有限会社Ayleeds社長日記。継接ぎだらけですが、世界一周旅行もやってます。

プチ社長日記:『失敗の本質』の話

言わずと知れた名著の再読。今読んでも示唆に富むのはさすが。


本書は、ノモンハン事件から沖縄戦に至るまでの日本軍の失敗を組織の問題として捉え直し、戦略的合理性よりも組織内の融和と調和を重視する情緒的性質及び、初期の成功体験を踏まえた「過剰適用」による組織としての自己革新能力を得られなかったことに、その敗因を求めている。
無論、物量や技術的蓄積の差はあったが、すでに得ているリソースの活用の仕方で、組織として既に敗北が決していたと言えるまでの説得力を持つ。

どの階層を取ってみても相似形だと思うが、例えば個々の作戦をプロジェクトとして自組織に当てはめて考えてみるだけでも、ちょっと背筋の冷える思いがする諸兄がたくさんおられるのではないだろうか。

かくいう私も、規模としては吹けば飛ぶようなものであるが、自組織について当て嵌めて考えてみると硬直した組織になっており、好景気時には全てが覆い隠されていたものの、潮目が変わる中で見据えると改善点が幾多も挙げられる。

折しも、コロナ禍の昨今である。
直撃を受けている業種(航空など)や、地方経済(地銀など)は、公的資金注入の(再)国有化も可能性として今後議論されるかも知れない(一部で議論されている)。
言わば戦時経済のような趣になる可能性もある。

周囲を見ても、「人との接触を8割減らす」前に「売上を8割減らす」を先に達成して困窮しているケースが身近に多々あり、実態としても非常時であることは間違いない。

このような状況に適切に対応できる組織は少ないだろうが、ウィズ・コロナ、アフター・コロナと言われる状況が常態化する世の中になっても生き残るのは、結局は環境の変更に合わせて適切に自己変革できる組織であろう。その変革に向けた補助線として、本書を今、改めて読む意義は小さくないと感じます。



・・・まぁ、これ読んでも失敗するときは失敗するんだろうけどね。

プチ社長日記:『東京貧困女子』の話


結構、評価の難しい一冊である。
登場する「貧困女子」が同情を求めてるかというと、そうではないケースが多いだろう。
ただ、理解はされて然るべきである、とは思う。

筆者である中村淳彦氏は筋金入りのノンフィクション・ライターなので、淡々と、状況を詳らかにしていく。
若者を貧困に捉える貸与型奨学金制度やブラックの温床である介護業界、セーフティネットとしての生活保護支給の制度についての怒り等は吐露するものの、基本的には状況をポンと投げるだけの姿勢である。

出てくる女子について、冷たい言い方をすれば「運がなかったな」というケースは多い。

親が離婚(母子家庭)、親の収入が低い、本人の離婚(男の見る目がない)、ブラック企業に就職してしまい病気になった等、逆に言えば些細なこと(運が悪い)がきっかけで貧困に転落してしまう話ばかりである。
無論、うまく立ち回れば回避できた問題も多く、読んでて「あ、その判断は間違いだろ」と思わせる箇所もなくはない。
だが、(書いてあることをそのまま受け取れば)仕方ないと思われるケースも多い。

奨学金も貸与型が全部ダメという話ではないだろう。確かに、大学卒業とともに多額の借金を背負わされるが、(就職に有利なそれなりの大学であれば)奨学金の返済は可能であるし、私の周りにもキチンと返済できている方は多い。奨学金という借金を背負ってまで卒業するに値する大学かどうかは、考えた方がいいだろう。
(もっとも、この本に出てくるように、子の奨学金を親が召し上げるケースは例外だが。)

ただ、やはり全体の流れとして、少子高齢化の進む日本においては、明るい未来を見いだせず、セーフティネットや介護についても財源を考えると厳しい状況にならざるを得ないのは仕方ない面もある。
この救いようの無い現実にどうしても行きついてしまうため、重たい読後感になるが、これは即ち日本人が目を背けてはいけない問題でもある。
つまり、彼女たちこそ今後の日本のニュー・ノーマルの先兵とも言えるのだ。
そういう意味で、読んで損はない一冊である。



・・・・ところで、なんでこの表紙の写真がNews Picksの宣材に使われてるんでしょうか?
貧困女子がイキナリ意識高い女子みたいになってますが。
キャプションで見た印象が端的に変わる例になっております。。

プチ社長日記:『ラオスにいったい何があるというんですか?』の話


村上春樹氏が主にAGORA向けに書き溜めた文章を纏めた紀行文集。
AGORAはJALの主にファーストクラス向け雑誌なので、私には縁遠いんですけど、こちらはそのAGORAに掲載していた文章よりも長めのバージョンから成り立っているそうな。

どうしても紀行文と言えば沢木耕太郎氏の『深夜特急』があり、私もかつてこれとほぼ同じルートを旅したのですが、この『ラオスにいったい何があるというんですか?』は(経済的にも余裕のある)大人の視点で、のんびりと且つ、対象に愛情あふれる文章なので、肩の力を抜いて読めるのがいいです。行先も安全な街ですし。
まぁ、ファーストクラスに乗ってる人が、『深夜特急』のように時折ヒッチハイクで旅することはもうないと思うので、そういった人々に向けて書かれる紀行文だとそうなりますわな。
調べた訳ではないですが、書かれた場所はJALが(当時は)定期便を運行しているのでしょう。

読むきっかけは先日ラオスに行っていたく気に入ってしまったからなんですが、作品で取り上げられているのはビエンチャンではなく古都ルアンプラバンです。こちらの街もいつか訪れてみたいところ。

割と淡々と起こったこと、思ったことを書き綴っている本作ですが、未踏の地であれ、既に訪れた場所であれ、氏のいうとおり、「そこには必ず『何か』があります」ということになりますので、そこから話は流れていきます。
逆に言えば、その時にしかないシーンを切り取り、そこを契機として氏の思いが書かれるので、ほぼ全ての紀行文がそうであるように普遍的なものではないです。

当たり前のことですが、やはり旅は自分でしてこそだと思います。

私事ながら、この正月は日本を離れることが出来ませんでしたが、早くアフリカの旅の続きをしたり、その他の未踏国家へ旅したい気持ちは日々高まり、時として持て余すほどです。そういう輩には寧ろこういった紀行文は「好物だけど不要」なのかもしれません。もし、紀行文に(それが無粋なものであると承知の上で)役割を求めるなら、読み手の腰を上げさせることだと言えるでしょう。そういう意味では、本書は(特にご年配の方向けに、)十分な威力を持っており、AGORAの編集方針に一致していると言えます。
そういった意味においても、村上春樹という作家は「求められた仕事」をキチンとこなすという、プロ意識の高い面も窺い知れてファンにとっても楽しめる作品ではないでしょうか。

プチ社長日記:『猫を抱いて象と泳ぐ』の話

芥川小説家である小川洋子氏の作品。
実在のチェスプレーヤーであるアレクサンドル・アリョーヒンと、これまた実在のチェス人形「トルコ人」を材料として、主人公の成長とチェスにかける人々の思考の美しさを描いた作品、と言えばいいだろうか?

【チェス人形トルコ人】


大きくなることを恐れ、小さく、控えめで目立たなくするよう努める主人公が、チェスの広大な海を漂い、美しい棋譜を紡ぐコントラストを活かした描写が素晴らしい。

読後にやさしい気持ちになれる、そんな一冊だと思う。

プチ社長日記:『影響力の武器』の話

自分の持って行きたい方向、特にセールス面において「買わせたい」と利益誘導する技術等について書いた本書。
一応、そういった誘導に抗う術を身に付けることを目的としているが、詳述されているが故に利益誘導マニュアルになってる面有り。

まぁ、「希少性の法則」や「一貫性の法則」など、ラベルとしては新しいが、内容はそこそこ人生経験あれば「知ってた」というものばかり。まぁ、「あと残り僅か」とか言われると欲しくなるし、自分の発言の整合性を保つために、「小さな妥協が大きな妥協を惹起する」のも「あるある」となりますわな。

・・・本書の見どころは実例が多く挙げられているところに尽きる。
何となく「そんなもんだろうな」と思っていたことが、数値に裏付けられると予想以上の効果だということが理解できて読ませるポイントとなっております。ただ、翻訳は直訳感が出てて読みづらくはあるし、ボリュームもあるので気軽に読める本でもない。

最初にも触れたが、アムウェイの事例なんかも出ているものの、対アムウェイ防御法よりも類似アムウェイを生み出しそうな内容なのが痛いところ。
まぁ、セールスなどに携わる人は読んで損はない一冊となっております。

知らんけど。

プチ社長日記:『春琴抄・盲目物語』の話

耽美派の谷崎潤一郎の代表作、、といいつつ、キチンと読んでなかったので(照)、ここにきて読了。
かつて、大学で谷崎文学を研究をしていた方と親しくしておきながら、まったく深い議論をできなかったのが悔やまれる。
谷崎潤一郎の一文は、やはり彼らしく非常に長い。簡潔でリズミカルな志賀直哉と比較して語られるが、当作品も例にもれず長い。ねっとりと、女性の所作について記述するのは、谷崎文学の真骨頂である(らしい)。海外でも評価が高いと聞くが、どういう英訳になっているのだろうか。気になる。

まぁ、アレだ。さらに一つ後悔ポイントを付け加えるとしたら、ハワイで読む本ではなかった、ということである。
なんで俺、この本をハワイで読んでんだ。しかもプールサイドで。
そういや正月にも『斜陽』読んでたな。。もう少しTPO考えよう。

プチ社長日記:『斜陽』の話

・・・やってもうた。
なんで正月早々、手に取った本が『斜陽』なのか。
気付いて、正月っぽくないって、気付いてミー。

太宰治の文章は、人によって好き嫌いが別れる、というより、読み手のその時の気分や境遇で受け止められ方が異なる、稀有な文章と思う。
滅びゆくものの美しさや、退廃的な中にきらりと光る恍惚とした魅力も、嵌る時は嵌るが、そうでない時は全くそうでない。自分の調子に対してのバロメータ的な位置づけであろうか。
初めて読んだときはいつか忘れたが、おそらく他の太宰作品と同じく18歳の頃と思われる。
太宰の持つ、サイコクラッシャー的なパワーに当てられる年代である。

・・・まぁ、ね。あるよね。そういう時代。思い返すと恥ずかしいけど。

今、割と突き放して、醒めた目で読めるのは、我が身の老いのなせるわざか。
だからと言って「余裕だぜ」と思うかというとそうではなく、ここまでの境地に至り39歳でこの世を去る潔さなど、年齢を重ねても読者の読後に苦みをもたらすのは作品自体の素晴らしさ故、ということだと思う。はい。

ただ、正月に読むのはお勧めしないけどね。

プチ社長日記:『最近読んだ本など』の話

『光のない海』
熱海の温泉宿で一人、朝方まで読むほど「読ませる」内容の一冊。
白石一文氏らしい、運命に弄ばれ苦しむ人々を通じて、孤独について掘り下げていく内容が素晴らしい。
山本周五郎賞受賞作『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』と同様、孤独を埋めるが為に過ちの関係を持つ男女を描写し、必死に他者との繋がりのありようを模索し、空虚の先へ進もうとする気迫の作品である。

『みんなちがって、みんなダメ』
カリフ主義復活を奉ずる中田考氏の一冊。
「イスラームとは何か」というイスラームの説明本は世に多いが、「イスラーム的視点で、今の領域国家支配の現代を解釈するとどうなるか」という視点が中心となった作品は寡聞にして知らず、それ故に極めて面白く読ませていただいた。
思えば、私の少年時代などはイスラームというのは遠い世界の話の様に捉えられていたが、21世紀が「アフリカの世紀」ならば、今後もイスラームの勢力は増大の一途となることは間違いないと言えるだろう。
従い、当該視座を踏まえることは重要であることは間違いない。
無論、多神教を是とする大部分の日本人にとって、一神教的な価値観に抵抗はあろう。
実は私もその一人だ。

「母も篤子も、京介も美千代も、淳子も宇崎も、そして私自身も、あと数十年もすれば、そういう人間が存在していたことでさえ定かではなくなってしまう。歴史上に名前を刻むことのできた者以外のすべての人間が、いずれは存在の有無さえ確認不可能な黒々とした闇の中へと飲み込まれてしまうのだ」(「光のない海」)


『みんなちがって、みんなダメ』の視座によると、これは何も悲しむべきことではなく、「当然のこと」ということで平然と受け容れられる。ここまで達観することは、正直、私には難しい。(それは私が『バカ』だからだろう)

それができない私のような者は、どうしても「一瞬の光」のようなものを求めて生きていくのだと思う。それで絶望することはあっても、最後にはこの価値観を受け容れざるをえない時が来ると思う。
たとえ回り道であっても、私も「存在の有無さえ確認不可能な黒々とした闇の中へと飲み込まれてしまう」を喜んで受け容れられる日が、いつか来ますように。






プチ社長日記:『NEVER LET ME GO』の話

言わずと知れたノーベル文学賞作家カズオ イシグロさんの本である。
邦題は「わたしを離さないで」。

ネタバレになるので控えるが、舞台設定は「え?」という荒唐無稽じみたところがあるものの、
主人公の淡々とした述懐でそれを押さえ込み、誰もが皆、
一度は考える死に対する姿勢を抽出して描いたところは、さすがの一言。
ただ、ちょっと強引な気も否定できない。
氏の作品の中では賛否分かれるとのことだが、それも頷ける部分はある。

因みに、これ、どうやって邦訳するのだろうと思って書店で邦訳を一部立ち読みしたことがあるが、
割と直訳的にならざるを得ないのか、「まぁ、そうなるわな」という微妙な感想を禁じえなかった。

故に、原文で読んで正解、、、だと言えるとカッコイイところだが、
私の英語力では読むのにえらく時間がかかるのである。
一文一文は平易なのだが、先の舞台設定の特殊さから、それを把握するまではちょっと漂流してしまった。

上記は個人の問題なので、私が解決するしかないのだが。。。
・・・なお、現在、レバノンからトルコに飛び、イスタンブールからアンカラに入ったところである。
読後の感想の味わいよりも、読破の達成感と荷物が軽くなることの喜びが勝るところを見ると、
まだまだ修行が足りないようである。

プチ社長日記:『あの会社はこうして潰れた』の話

日経「企業調査マンの目」の連載。
連載当初から読んでいたので知っている記事も多いが、改めて纏め読みしてみると
倒産企業の陥りやすいパターンが解って興味深い。

ただ、やはり記事になるだけあって、耳目を集める倒産理由が多い。
読み物として避けて通れない点ではあり、著者(帝国データバンク)もそういったネタを選んでいるのであろうが、
大企業はともかく中小も含めると、私の感覚では「それなりに大過なく経営していても、時代の流れに乗れずにひっそりと倒産」というケースが最も多い。

今でもベンチャー界隈を渉猟すると、カネや女性をめぐって、せっかく上手くいきかけた事業を
棒に振って「おいおい」と思うケースもあり、それは出資などしてなければ
見世物としては最高に面白い。

でも、最近潰れる社歴のある企業を見ていると、気づいた時には手遅れで、
「下手にあがくと死期を早めるだけ」のパターンもあり、寂しい気分になる。

そういうケースでは、経営側も割切っている部分もあるので、まぁ「おつかれさまでしたね」というようにしている。
・・・そういうものなんだと言い聞かせている。自分でも。