですが割愛します。
遅延で有名なエチオピア航空ですが、私自身も当日遅延し、空港カウンターでは間に合わないので慌てて空港行きの電車内でオンラインチェックイン、その後搭乗口までダッシュです。
まぁ、結果だけ見ればエチオピア航空も遅れたので余裕でしたけど。
盆最初の3連休とはいえ、22時台の成田はカウンターも閉まってひっそりしています。

登場後、メラトニン飲んでソウルまで爆睡、その後もアディスアディスアベバまで寝まくりです。

アディスアベバには朝の7時着。空港外まで歩いてタクシーを捕まえます。今回はヒルトンとれずでラディソン・ブルホテルに投宿。タクシーの相場は150〜200ブルです。
このラディソン・ブルの中にはトモカコーヒーの高級版があります。本店の方が味がありますが、こっちもまた落ち着いていて良い感じです。ケーキも食べられます。

【ホテルから望むアディスアベバ市内】
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アディスアベバ観光は前回あらかたしているので、ホテルに籠って仕事の残りをやっつけます。
ただし、2つだけやることがあります。
.愁泪螢薀鵐疋咼脅萋
▲魯蕁璽襪、ディルダウまでのバスチケット確保
です。
,任垢、こちらは一度宿に到着して荷物を降ろしてからソマリランド大使館に向かいましたが、大使館は空港近くなので、開館までの2時間ほど時間を潰してから直接向かってもあまり結果は変わらなかったかも。
偉大な先達のブログなどをササッと予習していたので、100ドルと写真とパスポートID頁のコピーを持って行きます。
ソマリランド大使館は、通常、門扉を閉ざしているのですが、「たーのーもーう」ってな感じでノックすると開けてくれます。

【ソマリランド大使館。ちゃんとしてる】
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ほぼ朝9時(ソマリランドのローカル時間でいうところの3時)に到着。準備万端で挑んだので余裕です。
が、てっきり100ドル手渡しかと思いきや、銀行の口座番号を渡され、「エチオピア商業銀行が近くにあるから、そこで振込んで、そのレシートを持ってきて」と言われます。

なるほど、と大使館を出て150メートルほど歩いた商業銀行で振込み、また戻ってきます。
・・・ということなので、アディスアディスアベバでソマリランド・ビザを取得される方は、銀行の窓口の時間にも左右されます。一応、銀行の人に「何時まで開いてるの?」と聞くと「11時半」と言われたので、これは我々のいう所の17時半です。
が、窓口も混雑しているので、午前中に向かわれることを激しく推奨します。
ビザ取得後は近くのエドナ・モールで昼食とってビールをあおってからホテルに戻ります。

【エチオピア商業銀行】
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【エチオピア定番ビールの一つ(数種類ある)】
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【エドナモール周辺】
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さっきからチョイチョイ出てきてますが、、エチオピアはエチオピアのローカル時間で動いています。
「1日の始まりは日の出であるべし」という思想なのか、我々の朝6時が午前0時。夕方の6時(我々の18時)でリセットされて午後0時です。
アナログ時計も、デジタル時計もエチオピア時間に合わせていますが、GMTベースの時刻を刻んでいる時計も混在しているのでややこしいです。

,離愁泪螢薀鵐疋咼脅萋世あっさりいったので、次は△琉榮絢蠱覆粒諒櫃砲箸蠅かります。

アディスアベバに陸路でやってきた時と違い、北方へ向かう場合には市中心部であるマスカル広場南側が、出発するバスターミナルになります。便利ですな。

ホテルから広場までは徒歩圏なので歩き、コンテナを改装したセーラム・バスのチケット事務所でチケットを購入。
ハラール行きは売切れだったので、まぁ、手前のディレダワでいいやと即決。朝4時半発の便です(実際には、その1時間後くらいに出発だったけど)。
はええよ。エチオピア、夜のバス運行が禁じられているから仕方ないけど、概して朝早すぎない??ホテルの朝食を食べられないんですけど(涙)。


■ディレダワ〜ハラールへ

朝3時に起きて身支度をして、暗闇の中をマスカル広場まで歩きます。

【早朝のマスカル広場バスターミナル(暗い)】
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この時はディレダワに行く気でした。
セーラム・バスは高級とどこかの先達ブログで見たのですが、今となっては中級かと。Zeemenバスとかの方が新型車両を投入しています。
日本の旧型車を使用していました。特にトラブルなく昼の14時頃に到着。思ったよりも早い到着でした。やったね。

因みに途中、道端で休憩していると2人組に話しかけられましたのですが、普通にAK-47持ってました。
でも、英語も話せるし、特段怖い感じはないですね。
【ディレダワへの道 
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休憩で降りた宿場ではコーヒーを飲みます。エチオピアはどこでも安くて美味しいコーヒーが飲めるので、コーヒー好きには最高です。
【ディレダワへの道◆
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ディレダワはアディスアベバ〜ジブチ間の鉄道開設により栄えた街です。もともとはハラールを経由する予定だったのが、コスト削減のために北側にずれ、そこが新たに街として発展した経緯とのこと。
2008年に鉄道は運休したものの、最近になって中国の投資で新たに誕生、となります。
途中、バスは線路に並行して走るのですが、時々、きれいな鉄路を見ることができました。
基本的に古い鉄路は放棄され、新しく敷設し直しています。

ディレダワ駅ですが、先達のブログによると鉄道博物館なるものがあるそうで、ジンバブエのブラワヨで類似の博物館にはまった私は、結構楽しみにしてきました。

【ディレダワ駅。手前は保存車両】
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・・・が、閉館しており、明日なら開いてるよ、とのこと。
未練がましく駅の周りを1周するも、規模はブラワヨのそれよりぐっと小規模の様だったので、さすがにこの為に1泊はなー、と思い直し、意を決しハラールまで足を延ばすことにします。
バスターミナルに行くと、ハラールまで800ブルとか言ってきます。値切っても500ブル。いやいや、ここまで400ブル未満で来たのでそれはないだろう、と近くの老人にぼやくと、「ここは契約車ばかりだから、公共バスはここじゃないバス停だよ」と教えてくれ、グーグルマップ上にプロットしてくれました。
だいぶ西のはずれなのでバジャージで向かい、聞くと35ブルとのこと。やれやれ。
車内はまたもカート(チャット)パーティでしたが、アディスアベバ近辺はエチオピア南部と違って、割と隠れて満喫している感じです。シティボーイだからか??

ハラールですが、夕方の渋滞に巻き込まれて2時間半ほどかかりましたが、暗くなる直前に到着。
途中、女性グループに親切にしていただき、「ついたわよ」と起こしてくれます。
そのまま街の入口にあった宿に飛び込み、部屋を見されてもらって即決です。
まぁ、暗くなってから荷物持ってうろうろしたくなかったので。

晩飯はエチオピアのビールとピザ。ここはイタリアの植民地だったこともあって、イタリア料理はあなどれません。
そしてこれからムスリムの国に行くので、どうしてもアルコールの飲み溜めに走ってしまいます。(言い訳)

■ハラール
6時前に起きて街の散策へ。世界遺産にも指定されているらしいですが、旧市街は見ごたえがあります。
とはいえ、そんなに規模は大きくないので、半日もあれば十分ですけど。

【旧市街ゲート】
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【旧市街 
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【旧市街◆
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ハラールはキリスト教のエチオピア正教が主流のエチオピアにおいて、イスラム教の砦ともいった場所で、アラビア半島との交易の拠点(ムスリムは歴史的に交易上手ですよね)となった場所です。
文字通り城壁があり砦化されています。
今もムスリムが多いですが、特に問題なくキリスト教徒と仲良く過ごしていると言われています。
(近くのディレダワでは昨年暴動があったと聞きましたが。)

【ハラール城壁】
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コーヒーも有名で、ハラールコーヒーの名を聞いた方も多いかと思います。
本場は砂糖を敷き詰めたカップにドロッとした濃厚なエチオピアコーヒーを注ぎ、香草を噛みながら飲んだり、砂糖のかわりにヤギやラクダの乳を入れたりします。何度も言いますが、おいしいです。まぁ、美味しいというより、「癖になる」というのが近いかもしれませんが。

文学界きってのイケメン(と私が思っている)アルチュール・ランボーもここに滞在したことがあり、タクシーのドアにランボーの肖像が描かれたりしています。

【ランボーの描かれたタクシー】
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ランボーの「地獄の季節」は全然わからなかったですけどね。。。(遠い目)
タクシーと言えば、旧型プジョーのタクシーが非常に多く、ちょっと昔にタイムスリップした気分になれます。
まだ行ってないけど、キューバもこんな感じなのでしょうか。

■ハルゲイサへ
11時前にはバスターミナルに向かい、ソマリランド国境近くの街、ジジカ行きのバスを探します。頻発しているらしく、あっさり乗れました。
途中、知り合ったガミラというジブチ人女性およびその母親と姉と親しくなり、一緒にバナナ食べたりジュース奢ってもらいながら楽しくすごします。いいんでしょうか、46歳にもなって奢ってもらってて。だいたいムスリムの国は旅人をもてなす文化からか、私はいつも奢り負けます。エチオピアとか国民一人当たりGDP500ドルなんですけどね。隣のジブチでも1500ドルなんですが。
バスですが、人間以外にヤギも乗っててカオスです。

【誰ですか。ヤギ乗せたの。】
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ジジカからはそのまま国境の街、ワチャーレ行きのバスに乗り継ぎます。
とりあえずテキパキと決めるガミラちゃんにバス代くらいは出します。

しかしこれがガミラちゃん達のサービス精神に火をつけたのか、いろいろ面倒を見てくれます。
いや、いいんだけど。しまいには自分のサブ携帯のSIMを引っこ抜いて「連絡できなくなると困るからこれ差しなさい」とまでくる始末。いやいやいや、結構ですってば。
まぁでも、話を聞いていると女性3人の旅は心細かったようで、その後、彼女たちとは結局ハルゲイサまで一緒だったのですが、いろいろ交渉も買って出たりして持ちつ持たれつになれたんじゃないかと勝手に思っています。

ワチャーレまでのバスはガミラちゃんの活躍で最前席をゲット、見晴らしは良いのですが、道中は検問も多く、なかなか進みません。
挙句に雨にも降られ、ちょっと中途半端な場所でバスは停止、そこからバジャージで国境まで向かいます。

【中途半端な場所】
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国境ですが、それぞれの緩衝地帯との境界にはロープが垂れているだけのシンプルなものです。
それぞれのイミグレで私はスムーズに進んだのですが、ガミラちゃん一家の母親が賄賂を請求されて激おこ。
え?よりによってなんで彼女に?と驚くも、とりあえず交渉して事なきを得ました。

【エチオピア側イミグレ】
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【国境(ロープ)】
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【国境近辺は雑然としております】
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ソマリランド側の道をずっと歩き、ワチャーレの街の奥の方にあるバスに乗り込み、ハルゲイサへ向かいます。
やはり国力の差か、エチオピアに比べると道路の舗装状況がよろしくなく、バスも減速を余儀なくされます。
途中、雨で道がぬかるんだこともあり、夜の20時過ぎにハルゲイサ着となりました。

バックパッカーに有名なオリエンタルホテルを目指していたのですが、渋滞につかまり、
もうあとわずかという所で目に付いたSUGAALとかいう名前のホテルに泊まることにし、バスから降ります。

清潔でしたが15ドルはちょっと高い感じ。まぁ、安全を買ったと言い聞かせ、ピザ食って泥のように眠ります。

プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#13:ナイロビ(ケニア)〜アディスアベバ(エチオピア)』の話

平成から令和に元号が変わる2019年のG.W.に、アフリカ縦断第5回トライアルでまたもアフリカに行ってきました。
今回は10連休ということもあって、気付いた時には良い飛行機のチケットが取れず、金曜日にお休みをいただいて1日早く出国したものの、何故かオランダ経由でナイロビに到着です。

■ナイロビ〜モヤレ
旅の一泊目はインターコンチネンタルへの宿泊としました。

【ジョモ・ケニヤッタセンターからナイロビ中心部を望む】
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木曜の夜は徹夜で仕事を片付けようとしたのですが、私の仕事が遅く仕留めきれず(月末というのも痛かった)、成田エクスプレスでも仕事の催促が矢のように来るので、成田で諦めて万全の体制がとれるように手配しました。
道中もオランダ航空だったので18ユーロでwifiを購入し、そこでちまちま仕事をしたけど終わらず。
忙しいのは有難いけど、もうちょっと上手く捌く術も身につけなければと思うこの頃。
まぁ、仕事があるだけ贅沢なんですが。。

とは言え、旅の準備は整えないといけないので、朝5時にナイロビについた後、仕事の傍ら翌日のチケットを購入しに動きます。
ホテルのスタッフに購入場所を聞いたら、そも「陸路でアディスアベバなんてとんでもない!!」と言われ、コンシェルジュにベルボーイも加わって、やれ「ヤベロの街では過激化派の爆弾工場があってこの前もテロがあった」だの喧々諤々であります。
インターコンチネンタルのスタッフに聞いたのが間違いだったか。。。

一応、近辺のテロ事情は英語の文書まで調べていたのですが、もはや現地でしか報道されていない可能性もあるので、「そうなのかもな、、」と不安に思いながらも、まずは見てみようと思い、尚も食い下がると
インターネットで候補を調べてくれて「イスリーに行けば買えるらしい。オペレーター(運行会社)は『モヤレ ラハ』だ」と教えてくれました。
私もテロ事情は調べていたのですが、肝心のチケットの購入場所を調べていなかったのでGoogleマップを目の皿のようにして探すものの、イスリーは見当たらず。。。結局、旅の先人のブログを見てEastleighのことだと判明しました。(更に後になって知るのですが、ソマリ人が多く住む地区とのこと。)
尚、先人は「イシシ」と聞かされ、Eastleighと判明するまで同様に苦労された模様。発音分かりにくいよ〜!
とりあえずコンシェルジュに100ケニアシリング(約100円)で礼を言い(チップとしては高額)、タクシーに乗って当該エリアに。

【イスリーエリア】
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タクシーの運転手もそのオペレーター(モヤレ ラハ)のことは知らなかったのですが、イスリーの街の人に聞きまくった結果、なんとか見せてもらったHPとは程遠い感じの事務所でチケットを購入。

【チケットオフィス】
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また宿近辺(ケニヤッタ通り)に戻り、昼飯として近所で唯一の日本食(多分)「テリヤキ・ジャパン」で(テリヤキではなく)スキヤキ弁当を食べた後は、また宿に籠ることで初日は終了です。
なんだろう、この休日感の無さ。。。

【テリヤキ・ジャパンで癒される】
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**
2日目はバスが15時出発だったので、気を取り直してジムで運動した後に14時にはイスリーの街へ。
早朝のバスを覚悟していたのですが、エチオピアが夜間のバス運行を禁じているので、
エチオピア側のモヤレに早朝つくように逆算で考えると、ナイロビは昼〜夕方の出発になるようです。

ボロいバスだがこの季節のナイロビは涼しいので特に問題はなく、疲れからか出発とほぼ同時に眠りに落ちます。
尚、ケニアとエチオピアの国境の街となるモヤレへの到着予定時刻は早朝4時となっており、
真に受けると未明について危険な香りもするのですが、そこはアフリカ、「絶対に2時間は遅れるから大丈夫」という自信が揺らぐことは最後までなかったですね。つーか、発車の時点で1時間遅れてるし。

【モヤレへの道中】
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【つまみ代わりのコーヒー豆】
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距離としては700km位なんで、ブルンジ辺りだと絶対に1日で進める距離ではないのですが、
さすが比較的国力のあるケニア、中国の多大なる援助もあいまって道路は全部舗装されていました。
バスはボロでも道さえよければなんとかなります。やはりインフラは国力の礎ですな!!

ケニア〜エチオピアが危険とされるのは、アル・ハジャーブという過激派や山賊が出るからなのですが、ここまで見通しが良いと、よくある私設検問なんかも事前に検知できますし、高速で走る車を山間から補足するのも難しいかと思います。
一方で、旅人に不評である公式な検問もあるのですが、逆にこれらの検問で安全性が増すと考えれば、それほど苦ではありませんでした。

そんなわけで、幹線道路を快走している内はそんなに危険を感じませんでした。
(どちらかというと、街に近づいた辺りの方が警戒すべきように思います。そういえば、街に近い検問はチェックポストの周りに塹壕が掘られていました。いずれにせよ、旅は自己責任ですよね。)

丁度モヤレ直前で夜明けを迎え、ムスリムの人々がバスを降りてメッカの方に祈りを捧げます。
礫漠の中にあって真摯に祈りを捧げる姿は、異教徒である私にも美しく映ります。

【明け方の祈り】
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■国境
結局、4時どころか8時頃に国境に到着しました。

【国境】
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【ロバが・・】
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歩いて越境するオーソドックスなスタイルで、ケニア側は難なく出国できたものの、エチオピアの入国側で20分ほど待ちました。
e-VISAを事前申請していたのですが、アディスアベバへの照会が必要らしく、それが時間を要しました。
建物はやたらデカい(多分、中国パワー)のですが、開いてる窓口が一つだけで、しかもそれでどうにかなってるのがワロチです。
この時、もうすでに破棄してしまった購入時のレシート提示を求められて少し焦りましたが、問題なく通過できました。
e-VISA申請の方は、領収書も印刷して持っているのが吉のようです。
因みに、ケニアシリングの方がエチオピアブルより強いので、両替は割と強気のレートで交換できます。

【手持ちを両替】
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バイクタクシーで国境からバスターミナルに連れて行ってもらい(2km弱?)、そこで乗合いバスに乗り込みます。
国境に見るべきものがないというのもありますが、一般的に治安のよろしくない国境からいち早く離れたかったのがその理由でした。
バスは間もなく発車し、2時間ほどでヤベロに到着します。
ここで休んでも良かったのですが、ナイロビで聞いた「ヤベロはヤバい街(らしい)」という情報が引っかかっていたので、疲れてはいたものの更に北のディラを目指します。というか、アサワ行きのバスがもう終了していて、行けるのがディラまでだったんですけどね。
バスターミナルにいる人に、「ヤベロとディラはどっちが大きな町?」と聞くと、
「そりゃあ、ディラだよ!」との回答だったので、まぁ、大きな町なら大丈夫かと思い、進むことにしました。

【道中。真ん中に見える土塔は蟻塚か】
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ところで、ケニア人もエチオピア人も私の知る限りはとてもお金にクリーンな印象です。
さすがにバイクタクシーやバジャージ(3輪タクシー)は最初吹っかけてくるものの、キチンと交渉した値段で請求し、釣銭を返してくれました。
こういうの、揉めるとすごくストレスなので、私にとってはとても助かりました。

・・・これがどうしてエジプトになるとあんなになるのか不思議ですw
(エジプト人の信用ならなさには閉口したので。)

さて、ディラに到着したころは既に夜も更けており(だからバスの営業終了なのですが)、
見知らぬ場所で夜間に宿探しは避けたかったのですが致し方なしという状況です。普通なら。
しかも、私はSIMカード購入しない派なので、事前に地図をDLしていない地域に行くと厳しいのですが、なんと幸いなことにたまたま隣に座っていた若い男がディラのホテルで受付のバイトをしており、案内してくれるということで助けてもらいました。(ホテルDelight。1泊500ブル(約2000円))
彼の案内してくれた宿は、おそらくディラのなかでもだいぶ良い(マシ)な宿で、悩ましい南京虫もおらず、快適に過ごせました。基本的に運はいいワタクシです。

【ビールにありつく】
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■ディラ〜アワサ
最初は朝5時に起きて、一気にアディスアディスアベバへ向かうことを考えていましたが、
そもそも急いだところでジブチまで行くのはさすがに困難に思えてきたことで、今回はアディスアベバが最終目的地として当確なことと、南部エチオピアの人々が優しくて、ゆっくりしたくなってきて、本日は近くのアワサまでの移動としました。
4時間ほどの移動でしょうか。
とぃう訳で、朝からビール飲んで、付近を散歩していると、露店のコーヒーに誘われます。

【ディラの街並み。特に何もない】
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アメーバ赤痢菌は70度以上でだいたい死滅しますが、それまでに数分かかる(温度が高ければ時間は短くなり、沸騰してると一瞬で死滅する)ので、きちんと七輪の薬缶の湯が煮立ってるのだけ確認できれば、基本大丈夫。
こそさえクリアしていれば、それ以外は店?が汚かろうが、器がヒビ入ってようが私は気にならないので、普通に楽しみに預かることとにしています。
5ブル(約20円)でおいしいコーヒーが飲めます。
エチオピアコーヒーは、ベトナムコーヒーの練乳を砂糖で代替したような感じでしょうか?
黙ってみてるとカップに砂糖を敷いて、そこに濃く酸味の強いコーヒーを注ぎます。これが美味しいです。
現地の人と会話できる、貴重な場所でもあります。まぁ、だいたい(というかほぼ100%)中国人と思われるのですけどね。

街をブラブラしてると昼をとっくに過ぎてしまいました。
ディラのバスターミナルまでバイクタクシー(50ブル)で送ってもらい、そこから
アワサへ向かいます。アワサへのバスは頻発しているようで、ほどなく人も集まり、発車とあいなりました。
(満員になると発車するシステム)

【バスターミナル】
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ここで、私の隣に若い女性2人が乗車してきました。垢ぬけた服装からその手の商売の方かとお見受けし
(まぁ、後でパトロンだと言って中国人男性の写真を何枚も見せられたので、あながち間違っていない)、
隣に珍しい外国人(私)が同乗しているとあって、付近の注目を集めます(平たく言うと、冷かされる)。
まぁ、発車してしまえば関係ないんですけどね。

南部エチオピアですが、チャット(カート)の一大産地です。
ノンフィクション大賞を受賞した『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行 著)でも紹介されていたチャットですが、そのソマリランドへチャットを輸出しているのがエチオピア南部です。
そんな一大産地ですから、ほどなくして車内はチャット大会とあいなりました。

【チャット/カート】
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【車内がチャットだらけに】
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件の女性が100ブルでなかなか良質なチャットの束を購入。他のメンバも購入してましたが、この女性のものが上物であることは素人目にもわかります。
チャットは若葉を噛んで、そこから出る汁をのみ込みます。葉っぱは吐き出さずそのまま食べるので、はたから見るとパンダのように葉っぱを食べているようにしか見えません。

ちょうど女性の1人がスマホの充電器を途中の行商人から買おうとしていた(売ってなかった)ので、私の充電器を貸してあげる代わりにチャット大会に交ぜてもらいました。
というか、そんなことしなくてもやたらと先方から葉っぱを勧めてくるので、私もガンガン行きます。
チャットは結局のところ胃から吸収するので、覚醒効力を発するまで時間がかかる、というのは前述の本で知っていたので我慢強く葉っぱを食べまくります。

【チャットをバンバンくれる親切な?女性】
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味の方は、まぁ、何というとか、「シーザーサラダを頼んだけど、チーズもドレッシングもかかっていない、絶妙なところを食べてしまった感じ」といえば正鵠を射ているでしょうか。別に美味しいものではありません。
実際、全力で前向きに言うとルッコラに似た味で、シーザードレッシングかけて大量喰いしたい気分には駆られました。
ただ、単に喰えばいいという訳ではなくて、やはりほぞの部分、というか、ほっぺたに貯めて噛みしだくのが正解のようで、寧ろ私は「食べるのが速い」と窘められる有様です。

ところが、噛んでも噛んでも、「その時」は訪れない。。。
2時間はずっと食べてる。車中の誰よりもハイペースで。でも、その時はやってこない。
若い女性のもう一人は、一番おいしいところの新芽でピーナッツを包んだスペシャル版を何発も口に運んでくれます。
言われてみれば、周りは少し緩んだ空気になっているような(なっていないような)。
「これ、銀座だったら10万はいくな」そんなアホなことを考えながら、私もされるがままに女性のサービスに応じることにしました。
まぁ、女性に「あーん♪」とかやられて断る奴はいない(多分)ってもんですよ。
彼女たちはすごく楽しそうだから、まぁいいか。

ただ、目的地が近づくと、私の充電器を借りている方がそっと充電器ごとバッグにしまったのを見逃す私ではありません。
っていうか、酔ってないし。
・・・もしかして私を酔わせて充電器をせしめる腹積もりだったのだろうか?
そうとしたら、やたらと私にチャットを勧めるのもわからないでもないですが、充電器を貸したのはチャット大会の後半だったので、本当のところはわからないです。まぁ、どうでもいいことですが。

いずれにせよ、アワサに着くと借りっぱなしであることを指摘して、充電器は返してもらいました。

後で調べたのですが、チャットは普段からタバコや酒を嗜んでいる人には殆ど利かないとのこと。

早く言ってよ!!!という感じです。

『謎の独立国家ソマリランド』の本ではチャット(カート)で楽しく酔う描写があったので期待していたのですが、
残念ながら私には効かないようです。。。著者の高野秀行氏もビールは飲むので、チャットで酔うには相当苦労したと推察されますが。。。
(まぁ、ノンフィクションと言っても、多少盛ってる部分はあると思います。)

さてこの日は2日ぶりに仕事を片付ける日だったので、アワサ湖畔のリゾートホテルに投宿することにしました。
中華風の内装が、なんか場違いで居心地が悪かったのだけは覚えています。
油断していると部屋にサルが入ってくるのはヴィクトリア・フォールズと一緒なんですが、
世界三大瀑布の一角との違いは歴然で、チープ感は否めません。

【サル】
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宿泊客も全員アフリカの方でした。いや、そこはいいんですけど。中国人誰もいないのに何故、中国風の内装に。。。
因みに、ナイロビ出てから遭遇する白人は、全員UN関連の人でしたね。。。

街をぶらつき、アワサ湖に沈む夕日をエチオピアビール片手に眺めていると、この上もない多幸感に包まれます。
なんだかんだいっても、今回もいい旅ができているな、と安堵する一瞬ですね。
そしてこの日は私の46歳誕生日。おめでとう、俺!!
夜はおとなしく仕事関連のメールや調べ物をして過ごしました。wifi遅くてキレそうでしたけど。

【ご褒美】
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■アワサ〜アディスアベバ
翌日、アワサ湖から今回の目的地となるアディスアベバへ移動します。
ここでも気合が入らず、9時頃にバスターミナルまで3kmくらいを歩いていきます。途中でコーヒーとか飲みながら。

【コーヒー:至る所で安くておいしいコーヒーが飲めます】
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歯磨きしたくなったので、エチオピアの人がよくバスの中で使っている歯ブラシ(香木?の枝)を購入。
ブラシというか、消しゴムみたいにゴシゴシこすりつける感じで、歯間の汚れは全く取れないんですけどね。
バスチケットは手書きで130ブルでした。私は荷物が小さいので、飛行機もバスも全部持ち込みです。

【歯ブラシ?】
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【チケット:割とこの辺の人々はおカネにクリーン】
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バスはボロいのですが、エチオピアも道はなかなか良いので心配はしていませんでした。
が、そこはアフリカ、ちょっと慢心していたようです。

バスが高速で走っていると(だいたい一本道なので、クルマはいつも高速で走っている)、突然バン!と音がして
バスが蛇行の上、急ブレーキで停まりました。

「あぁ、パンクだね」と隣の男性と話し合いながら、バスを降りてスタッフらと共にタイヤを見に行くのですが、特に問題は見当たらず。
「なんかやたら熱くねぇか?」みたいなことをエチオピア語で言ってるみたいなんですが、
このバス、どうやらディスクブレーキではなくて昔懐かしドラムブレーキのようで、それで熱持ってるだけだと思われます。

その後、試しになんか200メートルくらい走ってみて、「なんもなくね?」ということになったらしく(んな訳ない)、またぞろ全員乗って再出発となりました。

更に10分くらい走っていると、車内後部が騒ぎ始めました。
気づいた時にはもう遅し、あっという間に煙と異臭で車内が充満。またも緊急停止です。
本当にパンクするから緊急停止ヤメテ。

みんなで車両を降り、スタッフが修理するのを見守ります。
なんというか、おおざっぱというか、エンジンを掛けっぱなしで車の下に潜り込んでジャッキアップするのって、どうなのかと思いません?
いや、さすがに熱いでしょ。ていうか、煙でてるんだから止めようよ、と思いながらも先方はエチオピア語でワーワー騒いでるので静観です。

【エンジントラブル】
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さて、私ですが、直るかどうか分からないバスをのんびり待っている、、、ほどの余裕は残念ながら無いので、さっさと荷物を取り出し、このチケットは諦めて通過するバンを停めて交渉して乗り込みます。
あまりにもぎゅうぎゅうなので、最寄りの街のバスターミナルまで連れて行って貰い(この時の同乗者が紳士で助かりました)、そこから違うバス(といってもライトバンみたいなやつですが)に乗ります。

【乗換え】
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アディスアベバへは、街の中心部よりだいぶ南のバスターミナルで降ろされます。
そこから北に数kmで中国が作った新交通システム(ゆりかもめみたいな奴)があるので、そこまでタクシーで移動。このタクシーの交渉が難航しましたが(もうちょっと便利な場所まで延伸してほしい。。。)、無事到着です。
仕事もあったので宿は安定のヒルトンにしました。
アフリカ連合の建物の隣で、治安の良いエリアです。

【アフリカ連合本部】
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■アディスアベバ
アディスアベバでは、三位一体教会や聖ギオギルス教会といった観光地の他、代々木上原(※現在は表参道に移転)にも店があるトモカコーヒーの本店を訪ねたりして過ごしました。

【三位一体教会※付近が官邸なのでカメラ注意】
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【トモカコーヒー】
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【店内※写真撮影は了承済】
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トモカコーヒーではマッキアートが人気の模様。白人のガイドをしていた男性からいろいろと旅の情報を教えてもらいました。

アディスアベバは公用語であるアムハラ語で「新しい花」という意味らしいです。標高2300m〜2500mの高地にある為、この緯度では気温が高い5月でも快適、というか東京より涼しいです。
(因みにナイトプールはお湯でした)

***
今回の旅程、ナイロビ〜アディスアベバは難所と言われる割には見るべきものが少ないとされるのですが、割と私は楽しめました。
アフリカ縦断という意味では、次回はスーダンのハルツームを目指すのでしょうが、ちょっと回り道してソマリランドを目指すことを決め、アディスアベバを後にしました。

プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#12:キガリ(ルワンダ)〜カンパラ(ウガンダ)〜ナイロビ(ケニア)』の話

■キガリ〜カンパラ
キガリに再び戻ってきたのは2018年の夏。
前回のルサカ(ザンビア)〜キガリ(ルワンダ)は雨後の悪路により相当てこずりましたが、めげずに無理めの日程でアフリカです。
隙あらばアフリカに行かないと、いつまでたってもアフリカ大陸縦断を達成できないので。。。

キガリには割と早い時間に到着。
今回も宿は『ホテル・ルワンダ』の舞台である『ミル・コリンズ』です。
前回は触れませんでしたが、映画『ホテル・ルワンダ』ではフツ族・ツチ族の内乱状態にあって、虐殺からフツ族を守った美談ではありますが、実際にはお金を徴収しており、且つ配給品についてもチャージしていたとかで国内では主人公がブーイングの嵐、結局、ベルギーに国外逃亡生活をしているという、寧ろこっちを映画化すべきではないかという、ナイスな話になっております。

従い、当ホテルには『ホテル・ルワンダ』関連の話は全く出てこないのがナイスです。

【虐殺記念館から街の中央を望む】
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さて、キガリ、、、というかルワンダはコーヒーでも有名で、前回もチラッと触れたフィエ農園などあります。
日程の都合でスルーしてしまったのですが、せめてもの慰みとばかりに、有名なブルボンコーヒーに行きます。

一応、店の名前ですが、ブルボンというのはコーヒー豆の品種の名前でもあります。
アラビカ種・ロブスタ種・リベリカ種が3大品種ですが、このなかではアラビカが仏恥義理で有名、というか高級扱いで、スタバなどはアラビカ100%主義ですね。
ブルボンはそのアラビカ種の1種とのこと。
甘味があるからか、アフリカではふつうにお菓子というか、ちょっとしたおつまみに食べたりします。

で、ブルボンコーヒーで朝からのんびりです。最近はチェーン店化してるみたいですが。
で、本店では豆も売ってるのですが、ミル無い人にお土産で配っても意味ないので、ひいたものも売ってほしいところです。

さて、仕事を片付けつつその日は普通に宿泊し、翌日にウガンダのカンパラへ向かいます。

あ、話が前後して恐縮ですが、今回の旅程はキガリ(ルワンダ)〜ウガンダ(カンパラ)〜ナイロビ(ケニア)です。
この3国、アフリカでも安定しており、モロッコやチュニジア、エジプト、南ア以外でアフリカにトライしたい方にはお勧めです。
ビザもこの3国周遊ビザが発行されており、便利です。
私もこのビザを取得しています。結論から言えば、この3国の旅は非常に楽でした。まぁ、その分、刺激は少ないんですけど。
期間も1週間足らずで、8/13にキガリ泊、8/14〜8/15はカンパラ泊、8/16は夜行バスで過ごし、8/17にはナイロビ泊と
割とタイトな日程だったんですが、余裕でした。
これがタンザニアやブルンジなら倍の日程は見た方が良いです。   


ルワンダは金曜日の一定時間帯をゴミ掃除の時間にしているので、非常に綺麗です。
スーパーなんかのビニール袋は国内への持ち込み禁止です。
日本でもビニール袋を有料化する方向ですが、ここまで徹底してほしいですね。
ストローを紙にするという議論が先行しましたが、誰もが「そこからじゃない」と思った筈です。
美化だけでなく、いろいろ秩序だっているのがルワンダなので、居心地はとても良いです。
独裁政権がいい方に転ぶとこうなのか、と考えさせられます。
なんていうか、「イケてる独裁と、衆愚政に近い民主政のどちらが良いか」という、銀河英雄伝説的なアングルで考えさせられるのは私だけでしょうか?

「千の丘の国」とも言われるルワンダ。首都中心部も丘にありますが、バスターミナルは丘を下ったところにあります。この国のバイクタクシーは赤いゼッケンを着けていて、客もヘルメット着用が義務付けられています。規律とれてるなぁ。料金も口約束ですが、ボラれる印象は全然なかったです。

【キガリのバイクタクシー】
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【バスターミナル周辺】
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で、バスターミナルでEasyCoach社のチケットを購入したのですが、午後3時過ぎの出発とのこと。
カンパラ行は頻発だと聞いていて、午前中に移動できると思ってたのでちょっと焦ります。
でもまぁ、思い通りにいかないのが旅の常ですんで、バイクタクシーにキロリンゴ・マーケットというルワンダ最大の市場に連れて行ってもらいます。
・・・といってもただの市場なんですけどね。生鮮食品コーナーや生活雑貨コーナーなど、モノがあふれております。衣料コーナーでは中国製の足踏ミシンが並び、繕い事なんかをしているのを眺められます。
気温も同時期の東京より圧倒的に涼しいので待つことは苦にならなかったですね。
で、バスターミナルに戻り、ウガンダのカンパラへ向けて出発です。

【キロリンゴ・マーケット】
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【瓶の蓋を駒にしたゲーム。相手を飛び越えると駒を取れる模様。】
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さて、さすがにキガリを出ると未舗装の道路も見られますが、基本的にはよく整備された道路なので
バスは特に問題なく走ります。
やはりインフラは国力ですぜダンナ。

【キガリから離れる】
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さて、さすがにカンパラについたのは夜21時ごろでした。
カンパラのバスターミナルはアフリカ最大級と聞いていましたが、私の到着したバスターミナルは明らかにそれとは違う、ガソリンスタンドの裏手の駐車場みたいな感じです。ちょっと街の南の外れっぽいです。
到着と同時にわらわらとバイクタクシーのあんちゃんが寄ってきましたが、適当にあしらい、流しのバイクタクシーを捕まえます。

途中、バークレーのATMで現地通貨を引き出し、市中のホテルにチェックインです。
ここでは2泊の予定です。
ホテルの名前はスピーク・ホテル。割と居心地の良いホテルです。ちょっと仕事をする関係上、仕事の日は惜しみなく良いホテルに泊まることにしています。使った分、仕事で稼ごうと気合も入ります。

翌日、ウガンダは銀行の口座を作りやすいと聞いていたので目ぼしい銀行を回ったのですが、混雑がひどく、係員の説明もわかりづらいので保留としました。
日本から書類も書いて持って行ったのですが、なんやかんやと盥回しの挙句、やはり現地企業の職についていない者には容易に口座を作らせてくれなくなったとか説明を受けます。
ウガンダで起業登録した方が早そうです。
ちょっとこの辺はまた再トライするかも。
街を散策しますが、普通に都会です。お洒落なカフェでアイスクリームなんぞを食べます。
アミーバ赤痢が怖いので、火を通していないものは遠ざけていたのですが、さすが首都だけあって問題もなく。
ウガンダやルワンダでビジネスをしよう、という人が多いのもうなずけます。


さて、カンパラは、ナイルの源流が近く、人気の観光スポットです。世界でアマゾン川に続いて2番目に長い河の源流ですから、これはちょっと拝んでおこうかという気分にもなります。
ただ、特にアマゾン川は季節によって長さが変わることもあり、ナイルはナイルで最長を主張しています。
因みに、宿泊している宿の名前のスピークはナイル源流を発見(再発見というのが適当ですよね)したイギリス人冒険家に由来しています。
ナイル源流がヴィクトリア湖という主張を証明したそうです。
身も蓋もないですが、どうやらヴィクトリア湖から流れ出るのがナイル川だけである以上、ヴィクトリア湖はナイル水系の一部であって、本当の源流はナイル川に流れ込む河川を含むことになるため、本当はルワンダ辺りだそうです。
うわー、それ、知りたくなかったわ。

宿をチェックアウトし、とりあえず、ナイル源流に向かう為、バスターミナルに向かいます。
カンパラのバスターミナルはその規模で有名です。
もうめちゃデカくて、まさにカオス。
写真では見づらいですが、奥にあるビルの手前までミニバスがぎっしりです。これは一見の価値があります。
一見、カオスに思えてもやはりルールは存在していて、「あ、ここは迂回するのね」と暫らく眺めていると理解できてきます。
これは見ていて飽きないです。

【カンパラのバスターミナル】
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【カンパラから移動】
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ただし、ナイル源流へ向かうバスはここから発ではなくて、ミニバスで目抜き通り1本南の通りから出発とのこと。
渋滞につかまり、3時間くらいかかりましたが、小さな町の郵便局脇で降ろされました。

ここからナイル源流へトボトボ歩きます。
ウガンダの小学生が遠足で来てたりして、なべて平和です。
付近は有料で、外国人は割高料金です。どう見てもアジアな私も当然割高に。

【外国人6倍ですよ。きっつー。】
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それよりもボート代金が高く50ドルくらいしたのですが、まぁ、実質貸切だったので良しとしました。
船って結構、お金がかかるもんですからね。

ナイルの源流と言われるのは、ヴィクトリア湖の北側の中州にあります。
ショボい看板が目印です。センスのないところが好きです。

【ハイセンス】
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カンパラから直接ナイロビを目指すのではなく、ナイル源流のポイントからナイロビ行きのバスを捕まえるのはちょっと面倒でした。
最初、「バスは郵便局の脇から出発する」と聞かされていたのですが、これはどうも信じがたく、郵便局の女性に聞いても「いやいや、バスは街の入口から出発するわよ」とのこと。
つまり幹線道路まで戻らないといけません。
街を抜け、何もない所をさらに2kmほど歩き、幹線道路脇で待つのですが、何しろターミナルではないので油断していると置いてけぼりになります。
しかも私のが買ったチケットのオペレータは、事務所が少し離れたところにあって、そこにバスが来るだの来ないだの、人によって言うことがまちまちであり、両方に睨みのきく高所に陣取って見張るという、ダルいことをやっておりました。
しかもバスが大幅の遅延であり、バスが来るたびに高所から駆け下りて確かめるという、シーシュポスのような苦行であります。

ようやく、バスを捕まえ、眠りに落ちます。

■ナイロビ
ナイロビは大都会で、治安が悪いことでも有名ですが、一時よりはだいぶ改善しているそうです。
と言っても、私が宿泊した後、ホテル街の駐車場に停めてあった車に搭載された爆弾で何人かお亡くなりになってるのですが。
ただ、ナイロビ銀座と言われる一角は、手ぶらなら歩ける感じです。
バスは、ナイロビ駅近くのビルの裏手にあるバスターミナルに到着します。
ホテルまでは歩いて移動しました。明るい内なら特に問題なく感じました。(個人差あり)
尚、ここから北進する場合は、別のバスターミナルから出発することになります。

人心地ついて、観光もそこそこ、仕事をして今回の旅程は終了です。

プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#11:キゴマ(タンザニア)〜キガリ(ルワンダ)』の話

■キゴマ〜ブジュンブラ
キゴマを早朝に出発する。
宿の主人にバスターミナルまで送ってもらい、小さなバスに乗り込む。
バスは軽快に走り、タンガニーカ湖のあるキゴマからどんどん高度を上げていく。
気づけば山の稜線を走っている。
ブルンジ、及びその先のルワンダは山が多く、標高の高さから夏でも涼しい。

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1時間ほど走った後、タンザニアを出国し、ブルンジに入国する。
そこでアライバルビザを申請するのだが、またここでトラブルである。

ビザが発行できない、という。

・・・は?理由を教えろ、と食い下がるもどうも要領を得ない。
で、異変を察知した野次馬から聞いたところでは、「紙がないから発行できない」とのこと。
どういうこと?

紙というのは、申請書ではなくて、ビザそのものの紙らしい。
その紙がないから発行できない、ということのようだ。

バスの連中は私をおいて先に出ていってしまった。
ヤバい。国境は山間なので何もない。さっそくバイクタクシーの運転手と交渉してタンザニア国境まで戻る。
事情を話して再入国させてもらい、今度はタクシーの運転手と交渉する。
とにかくキゴマに公館があるから、そこへ行け、ということである。早くしないと公館が閉まってしまう。
通常、ビザ発行の受付は午前中のみだったりする。
はやる気持ちでタクシーにのり、キゴマまで戻る。

【キゴマのブルンジ公館】
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正午過ぎにキゴマの公館に飛び込み、「すみませーん、ビザを発行してください〜」とお願いすると、
ビザは発行できるという。往復で2時間。国境で過ごした時間が1時間だとすると、3時間遅延だ。
タクシー飛ばせばバスに追いつけるかもしれない。

出てきた女性は親切で、ここに記入しろ、あそこに記入しろ、と申請を手伝ってくれる。
ひとしきり記入が終わった後、
「ところで、お願いがあるの。私たちに好意を見せてほしいわ」と言ってきた。

「好意って?」と聞き返すと同時に、賄賂を要求しているのがわかった。
ビザの発行は彼女の裁量次第だということは想像できたので、ここで断固拒否すると今日のビザ発行は絶望的だ。
さすがにこれ以上の遅延は連休中に帰国できない。
地獄の沙汰も金次第、ということか。

釈然としないまでもビザ代込みで30ドルを掴ませる(何となく50ドルを匂わせていたが)と、あっという間にビザは発行された。
ブルンジ人がタンザニアのキゴマで生活できてるだけで優遇されているとは思うのだが、
人間の欲の深さに限りはないらしい。

元来た道を取って返し、タンザニア国境を越え、そこからバイクタクシーに更に乗り換え、ブルンジ国境に到着。
問題なく越境。ただ、越境しても山間である。幸い、ブルンジ側もタクシーが何台か停まっていたので交渉し、
ブルンジの首都ブジュンブラへ向かう。(30ドル)

【独国系植民地と英国系植民地では車線が違う】
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ブルンジは近隣では最も貧しい国と言える。
ルワンダとほぼ時を同じくして内戦状態になったが、いまだに貧困に苦しんでいるのはその後の政治の巧拙によるところが大きい。
ブルンジ領内では集落ごとに私設検問のようなものがある。
ここで通行量を巻き上げようというのか、それとも減速した車にものを売りつけようとするのか?
私にはわからなかったが、タクシーは免除されているのか、お咎めは何もなかった。

集落を通過する途中、道のど真ん中で泡吹いて仰向けに倒れている女性がいた。
「クスリだな」と運転手が言っていたが、入国したとたんにヤバい香りがして気を引き締める。

タクシーは山間を抜けて、再びタンガニーカ湖沿いに走る。
湖畔を北上するのだが、ここも先日の雨で道がぬかるんでおり、スピードが出せない。
不幸中の幸いだが、バスではなくてタクシーで正解だった思う。
結構、水に浸かりながらもタクシーはどんどん北上する。
途中で割にあわないと思い出したのか、運転手が本当に30ドルくれるのかと心配そうに聞いてきたが、
キチンと送ってくれれば問題ないと励ます。

【こんな道ばっかり。。。】
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休憩もなくひたすら運転手が先を急ぐのだが、湖畔から離れた集落で運転手を誘って休憩する。
ジュースを振る舞い、タバコでご機嫌になったのか、運転手もすっかり安心した様子。

【ブルンジの集落】
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暗くなるまでにブジュンブラに着きたいのは彼も同じ思いのようで、休憩後も再び彼はタクシーをとばす。
バナナ農園が広がり、ところどころに集落があるのだが、何か選挙活動のような集会がそこかしこで開かれていた。
不要に絡まれてもつまらないので、こういうのには近寄らないのが吉だ。

さて、夕方ごろにブジュンブラに到着した。帰宅ラッシュなのか、車が行きかうも、何となく統制の取れた感じがしないのは気のせいか。
ブジュンブラの治安は悪いと見たのと、この町は絶望的に観光資源がないので、近辺を散策するだけにとどめ、
まずはバスターミナルに向かってルワンダ行きの便を探す。

先達の情報によると、 YAHOO バスがよいとのこと(無論、ポータルの YAHOO!とは無関係)であるが、
どうも最近はネガティブな評価が多い。
数年前にはゲリラに襲撃されたそうな。
治安がよくないので朝発の便のチケットをとる。ブースの兄ちゃんによると、明日の朝に宿まで迎えに来てくれるらしい。
お、そりゃ助かるな、と喜び宿に転がり込む。
いい部屋が無かったとかで、1階の暗い部屋だったが、ロビーでビール飲んで人心地である。


■ブジュンブラ〜キガリ
ちょっと寝坊してしまったが、迎えは指定の時間にやってきた。

ビザトラブルがあったものの、何とか1日の内にブジュンブラまで移動できたので、
今晩、ルワンダの首都キガリまで到達できれば明日の便に間に合いそうだ。
ルワンダは近辺で最も治安が良く、インフラも整備されているというし、勝負はブルンジ側を越境できるかに掛かっている模様。
イエローカードも所持している(2019年現在、ルワンダ入国に黄熱病予防接種済を示すイエロー・カードは不要になったとのこと。
ただし、入国予定の方は最新の情報を確認されたし。)ので、問題はないだろう。

車には既に他の乗客が一人のっている。
更に付近を走り、おばちゃんが1人乗ってきた。
さて、いよいよバスターミナルに向かうのかな、と思っていたが、タクシーはブジュンブラ郊外に出て、そのまま北上してします。
あれ、どうやらバスではなくて普通の乗用車で向かうようだ。
この時点からちょっと嫌な予感はしていたが、せんなき事なので、周りの景色を見やる。

【ブジュンブラ街並み】
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入国用のビザでいきなり賄賂を要求され、道はぬかるみ、またところどころに豪快で土砂崩れが起きていることから、ブルンジというのはなかなか旅行者にタフな国だというイメージである。
ただし、土砂崩れはあっても、対向車がいるということは、通れるということだ。
しかも、土砂崩れのポイント前には、竹のような食物がわざと折られて置かれており、突如突っ込むという事はない。
※「地球の歩き方」にもブルンジの記載は一切ない。

【コバンザメ走法】
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ルワンダも山が多く、首都キガリも「千の丘の街」と言われるくらいなので標高は高い。
いきおい、登り路が多くなるのだが、トラックやバスにどう見ても過積載の自転車が複数台取り付いて山道を登るさまは見ていて飽きない。
なんだろう、みんな逞しく生きている感があって、自分がもしこの国に生まれていたらどんな気分だったろうと想像に掻き立てられるほどに、ワイルドな雰囲気である。
それでも走っている乗用車の中は安全だ。景色を楽しみつつも、国境にさしかかる。順調、順調。

【国境】
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余裕をかましていたのだが、またしてもここで問題が。
私の方はアライバル・ビザも取得し、車が越境してくるのを待っていたのであるが、いつまでたっても来ない。
そのうち、また雨も降りだした。
さっきまで同乗していたおばちゃんは、業を煮やしたのかルワンダ側の相乗りタクシー運転手と交渉を纏めてしまった。
事情を聴くと、どうもYAHOO!バスが警察にとっつかまって越境を諦め、ブジュンブラに戻っていったとのこと。
どうもこの運行会社、警察に目をつけられており、それ故に破格の値段だった模様。おいおい。

おばちゃんが交渉していた乗合タクシーはおばちゃんで満席となってしまったので、別の相乗りタクシーを探す。
不幸中の幸い、美人のお姉さん2人と同乗することになった。
雨の中で出発を待つ間、なんやかやとこの2人と話しており、お菓子をくれたりなどする。
睡眠薬強盗かと、警戒しつつも、彼女らのルワンダ事情の話を拝聴する。なかなか流暢な英語で、身に着けているものからも相応裕福な家のようだ。
さて、ルワンダに入ってしまえば、予想していたとおり事態はスムーズに進んだ。
国力の差が如実にでるのだが、ブルンジに比較して道路はキレイに舗装されており、ところどころに土砂崩れはあったものの、
付近の住人が復旧作業に当たっていた。雨の中で作業をしても二次災害になるのではとこちらが心配していたが、
彼らのおかげで順調にキガリに向かえている訳だから、頭の下がる思いである。

【ルワンダの子供たち】
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思えば、アフリカは割と金に汚くない。
たとえ貧しい国であっても(国連難民高等弁務官事務所の施設などもあった)、割と決めた値段で仕事をしてくれる(YAHOO!バス除く)。
このドライバーも確り仕事をしてくれたので助かった。

【難民キャンプ】
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途中、コーヒーで有名なフィエを通過する。コーヒー農園で豆を乾燥させている景色が見えた(雨はあがっていた)。
そうこうする内に、首都キガリに到着する。

【虐殺記念館からキガリ中央部を眺める】
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日も暮れてしまったので、虐殺記念館以外の観光は諦めた。ただ、キガリの宿だけは前から決めており、そこが観光地の一つになっている。
宿の名前は「ホテル・ミル・コリンズ」。
映画「ホテル・ルワンダ」の舞台だ。

■キガリ#1
ホテルにて明日の飛行場までのタクシー事情を確認し、とりあえず明日の飛行機に乗ることはできそうだと、ようやく安堵する。
思えば前半に先を急いでいなかったら、悪路での立ち往生やブルンジビザのトラブル、
及びルワンダ国境でのトラブルに対応する時間がとれていなかった可能性が高い。
そのトラブルも、それぞれバスの運転手の英断や、たまたまタクシーがいい塩梅に捕まったという幸運により対応できたと思う。
アフリカ大陸という不確定要素が多い土地を旅するには、一も二にも余裕ある旅程が必要と痛感する。まぁ、仕事しているとそうもいかないのであるが。

さて、宿泊した「ホテル・ミル・コリンズ」であるが、実際には映画のような美談ではなかったことを付け加えておく。
【ミル・コリンズ】
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プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#10:タンザニア〜ブルンジ◆戮力

とにかく、タンザニア内はひたすらバスである。目指すはキゴマ。
コンゴ紛争の時は難民が押し寄せ、キゴマキャンプは悪い意味で有名であったが、今は落ち着いてタンガニーカ湖畔のちょっとしたリゾートらしい。
私は仕事の為に、週に1〜2日は中級以上のホテルに泊まることにしている。
キゴマでシャワー浴びて、のんびりして、酒にありつくぜ!と一人ご満悦である。

朝の5時に出たのだ、さすがに今日中には着くだろう。

・・・着きませんでした。

ハイハイ、ここ終点だから、とバスから降ろされた場所は、ムパンダという場所らしい。

え、どこですか?それ。
「いやいや、俺、キゴマ行きの切符持ってるから!」と申し立てると、
「あ、乗り換えなんだよ。そのバス出るの明日だけど」

ええええ。

まだ夕方っすよ。頑張れば今日中にいけるっしょ。
諦めの悪い私は、というか、「さすがにこのままだとゴールデンウィーク明けに出社できなくてヤバい」と考え出した私は、ムパンダのバスターミナル内を走り回り、「キゴマ行き」のミニバスをしつこく探し回るが、どこにも、ない。

まじかよ・・・。
いやー、特に観光する場所もないし、暗くなってきて出歩くのもちょっと危険なので、もう早々に諦めてターミナル傍のドーミトリーに転がり込んで不貞寝を決め込む。


■キゴマへ
服のまま寝てたので、まだ夜明け前に起きてそのまま隣のバスターミナルに行き、ビスケットや水やらを買い込みシートに陣取る。

【ムパンダ バスターミナル】
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早朝のルサカを友人と別れ早朝に立って以来、2泊3日はただひたすらバスに乗る日々である。
まぁ、ルサカ〜ダルエスサラームが40時間と聞いていたので、ある程度覚悟はしていたがほぼ3日かかるとは思わなかった。
ゴールデンウィーク明けに会社の同僚やお客さんに「オマエ、休みの間は何やってたの?」と聞かれれば、僕は間違いなく「バスに乗ってました」と答えるだろう。
そう、僕はアフリカまでバスに乗りに来たのだと自分に言い聞かせ、旅を続ける。

昨日、夕方でムパンダで足止めを喰らい、キゴマ行きのバスが終わってしまっていて悔しい思いをしていたのだが、
走り出して30分で理由が判明した。

滅茶苦茶、悪路なのである。
今まで、チベット山岳地帯やインド・ネパール国境他で悪路は経験してたが、ちょっとこのレベル初体験ゾーンである。というのも、これまでは両者とも四駆で重装備だったのだが、今回はサスペンションもフワフワのオンボロバスなのだ。

【無理ゲー感溢れる悪路】
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バスの天井にしたたか頭を打ち、呻き声がそこここで聞こえる。
私も半端なく頭痛い、帽子かぶっても無駄である。もう、しょっちゅうケツが浮いて無重力を味わえるのである。
ヤバい。このインターステラー感ヤバい。もはやドリフの世界。これ、日本ならゲロまみれになりそうな地獄絵図であるが、さすがに現地人、誰も吐かない。
くも膜下出血とか普通になりそうなので、間違っても後部に陣取ってはいけない。運転席後ろを激しく推奨である。
・・・って、こんなところに書いても「おぉ、貴重な情報ありがとう」なんて思う人は絶無だと思うが。


無論、バスはスピードを出しまくってる訳ではない、寧ろ逆である、中国の支援(?)で道路を舗装しようとしてる箇所もあるが、基本はぬかるんでいるので、ママチャリで走った方が早いレベルである。
途中、バスが停車した。
で、みんなバスを降りてゾロゾロと前の方へ歩いていく。
もはや少々のことでは驚くことのなくなった私は「え?なになに?何がおこったの?」と周囲に聞きまわる気力も失せ、羊の様に黙ってついていく。
渋滞というほどではないが、何台かトラックが止まっている。
その先頭の車両を見て、判然とした。

思いっきりタイヤとられとるやーん♪
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あぁ、これアカンやつや。
ワイらのバスも、こうなってしまったら半日は棒に振るだろう。

午前中に、キゴマに着けるだろう。

悪路だけど、明るい内に着けるだろう。

今日中にキゴマに着けるのかな。。。

まだ朝だというのに、既に僕のテンションは2段階ダウンしていた。
車列の後方にいた同じ会社のトラックが、荷台を外して救助に向かう模様。
が、そいつも一筋縄でいかず、なかなか進めない。

同じバスの乗客は周囲に散り散りになって様子を見守っている。
・・・1時間は過ぎた。

すると遠くから轟音が聞こえてきた。
ドンドン近づいてい来る。
あぁ、なんと!僕らの乗っていたバスである。

運転手、イチかバチかの勝負に出たのか、ハイスピードで突っ込んでくる、そして、ぬかるんで動けなくなったトラックの脇を突き抜け、窪地から飛び出してきた。ちょっとしたジャンプをして、車輪こそ浮かなかったものの
僕は窓ガラスが粉々に割れるのではないかと心配したくらい、激しいが見事な突破だった!!!!

今思えば、あれがタンザニアのハイライトの瞬間である。
運転手ブラボー!!フォエバー運転手!!
バスの乗客も狂気乱舞である。(動画撮れなかったのが悔やまれる)

が、ここからがいけない、運転手興奮してるのか、バスを停めない。
停まったら死ぬ、という間寛平師匠の境地なのだろうか。確かに停まったらぬかるみに取られそうであるが。

僕は走った。
そして、徐行しているバスに取り付き、何とか車内に入る。ほかの乗客もどんどん乗ってくる。

この難所を抜けると、対向している車列が同じように溜まっていた。
思えば、この難所に来るまで、対向車と出くわしていなかった。
田舎なので、そんなもんだろうと思っていたが、ここが原因だったようだ。

対向車列が存在する、ということは、「キゴマから、ここまでは来れる」ということだ。
つまり、ここ以上の難所はもう無いだろう、この瞬間、僕は勝利を確信した。
勝利といっても、「今日中に目的地に着けます」という、ただそれだけなのだが。

日が昇り、道路が乾いてくるのも手伝ってか、車内の揺れのピークは過ぎた。
途中の休憩所では絞めたての鶏BBQにありつく。残酷なシーンを見ても、腹は減るのである。

【レストラン?】
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結果、まだ明るい内に、キゴマのバスターミナルについた。大きくて、割とすっきりしている。
キゴマであるが、バスターミナルが街の中心からめちゃ遠い。
バイクタクシーがいろいろ集まってくるので、交渉して街まで連れて行ってもらう。
ちょっと聞いていた相場より高めだったが、街中にあるキゴマからのバスチケット販売のブースまで連れて行ってくれたり、なかなか気のいいあんちゃんであった。次の場所への移動手段の確保は、非常に重要である。

街並みというと、下方にタンガニーカ湖が見える。
めちゃくちゃ大きくて、もはや海である。
因みにタンガニーカ湖はアフリカの大地溝帯によりできたものであり、気の遠くなるような未来、このアフリカの大地はここから完全に裂け、ここは海になるという。
ちょっとスケールがデカすぎてよくわからない話のようだが、実際にこの巨大な湖を目の当たりにすると、「なるほどなー」と思える迫力である。

キゴマは貨物用だけだが鉄道駅が備わり、建物の佇まいが美しい。
おそらく且つては旅客用にも使われていたのだろう。安価且つ頻発のバスにその座を奪われるのは海外ではよくあること。
この鉄路はあのエッフェルが設計したモザンビークのマプト駅にも繋がっている(はず)である。
駅の後ろはタンガニーカ湖になっているが、湖に向かって左手の方に高級ホテルがあり、そこのレイクサイド・バーが観光客に人気らしい。
白人もいる。ザンビアのルサカからここまで、一人として白人を見たことはなかったが、さすがリゾート地である。

【キゴマ駅(貨物のみ)】
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宿に荷物をおいて、先ほど触れた高級ホテルのレイクサイド・バーで久しぶりの酒にありつく。
至福。
盃を重ね、タンガニーカ湖の向こう側、遥かコンゴにに夕日が沈むのを眺める。
・・・美しい。何て美しいんだ。
体中から疲れが抜けていくのがわかる。
あぁ、俺はこれを見るためにここに来たのだな、と卒然として理解する。

【落日のタンガニーカ湖】
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とっぷり暗くなるまでバーで過ごし、酩酊してしまった。
ちょっと不用心だな、と思いつつも、タクシーを待っていると金持ち風の白人が同乗させてやるという。
ありがたく乗せてもらい、自分の分は払うと申し出るも固辞される。
私、海外でも驕り負けている気がする。日本で外国人みたら優しくしよう、と思いを新たにする。

宿泊先はリーダーズ・ロッジという宿。かつて国の指導者達がキゴマで過ごした宿である。
快適であり、宿の主人が何くれなく世話してくれて、夜も一緒にコーヒーを飲んで過ごす。

いよいよ明日は、今回の最終目的地、ルワンダのキガリへ向かうこととなる。

プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#9:タンザニア〜ブルンジ 戮力

タンザニアのムベヤに深夜に到着した私は、遠くに聞こえる音を頼りにフラフラと幹線道路を歩き、割と大きな交差点近くにクラブ・バーのようなものを発見する。

【音楽は響くが、人はまばら】

ビールでも飲みたい気分だが、現地通貨もなければ、ここがどこなのかの知識もない。
とにかく少しでも前に進まないとGW明けの出社に間に合わない気持ちが背中を押す。

とりあえず、仝獣歪眠澆悗領沼悄´⊆,両貊蠅悗琉榮扱佻の確保 を優先に考える。
バーのお姉さんに「ATMどこ?」など聞いて、差された方角へ500mほど歩くと、また別のバーに行き当たる。
人が全然歩いていない割にバーはあるが、ホテルらしきものはない。
一部ではバーがホテルを兼業していると聞くが、あまり泊まりたい雰囲気でもない。
幾つかATMを試すが、どれも無効とカードが突き返される。
カードが飲まれると嫌なのであまり独立したATMを使いたくないのだが、贅沢も言えない。
が、メイン・ストリート(と思われる)沿いのATMは全滅である。
・・・これはちょっとヤバいのではないか?(←気付くの遅い)

因みに今は5月1日の朝3時前である。火曜日である。そして、私の誕生日である。それも45歳である。
「また一つ、歳を取ってしまった」というだけでも破壊力抜群なのに、このシチュである。

ふと気づくと、道の傍らに若者がバイクで屯っている。
・・・ごめん、嘘ついた。ずっと前から気付いていたのだが、目が合わないように気付かない振りしていただけである。背に腹は代えられないので話しかけるが、どうもバイクタクシーの運転手の集まりだったらしく、とにかく海外カードが使えるATMに私を連れて行き、その後、セントラル・バスターミナルへ連れていけという交渉を纏める。
セントラル・バスターミナルという名前なのかは知らないが、だいたいこれで通じる。
で、バイクで2ケツしてムベヤの街中を走る。
なんかちょっと走るだけだろう、と高を括っていたのだが、これが結構走るのである。
何しろガチで暗闇を走るので、何kmくらい出ているのかピンとこないのだが、明らかに歩いて元の場所に帰れない。こういう時に思うのは、「どこか仲間のいる所に連れていかれて囲まれないか」であるが、まぁ、そうなったらそうなった時のことだ。とにかく今は親しげにバイクの運転手と会話する。

【明るい場所で撮ったつもりだが、ブレブレ。。。】
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・・・1件目のATMでカードは使えなかった。2件目でようやくバークレイズを見つけ、タンザニア通貨ゲットである。よくよく考えるとATMで自分の金を下ろしただけなのだが、こういう状況なので思わずガッツポーズが出てしまい、あまつさえ運転手にもそれを見られてしまう。まぁ、彼も運賃のとりっぱぐれがなくなって嬉しい筈なのだが。

さぁ、これで仝獣歪眠澆悗領沼悄,魯リアした。⊆,両貊蠅悗琉榮扱佻の確保に着手する。
バイク・タクシーの運転手が「どこに行きたいんだ?」と聞く。
実はまだ決めかねていた。
最初は大都市ダルエスサラームへ行こうかと考えていたが、とてもインド洋に出る時間はなさそうだ。そこから北上するにしても、首都ドドマまでは往復になりそう。ドドマ経由で北上してヴィクトリア湖を見にムワンザを目指す道も考えたが、これも断念し、最短と思わるムベヤからキゴマへの北上ルートを選択。ちょっと拙速かなとも思ったが、余裕が出来れば旅の後半でのんびりすれば良いだけの話だ。

てっきり元いた場所付近に戻るのかな、と思っていたが、着いた場所はロータリーのような場所。
周りも静かだが、よく見ると暗闇にバスが何台か停まっておるのが月明かりで見える。さらに奥にはブースと思われる影も見える。
バイク運転手にチップをはずみ、ゆるゆると歩いていくとバス会社の男に捕まる。

「キゴマへ行くバスはあるか?」と聞くと、毎朝出ているという。よしよし、順調、順調。この街に長居してみたい気もしたが、今は先を急がねば。
バスのチケットを買おうとすると、そのブースの周りには野宿している人がいっぱいいる。
寝ている人を踏んづけないように気をつかいなが、懐中電灯のあかりでチケットの台帳に記入する。とにかく、暗い。
これで⊆,両貊蠅悗琉榮扱佻の確保も達成だ。

【キメるバス会社の人】

満足感が押し寄せると同時に、一気に睡魔がやってくる。
バスが出るまでは、4時間ほどだった。もう眠い。寒いけど、野宿でいいや。

すっかり目も慣れた。月明かりに照らされたバス停には20人くらい寝ているだろうか。
私もロータリーの端に腰を落ち着け、残ったビスケットを晩飯代わりにぼそぼそ食べる。
飯とも言えない飯だ、それも誕生日に。
でも私は満足していた。
見上げると西に傾いた満月が美しい。今晩、月が出ていなかったら心折れていたかもしれない。助かった。
目を閉じると、あっという間に深い闇に落ちていった。







プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#8:ザンビア〜タンザニア』の話

気付けはもう10月も下旬で、今年もあと残すところ2ヵ月余り。
毎年、年初に目標を立てているのだが、その進捗率に満足を覚えたことはここ数年、ない。
それはともかく、ライフ・ワークとして続けている陸路世界一周の続きである。世界一周、といっても、ピース・バイ・ピース、つまり断片を纏めて一周するというものである。
どっかりと半年〜1年ほどかけて1周できればいいのだが、働いていればそんな期間も取れないし、老後の楽しみにしてはタフすぎる。それに、「旅疲れ」とでもいおうか、1ヶ月すると旅が非日常ではなくなる感覚になるので、これくらいのペースがお勧めである。いくら海外にいても、そんな毎日を濃厚に過ごすのは我が国の誇る松岡修造氏を除いては、無理というものである。

枕が長いが、今年のGWにアフリカ縦断の続きを実施したので、以下はその記録となる。

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私たちは意気揚々とバウ・トレインに乗っていた。治安の悪い南アフリカはヨハネスブルグで、最も安全な公共交通機関だ。私「たち」とあるように、今回は一人ではない。
若い女性と連れ立って、、、と行きたいが、これからの訪問予定&予算を考えると、ちょっと厳しい。
相方は私が以前所属していた会社の後輩であるK氏である。「あっちゃん」と呼んでいる。
彼は私と同じくザンビア入りし、そこで別れ、私がかつて北上した道を南下する形でヴィクトリア・フォールズを見た後、空路でケープタウンを見るという。一方で私は北上を続け、ルワンダまで行こう、という目算である。
6度目のアフリカ。縦断計画としては3回目ということになる。
順を追って書くと、前日(土曜)の朝に空港で落合い、そのままシンガポールでストップオーバーして晩飯を食べ、機中泊で南アのヨハネスブルグ、さらにザンビアのルサカまでの待ち時間をヨハネスブルグのサントンとダウンタウン見学をした帰り道である。
荷物を持ったままだったので、ダウンタウンはパーク・ステーション周辺のみという手堅さであったが、街の雰囲気は彼も感じられたようで、私としても一応、先導としての務めを果たせて良かった。

旅は初日が危険だと思う。移動での疲労とテンションが旅モードに切り替わらないまま来てしまうからだ。初日は、無理せず、これくらいが丁度いい。とはいえ、まだ初日は終わらない。その日の内にザンビアのルサカまで飛ぶ。

ルサカの空港は付近に公共交通機関がなく、そこからの移動はと言うと、もうタクシー一択である。当然、吹っかけてくる。現地の人に教えてもらって、(入国ではなく)出国ゲート付近の方でタクシーを捕まえるも、どうも交渉が成立せず、また戻ってきて捕まえ直したりなどする。
ルサカと空港は結構離れているので、結果としてそれほど安くはならなかったが、何とか夕方には目的の宿に2人で転がり込む。

■ルサカ@ザンビア
宿は、鉄道駅の傍で且つバスターミナルにも近い利便性を持った中級ホテルを予めチョイス。高級ホテル街は街の東側にあるが、何しろ今後の移動をこれから考えるので、移動拠点に近い方が良い。
私の次の目標はタンザニアで、タンザン鉄道で入国することを考えたが、タンザン鉄道はルサカより東の街から出ており、まだ便利とは言えない。首都の駅が貨物専用というのは、ちょっと萎える。
一方であっちゃんもヴィクトリア・フォールズ方面のバスチケットをとる必要があるので、休憩もそこそこに、明るい内にバスターミナルに向かう。

【ルサカ駅(貨物のみ)】
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バスターミナルは正直わかりづらい作りになっている。オフィスを構えている連中にタンザニア国境へ向かうバスを聞くが、無いと言われる。手前のチンサリ行きのバスを推してくる。もう少し聞いて回っていると、「俺は知ってるぜ」と耳打ちしてくる男が出てきた。小銭(5Zk)を渡してチケット窓口まで連れて行って貰う。
薄暗い市場の建物の小窓がそれである。わかんねぇよ、と苦笑いしつつ購入。
あっちゃんも無事チケットを入手したようだ。ただし私のチケットは朝4時発である。はぇえよ。でも他に選択肢なし。早々にタンザン鉄道を諦め、まずは前半飛ばして後半の日程に余裕を持たすスケジュールで動くこととする。

翌日の足を確保した私とあっちゃんは意気揚々。では、ちょっと観光でもすっか、となった。
が、何しろ何もない街である。自由広場をまずは押さえよう、となったが、無骨な建物の前に銅像あるだけである。まぁ、紙幣にもなってる有名な像ではあるんだけどね。

【自由広場】
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その他、街の東側にステンドグラスの有名な教会があるとのことで、とりあえず向かってみたが、日が傾いてきたので引き返す。以上、観光終了。

宿へ戻る途中、半分廃墟のビルにて微妙に中華ナイズされたテイクアウトの食事を買い、宿でビール飲んで過ごす。
宿のバーだけリフォームされた直後らしく、ここだけ新しくて浮いている。当然、そのようなお洒落?な場所にはその手のプロもやってくる。途中、売春婦に「部屋に遊びに行っていい?」と聞かれるが、丁重にお断りする。

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スマホのアラームで目が覚める。4月30日(月)3時半。見事に真っ暗である。あっちゃんは隣のベッドでスヤスヤ寝ている。荷物を纏め部屋を出る。昨日の雰囲気だと、ターミナル周辺までは安全そうだった。道がところどころ陥没しているので、そこで足をくじいたりしなければ問題ない。たぶん。
幸い、小さな懐中電灯は持っている。
意を決して外に出ると、ホテルのセキュリティが声をかけてきた。「バスターミナルに向かうのだが、危険かい?」と聞くと、思案した上で、タクシーを勧めてきた。誰もいないから、安全なのか危険なのかも分からない、というのは本当のところだろう。その思案した姿が親身に感じられたので、応じることにする。日本円で300円ほど。高い気もするが、この時間にタクシーに乗れるのは寧ろ僥倖である。安くあげるのが目的ではないのである。避けられるリスクは、避けた方が賢明だ。

早くついたので時間潰しが心配だったが、それは杞憂だった。早朝にも拘わらず、人はたくさんいた。もっとも、地べたにでシーツにくるまって寝ている人が殆どだったが。
ビスケットと水を買い込む。めずらしくエアコンのないボロバスだったが、今は朝なのであからさまに寒い。日中もこの季節ならエアコンは不要だろう。バスが出発し、ルサカの街を出ると道も暗い。眠りに落ちるまで1分とかからなかった。

【早朝のルサカ・セントラルバスターミナル】
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バスは割と快調に走っていた。ザンビアは公共交通が発達しておらず、一部はヒッチ必須と聞かされていたが、私の場合は特に問題なかった。ただ、途中の休憩も多く、「早朝に出たのだから、夕方にはムベヤに着くだろう」という予想はハズレつつあった。因みに、その予想とは過去の移動距離の経験からの『目分量』によるものである。地図見て指で測る、アレである。アレ。

【昼飯休憩】
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とにかく、メルカトル・マジックを考慮しても、南アのようには進まないことだけは確かだ。
もうとっぷり日も暮れたのに、まだチンサリという事実は、軽く衝撃である。

その後も走り続け、午前0時頃にトゥンドゥマの国境を越える。ビザも不要なので、割とあっさりの越境である。


■ムベヤ@タンザニア
ムベヤに着いたのは午前2時頃だったか。
22時間、バスに乗っていたことになる。もっと長時間乗っていた経験があるのだが、これまでの日程を振り返ると、金曜の夜遅くまで仕事をした後、土日で移動というものだったので疲れが溜まっていた。

タンザニアはザンビアやブルンジなどに比べて治安が良く、人々も大人しい、というのがよく聞く意見だ。
これと言って観光資源が無いにも関わらず、居心地のよさに気付けば長期滞在していた、という話をよく聞く。
(・・・が、それは一昔前の話で、今はそれなりに危険だという。)
無論、地域にもよるだろうが。
さて、ムベヤであるが、バスは、ターミナルに到着するのかと思っていたが、ガススタンドのようなところで終了となった。
バイクタクシーが寄ってくるが、こちらはタンザニア通貨も持ち合わせていない。
幸い、今宵は満月だ。開けた道を歩けば咄嗟に襲撃を受けることもあるまい、と呑気に構えてATMを求めて歩き出す。人気がないのは幸いだが、人気のないところにATMもない。耳をすませば音楽が聞こえるので、街の中心の方へ、ふらふらと歩いていく。




プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#7:ジンバブエ・ザンビア国境』の話

JUGEMテーマ:世界一周の旅



※ブログの日付が前後しますが、当内容は2017年夏のアフリカ訪問の書き起こしになります。南アフリカのケープタウンから陸路アフリカ縦断を目指すもので、『アフリカ縦断#6:ジンバブエ共和国(▲凜クトリアフォールズ)』の続きに相当します。
私もそうですが、仕事を持つ人でも夏休みなどを利用し、分割してアフリカ縦断しようというものです。
今回は、モザンビークのマプトから直接北上せずに、ヨハネスブルグから再出発し、ヴィクトリアフォールズを見てザンビアのルサカから帰国するルートになります。


ヴィクトリアフォールズ2日目は、朝食後にヘリコプター・ライドに行きます(お迎えが来てくれます)。ヘリコプターはそれなりの値段でしたが、ここで惜しむ気もないので、最長のコースにアップグレードします(現地のスタッフが商売上手で勧めてきます。)。これだとサバンナの方まで飛んでくれます。
何しろデカすぎて全貌が掴めない滝なので、ヘリコプター・ライドはマジお勧めです。

【ヘリコプター・ライド】
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【バンクすると結構迫力ある】
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【滝!滝!!】
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【写真じゃ小さすぎますが、象の群れがいます】
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終了後は街の中心地まで送ってもらいました。
そこから徒歩でザンビア越境です。
国境にかかる橋は見ごたえたっぷりです。
因みに、ザンビア側のビザは日本で申請していたのでスムーズでした。

【ジンバブエ側イミグレ】
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【ザンベジ川が国境になっている】
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【ザンビア側イミグレ】
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国境を抜けるとマラリア注意の看板が歓迎してくれます。
予防接種してないですが、防虫には少しだけ気を遣いました。

【マラリア注意】
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滝とリヴィングストンの街は結構離れているので、徒歩は無理だと思ってください。タクシーを利用します。
この街も安全でアフリカ感ないですが、ジンバブエ側のヴィクトリアフォールズの街よりもリゾート度は下がります。

【リヴィングストン街並】
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【コロニアル風建物が多い】
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【バスターミナル近く】
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【スーパーで買い物】
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さて、宿は前の道路も舗装されておらず、野犬に注意が必要でしたが、快適な宿に泊まれました。夜は真っ暗なので星空が圧巻でした。宿まで連れてきたタクシーの運転手がいい人だったので、翌朝早くに迎えに来てくれるよう約束しておきました。

翌日はデビルズ・プールです。ここへ行くにはツアーに参加する必要があります。
これ、朝イチの回しか空いてなかったのですが、朝イチの回で正解です。南半球なので8月の朝は寒く、水も冷たいですが、ちょうど太陽光を背にするので虹がかかります。
水煙が常にあがっているので、この季節・時間帯ならいつでも虹がかかると思ってよいでしょう。

【ボートで滝に近づきます。前に見えるのは水煙です】
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【滝を間近で見られるのがザンビア側の良い所です】
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【ここがデビルズ・プール。8月がベストだそうです】
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【お目汚しすみません。でも、こんな感じです。落ちると死ねます】
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デビルズ・プールのツアーには昼食がついていて、集合場所でもあるロイヤル・リビングストンホテル提供なので美味しいです。その後はバスターミナルに移動し、ミニバスで今回の最終目的地でもある首都ルサカまで移動します。

【ルサカへ】
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結構時間がかかって7時間ほどかかりました。途中、山焼きなのか山火事なのか、至る所で山が燃えていました。天城越えのようです。(違う)

着くと日没後で、不慣れな土地の為にすぐにタクシーでホテルに向かいました。(最初と最終日は日本でホテルを予約していました)
ルサカは再訪する予定なので観光はあきらめ、翌朝、飛行場に向かいます。結構な大都市です。空港はボロいですが、隣に大きなターミナルが中国の援助で建設中です。日本の影が薄いのが残念ですが、これも時代の流れでしょう。見かけるアジア人は、みな中国人です。

【現ターミナル】
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すぐにルサカを再訪したかったのですが、トルコ〜イラン〜パキスタンの陸路横断を優先したので、次にここを訪れるのは2018年のゴールデンウィークの予定です。ルサカから北上再開して、ルワンダのキガリまでを漠然と考えています。

【さらばルサカ】
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プチ社長日記:『アフリカ陸路縦断#6:ジンバブエ共和国(▲凜クトリアフォールズ)』の話

JUGEMテーマ:世界一周の旅


※ブログの日付が前後しますが、当内容は2017年夏のアフリカ訪問の書き起こしになります。南アフリカのケープタウンから陸路アフリカ縦断を目指すもので、『アフリカ縦断#5:ジンバブエ共和国(。贈覆肇屮薀錺茵法戮梁海に相当します。
私もそうですが、仕事を持つ人でも夏休みなどを利用し、分割してアフリカ縦断しようというものです。
今回は、モザンビークのマプトから直接北上せずに、ヨハネスブルグから再出発し、ヴィクトリアフォールズを見てザンビアのルサカから帰国するルートになります。


ブラワヨからの夜行列車に乗り、気付けばもう、夜明け。

【夜明け】
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同室の黒人は夜明け前に到着した途中の駅で降り、私は終点のヴィクトリアフォールズに向かいます。途中ザンベジ川に沿って走るのですが、その圧倒的な景色には感動を覚えます。
駅近くになって列車が徐行するのですが、車窓から遥か遠くに水煙があがるのが既に見えて期待度が上がります。
※もしかしたらワザと徐行してくれているのかもしれません。

【ヴィクトリアフォールズ駅】
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ヴィクトリアフォールズという街は、観光地化しているので至極安全です。印象的にはグアムに近いかな。海ではなくてザンベジ川ですけど。

駅の近くでは、ハイパーインフレ時代のジンバブエ紙幣を売りに来る少年たちがいますが、20ドルなど法外な値段で売ってくるので無視した方がいいでしょう。私は後に5ドルで全セットを購入しましたが、これが高いのかどうかは私にもわかりません。
まぁ、私はデノミ前のトルコ紙幣とか使っていた年寄りなので、旧ジンバブエ紙幣にそんな感慨はないですが、まぁ、お土産に。

そうそう、ジンバブエはハイパーインフレで有名で、日本でも高い値段を揶揄する時に「ジンバブエかよ!」とか言う人もいますが、今のジンバブエドルはドルと等価交換です。ブラワヨのスーパーマーケットで20ドルだけ両替しましたが、完全等価なのでドルをジンバブエドルに交換する酔狂な奴はいません。ドルが最強です。債務の棒引きを条件に、中国元も公用通貨として認められたのですが、元払いは中国人が出入りするホテルなどを除いて出来ないです。知らずに両替した私はスーパーのおばちゃんに笑われてしまいました。で、何が言いたかったかというと、「ジンバブエかよ!」というのは今や逆の意味になっていて、不用意に使うとオウンゴールになるよという、しょうもないことが言いたかったのです。

さて、駅からの一本道をてくてく歩いて滝を見に行きます。もう、全然遠い筈なのに滝の音が聞こえてきます。はやる足取りを抑えて国立公園に。(観光地なので、めちゃくちゃ高かったのを覚えています。)

【やべぇ】
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【マジやべぇ】
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【写真で伝えるのは無理です】
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【でも載せます】
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ベスト・シーズンは6〜8月とのこと。それより前だと水量が多すぎて、後だと少なすぎるからで、一般に滝は水量が多い方が迫力がありそうですが、もう水煙がすごくて8月でさえ視界が遮られます。おまけにめちゃ濡れます。すぐ乾きますが、一眼レフなど持って行く方は配慮が必要です。風向きや日差しの向きでは「驚きの白さ」で何も見えません。アタックの世界です。
(肉眼では見えても、写真にとったらホワイト・アウトしてたりするので油断なりません。)
もう、行くしかないです。その迫力たるや神秘のレベルで、おじいちゃんでなくても拝みたくなるレベルです。


堪能して公園を出た後、バオバブの樹(ビッグ・ツリーと呼ばれる)が生えている所へ向かいます。
ここは少し街の外れにあって、ここだけは治安で注意が必要と言われていましたが、一本道の入口に常時警官が立っているので安全に思えました。
ただ、ヒヒや鹿の野生動物は普通にいるので注意が必要です。特にヒヒがいるので、あまり食べ歩きはお勧めしません。一方で、一本道には途中売店もないので水は必携です。
途中、すれ違った黒人グループに「象に気を付けろよ」とアドバイスをもらいました。
確かに、大きな動物の糞もあったので、注意した方がいいです。

【ビッグツリーへ向かう道】
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さすがに疲れも出てきたので、宿に向かいます。因みに、ヴィクトリア・フォールズに安宿はないです。というか、ここはリゾートなので奮発して贅沢するのが吉だと思います。私もザンベジ川沿いのホテルに投宿。夜行バスに夜行列車と連続で来たのでのんびり風呂に入って疲れをとります。フロントで夕方のヘリコプター・ライドを予約しようとするが、さすがに一杯で、翌日に予約を取ります。明日はザンビア側の街、リヴィングストンに泊まる予定なので、(滝に近い所に安宿はない)明日の宿と早朝のデビルズ・プールにも予約を入れます。その後、調子に乗ってプールにも入ります。疲れを取りたいのか疲れたいのか、自分でもよくわからなくなってきました。

【南アのビール】
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【ジンバブエのビール】
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久しぶりのリゾート気分満喫で上機嫌です。
・・・が、周りを見たら男一人は私だけでした。(気付かない振りしましたが。)