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プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#4』の話

サマルカンドはまず天文台を訪問した後、タクシーを捕まえて街の中心部へ向かう。観光客慣れしたタクシーを拾うとボラれる確率が高いので、通行人に相場を聞いていたところ、その通行人が親切にも交渉もしてくれて安心して乗ることができた。が、この運転手があまりにもマイペースで、どうやら買出しに出た子供を迎えに行く途中だったらしく、途中から大量の食糧を抱え込んだ2人の子供が乗ってきて、そのまま仲良く運転手の家まで行ってしまう。
私としても早く目的地に着きたいので、何故か荷卸しを手伝うのである。何をやっているのだ私は。

日本の感覚からすればタダ同然のタクシー代には他にも理由がある。通常、外国人を乗せるときは貸切に勝手になる(その分、勝手に割高になる)と思ってよいが、地元の人間にとってタクシーは相乗り前提のようなのだ。
私が乗っていても気にせず道端で止まり、行く方向か同じだと乗せてしまう。ご多分に漏れず若い女性が乗ってきた。パキスタンだとまず男女の同乗はないが、ウズベキスタンはその辺はおおらかなのだろう。挨拶をすると返してくれるし、レギスタン広場で私が降りる時もにこやかに送り出してくれた。

そして、いよいよ念願かなってレギスタン広場である。
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しかし年末だからか、人がまばらである。
警備の兵士も暇そうだ。だが私一人興奮度MAXである。
1時間ほどメドレセを見つつ広場をうろうろしている内、話しかけてきた兵士に、ミナレットには登れないのかと聞くと、普通は登れないが、、と歯切れが悪い。
こういうのは心得ているので、いくらだと聞くと50ドルだと言う。ふざけんなと言い、こっちも暇なので粘り強く話をして10ドルで手打ちである。
実は、ここの上に登れることは確信に近かった。パネル写真などで屋根からと思われるアングルの写真を見ていたからだ。無論、本来は開放していないので、屋根の上には照明のケーブルやらなんやらで雑然としている。宗教施設の屋根に上るのは、ミラノで大聖堂の屋根に上って以来かもしれん。

屋根に上ると遠くにかつてイスラム世界で最大を誇ったビビハニム・モスクが見える。
あぁ、俺はこれが見たかったのだと、旅の疲れが吹き飛ぶ一瞬だ。


サマルカンドは「青の都」と呼ばれる。青色のモスクと抜けるような青さの空の色に由来しているそうだ。
正直、空の青さはピンとこなかったが、朝の散歩において夜明けを待つときに納得させられた。

・・・特別に早起きをした訳ではない。前にも書いたが冬のウズベキスタンの朝は暗い。私はここでも運がよく、ティムール廟の近くの安宿に転がり込んでいたのだが、朝食までに時間があったので散歩にでかけることにした。大晦日の早朝だからだろうか、レギスタン広場には人影もない。
イスタンブールなどもそうだが、モスクは夜通しライトアップされることが多い。イスラームの国々の街ではそのモスクが映え、夜景はなべて美しい。
しかし、レギスタン広場のそれは格別だった。
ようよう明けゆく空の碧とモスクドームの青とが溶け合って息をのむような美しさであった。
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サマルカンドではしばらく滞在した。イスラーム建築だけでなく、町全体に活気があり、なるほど古来通商で栄えた街だけのことはあると納得した。

サマルカンドから次へは、ブハラを目指すことにした。タシケントで列車に乗り損ねたので、今度こそはと鉄道で移動することにする。少し前までロシア領だったので、駅の建築もまんまロシア風である。
平たくいうと、無骨で無駄にデカく、寒々しい。だが、それがいい。






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プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#3』の話

まだ未明に目が覚める。未明と言っても冬のウズベキスタンは7時過ぎまで真っ暗だ。
昨日の寝しなに、まずは当初の目的通りサマルカンドに行くことに決定した。東のキルギスや北のカザフスタンを目指すことも考えたが、キルギスへの片道陸路・片道空路での往復では良いチケットがとれず、かと言ってカザフスタンは首都まで遠く、片道の陸路もおぼつかない。

なので、今回はウズベキスタンをじっくり見ることにした。
サマルカンドへは8時に特急が出ており、それなら昼には到着する予定だ。宿を探す必要から、早めに到着したかったので丁度良い。
ウズベキスタンを旅する時にネックになるのが、『レギストラーツィア』である。要は『登録』なのだが、宿泊先で一筆を書いてもらう必要がある。おそらく夜行だと車掌にでも書いてもらうのだろう。この書類が揃っていないと出国の際にトラブルになるという。おまけに税関申請も厳しく、持ち込み/持ち出しの外貨はキッチリ揃えないとこれまたトラブルになるらしい。まぁ後者はキッチリ数えれば良いだけだが、前者は私の様な個人旅行者には足かせになる。

何しろ年末年始である。イスラム圏なのでヒジュラ暦上の正月を重視するのかも知れないが、休暇で宿がとれないケースも考えられる。普通なら駅やそこらで野宿すればすむ話だが、それが無理となると心理的に重しがかかるのである。
エクスペディアで探してみると、サマルカンド以外では宿がとれない。
ただ、パキスタン同様、宿が予約でいっぱいと言うより、単純にエクスペディアに登録している宿が少ないだけの可能性もある。
迷ってても仕方ない。とにかく気持ち余裕を持たせて移動することとし、駅へ向かう。

タシケント駅につき、いざ構内に入ろうとすると、セキュリティチェックがある。単純なセキュリティチェックだと思っていたが、切符もチェックを受けている。
いやな予感がしたが、持っていないのでその旨告げたが、案の定、制止され「切符を買って来い」と言われる。
で、切符の売り場に行くと華麗にクローズである。
8時から営業らしいが、列車は7時台である。どうやら前日に切符をおさえておく必要があったらしい。
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【閉まっとるがな。。。】
旅の予定が狂うのは当たり前だ。嘆いていも仕方ないので地下鉄でバスターミナルのある駅に向かう。

ウズベキスタンの地下鉄は、まんまロシア地下鉄である。それも17年くらい前に旅行した時の「古き良き」ロシア地下鉄そのまんまで感動する。
なべて海外の地下鉄は薄暗いが、天井の高さもあって極めて暗い。しかし、よくよく見ると宮殿のような装飾もあって美しいのが特徴。そして入線してくる列車は古く、鋼鉄製の車両だ。車両が重いせいか、轟音で入線してくるのは迫力がある。
ロシア同様、ウズベキスタンも地下鉄の写真撮影はご法度なのだが、こっそり撮影したりなどする。
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さて、駅に到着後、地上にあがりバスターミナルを探す。どうやら駅のロータリーが乗り場のようだ。
所謂バスの車両はなく、スズキなどのバンが数台と、自動車が数台だ。
外国人の私にいっぱい群がってくるが、何しろ相場がわからない。一応、駅員に相場を聞いたのだが、彼も知らないという。ただ、傍にいたおっさんが、一人乗りだと外国人は60ドルくらいだという。
「外国人は」という表現は気になったが、まぁ多少上乗せされるのは仕方ない。インドなどでは美術館の入館料で3倍近い値段を外国人には請求されるケースもある。
相乗りは望むところなので、群がるオッサンたちに値段を聞く(黙ってるとすぐに車に連れて行こうとするのはどの国も同じだ)。無論、答えない。「幾らならいいんだ?」お約束の会話である。
「10ドルだ」というとみんな爆笑である。どうやら安すぎたらしい。誰一人のってこない。でもここで慌てて30ドルという必要もない。いろいろ聞いて回った結果、18ドルで手打ちとなった。
車には若い男と、老婆と老人が既に乗っていた。幸い、若い男は英語が話せたので道すがらいろいろ教えてくれる。最初、ガイド料を請求するのではと警戒していたが、どうやら学生らしい。鞄には贋物っぽい化粧品が大量に入っていたので、土産と言うよりは商売もしているのかもしれないが、どうやら私から金をとる気配はないらしい。逆に4時間も密室にいるとなんだかんだと仲良くなるもので、リンゴを奢ってくれたりした。(タシケント〜サマルカンド間はリンゴの産地らしい。ぼそっと「リンゴって(ロシア語で)ヤーブラカだよね」と言うと喜んで車を止めて買い与えてくれたのである。おそらく相手は20代で、こっちは40代なのだが、多分、相手は私を年下と見てるのかもしれない。日本人が若く見えるのは、パキスタンや中央アジアでは際立っているようだ。いや、これはホントであって、日本人の『彼は老けて見える』とかいうレベルをはるかに超越して連中は老けて見えるのである。)

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【タシケント⇔サマルカンド道路。ひたすら荒涼とした風景だが、よく整備されている。】

そして15時前にはサマルカンドに到着した。残ったメンバはまだ先があるようで、市の中心の少し北、天文台の辺りで降ろしてくれた。さっきまでガイドと警戒していたくせに、何となくその男の分の足しにとお釣りをあげて車を降りる。

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プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#2』の話

タシケント空港には夜遅くに到着した。初日の宿は羽田からエクスペディアで予約したホテルだ。簡単にエクスペディアで予約できる辺り、パキスタンと違って訪問が楽なのが窺える。

夜の空港から市街へは、タクシーしか足がない。例によって運転手が大量に群がってくる。空港から市街地までの相場は5ドル程度と聞いていたのだが、話がなかなか纏まらず、深夜ということもありやむなく8ドルで手打ちをする。
因みに、ウズベキスタンに正規のタクシーはないと思ってよい。行燈はついていて、それっぽい電話番号が車体に書いてある場合でも、メーターのない白タクだ。料金表も、無論ない。(だいたいイスラム圏は商店でも正札がないケースが殆どだ。)
ただし、買い手と売り手がいるので市場となり、結果相場が形成される。その相場を知ることが旅行者には難しいが、勉強料として多少ボラれたりしつつ、相場を知ることが楽しみでもあったりする。寧ろ、無理にでも楽しまないと何処にも行けない。

タシケントは、200万人余りがが住む大都市だ。世田谷区と渋谷区で110万よりちょっと大きいくらいかな。地震で一度壊滅的な打撃を受け、その後、ソ連・ロシア時代にロシア風街づくりが行われた。ロシア風と言うと、「大したことのない通りでも片側3車線は当たり前の、だだっ広く空間を使ったマッチョな街づくり」といったイメージがあるが、まさにそれである。
運転手の助手席には、まさに助手といった風貌の男が座っている。
車が走り出すやいなや、『ビジネスの話をしないか』といってダッシュボードを開けると、そこには札束がギッチリ詰まっている。何のことはない、両替話である。

・・・イランで100ドル両替しようものなら、札束が返ってくる。それと同じで、ウズベキスタンでも100ドル両替したら札束でポケットが溢れる。経済制裁でクレジットカードが使えず、国際バンクカードも使えない(つまり、ドル紙幣で持ち込むしかない)イラン(当時)に比べると、両方通用するウズベキスタンでは慌てる必要がない。もっとも、ここ一番で通用するのはやはり世界最強通貨のドルだが。とはいえ、地方の飯屋はウズベキスタン・スムなので両替は必須だ。
相場もわからん内に多額を両替するのはアホである。ましてや旧札・新札の混ざっている経済圏だと、額面は同じでも旧札は割高に請求される(価値が低い)などと不当な扱いを受けるケースもある。
適当にうっちゃっておいたが、どうやらこの助手の方が運転手の親分格らしい、『静かにしろ、疲れてるんだ』とピシャリと言ってもひるまない。商売人は嫌いではないので話くらいは聞いてやる。
そうこうする内に宿についた。『何ドルだっけ?』とすっとぼけると先方は10ドルを要求してきた。
(内心笑いをこらえつつ)激昂したフリをすると、『8ドルだった』と訂正してきた。そこで『お前はルールを破った。イスラムで重要な、ビジネスのルールをだ。2ドル分をズルをしたので、私もそうさせてもらう』と言って6ドルを投げつける。これは私がよくやる手だ。相手の様子を見つつなので、お勧めはしないが。
ただ、これで先方が追っかけてくるようなら、相場と乖離している証拠だ。今回のようにそうしなかったり、小声で礼を言われたりする場合は、相場付近だと思っている。
チェック・インを済ませて、ホテルで少額を両替しようと40ドルを渡すと、両画商の女性に『十分、多いですよ』と言われる。別に物価がべらぼうに安い訳ではない。正直に、『この国に来たばかりで、理由がわからない』と告げると、
レートがオフィシャル・レートだからだと言う。因みに1ドル=約2800スムであり、絶賛スム安傾向が続いている。
一方で、この国で闇両替は違法である。ところが、どうやら事実上、野放しのようである。因みにさっきのタクシーの助手席の男は3000スムを提案してきて、旧札だと決めてかかったが、結果からするとそうでもなかったみたいだ。

せっかくの女性の忠告を聞き入れ、少額だけ両替する。もう遅い上に、外は寒く(内陸なので寒暖の差が激しく、昼夜それぞれ日本の±5度といったところ)人影がないところを見ると、おとなしく寝るのが得策のようだ。部屋に入って今後のプランを考えて寝るとする。


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プチ社長日記:『ウズベキスタン漫遊記#1』

昨年12月29日から1月4日まで、年末年始の休みを目いっぱい使用してウズベキスタンに。
この時期は「年末年始の予定は?」というお約束の会話がなされる季節なので、以下のような会話を数回くりかえす羽目に。

「年末年始の予定は?」
「・・・とりあえずウズベキスタンに行こうかと」
「なんで?」
「飛行機で」
「そういうの、いいからっ!」
「・・・んー。今回はいつもと違って、期間が短いからね。ルートをそれて、純粋に覗いてみたいところに行こうかと。昨今、中央アジアはビザのトルクメニスタン以外は緩和がなされつつあって、アクセスが飛躍的に容易になったこともあるし、ほら、安倍首相も今年に中央アジア歴訪したとおり、日本にとっても市場的に重要な地位になりつつあるんだ。加えて天然ガスなどの天然資源も豊富だし、再南下を目論むロシア、一帯一路的にアメリカとの直接対決を避けて西に食指を伸ばす中国との思惑が交錯してて、政治的にも今後熱くなる。それに俺は歴史好きなので、シルクロードの要衝サマルカンド観ずして死ねない。サマルカンドはね、別名『青の都市』と言われてて、俺の一番好きな色である、、」

「・・・もういい。わかった」
「人の話は最後まで聞けって、昔、習わなかったか?」

・・・最後はぶった切られたが、だいたい上記の理由で今回はウズベキスタンをチョイス。
今回は休みの期間が短かいので、1日も無駄にできない。ビザを事前に準備すべく調べてみると、大使館は泉岳寺付近になる。この前のパキスタン大使館の割と近くだ。

【ビザ取得】
仕事を中抜けして、品川駅から歩いて大使館へ。途中、泉岳寺わきのほっそい歩道を歩いていく。
大使館は、バングラデシュ大使館のような感じで、普通にインターホンを押して家に入っていく感じ。

PCからダウンロードした用紙とパスポートを提出する。
誠実そうな係の男性が対応してくれる。
書類の提出を終え、引き換え券を待っていたのだが、「そんなものはない」と言われて少々驚く。
引取りの際は別の身分証明書が必要かとも聞いたが、それも不要で、ビザ代の振込通知のレシートだけ持って来れば良いとのこと。

申請者が少ないのだろうか?
当惑した私を一瞥し、お前の顔みたら本人かどうかなんて解るだろ、なんでそんな事を聞くんだという係の方の反応が新鮮で、俄然ウズベキスタン行が楽しみになる。

帰りに泉岳寺にお参りする。実は初めて泉岳寺。そんでもって泉岳寺と言えば赤穂浪士。
如何に主君の敵とはいえ、47人の集団私刑なんて近代国家なら絶対に認められない暴挙だが、日本人はこの手の話が好きだよね。
私も日本人なので右にならえである。ただし、浅野氏の墓もいれると計48のお墓である。
1基につき30秒でも24分かかる。最初は丁寧にお参りしてたが、さすがに48はしんどい。講談に出てくるようなような有名人ならともかく、無名のその他(それも享年がめちゃくちゃ若い)の墓には「童貞で死んで、さぞ無念でしょうな。お察しいたします」くらいしか出てこない。
仕事抜け出して何やってるんだ俺は。

そんな感じでビザさえとれば、準備はほぼ完了である。

【出発】
28日は仕事納めである。先輩方といつものように遅くまで飲んだくれる。20時くらいから飲んでたかな?気付けば27時である。
いつもなら先輩方に最後までお付き合いさせていただくのが喜びであるが、朝早い便なので残念ながらお暇する。

タクシーで帰ってきてから、おもむろに荷造り。と言っても、いつものリュックにいつもの装備。下着類は捨ててくる覚悟で古いのを突っ込み、『地球の歩き方』を機内で読めるよう最後に詰めれば完了である。パキスタンと違って最新刊があることから、それなりに訪問者もいるのだろう。(パキスタン編は8年ほど更新が中断されている)

故意に事前情報を持たないようにしているが、周辺国のビザ状況と治安だけは確認するのも自分のお約束。見るとキルギス(旧キルギスタン)とカザフスタンはビザが不要である。現地で雰囲気みながら、機会があれば訪問を狙うこととする。

そのまま寝ずに羽田まで向かう。韓国ではGMPからINCに空港の変更があるので、酔いの抜けきらない顔で入国・出国手続きをすることになったが、便数が少ないので仕方がない。そもそも、いつもどおりの最安値クラスのチケットなので贅沢は言えない。

近代的な仁川空港の搭乗エリアにおいて、黒の革ジャン姿のムサい男の比率が高い地味目な一角がウズベキスタン行き便のゲートである。あぁ落ち着く。ひと眠りしたら夜のタシケントである。

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プチ社長日記:『ラーメン蔦のジレンマ』の話

ミシュラン星付きラーメンで有名な蔦が姉妹店閉店。本店の巣鴨も閉店を考えているそうな。

http://ameblo.jp/yuki-onishi/entry-12106236341.html

確かに小さい店なので、並んでる奴がマンションの入り口塞ぐし、最近は良くなったものの、ちょっと前は並んだ奴が飲んだ缶ビールの空き缶をそのままにしたりとマナーの悪い客も多く、近隣住民の気持ちもわかる。
(巣鴨本店は私の近所)

ただ、いつも思うのだが
1杯4,000円くらいにすれば即、問題解決なんじゃないの?

並んでいる人間が1,000人いようが2人だろうが、客足が途切れない限りは店側にとって機会損失はゼロ。一方で収益は跳ね上がる。
ロンドンやNYだと不味くて1,500円とかザラにある。4,000円したっていいじゃないの。
『ラーメンは安くあるべし』とか思っているかもしれん(確かに、店長のブログを読む限りは、気骨のある方のようだが。。)、『安い』のは消費者にとっては嬉しいが、『2時間待たされる』のが嬉しいと思うか?

本当に良い商品ならば、5,000円でも食べたい人間はいるだろう。
無論、必ずしもそうとは言えないが、ラーメンに5,000円出す人間は舌が肥えている確率が高いと思われ、そういう人間に評価されて初めて本物ではなかろうか?
またそういう人間は近所にゴミをそのままになどしない(そもそも行列がなくなれば、そこでゴミを捨てない)と思われる。

『ラーメンは安くあるべし』と本気で思っているなら、まずは単価を上げて得た収益で弟子を育て店舗を拡張し、供給力を高めてから徐々に安くしていけばいい。

店長が良き職人であるのは疑いない。
だが、良き経営者とは思わない。
良き経営者であるならば、需給バランスを考え、真に最適な価格を設定すべきだ。

ただ、それだけのことだよ。


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プチ社長日記:『3連休』の話

仕事に、仕事、そして仕事と、仕事で充実した3連休であった。
それを3連休と呼んでいいかは別として。
まだ作ってない契約書あるけど、まぁいいや、寝ちまおう。
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プチ社長日記:『マイナンバー』の話

弊社にもマイナンバーが発行されました。
いろいろ問題はあるでしょうが、効率的な行政が実施されることを望みます。

それはそうと、最近キャバクラに行くと『お昼の仕事もしてるのですが、バレないですか?』みたいな質問をよくされるのですが、客に聞いてどうするのだオマエら。
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プチ社長日記:『インド〜パキスタン#4(パキスタンの人々)』の話

最後に、パキスタンの人々について思う所を。
無論、私個人の経験だけで断定的に語ることはできないので、その辺は割引いて捉えていただきたい。

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【ナンガパルバット 8125m】

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【ラカポシ 7788m】

言うまでもなく、パキスタンはイスラームのスンニ派の国である。同じイスラーム国家で隣国のイランはシーア派なので、ついつい比較して見てしまう。
両派の違いは、教義は当然であるが、女性の扱いにも見て取れる。イスラームなので男女の区別(差別ではない)には厳しく、モスクの礼拝でも男性エリアと女性エリアは分けられている。ただ、普段の生活というと、シーア派はスカーフこそ頭に必ず巻くものの、顔は見せている方が殆どで、携帯ショップなどにも普通に女性店員がいる。
一方で、対するスンニ派はより厳格で、公務員・公共サービス以外での女性店員は皆無に等しく、高級外食店で接客係がいる程度で、あとは皆おっさんによる男性社会である。

(未婚・既婚問わず)若い女性には特に厳しく、周囲もとても気を遣う。ラホールからラーワルピンディー行きの普通列車は、正に鮨詰めで阿鼻叫喚の世界であったが、女性同士が固まる一角だけは空間がぽかんと空いているのである。
女性の方も、ブース毎まるっと布で自前カーテンとして遮り、男性からは見えないようにしてしまう。子供と老女だけは別であり、黒以外の色を身に付けていたり、顔を出したりしている。
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【学生なら逆に写真をせがまれることもある】


こういう自由恋愛とは対極の世界なので、いろいろと歪みが出てくるのは致し方ない。
例えば、Facebookで友達になっても、パキスタン人はどこぞで拾ってきた(非ムスリムの)セクシー画像を貼ってきては、仲間内で「いいね!」しまくっているのである。そう、ガタイが良くて髭面の彼らも、こと女性関連の話題に関しては中2レベルなのである。
そんな訳だから、会話の中で「ちょっとお前のスマホにある日本の女の子の写真を見せてくれ」というフレーズはしょっちゅう出てくる。
私もお約束として、ここは一発ボケなければという強い使命感からオカンの写真を見せたりするのだが、パキスタン人も『ソレジャナイ!』という解りやすいリアクションで返してくれるのが面白い(結局、毎回このボケは繰り返した)。まるでドリフである。

これだけ見れば笑い話だが(いや、彼らは至って真剣である)、この歪みがホモセクシャルとして発現することも多いというのは、むべなるかな、と言ったところである。もともとこちらでは男性同士が手をつなぐのが普通とみなされているので、境界線があやふやなので判別が難しい。
ただ、よからぬ視線を感じることも多々あったので、それは状況に応じて判断するしかない。

男性でさえそうなので、率直に言って、女性の一人旅はお勧めしかねる。
男女の関係はイスラームの戒律で厳格に律せられているが、残念ながら異教徒の我々はその律から外れると思ってよい。極端な話、異教徒には何をしても良いと考える人間もいるとのことなので、注意した方がいいだろう。

ただ、繰り返すがパキスタン人は非常に友好的である。列車の中で話をしていた老女は懸命に自分の家で食事して行けという。駅に着くと、その老女を出迎えに来た家族全員が「是非来い」と誘ってくれる。本当はイスラーム的にはこれらのお誘いには応えるのがマナーであるが、事情を話して勘弁いただいた。

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【Thank you, Rana bros.】


その他も、例を上げればキリがない。
フンザでデュイケルからの帰り道にバイクで送ってくれた若者や、カリマバードからアリーアバードまで自動車で送ってくれたおっさん等等、皆、非常に優しい。ラホールの駅で暇つぶしに話していたおっさんとポーターの皆さんも、私にジュースを奢ってくれたりした。
無論、その優しさをあてにする事は禁じ手であり、また安心しきった所をつけこまれる可能性も否定できないので最低限の注意(睡眠薬混入の可能性など)を払う必要はあるが、インド北部とはまるで性質が異なるのは鮮烈だ。
その賞賛を受けて、ある若者は『だって俺たちイスラームだから』と躊躇なく言ってのけるは、私にはとても説得力を持っていると感じられた。

日本ではインドとの関係上、どうしてもパキスタン人を警戒する傾向を感じるが、パキスタン人の日本人評価はなべて良い。無論、リップサービスも含まれているだろうが。
ただ、自動車など日本製品は随所に見られ、日本の技術が高評価を受けていることや、そもそもキリスト教徒ではないということもあって、日本人は概ね歓迎されているようだ。
面白いのは、『ヒロシマ』『ナガサキ』の話をするパキスタン人が若者も含めて何人かおり、『アメリカは酷いことする国だよな!』と同情を受けることが多いということである。『アメリカは嫌いだけど日本は嫌いじゃないよ』、とでも言いたいのかも知れないが、今や同盟関係にあるので聞いているこちらとしては返答に困ってしまう。
(もっとも、そんなパキスタンは絶賛核戦力増強中。)

ただ、この評価もいつまで続くかは判らない。パキスタンがインドと敵対する以上、利害の一致する中国とは仲が良い。中国もカラコルムハイウェイ建設や鉄道車両の輸出などを通じて、パキスタンへの影響力を強めている。これに加えて9.11テロ以降、日本人観光客がとんと来なくなったのでは、義理堅いと言われるイスラームの彼らであっても、現在の対日評価が維持できるかは正直、疑わしいところだ。
危険がない訳ではないが、もっと友好を重ねてもよいと思う。

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【そして最後はにゃんこ】
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プチ社長日記:『インド〜パキスタン#3(パキスタン)』の話

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【外務省安全ページより】※
※正直、感覚とズレてるのだが、一応掲載。

朝起きて、どこへ向かうかを考え始めた。
何となく、『フンザに行きたい』という思いはあった。

遡ること1年前、ヴァラナシでガンガーのボートから朝日を見ていた時のこと。たまたま出会った日本人と船頭の3人でボートに乗っていたのだが、その日本人の彼がしきりに『フンザがいいらしい。俺はいつかフンザに行きたい』と熱く語っていたのが引っかかっていたのだ。また、その後手にした宮本輝氏の『草原の椅子』の舞台でもあったので、その思いはより強くなっていた。


【映画『草原の椅子』】

フンザはカリマバードという街を中心としたパキスタン北部の領域(ノーザン・エリア)である。中国との国境に近く、国境とはカラコルム・ハイウェイでつながっている。このノーザン・エリアはインドと領域を争っている地域ではあるが、現在パキスタンの統治下にある。
最大の街はギルギットであるが、近くのペシャワールがタリバンの強い影響下にあるので、ピンディーからペシャワールを経由せずに行くとなると往復は同じ道を辿ることになってしまう。

では片道を空路にしよう、と思い、ピンディーのパキスタン航空のオフィスに歩いていく。
これまたどう見ても閉鎖されているようなオフィスなのであるが、一応営業しており、窓口のおっさんも親切だったのが助かった。ただ、適当なチケットは入手できず、とりあえずバスでカリマバードへ向かうことにした。

荷物をまとめ宿を引き払い、昼飯を食ってから北のバスターミナルへ向かう。
これがかなりややこしく、タクシーを利用するのが良いと思う。私は駅の北側まで3キロ歩き、そこからバスターミナル行きのチングニー(乗り合い3輪タクシー)で行ったが、最初はなかなか目当てのチングニーが見つからず、親切なおっさんが案内してくれなければ私も諦めてタクシーに乗るところであった。
そう。パキスタンは親切なおっさんだらけの国なのである。

夕方6時にターミナルを出たバスは、20時間かけてギルギットに向かう。(なげー。)

途中、4回の検問があり外国人の私は都度、降ろされるのだが、パキスタン警察はなべて親切であり、何の問題もない。
夜明け頃にベシャームという街で休憩となった。ここはノーザン・エリアの入口の街だ。
ここで2時間休憩し、他のバスを待ち合わせする。

ここから本格的にカラコルム・ハイウェイとなるのだが、そもそも悪路であり土砂崩れなどが頻繁に発生していること、そしてタリバンの進出により治安が悪化している領域を通過することから、夜明けを待ってバスが隊列を組み、その先頭を警察が護衛するという護送船団方式での進行となる。見ると大中あわせて15台のバスが警察車両を先頭に一列で進んでいる。(私は先頭のバスに乗っていた)
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【警察が先頭で護衛し、、、】

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【我ら金魚のフンが続きます!】

道路は、一応、舗装されており、 修理したりショートカットの架橋をしたりといろいろやっているが、リアルにケツが浮くほどの悪路である。大型バスが通れるギリギリといったところか。
ただ、景色は山岳砂漠なのでなかなか見せるものがある。

ぐったりしてギルギットについたのが翌日の昼2時。疲れてはいたが、一気にカリマバードまで目指そうと思い、マイクロバスに乗る。ここからは中国に近いせいか道がよく整備されており、3時間ほどでカリマバード到着である。夕闇に沈む氷河が美しい。
あこがれのフンザについたのだが、暗くて景色は見えず、オールド・フンザ・インという安宿にとまる。一泊800ルピー(1000円弱)である。ひと昔前のブログなどを見ると、信じられないほどの安値がついているが、バックパッカーに知られたこの宿がボルとも思えず、また、これまでのインフレ状況などから見ると、そんなものなのだろうと自分を納得させる。

部屋は綺麗とは言い難かったが、流石に標高も高いためクーラーなしでも快適である。しかもお湯が使える。(まぁ、バケツに水を張ると底が見えないくらいの透明度ではあるが。。)これ幸いと洗濯をした後、窓を開けて、虫の声を聴きながら足を延ばして眠れるのは心地よかった。

■■■
カリマバードはなるほど素晴らしい場所であった。
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【メインストリート。ATMできました】

朝の5時に起き、隣のデュイケルという場所まで片道2時間ほどの散策に出る。デュイケルは山の上にある場所で、イーグルズ・ネストホテルがある場所である。とても清潔なホテルだ。年をとってまた来るなら、是非ここに泊まりたいと思ったほどである。ここのテラスでお茶をした後、山を下り始めたのであるが、親切な若者がバイクの後ろに乗せてくれたので、あっさりと帰ってこられた。
その後、カリマバードのバルティット・フォートを見学する。
宿で休憩後、今度は改めてもう一つの城塞のアルティット・フォートも見学すると、もう他に見どころは無い村である。
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【ナウシカ風の谷のモデルとも。。】

ただ、村の人々が非常に友好的であり、この地域はイスラームでありながらもイスマイール派を信奉しているので女性も華やかな装いが多く、村が明るい。
あんずの花の咲く春に訪れると更に素敵であろう。
ただ、ここも急速に近代化が進んでいるので、ここを訪れるなら早い方が良いと思われる。
『草原の椅子』の中では電気を使用している建物は稀で、ランプが使われているという描写があったと記憶しているが、今は全て電気であるし、今やATMもあるのである。
我々の勝手なノスタルジーを押し付けて、彼らに不便な生活を強いる訳には当然いかないので、こればかりは仕方ないと言える。
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【カリマバードの住居】

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もっと長く滞在したかったが、カラチに向かわねばならない。
ギルギットで更に1泊した後、ピンディーまでの20時間、そしてラホールまでの7時間(ガイドブックには4〜5時間とあったが。。)と怒涛の連荘でバスに乗り継ぎ、ラホールまで一挙に南下する。当然、暑い。(そしてケツも痛い。)

さすがに疲れていたのと、ちょっと仕事の関係でインターネット完備の場所に泊まる必要があったので、アヴァリ・ラホールという高級ホテルに宿泊した。高級ホテルといっても頻繁に停電するのはお国柄仕方ないといったところか。とは言え、当然ホテルには予備電源があるので瞬断で済んで快適だ。
夜もプールで泳いでなぞいると、つい「こういう『若旦那仕様』(?)の旅も悪くないなぁ」と思ってしまう。朝食でも日本語が聞こえ、日本人はここにいたのか、と変な感慨を覚える。

パキスタンの車市場における日本車率は非常に高い。日本より高いのではないかと思える。
『日本車天国』という言葉が久しぶりに浮かぶ。因みに、乗合自動車については、まるっと『スズキ』と呼ばれる。『イスズ』ではない。標識にも『スズキ乗り場』と書いてある。かつて日本でもパソコンのことを『IBM』と呼んでいたそうだが、そういうノリであろう。
バイクに至ってはホンダの天下である。BMWやドゥカティのような高級バイクは見ない。

これだけ日本車が走っているのに、日本人を殆ど見ないのである。
というか、フンザで2人見かけただけである。
無論、圧倒的に中古車であり、マイクロバスの車体にも『○○温泉』とか書かれている。『どこ行くねん』と突っ込みたくなるが、これはアジアどこでも見られる光景ではある。
中古車の取り扱いとなると中国やロシアが幅を利かせているので、日本人が売りさばいているとは限らないが、それにしても溢れる日本製品に比べ日本人の少なさは異様にも見えた。

パキスタンはインドから独立したので旧英国植民地である。
なので日本と同じく左側通行なのがバスなどの中古車市場で有利なのは想像できる。
もっとも、10年前のフィリピンなどでは,匹ΔいΔ錣韻ドアだけ右側通行仕様に改造 △修鵑覆竜い砲靴覆て乗客が道路の中央から乗降するパターン の2パターンが走ってたりしたので、どれだけ有利なのかは何とも言えないが。

話がそれたが、かつては日本人もパキスタンに大勢来ていたそうなので、もっと多くの同胞に訪問してほしいと思う。

ラホールにはラホール・フォートというムガル帝国歴代皇帝が建造した巨大城跡と、同帝国6代皇帝アウラングゼーブが建造した巨大なバードシャーヒー・モスクが有名だ。イランの青色のモスクに比べ、赤砂岩でできたそれらはいかにも武張った印象ではある。
ノルウェーがユネスコを通じて修復工事に当たっているので、アラムギリ・ゲートは通過できなかったが、ここが通商・軍事の重要拠点であることを印象付ける立派な建築物である。
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【バードジャーヒー・モスク】

見学を終え、街中にある鉄道の予約オフィスに行き、ここでも女性の販売員からカラチ行きの切符を買う。少数の事例から判断することは危険だが、やはり聞いていたよりも女性の進出がなされているようで安堵する。とはいえ、公共サービス以外の場所では女性労働者は殆ど見ないが。

で、カラチへは5,000ルピー(パキスタン・ルピーなので6,000円くらい)するが、グリーンラインで行けという。グリーンラインというのは、パキスタン国鉄が最優先で走らせる特急寝台だ。それだと18時間。他のだとちょっとどれだけかかるか解らない、ということである。
距離を考えれば日本より断然安いが、ラホール〜ピンディーの普通列車が370ルピーだったのに比べると高すぎるように感じた。
だが、その女性担当者のいう事を聞くことにした。女性に勧められると断れないのは悪い癖である。

結果は大正解であった。グリーンラインは中国製の客車を改造したコンパートメント形式の車両であり、1室最大6名まで乗れるが、その担当者が気を利かせてくれたらしく、1室をまるまる私に使わせてくれたのだ。チャーイこそ有料ではあるが晩飯・朝飯もついており、1泊分の宿泊代が浮くことを考えると十分だ。
それだけではない、外国人の多いイスラマバードやカラチならまだしも、パキスタンにはクーラーのついたカフェなどが街に全然ないので、列車の時刻までは灼熱の中をさまようことになるのだが、グリーンラインには専用の冷房付き待ち合わせスペースが駅にあるのである。
(もっとも、その存在を知ったのは出発の1時間前であり、それまで私は、たまたま話しかけてきたパキスタン人と2時間ほど時間を潰していたのだが。。)
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【ラホール駅にて。】

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【インドと同じ車両もある】

20時過ぎに出た列車は、途中4カ所の駅で停まるだけで、私をカラチへ連れていく。

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カラチは言うまでもなくパキスタン最大の都市である。
アラビア海に面しているので港があり、パキスタン海軍の拠点にもなっている。
イスラマバードがワシントンなら、カラチはニューヨークと言ったところか(私の中で)。

そんな思いから立派なターミナルを想像していたが、野晒しのホームで戸惑う。
「え?ホント?ここカラチ・カントンメント?」と降りる客に聞くがそうだと言う。
駅のチケットセンターは昼にも拘わらず閉まっている。次回、カラチに来るときはクェッタ経由のザヘダン(イラン)行きを狙うことになるのっで、国際列車の運行状況を調べておきたかったのだが、叶わず断念。
駅前も痺れるほど廃墟が多い。昼に到着してよかった。
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【カラチ駅】

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【駅前大通り】

ラホールでカラチの宿はエクスペディアから予約していたので、宿に徒歩で向かう。
結局、パキスタンで唯一、予約したホテルとなった。
が、実際に行ってみると「この予約は無効だ」と突き返される。
「いやいや、visaで決済もしてるでしょ!」と半分日本語の画面を見せ、そこから長い抗議がスタート。結局、ホテルとエクスペディア間の問題と判明し、後日エクスペディア側に返金催促することになったが、憤懣やることなくレイトチェックアウト等を認めさせる。
という訳で結局、パキスタンでは厳密には1件も予約できなかったことになる。

カラチは最大都市だが、特に歴史的に見るべきものがあるか、と言われるとあまりない。パキスタン建国の父であるジンナー廟があるくらいである。
この辺の、イスラームの歴史にとって特に何もない、というのがパキスタン・イスラム共和国をして遷都させた大きな動力になったそうである。
ただ、英領統治の面影を残すエンプレス・マーケット辺りなど、街並みは見てて面白い。
ただ、この日も仕事の都合で早めに宿に戻る。
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【エンプレス・マーケット】


翌日、パキスタンで唯一の国立博物館に行く。パキスタンと言えばモヘンジョダロやハラッパーのインダス文明遺跡が有名だが、ともにダコイットなどの反政府勢力の強い影響下にあるので、残念だが陸路メインの今回の訪問では避けた。8年前のガイドブックの記述でも厳しそうだったが、最近のウェブ情報でもモヘンジョダロ行きのバスが(狙われるので)外国人は乗車拒否に遭ったりと依然として厳しい状況が続いているそうだ。
塩害による劣化被害も相当進んでいると聞くし、何とか後世の人類に笑われないほどの文化保護はしてほしいと願うところである。
で、せめて遺物ぐらいはお目にかかろうという次第で、新市街の方へ歩いていく。

国立博物館は、建物ではなくて庭のところにチケット売り場がある。売り場と言ってもブースはなく、長机の前にオッサンが2人座っているだけである。最初は偽物かと疑ったが、そうでもないらしい。料金を払い庭を通ると本館だ。
これが昼なのに妙に閑散としている。見物客は私だけ。カラスがまるでヒッチコックの映画のように多数飛んでおり、夜なら敬遠したい趣だ。
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【国立博物館】

内部の展示品だが、有名な『神官の像』が見られたものの、警備も極めて手薄で、その気になれば盗難できそうな雰囲気である。そもそも窓があいててテラスに出放題なので、窓から展示品を投げ出せば難なく持ち出せそうだ。見ているこちらが心配してしまう。
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【中央が神官の像】

その他の展示品も微妙だ。インダスの『踊り子の像』はコルカタで本物を見たことがある。こちらはコピーだと思われたが、博物館員に『これ、コピーだよね?』と言うと『オリジナルだ』と憮然と答えられてしまう有様である。脚にボルトが付いてる訳ねぇだろ、と思ったが、ぐっと堪える。
博物館・美術館につきもののカフェなどが併設されている訳もなかったが、それはそれでお国柄が表れていて面白い博物館である。

いよいよ夜の遅い便で帰国である。カラチ空港へは宿から無料送迎を勝ち取ったので、それを利用する。
実を言うと、去年、デリーまで駒を進めておきながら、パキスタンを訪問しなかったのは、このカラチ空港が反政府ゲリラに攻撃され、20名以上の死者を出したからである。
襲撃を受けたのは貨物ターミナルであったが、黒煙をあげる空港の写真を見て、急遽目的地を北欧に変更したのである。
こういう事件があったので、さぞやセキュリティは厳しかろうと思っていたのだが、これが見事にザルである。空港までの検問所は多いものの、一度も停められることはない。空港内の審査員が気持ち真面目に見てる程度だろうか。
因みに、国際線のターミナルであるが、免税品はせいぜい香水と化粧品が多少買えるだけなので期待しない方が良い。ネパールのカトマンドゥ空港に次ぐ簡素な飛行場である。
チケットカウンターには、隅に冷蔵庫が置いてあり、その横に椅子に座ったおっさんが待機という『手動販売機』が1台あるだけである。シュールだ。
最後まで期待を裏切ってくれるという意味で、パキスタンはなかなか面白い国である。

イラン再訪の為に、私はこの地に戻ってくるつもりだ。それまでに、イランとの国境事情が改善されることを期待してやまない。
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プチ社長日記:『インド〜パキスタン#2(陸路越境)』の話

さて、翌日はいよいよパキスタン国境超えである。
インド・パキスタンの国境事情は変化しやすく、なかなか最新の情報を入手しにくいのが実情だ。
特にパキスタン側は『地球の歩き方』が2007年から更新が停止していることもあって、情報が不足しがちだ。(※)

結論から言うと、「パキスタン側・インド側双方とも国境までのアクセスに難があるも、現時点で越境には何の問題も無い」ということになる。

※なにかと重宝する『地球の歩き方』であるが流石に8年たつと情報の陳腐化は避けられなくて、例えば物価が2倍以上になっていたり、この宿を当たってみようと思ったら豪快に潰れていたりする。
ずっとデフレに苦しんでいる我らの感覚では8年で物価が倍というのは考えづらく、最初はボラれてはかなわんと炎の交渉を続けていたが、大手長距離バスの値段が2倍になっていることを知り、まぁ、そういうものなのかと納得するまで時間がかかった。最新情報は(英語だが)lonely planetがお勧めである。


『地球の歩き方』では国境審査の職員が酷いと書いてあったが、私の場合では、パキスタン側の入国審査官は(2人いたが2人とも)女性であった。イスラーム世界で女性の職員というのは珍しいので、その辺は国も気を遣ってくれているのかもしれない。
尤も、陸路で入国する日本人は極めて少ないらしく、単純な好奇の視線にさらされるのは仕方ない。
私としても、審査に当たって多少は身構えていたのであるが、審査官の最初の一言が『あなた、髪の毛跳ねてるわよ』である。そこかよ、放っておいていただきたい、という気持ちを堪えつつ、相手がお役人なので一つ一つ丁寧に答えていく。が、その後も『あら、このスタンプどこの?変わってるわね。』『あ、それコソヴォです。国の形(がスタンプに彫られている)。』とか入国に関係ないやりとりがただひたすら続く。そのうち、隣のカウンターの女性審査官も身を乗り出しての雑談である。

一点、注意すべきは宿泊先だけ(どっか適当なのの住所・電話番号でよい)は決めて置いた方がよい。一応、夜間の外国人外出は制限されているようなので、そこだけ押さえておけばまず大丈夫と思われる。

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【パキスタン側国境ゲート】

その他にも、何故かセキュリティーエリアに両替商がおり、レートは決して良くは無いものの、インドルピーを持ってても仕方ない多数の人間にとっては便利であるし(パキスタン側の方がレートは良かった)、パキスタン側にも税関抜けて少し歩いたところ、なぜかサルが飼われている檻を過ぎて右側には冷房の効いたブースにATMもあるので、入国に関する不安は一瞬で解消する。(それにしても何で国境でサルを飼ってるのかは謎。)

問題は国境から最寄りの街までのアクセスである。インド側は、何だかんだ言ってリクシャーが常に待機しているので問題ない。ボラれてるのかもしれないが、私の場合は250ルピーで片道貸し切りだった。相当な距離があるので、タクシーかリクシャーでないとまずアムリトサルまでは行けないので必要な出費と思っている。
問題はパキスタン側で、税関出ると遊園地内のバスみたいな可愛い乗り物がセキュリティーエリア外500mくらいまで連れて行ってくれる。因みにそこの税関のおっさんやポーターのおっさんもオモロイ面々なので、待ち時間は苦にならない。

送ってはくれるものの、そこからバスが直で出ていないらしく(近くの小さい街、ワガーからは出ているようだ)、誰に聞いても『7kmほどあるけば(ワガーで)バスがつかまるよ』との回答である。最初歩き始めたが、何しろ炎天下なので体力が著しく消耗する。結局、戻ってきてしまった。最初は不在だったリクシャーもその頃には数台が客待ちしていたので、最安値(350パキスタンルピー(1パキスタンルピー≒1.2円))を提示した隻眼運転手のリクシャーでラホール駅まで行くことにした。

因みに、パキスタン側の税関のおっさんに、『日本人て、どれくらいここ通るの?この1週間に他に何人いた?』と聞くと『いや、全然通らない。おまえだけだ』との回答であった。。。

■■■
ラホール駅では砂埃が舞っていた。いや、砂嵐と言った方がいいかもしれない。ラホールにはまた戻ってくるので、とりあえず北上してラーワルピンディーに向かうことにする。
本来、この手の長距離列車は、町中にある予約オフィスでチケットをとる方が便利なのだが、時間の節約で窓口の姉さん(ここも女性だった)と筆談で意思を伝え、切符を買ってすぐの列車に乗ることができた。
(ラーワル)ピンディーまでは4時間とガイドブックに記載されていたが、やはりそれは特急の話で、結局10時間かかってしまった。列車も最初は激込みであったが、駅で出会ったRana兄弟に助けられ、席にありついて快適に過ごすことができた。

車窓の景色は、都市郊外では貧しいバラックが目立ったが、田舎の風景はのどかそのものである。車両もボロいものの味がある。特に信号機が腕木信号機であり、信号所も随所にあってノスタルジックな気分にさせる。

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【腕木信号機に信号所】

結局、一日で一気にピンディーにまで来た。因みに(ラーワル)ピンディーとはパキスタンの首都イスラマバードのすぐ近郊(15km)である。イスラマバードはパキスタン独立後に急造した街なので、官庁街といった趣なのに対し、ピンディーは古くからある街なので鉄道その他の施設はピンディーがまだ主役である。
であるから、一国の首都(の郊外の街)として煌びやかさを期待していたのだが、それは完全に裏切られた。

まず、駅やその周辺が異様に暗いのである。街灯はおろか、信号機も点いていない。建物も半分は廃墟で、残りの建物では発電機で灯りをともし、食堂などが開かれている。
パキスタンはイスラームなので、基本的に酒類が販売されない。夜明けのアザーンとあいまって、それが夜を早くしているのかもしれないが、いくら何でも暗すぎる。
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【安宿街】

薄暗い食堂で食事中のおじさんに道をきいたり、手元の地図を頼りに、とにかく街の中心部に向かう。
流石に街の中心部は街頭や信号機がついている。停電というより節電に近いのかもしれない。
宿を探すが、ガイドブックにあった最初の宿は潰れていた(※)、その後もいろいろ当たったがどれも満室である。すっかり曜日の感覚をなくしていたが土曜日であったのを思い出した。地方から出てきた人間で宿が塞がっているのであろうか?
とにかくいろいろ当たったが、どれも潰れていたり満室だったりで埒があかず、終いには街の反対側まで出てしまった。
遠くに見える高級ホテルのそばに中級ホテルがあるらしいので、それに当たって、泊まれなかったら野宿しよう、そう決めて向かう。とにかく強烈な睡魔に襲われ、もうどうでもよくなっていた。

結局、その中級ホテルで部屋をみつけ、不本意ながら割高な値段で宿泊することにした。シャワールームは排水が悪く虫の死骸が浮きまくって使えたものではなかったが、ベッドで寝られるのと朝食がついているのが有難かった。
とにかく飲み物を調達しようと外出しようとしたが、ホテルの従業員や警備に制止される。外国人の夜間外出は禁止されているとの旨であった。
のどが渇いていはいたが、とにかく眠いのでひたすら眠る。

※エクスペディアなどもパキスタンの宿は大都市のハイクラスなものしか登録されていない。
ネパールでは350円/泊でも登録されているので隔世の感があるが、私たちもほんの15年ほど前まで歩いて宿を探し回っていたので、寧ろ楽しむしかない。

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